忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

西の魔女が

2007-02-18 | 平和を
 【西の魔女が死んだ】 著者・梨木香歩 新潮文庫 発行所・新潮社 この本も読み始めるのに半年近く経っていた。
 魔女の文字に抵抗もあった。「返すのはいつでもいいから」への甘えもあった。でも読み始めると意外な安らぎを感じる。
 まさか魔法のせい?との気持ちにさせる何かがある。中学生になったばかりで、まいは学校に行けなくなる。そして両親と離れて、田舎の山里でおばあちゃんと二人で暮らす日々。
 まいのおばあちゃんはイギリス人で魔女?日本と西洋が渾然とした光景を思い浮かべるが、不思議と違和感はない。祖母を見習いながら自分を生きて行く孫。
 日本の多くの地域から無くなり、過去となった世界がそこにある。「美しい国、日本」だがこの国の首相が使う、抽象的で意味を感じない文字ではない。
 まいがおばあちゃんと暮らした時間には、現実からは憧れとなりつつある素朴な生活が見える。それは私にとっての美しい日本でもある。他、その後のまい【暮らしの一日】

自動車の振動

2007-02-17 | 日々
 滅多に聞かない孫の大きな泣き声と、妻や娘の慌てた様子に驚いて外に出た。「ドライブに行って来る」とはどうなっているのか。
 散歩に出かけたはずなのだ。孫が自動車を見て乗りたいようなので少し走って帰ったら、もっと走ってと泣き止まないと。
 もう夕食時で片付け物もある。車のそばへ連れて行き乗せるまで激しく泣いていた。誘われ一度は断ったが、心配になり急いで行けるようにする。
 横に座った時にはもう泣き止んでいた。少し走ったところで、もう帰ってもよいのではと言ってみる。駄目、バックしても泣くようだ。
 走っている自動車の振動が好きなのか。この時間帯と眠さに背丈の低さもあり、外の景色はほとんど見えないはずなのに満足している。
 広い道路のトンネルを二つ抜けると海が近くなる。帰ろうとするがまだだとの態度で、どこが希望か行き先も不明。
 ここまで来たらもういいだろう。Uターンして帰宅する途中に眠り、そのまま車庫の中で約一時間。寝起きはとてもご機嫌だった。

こんにゃく芋

2007-02-16 | 追憶
 昔は果樹園の中のあちこちに、蒟蒻(こんにゃく)芋が植わっていた。芋掘りの手伝いもした。凸凹のあるジャガイモに黒っぽい毛が生えた感じで、太くて重い。
 鍬を使って掘るのだが、時に芋を傷つけてしまう。割れたりすると、大根より白く粘りのあるきれいな中身が見える。
 見た目は美味しそうで、二度ほど食べようとした。歯応えは良いのだが、蒟蒻芋は食べないことだ。口の中がヒリヒリし、痒くて大変なことになる。
 こんにゃくに加工するのに、祖母や母はかまどの灰を使っていた。濃い灰色の出来上がりの感触と味は、今も覚えている。
 現在の炭酸ソーダになってからでも数十年になる。長男が好きだった幼稚園の先生の家が薬局で、私も買いに行った。
 祖母たちの頃と比べると色は薄めで少し軟らかいが、市販のこんにゃくに無い味がする。今夜もジューサーの回転音が聞こえる。
 今が旬のこんにゃくだ。今回もよその人に食べてもらって、わが家にあまり残らないことになりそうだ。


夜中の強風

2007-02-15 | 日々
 台風かと感じるほどの、強風と家の軋む音に不安になる。目は醒めてはいたが、まだ暗く眠り足りない時刻だ。
 鳴り止むかとしばらく待つが静まらない。特に家のミシッミシッの音が続くのには、一人で寝ていると不安になる。
 起きて外に出て急いで一番気になる倉庫の扉まで急ぐと妻も来ていた。とりあえず一緒に扉が壊れないように補強しておく。雨が降っていなくて暖かいほどの夜でよかった。早く治まってくれればと思いながら、家に戻って布団に入る。
 少しは風が静まったのか、でもまだ音は続いている。眠れないまま朝になり、予報どおりに雨が降る。風の予報を見忘れていたのに気づく。
 表側の隣の部屋に寝ていた子供も、町のコンクリートのアパート暮らしに慣れてその夜の風の音には驚いたようだ。この日の風が春一番だと、信じたくないニュースを聞いた。寒くない冬の終わりが早すぎる。

小さいことを

2007-02-14 | 平和を
 両側の人が前側の人も交えて、政治問題に話が切り替わる。それまでの軽い雑談の雰囲気が少し変わる。
 最近大臣を選ぶ人まで含めて、政治家たちの素質の低下が進んでいるのではと言うことから始まった。
 「産む機械」発言の柳沢厚生労働相問題に対する、与野党関係が話題になる。あのような小さいことをいつまでもと言う人もいる。
 聞いてすぐは意外で驚いたが、そうだろうなと思う。大臣が一度口にした言葉なのだ。たとえ間違っていても、こんな時こそ守ってあげたい支持者の気持が有るのかもしれない。
 その場のその件はそれで他の話題に飛んだが、女性を「産む機械」とまで言う人は少なくても、近い意識の人は多いだろう。
 言葉尻を捉えて鬼の首でも取ったようにとか、小さなことをネチネチといつまでもとの表現は他でも聞いた。
 これらの言葉も厚労相発言への共感や支援にもなっている。女性の人権問題で与野党が対立すること自体変ではないか。
 また人権が軽視され始めた気がしてならない。問題発言と批判されてもご本人、続いて[子ども2人以上が「健全」]の発言ができるのだ。

