Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

読書 命をつないだ道 東北・国道45号線をゆく   稲泉連 著

2015-01-08 20:57:05 | Book


国道45号線。
八戸と仙台の間の沿岸部の
リアス式海岸の険しい峠と港町のアップダウンを、
何度も繰り返しながら縦走する道。

所々に内陸と繋がる県道が入り込んでいますが、
内陸の町とはたいてい2時間ほどかかる距離なので、
45号線は沿岸となり町への病院だったり買い物だったり生活に欠かせない道路。

東日本大震災では、海沿いを走るこの45号線、
瓦礫に埋もれ、アスファルトは一部剥がれたり崩落したり、橋は決壊。
沿岸各市町村は孤立しました。

そこに自衛隊が行って道路啓開、仮橋設置した・・・って、
マスコミではそういうことになってましたけど、
自衛隊や他の支援隊が到着する前にすでに動いていた人たちがいたんです。

国交省から赴任している道路管理事務所、
そしてその下請けをしている各市町村の建設会社。
彼らはいち早く状況を把握し、
残っている重機で道を作り始めていたんです。
住民が避難したり、病院に運ばれたり、物資を届けたりする命の道を。

自衛隊が被災地に到着したのは翌日以降で、
しかも瓦礫に阻まれて町の中心部に切り込んでくのに時間がかかっていましたが、
被災地の中から道路啓開がすでに始まっていたことで、より早い支援に繋がったと思います。

国交省管轄ってことで普段は縦割り行政、
指示なしで勝手なことはできない世界ですが、
通信も絶たれたなかで、
「そんなこと言ってる場合でないべ」という使命感で
自分たちの「仕事」を無償でしてくださった方々の思いに、
胸が熱くなります。

小さな山道まで知り尽くした地元の人々が、
出先で被災、
車を置いて徒歩で山を越えて重機がある会社にたどり着き、
燃料を工面しながら孤立した地域に道を通す様子を読みながら、
個人的に何度も足を運んで歩き尽くしている、
国道45号線とその側道や交差する県道・市道に思いを巡らしました。

特に、この本で書かれている宮古・山田地区、釜石・大槌地区、気仙沼・南三陸の、
震災後初めて行った時の状況から今までの変化を回想し、涙が出てきました。

いま被災地ではかさ上げ工事か始まり、
国道45号線もかさ上げされたり、内陸に移設されたり、仮橋を本設にしたり、
新しく生まれ変わろうとしています。

新しい45号線も新しい町とともに、
地域にとってより良い生活をもたらすものになりますように。




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