Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

行ってきました・・・・釜石での災害ボランティア 2日目

2011-11-16 23:57:16 | Life
釜石ボランティア2日目。

この日はボラセン定休日で、
瓦礫撤去に必要なスコップやハンマーや猫車などをボラセンから借りられない。
それでもまあゴミ拾いとか土嚢を詰める作業とかできることはあるのですが、
リーダーの疲労が強く、肉体労働からの解放が必要ということで、
大学生とわたくしの3人、
仮設住宅でのボランティアに参加することになりました。

長く現地での活動していると、横のつながりもできるわけで、
リーダーが私たち3人を
他の団体が実施している活動に参加できるよう手はずを整えてくださいました。

カリタスジャパンというキリスト教系の団体が社会福祉協議会の委託を受けて実施している、
「お茶っこサロン」という癒しの場の提供と、
仮設住宅での聞き取り調査をお手伝いさせていただきました。

お茶っこサロンは教会の敷地内でも常設されているのですが、
週に1回ずつ、市内の各仮設団地の集会所でも実施しています。

この度は、
教会のスタッフ4名と私たちの計7名で、
釜石の南にある平田(へいた)という地区の仮設団地を訪問しました。

途中の平田の住宅街はもう建物が全部取り壊されて
たくさんの家の土台だけが残っていました。
その手前の港にはボコボコの車の山、瓦礫の山・・・。

仮設団地は高台にある釜石商業高校の敷地に設置されています。



集会所にて住民を迎える準備をしてから、
集会所に残るチーム、各家庭を訪問するチームに別れて活動開始。

私は主に訪問のほうに参加しました。
訪問の経験がある教会スタッフとペアになっての活動です。

仮設住宅での生活不安、孤独、異変の察知はとても重要な課題です。

私は仕事柄、
初めて会う人と話すとか、
状況をなんとなく聞き出すとか、
表向きわかりにくいけど何か発せられている電波を感じるとか、
そういうの慣れているので・・・・。

あとは、
集会所に戻って、集まってきた人たちとふつうに世間話したり、
編み物とか手芸とかしている人たちと一緒になって、
ここはこーだとかあーだとか、あー間違ったーとか、
まあふつうに過ごしました。

住民の皆さんが日々感じていることなど共有できたことは
本当に有意義な体験でした。

皆さんのために何ができたか・・って考えると、
あんまり役には立ってないかもしれませんが・・・。

えー東京から?沖縄から?北海道から?
あら実家は盛岡?大丈夫だったの?
昔沖縄行ったよ、親戚が札幌いるよ、
なーんてふつうの会話も大事ですよね。
特に仮設でおひとりで暮している方には。

あと、
私がやってる物資を直送する活動で、
物資募集のサイトに「サロンで使う○○」と載っていたりするんですが、
ああ、こういう風に利用されるんだなぁってわかったりもしたので、
今後の物資直送活動でもイメージしやすくなりました。
そうやって役に立てていきたいと思います。

3時半ごろ教会に戻ったら、リーダーが待っていてくださって、
「ちょっとその辺見て回りましょうか?」と。
4人でリーダーの軽自動車に乗り込み、
釜石から国道45号線を北上し、両石、鵜住居、大槌へ。

この辺りは国道から海側の地域が、
津波でもう跡形もなくなってしまった地域です。

道路は通れるようになっていますが、
ガードレールなんかはひん曲がったまんま、
よくある青い道案内の標識も下のほうが津波でひん曲がってました。
どんだけ高い波が来たかがわかります。
わかりますっていうか・・・
想像できないけど、
そうだったんだなって・・・・。
だって想像できないですよ。
どうしたらそんな風になるのか・・・・。

三陸鉄道の大槌駅のあった付近に降り立ちました。




途中の河川敷にはやはり瓦礫の山々・・・・。
震災から8か月、まだまだこんな感じ。


ここにまた明るい灯が、
こんなまばらではなく、
にぎやかに燈るのはいつの日なのだろうかと・・・・。

暗くなったので釜石に戻ることに。
「今日は晩ごはんどうしますー?」と、リーダー。
「私ね、すんごいお酒が大好きでね、
 復興支援と称して3県でマラソン走って経済活動もしててね、
 お酒飲みまくってるんだけどね、
 釜石に来て“浜千鳥”飲まなかったら、石投げられちゃうと思うので(誰に?)、
 今日はどっか、ご飯食べながらでも、ごはん食べ終わってからでも、
 飲みに行きますから、
 どこかいいところ教えていただければ、
 私勝手に行きますのでー。」
と、2日目にして早くも被ってたネコをかなぐり捨てました(爆)

