読書日記

いろいろな本のレビュー

紫の火花 岡潔 朝日文庫

2020-04-19 13:24:21 | Weblog
 腰巻に、ベストセラー『春宵十話』に連なる著者思想の真髄 名著56年ぶり、待望の復刻とある。『春宵十話』(毎日新聞社)が刊行されたのは1963年(今は角川文庫)、本書が朝日新聞社から刊行されたのは1964年で、まさに56ぶりの復刻である。角川文庫では岡潔の一連の随筆が発刊されており、多くの読者を集めている。
 
 本書も『春宵十話』等の作品で述べられている話題と重なっているものが多いが、読むと改めて著者に先見の明があったことがはっきりする。特に教育に関する提言は、現代の混迷する義務教育の在り方の処方箋として傾聴すべきものがある。氏は数学は情緒が大切で、これは大脳前頭葉の働きと関係があるという、逆説的な表現で人々の意表を突いたが、論理を超えたところに人間の情緒の重要性があるという独創的な言葉である。その大脳前頭葉は子供に自由時間を与えて楽しんで物事をやらせることによって発育するという。だから学校は宿題その他でかれこれ口出しをしてはいけない、自由に遊ばせるべきだと。氏の考えを義務教育の実践につなげるには現場の創意工夫が求められるが、私学の一部ではそのような実践をしているところもある。

 そして戦後の義務教育の欠陥をいろいろ指摘されtている。まず自我というものについて、これを個性と考え伸ばすことが大事だと言っているが大きな間違いだという。真の自分は真我であって、自我(小我)ではない。自我を抑制することが真我に至ることになるので、自分のことは後にして、人のことを先にするという心構えを養うことが必要だ。私はそのように教育されてきたと。さらに三歳児の四割が問題児だという新聞記事について、悪い子が生まれるのは親が悪いからだ。悪い子は大きくなって一層悪い親になり、それが一層悪い子を産む。この悪循環が恐ろしいと嘆く。これは昭和30年代の発言で今では差別発言として活字にはならないだろうが、昨今の子供虐待や育児ネグレクトの問題を目の当たりにすると、格差問題を50年以上前に予言していたともいえる。

 また、戦後の日本の教育について、次のようにも言っている、教育改革は終戦後二年目ぐらいに行われたが、その世相は、それまで死なばもろともと言っていた同胞が、それをケロリと忘れ、食糧の奪い合いをやっている時であった。私が一番腑に落ちないのは、この時期に、それまで教育勅語や修身が受け持っていた戒律を守らせるということを、教育から全然抜いてしまったことで、どういう考えでこういうことをしたのか、どうしても想像できない。近頃になって、道徳教育のことが、だんだんやかましく言われてきたが、それは何々しましょうというのであって、何々してはいけないというのではない。それは駄目であると。これは、戦後のGHQによる急激な日本民主化のほころびを指摘したもので、貴重なものだ。純粋に数学を極めた氏でなければ言えなかったであろう。このような無私無欲な立場から日本をよくしたいという熱意があるから今でも多くのフアンがいるのであろう。

 巻末に息子の岡煕也氏が「親父・岡潔の思い出」と題して文章を綴っている。それによると、父親の潔は広島文理大を退職して、和歌山県の紀見村で、荒れ地を借りて農業をしながら数学研究に没頭していた。そして終戦前後は生活が苦しくて満足な食事も摂れていなかった。岡家の鍋の蓋を取り、当時の農家の主婦が「うちの牛の方がもうちっとましなものを食うとらよ」というくらいひどかった。その貧しさを意に介さず岡潔は数学研究に没頭し、1949年に友人の紹介で奈良女子大の教授に就任し、1960年に文化勲章を受章。1962年に最後の論文を発表後、関心が数学から日本を世界をどうすれば滅亡から救うことができるかに移っていったという。偉大な数学者を父に持った煕也氏の思いが率直に表れた良い文章である。