間違って

2007-02-13 | 日々
 急いではいたが、買い物のついでに孫に絵本とビデオを買って帰る。絵本は好みに合ったようで、繰り返し読ませてもらう。
 数日後、棚に置いていたビデオを見せようとケースを開けた。間違えたことにやっと気がつく。その時までDVDだと思っていた。
 ケースを見ればわかるはずなのに、それがなぜVHSなのか信じられない。もう返品も無理だからごまかし元に戻したが、見せるのを楽しみにしていた自分が恥ずかしくなる。
 他の部屋には両方使える製品もあるのだが、そこまでするのは止めた。絵本と違って、見せすぎるのも良くないとは思っていたのだ。
 孫とのつき合いでもなければ、ビデオを見ることもなくなっていた。以前のVHS専用では、テレビ録画が残っているだけ。
 DVDになってから、やっと映画など集め始めたと言ってよい。なのに今回VHSとの間違いをと、認めたくない照れくささもあった。子供に白状すると、ビデオデッキがあると言うのでお土産に渡した。

妬けるよ

2007-02-12 | 共に
 「子犬をもらったら駄目かな」と先日また聞かれた。妻の知人の家でたくさん産まれたようだ。犬は好きだが、二匹目となると無理がある。
 昔三匹を一緒に飼っていた。傷ついた迷い犬と処分前の老犬の二匹が加わったからだ。恐怖の記憶と寿命もあり、仲良くできなかった。
 今の犬はやさしく利口だと思っている。留守も多いので、もう一匹いて仲好くなれば淋しくないだろう。
 でも他の犬が家族の中に、いきなり入って来るのをどう感じるのか気になる。我慢するけど妬けないだろうか。犬と犬に人が絡んだ関係の変化に不安があった。
 しばらく孫のおもりなど、犬からそれまでより離れる日々があった。犬も自分でなく孫を可愛がる私を感じていたようだ。
 私と孫を見ると、無視して目を背け知らんぷりしている。孫は犬と遊ぼうと、近付きさわるが喜ばない。
 一緒におやつを与える。抱っこをしなくなっただけで違う敏感さ。でもまだ友達ではない。おばさん犬なのに、小さな子相手に妬けるのも可愛いか。知人の子犬も他にもらわれて行きほっとした。



ごろ寝から

2007-02-11 | 日々
 ごろ寝の近さから解放とはまだ言えないが、昨夜から元の部屋に戻り一人で寝床に入るようになった。このところ夜は布団を二つ並べた、川の字寝が続いていた。
 数十年ぶりの川の字だ。それは真ん中の線が、かなり短い文字になる。その真ん中の孫が、静かに寝ている間は少ない。
 とにかく良く動く。手の上下から全身で左右に移動する。両側の二人が歯止め役。何度も前進し布団から出る。目を醒ます。
 風邪をひかさないように二人で手分け、するのは眠いがされる孫は何も知らずにいい寝顔を見せてくれる。川の字は乱れても、三人いっしょに安心と満足。
 わが子との川の字の懐かしさとはまた別で、かなり違った感情をくれる。昼間の寝んねは「リ」の字の二人だ。
 寝るまで寝てから起きるまで、油断できないつき合いだった。子育てってたいへんだなと、一応経験者なのに思ってしまう。

あか あか

2007-02-10 | 平和を
 【アイス・エイジ】20世紀FOX DVDを、大ファンの孫といっしょに日に1、2度見始めて幾日になるだろう。
 [それは、2万年前の地球。氷河期が到来し動物たちが南下し始めた頃の物語]人間の赤ちゃんを狙うサーベルタイガー、その赤ちゃんに出会ったナマケモノとマンモス。
 奇妙な3匹の、赤ちゃんをその家族に届けるための旅が始まる。子守り方法に変化をと、まだ無理だろうとは思いながら見せたアニメーション映画だ。
 孫のDVD「デェーブェー」は、一つの[おかあさんといっしょ]だけに限られている。他のは並べて選ばせ確かめていた。
 「あか あか」と言うのが、何を意味しているのか理解できなくて困った。リンゴも違うと首をふる。赤いボールのお話なら絵本を持ってくるはず。
 孫が偶然アイス・エイジのケースを握って意味がわかった。「あか」は赤ちゃんの赤なのだ。マンモスの鼻に抱かれた赤ちゃんがいた。
 幼児にとっては赤ちゃんが主役とはっきり見ている。厳しい環境を共に生きる大切さ。今地球温暖化を進める人間は、祖先の心を忘れてしまったのか。

また来て下さい

2007-02-09 | 日々
 まず2時間ばかりの用件を終わると正午になっていた。さて河口近くのたまに利用する食堂にでも行くかと考える。
 少々遠回りにはなるが、次の予定場所には近くなる。浜の労働者のよく行く気楽な店だ。そこまでを川に沿って歩くのも、久しぶりのことだ。
 下流へと100mほど歩くと、橋の手前に小さな食堂があった。初めての店は苦手、でも気になる店だ。予定を変更して、似合わない店かなとは思いながらドアを開けた。
 そのとおり、いい感じの店内だ。母娘でやっているのだろうか、でもこの時間に先客は2人だけ、テーブル席を選ぶ。気分良く食事をすることができた。
 店を出る時「ありがとうございます。また来て下さい」笑顔のことばを2度聞いた。また来たい店はできたが、町を利用する機会も減った。次はいつのことなのか、少しさみしい食後があった。