豆の育種のマメな話

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「竹一筋に・・・」,奥伊豆の友-1

2014-04-21 17:06:01 | 伊豆だより<里山を歩く>

下田北高第11回卒業生同期会の便りが届いた。同級生の顔を思い浮かべながら近況報告を辿っていると竹のみにかかわって長い年月が流れました。充実した毎日ですとの一文に目が留まった。南伊豆町の○○剛君である。


拙ブログ(伊豆の里山-1「竹,今昔物語」2013.2.26)で,次のように述べたばかりだったので,これは是非とも話を聞かねばなるまいと思い立った。

・・・近年「竹害」なる言葉が語られるようになった。集落から若者が消え,管理放棄した竹林は他植生を侵犯し,里山にまで拡がり,山一面が孟宗竹に覆われる現象が見られる。「これでは駄目だ」と,NPOや行政,森林組合などが主導する「里山の自然回復運動」がようやく緒に就いた。鑑賞に堪えうる竹林に戻し,他の植生と共生出来る環境を整備するためには,パンダの餌も結構だが,アクチブな竹の利用促進が重要である。竹材,竹工芸品,竹炭,竹酢液など可能性は大きいが,問題なのは対応できるマンパワーと企画調整力(組織力)だろう。バイオマスとしての活用を研究してみるのも面白い。伊豆の資源はここにも眠っている。どなたか動きませんか? ・・・


卒業以来の不義理を詫び,「竹の話を聞きたい」と連絡したら,「ゆっくり話の出来る機会があればと思っています」と返事が届いた。その葉書には,「昨年の10月に全国竹の大会で功労賞,11月に農林水産大臣賞を頂いた」とあった。

不勉強で,竹産業に係る全国組織があることも知らなかったが,受賞の情報は剛君の「竹一筋」の言葉とリンクして嬉しくなった。彼の里山を訪ねようと思った。


2014
4月の或る日,下賀茂温泉郷から一条川に沿って山里を遡り(静岡県道119号線,下田市街に通じる)数分進むと,山間の集落「一條」は春の陽だまりにあった。静かな山村の風情である。

一条竹の子村」で落ち合うことにして駐車場に車を入れると間もなく,剛君は愛犬を伴い軽トラックでやって来た。作業中であったのだろう(竹の子シーズンの真最中である),オレンジ色のキャップと防寒着を身に着けている。

お互いに,「やあ,やあ・・・」と手を挙げて歩み寄った。卒業以来の久々の再会である。歳月はそれぞれに歴史を刻みお互い年相応の風貌になったが,昔の面影が消えたわけではない。


挨拶もそっちのけで,「其処で話そうか」と竹の子村に併設されている食事処へ入って行き,「お茶をくれや」と彼は調理場に声を掛けた。

番茶を啜りながら,会話は堰を切ったように続いた。

・竹林の整備,中国原産「四方竹」導入と資源化

・竹炭,竹酢液,竹細工などの生産販売

・猪,鹿,放棄地問題と対応

・竹の子狩り,椎茸狩り,みかん狩り,栗拾いなど観光化

・竹の子料理,猪,鹿料理などの提供

・里山の回復と村おこし,人的資源と人材育成,観光など他産業との連携

等々,「竹一筋」の体験から湧き出る言葉に重みがある。


彼は生粋の真面目人間なのだ(一途に,頑なに,これも伊豆人気質ではあるのだが)。そして,年をとっても夢を語る元気がある

「高齢者の新規定着が見られるのでハーブはどうだろう?」と彼は言う。

「カワヅザクラも良いが,次の手を考えよう。ハカランダの里はどうだ?」と応える。

「オリーブの里構想が動き出そうとしている」と近況を語る。そして,

「小さな自治体では,人材も金も限界がある」と嘆く。

「せめて,南伊豆,下田,東伊豆,松崎は一体化すべきだ」と応じる。


だが待てよ,国や自治体の事業を当てにせず ,谷間,谷間の小さな取り組みで良いのではないか? グローバル化は良い事ばかりではないと我々は学んだのではなかったのか? とも考える。


「お土産に竹の子を持って行けよ」と言われ,彼の作業場へ立ち寄る。

「竹の子も皮を剥いて,茹でるまでしないと出荷できない」と,流通の今を語る。

別れ際に,南伊豆一條竹の子村の駐車場で写真を撮った。「竹の子狩り」から戻った一群の家族が傍らを通り過ぎ,子供等の笑い声が弾けた。直売場の軒先から,顔をかすめてツバメが飛翔する。


元気な友に出会えるのは楽しい。きっと,奥伊豆温泉宿の夕食に「金目鯛の傍らには,竹の子」の時代がやって来るよ。そっと呟いた。

 

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コメント
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