岸田國士(1890-1954年)は、
文学座を岩田豊雄、久保田万太郎らと
設立した人物として知られている。
また、彼の遺志顕彰のために作られた
「岸田戯曲賞」は、国内で最も権威ある
戯曲賞である。
さて。1923年、フランスから帰国した
岸田の戯曲は、それまで日本の主流だった
《主義主張を伝えるための戯曲》
ではなく、そのセリフの裏側に隠された
あるいは溢れ出る心理・葛藤にこそ
演劇の本質がある、というものだった。
今回のP-カンパニーの試みは、
竹本穣、石原燃、阿藤智恵、
三人の劇作家が、それをどう捉え、
どうリスペクトし、あるいはどう反発し、
「新作短編」を書き下ろすか、
を狙った企画・・・だそうだ。
なので、単純に「岸田的」な作品が揃った
公演ではなかった。
さてさて。此度の番外公演弐は、
とことん削ぎ落とした美術を含め、
総合的な演劇として、決して派手ではないが
美しく輝いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
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公演は残すところ3ステージ。
文学座を岩田豊雄、久保田万太郎らと
設立した人物として知られている。
また、彼の遺志顕彰のために作られた
「岸田戯曲賞」は、国内で最も権威ある
戯曲賞である。
さて。1923年、フランスから帰国した
岸田の戯曲は、それまで日本の主流だった
《主義主張を伝えるための戯曲》
ではなく、そのセリフの裏側に隠された
あるいは溢れ出る心理・葛藤にこそ
演劇の本質がある、というものだった。
今回のP-カンパニーの試みは、
竹本穣、石原燃、阿藤智恵、
三人の劇作家が、それをどう捉え、
どうリスペクトし、あるいはどう反発し、
「新作短編」を書き下ろすか、
を狙った企画・・・だそうだ。
なので、単純に「岸田的」な作品が揃った
公演ではなかった。
さてさて。此度の番外公演弐は、
とことん削ぎ落とした美術を含め、
総合的な演劇として、決して派手ではないが
美しく輝いていた。
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公演は残すところ3ステージ。