そしたら大学生たちも、
「えー、そんなにおいしいお酒なんですかぁ?
 話聞いてたら、むっちゃ飲みたくなってきましたよぉー。」
そしたらリーダー、
「うーん、じゃあ○○って言う居酒屋か、
 それか、2千円でおまかせで食べられる寿司屋か・・・」
「どっちがいい?若者たち?」
「寿司・・・・いいっすね・・・・」
「そんじゃ、それでいいのね?
 あー、ごめんねー、わがままに付き合せてー。」
「いやー、っていうか、やっぱりマラソンとかなんすねー。
 昨夜、ご飯食べた後、ゼッタイ陸上部だよねって話してたんですよねー。」
「ああ、やっぱ、私って、オーラが陸上部って感じ?
 よく言われるしー。」

で、番外編に続く



行ってきました・・・・釜石での災害ボランティア 1日目

2011-11-16 23:56:25 | Life
ということで、
岩手県釜石市に行ってまいりました。

ボランティアセンターに直接申し込んでも行けたんですが、
今回は、
3月20日から名古屋から現地入りしている任意団体の方たちの活動を
お手伝いすることにしました。

自分のバイトの関係でギリギリまで日程がはっきりしなかったので、
自由に動いている任意団体のほうが
臨機応変に対応してくれるのではないかと思ったからです。

12日土曜日の夜行に乗って、電車を乗り継ぎ、
晩秋の車窓に、はやる心を落ち着かせながら・・・


日曜の午前11時に釜石到着。


こちらは運休中の三陸鉄道釜石駅。
復興の狼煙のポスター貼ってありました。

ボラセンの活動だと、
朝9時のマッチングに間に合わなかったらその日の活動はないのですが、
任意団体さんとだったからその日の午後からの活動に参加できました。

さらに、
釜石のボラセンは月曜日定休で活動がないのですが、
これも任意団体だと、
多少活動は制限されますが何かはできるので、
彼らにお願いしてよかった点です。


ということで、
リーダーが駅まで迎えに来てくれて、メンバーと合流。

まずは、この日の午前まで活動してこれから帰るという2人とお別れ。
残ったのは、
名古屋人リーダー、
現地釜石人、
1週間滞在予定で何日か前に来たという東京在住の大学生、
1週間滞在予定、沖縄→東京池袋から釜石まで夜行バスでこの日の朝に到着したという大学生、
(沖縄からってすごいよね。)
そして私の5人。

まずは、
活動以外の時間に街を散策したときに撮った写真で状況をご紹介。

道路なんかはもうすっかり片付いて車もほぼ通常通り通れるのですが、
繁華街だったあたりでは、2階まで壊れて解体待ちの建物がまだまだ残っています。





解体の許可が取れている建物には赤旗が付いています。
中には旗に「解体時立会い希望。連絡先・・・・」と書いてあるものもあります。

解体中・・・




解体後・・・


別の日に撮った写真・・・・








もうすでに解体されて残骸も撤去されて家の土台だけが残ってるところもあるのですが、
結構な数のこんな風な解体待ち。

1枚目の写真のようにきれいに掃除されて解体待ちの建物もあるのですが、
3.11のまま時が止まったように
その建物の営みの痕跡や、どこからか波で運ばれてきて引っかかってとどまっている瓦礫や、
泥やヘドロやゴミやなんやかんやが取り残されたままの建物もたくさんあります。

繁華街のテナントビルなんかが結構そのままになっていることが多いような気がします。
自分の家じゃないから誰も手を付けないみたいなところあるんでしょうね。
それらが3.11のままの姿を晒してひと夏過ぎました。
海の泥がいろんなゴミを含み、
結構悪臭を放っていたようです。

なによりホテルなんかが立ち並ぶ街の中心地、
地名で行ったら大渡町、大町、青葉通り、只越町あたりが
そんな状態なのは、
これから復興していくために人を呼ぶことを考えたらマイナスです。

どうせ取り壊されるんだから、
瓦礫とか掃除する必要ないじゃん、
がしゃーっと壊して瓦礫もろとも運び出しちゃえば!
って考え方もあるんですが、
だって8か月も経ってこの有り様なんだよ?
いつ解体されるのさ、こんなにまだたくさん解体待ちあるのに。
この姿晒したまま、いつまで時を止めておくのさ?って考え方もあります。

ということで、
ボランティアさんたちがその誰も手を付けない放置プレーな部分を
お掃除して歩いているといった状況です。


で、
到着した日、土曜の午後は、
リーダーをはじめ、これまでの入れ代わり立ち代わりのメンバーが
約3週間かけてお掃除してきた、
青葉通りに面したドコモショップの泥だし総仕上げ。

これまでは1階部分に滞った瓦礫や泥の撤去をしてきたそうですが、
ヘドロとかが天井や2階までこびりついて結構臭くてひどいので、
高圧洗浄かけて最終泥出しというわけです。

お掃除していたら住民が通りかかって
「毎日ご苦労さんだねー。」
なんて他人事みたいなこと言って通り過ぎていきます。
「私今日からのお手伝いなんですけど、前はどんな感じだったんですかぁ?」
「そりゃーもう、こーんなところまで瓦礫が積まさってて、すごい悪臭でさぁ。」
「そうですかー。」
「いやーきれいになった。すごいね。」
「よかったですね。」
みたいな世間話をしながら、
ガッシガッシと泥を外に流していきます。

