読書日記

いろいろな本のレビュー

許されざる者 辻原登 毎日新聞社

2009-11-03 10:20:12 | Weblog

許されざる者 辻原登 毎日新聞社



 舞台は紀州の森宮。主な登場人物は、森宮でドクトル槇医院を営む医師、槇隆光。彼の美しい姪の西千春。彼の甥の若林勉。森宮第十代藩主の長男、永野忠庸。その妻、永野夫人。その他、森林太郎(鴎外)、幸徳秋水など。時代は日露戦争真っ只中の状況だ。一読して、森宮は新宮、槇隆光は大逆事件で連座して無実のまま死刑になった、大石誠之助がモデルだと分かる。その槇を中心とする森宮の人間模様が、日露戦争下の緊迫した時代のもとで生き生きと描かれる。ヨーロッパ、中国、ロシア、日本と空間的な広がりも視野に入れられている。本書は毎日新聞に2007年7月11日から2009年2月28日まで連載されたもの。著者は以前に朝日新聞に『花はさくら木』を書いており、新聞小説は得意のようだ。その特徴は登場人物の個性の書き分けがうまく、そのやり取りが非常にうまいことだと思う。大きな問題意識を声高に生硬に表現して、終局にグイグイ引っ張って行くという感じではない。著者のうまさとは例えば次のようなくだりだ。
 永野夫人は日露戦争で負傷した夫、忠庸を看護するのだが、一方で槇隆光と浮気していて、夫婦関係は破綻している。そのような状況での記述。「書斎はすっかり暗闇に覆われた。永野夫人は、急に、この暗闇が、永野との夫婦生活の最後の局面のような思いにとらえられた。振り返るたびに、二人を包む闇が次第に深くなっていたような気がする。何事にも謙虚な心を失わない夫人だったが、この暗くなりまさる闇についてだけは、自分が作りだしたものではないと言い切ることができた。それは間違いなく夫のほうから来ていた。宿直が館の灯りをひとつまたひとつと消してゆくように、忠庸が二人の夫婦生活から明かりを奪ってきた。」夫婦生活の危機を闇と灯りで象徴的に表現したまことに手馴れた表現である。このような個所がいくらもあって退屈しない。これに比べると、宮本輝の近作『骸骨ビルの庭』は何かゴツゴツした感じで、生硬な会話と相俟って読んでつまらない作品だった。
 新聞小説に関しては、かつてドイツ文学者の高橋義孝が、毎日こま切れの文章を読んで、どうするんですかねエと皮肉っぽく言っていたが、逆に一日分の原稿で山を作るのは大変だということも言える。その点新聞小説の元祖、漱石は偉かったと思う。今読んでも全然色褪せていない。とにかく辻原登は注目すべき作家だと言える。一度『夢からの手紙』という短編集を読んで頂きたい。小説の面白さが味わえます。