日本のオールステンレスカーの第一世代に東急旧7000系や京王3000系が挙げられ、
長寿命の構体ゆえ、現在も地方私鉄での活躍が見られますが、同時期の車両ながら
導入オリジナルの事業者のまま、いまだに本線でバリバリ活躍しているのが南海6000
系です。50年以上も運用されながら、つい昨年まで1両も廃車が出ず、後に導入され
た鋼製の7000系のほうが先に全車引退するという珍事で、図らずもステンレス車両の
長寿命を証明することになりました。
なんばでそれほど待つこともなく、6000系8両編成の橋本行きの急行に乗車。
東急旧7000系は前面もほぼ切妻ですが、当車のような曲面がある前面は、ステンレス
の加工性の悪さもあって当時の技術では大変だっただろうと想像します。
当時の日本のオールステンレス車の製造は、バッド社との提携の下、東急車両が独占
していました。
電鉄と異なる意匠の地球儀マークは、世界進出を目指していたのでしょうか。
室内。
以前、堺の音楽友のお店に行った時に乗った南海線で、通勤車といえば両開戸が主流
のところ、いまだに片引戸のそれ(たぶん末期の7000系)が本線を堂々と走っている
ことに驚きました。特に通勤車の片引戸は開閉の速度が速くストロークも大きくて、
動作時の見た目が派手なのもあります。
橋本では極楽橋に行く「天空」が隣で待っていましたが、それには目もくれず(笑)、
同じ車両の折り返しの急行へ。乗客降車後、一旦上り本線上に引き上げ、「天空」
の発車を待って進入してきました。
特急「こうや」号とすれ違い。
なんばの手前の天下茶屋で一旦降り、
なんばからの折り返しで再び橋本方面に向かう6000系を捉えました。
長寿命の構体ゆえ、現在も地方私鉄での活躍が見られますが、同時期の車両ながら
導入オリジナルの事業者のまま、いまだに本線でバリバリ活躍しているのが南海6000
系です。50年以上も運用されながら、つい昨年まで1両も廃車が出ず、後に導入され
た鋼製の7000系のほうが先に全車引退するという珍事で、図らずもステンレス車両の
長寿命を証明することになりました。
なんばでそれほど待つこともなく、6000系8両編成の橋本行きの急行に乗車。
東急旧7000系は前面もほぼ切妻ですが、当車のような曲面がある前面は、ステンレス
の加工性の悪さもあって当時の技術では大変だっただろうと想像します。
当時の日本のオールステンレス車の製造は、バッド社との提携の下、東急車両が独占
していました。
電鉄と異なる意匠の地球儀マークは、世界進出を目指していたのでしょうか。
室内。
以前、堺の音楽友のお店に行った時に乗った南海線で、通勤車といえば両開戸が主流
のところ、いまだに片引戸のそれ(たぶん末期の7000系)が本線を堂々と走っている
ことに驚きました。特に通勤車の片引戸は開閉の速度が速くストロークも大きくて、
動作時の見た目が派手なのもあります。
橋本では極楽橋に行く「天空」が隣で待っていましたが、それには目もくれず(笑)、
同じ車両の折り返しの急行へ。乗客降車後、一旦上り本線上に引き上げ、「天空」
の発車を待って進入してきました。
特急「こうや」号とすれ違い。
なんばの手前の天下茶屋で一旦降り、
なんばからの折り返しで再び橋本方面に向かう6000系を捉えました。