3時半頃、綺麗になったドコモショップにブルーシートで覆いをかけてこの日の作業終了。

ちょうど斜め向かいにあるホテルサンルート釜石に部屋を取ってあったので、
チェックイン。

サンルートも1階部分はまだ工事中で、
2階の宴会場とかがあるフロアが臨時のフロントになってました。
暖房も故障していて使えないとのことで覚悟していったのですが、
ちょうど数日前から使えるようになったとのこと。

向かいのベイサイドホテルも1階はまだ閉鎖。
テナントのローソンはやってましたが、
しょっちゅう停電してるようでした。
この界隈の交差点は信号もまだ復旧していなくて、
日中はお巡りさんが交通整理しています。

さて、シャワーを浴びて、街の散策に出かけました。

ホテル出てすぐのところ、大潮で冠水してました。


こんな看板もちらほら。

地盤沈下してるんでしょうね。

先に紹介した辺りを歩いて、駅のほうへ。


甲子(かっし)川



暗くなってきたからホテルに戻って待機。
6時頃、リーダーから電話かかってきてみんなでご飯食べに行きました。
一人で経済活動・・とも思ったんですが、
今日来て単独行動も感じ悪いし、日曜日は開いてる店あんまりないとのことだったので

大渡町の工藤精肉店中央ビル食堂部にて、
カツカレーいただきました。
ここのフツウ盛りは一般の大盛りなんで、
女子にはキビシイと心配されましたがペロリと平らげちゃったんでみんなビックリ

そのあと、
電気水道ガスなしの被災民家を借りて寝泊まりしている男子は銭湯へ。
私はひとりで経済活動・・・と思って、
ホテルに置いてあった「復興飲食店マップ」を握りしめ、
街灯のない街を懐中電灯片手にうろうろしてみましたが、
やはり開いている店なくて、
ホテル向かいのローソンにて酒購入して戻りました。
地酒の浜千鳥の小瓶を…と思いましたが、
「浜千鳥は明日どこか飲食店で絶対飲む!」と心に決めて、
この日はエビス買っちゃいました

1日目終了です。







釜石から戻りました。その前に!先週の直送物資 

2011-11-16 23:56:11 | Life
釜石にてボランティア活動してまいりました。

その報告は長くなりそうなので、
とりあえず、
先週直送した物資、すでにご紹介したTシャツ以外のものををご紹介。


レターセットとかいろいろ。

便箋やら封筒やら、セットのもの残ってしまったバラバラのもの、
旅行に行ったり美術館に行ったりするたびになぜか買ってしまう絵葉書、
残っていた切手・・・・。

被災された方は親せきや友人にお手紙書きたくても、
こういったものを手に入れる余裕もないということなので、
ガシッと送らせていただきました。

新たに80円切手×10も買って同封しました。
募金箱に800円入れるってちょっと躊躇するけど、
切手800円分は躊躇なく買って送れるんだからなんだか不思議なものです。
どんなふうに使われるか明確だからかな。


毛糸。

まあなんで毎年毎年、懲りもせずに、
今年はカーディガンを、今年はベストを、と思いつき、
まとまった毛糸を買って、
半身だけ編んで春になるパターンを繰り返しているのでしょう?

まあそんな悪い癖も、
こうして被災地に送る物資の源となったわけですから、
見捨てたもんじゃあありません

編みかけた部分をほどいて、
巻き巻きして直送しました。
編み針も。
20年前に実家から持ってきたものですがね。

被災された方が暖かいものを編んでご自分で着られたり、
ご家族に編んであげたり、
もしかしたら売って少しでも生活の足しにしたりしていただけたらと思います。


バスタオルやタオルケット。

飼い主が見つからない、事情があって一緒に暮らせないワンコやニャンコを
保護している団体から、
中古のバスタオルやタオルケットの募集がありました。

マラソンの参加賞や、20年前に実家から持ってきたタオルなど、
使ってないものたくさんありましたので
これまたガシッと送らせていただきました。

これからもたくさん送るものあります。
もちろん募集がかかっているものです。
ごっそりTシャツ送ったあとにまた出てきたTシャツもあるし。

今度の日曜日、また物資直送に勤しみます

今朝、釜石から戻ってきたとき、
うちの近所に布団が捨ててありました。
丁寧に袋に入って、有料ごみの200円シール貼ってあって。
しばらく立ち止まって、
「結構きれいだし、被災地に送れそうだよなー」
って考えたんですが、
よその物だし持って帰るわけにもいかず諦めました。

みなさんが、きれいで使えそうなものを捨てる前に、
「被災地の人これ使えないかな?」って思ってくださるといいと思います。

特に寒い冬を乗り越えるために必要なもの。

どうぞみなさん、
ちょっと考えてみてください。
よろしくお願いします。