読書日記

いろいろな本のレビュー

顔氏家訓 顔之推 林田慎之介訳 講談社学術文庫

2020-04-07 09:22:13 | Weblog
 『顔氏家訓』はかつて平凡社の東洋文庫に(宇都宮清吉氏訳注で全訳)納められていたが、現在絶版になっている。今回は林田慎之介氏の抄訳である。顔之推(531~591?)は王朝の興亡が繰り広げられた中国六朝時代末の人で、北朝を代表する文人の一人である。梁・北斉・北周・隋に仕えた。若い頃より文章を作ることを好み、『修文殿御覧』『統文章流別』の編纂に携わり、『切韻』の成立に関わるなど多方面に才能をあらわした。

 『顔氏家訓』は彼が子孫のために書き残したもので、家族のあり方から子供の教育法、文章論、養生の心得、仕事に臨む姿勢、死をめぐる態度まで、人生のさまざまの局面で役立つ知恵が満載の書物である。これは彼が激動の時代を生き抜いたがゆえの知恵であり、普遍的な価値を持つ。
 林田氏が使ったテキストは王利器氏の『顔氏家訓集解』(上海古籍出版社)で註が詳しく読みやすい。項目は多岐に渡っているが、第三巻の「勉学篇」と第六巻の「書証篇」から興味深い内容を紹介しよう。

 「勉学篇」でこう言っている、「士大夫(知識人)の子弟は、六、七歳以上になると、誰しも教育を受けないではすまされない。中には大部な礼の経典や『春秋左氏伝』などまで教わる人もあるが、そこまでいかなくても、『詩経』や『論語』ぐらいは必ず教わる。成長して結婚する年頃になると、精神的にも肉体的にもようやく安定してくるので、この時期をのがさず、勉学の訓練と指導がいっそう必要となってくる。向上心のあるものはよく志を磨いて努力し、学業を成し遂げるが、そうでない者は、この時期から怠惰がひどくなり、そのまま凡人になってしまう」と。『春秋左氏伝』が出てくるのはこれが顔家の家学であったからで、『詩経』や『論語』も当時よく読まれていたことがわかる。

 そして「わずか数年の勉強を怠ったために、長い一生の屈辱を受けねばならないということが、あってよいはずはあるまい」と警鐘を鳴らす。さらに「学業を身につけている者は、たとえどこに行っても安定している。戦乱以来、俘虜の憂き目にあった人は数々あったが、代々の平民でも、『論語』『孝経』ぐらいの書物を読めるというだけで、人の師匠となったものである。昔からの家柄でも、書籍を読みこなせない連中は、耕作か牧童でもやるほかはなかった。こうした実例をみれば、どうして学問に勉めはげまないでおられようか。もしも数百巻の書物を家蔵できていれば、永久に平民に落ちぶれることはない」と言っている。本が好きで、日ごろから読書してなんの利益があるの?と馬鹿にされている人間にとってはまさに救いの神的発言である。

 「書証篇」では『史記』の鶏口と牛後についてが面白い。之推は言う、『史記』の蘇秦列伝に「寧ろ鶏口たらんよりも、牛後となるなかれ」とあるが、これはもともと『戦国策』の文章であったものを省略して、司馬遷が引用したものである。そこで後漢の延篤という人が著した『戦国策音義』を開くと「尸とは鶏群中の王者であり、従とは、牛の子供のことである」という注釈文に出会った。だとすれば、「鶏口」の口は、もともと「尸」という字で、「鶏尸」(鶏の王者)と書くのが正しく、「牛後」は当然、「牛従」(牛の従者)と書くべきである。世俗で行われている、『史記』の文章は、伝写の間にできた誤りだとすべきであると。
 
 普通「牛後」は「牛のお尻」と訳されている。また「牛の肛門」と訳すべきだというのも見た覚えがあるが、之推の説はすっきりしていて合点がいく。この他、古典の字句の解釈についても蘊蓄を披露している。激動の時代に明日の命も知れない状況で、学問に打ち込んだ顔之推は真の知識人と言えるだろう。