東京・台東借地借家人組合1

土地・建物を借りている賃借人の居住と営業の権利を守るために、自主的に組織された借地借家人のための組合です。

最高裁2005年12月16日判決の意義

2006年02月06日 | 敷金・保証金・原状回復に関する判例等

  通常損耗を賃借人負担とすることは原則として許されない
    画期的な最高裁判決が出る!

大阪支部  増 田   尚


 最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は、2005年12月16日、大阪府住宅供給公社の特優賃物件での敷金返還請求訴訟で、通常損耗を賃借人負担とする特約が成立しており修繕費用の控除は正当であるとして賃借人の敷金返還請求を棄却した原判決を取り消し、審理を大阪高裁に差し戻す判決を言い渡した。

 この事案は、大阪の弁護士及び司法書士らで結成された敷金問題研究会が、結成当初の2002年10月にいっせいに提起した訴訟の一つであった。当時、原状回復費用と称して実質的には賃借人が負担すべきでないリフォーム費用を請求する事例が多発しており、中でも、特優賃物件の相談件数が目立っていた。

 もともと、大阪府住宅供給公社は、地方住宅供給公社法に基づき設立された法人であり、住宅の賃貸業務を遂行するに当たり、住宅を必要とする勤労者の適正な利用が確保され、かつ、賃貸料が適正なものとなるように努めなければならないとされている(同法22条)。そのような、いわば「家主の鑑」ともなるべき住宅供給公社が通常損耗を賃借人の負担であるとして請求していることは、社会的にも問題視された。

 しかし、裁判の壁は厚かった。何しろ、大阪府住宅供給公社は、修繕箇所を事細かに分割して、その大半の修繕を賃借人の負担とする「修繕費負担区分表」なる書面を別冊として用意しており、契約書本文には明渡時には、この区分表に基づいて補修費用を賃借人が負担すると記載していた。時期によっては、この区分表の冒頭に、「上記区分表については承知しております」と不動文字で記載し、そこに賃借人の署名捺印を求めるなど、賃借人に通常損耗の修繕費用を負担させるための用意周到ぶりは、民間の業者も顔負けであった。このガチガチの契約書・区分表を前に、大阪地裁(吉川愼一裁判官)、大阪高裁(横田勝年裁判長)とも、通常損耗の修繕費用を賃借人が負担するとの特約が成立しているときわめて形式的に判断して、賃借人を敗訴させた。

 しかし、率直に言って、このようなやり方は、地方住宅供給公社として恥ずべきものであるといわなければならない。政府は、1993年に賃貸住宅標準契約書を整備し、退居時の原状回復の範囲から自然損耗を除外することを明確にし、1998年には、「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」を制定して、退居時の原状回復について、範囲と基準、賃借人が負担すべき割合について基本的な考え方を示した。また、建設省住宅局長は、特優賃法の施行に先立ち、各都道府県知事に宛てて、「特定優良賃貸住宅の供給の促進に関する法律の運用について」と題する通達を発出し、特優賃貸住宅における賃貸住宅契約書は、特定優良賃貸住宅賃貸借契約書によることを求めた。これは、後記標準契約書を特定優良賃貸住宅に使用できるよう若干の修正を加えたものである。にもかかわらず、「家主の鑑」になるべき住宅供給公社が通常損耗を賃借人に負担させることは、まったく納得がいかなかった。

 敷金はよほどの不始末がなければ原則として返還されるべきものであり、ふつうに暮らしていれば生じる汚れ・傷について、その修繕費用を返還されるべき敷金から控除されることはない。まして、特優賃物件であり、賃借人も大阪府住宅供給公社である。民間ならあり得べき「ぼったくり」があろうはずもない―というのが賃借人の一般的な感覚である。退居時に修繕費負担区分表をにわかに持ち出し、特約があるとして一方的に通常損耗の修繕費用を控除するのは、まさに「不意打ち」というほかない。そうした賃借人の感覚に適合した法解釈こそ求められるのではないか。そう考えて、賃借人は上告した。

 上告受理申立理由は、(1)特約が成立していないこと、(2)成立したとしても特優賃法などに違反し公序良俗に反して無効であること、(3)判例違反、(4)法令違反など、あらゆる主張を駆使した。(1)については、賃貸借契約が使用収益と賃料支払が対価関係に立つ契約であり、目的物を通常に利用したことによる価値の減少は賃料によって補償されるとみるべきであり、目的物の修繕義務を原則として賃貸人が負うとなっていること、このような民法の原則や社会通念に反する特約は、賃借人にとっていわば「不意打ち」になるので、その認定には慎重になるべきであること、契約書や区分表の記載だけでは、賃借人が負担すべき範囲が明らかでなく、入居者説明会の説明も不十分であったこと、などを主張した。また、幸い、(2)については、上告申立理由書提出直前の2004年7月30日に、大阪高裁(小田耕治裁判長)が大阪府住宅供給公社を相手取った敷金返還請求訴訟で、このような特約が公序良俗に反し無効であるとの判決を言い渡したので、大いに主張を補充することができた。

 しばらくして、最高裁第二小法廷より、上告受理申立書記載の理由のうち(1)以外を排除して受理する決定が届いた。私たちは、特約の成立を認めた原審大阪高裁判決が見直されるものとして、大いに期待した。果たせるかな、最高裁判決は、通常損耗の修繕費用を賃借人に負担させる特約は、原則として許されないとの画期的な判断を示した。

 本判決は、「賃借人は、賃貸借契約が終了した場合には、賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務があるところ、賃貸借契約は、賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり、賃借物件の損耗の発生は、賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものである。それゆえ、物の賃貸借においては、賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗に係る投下資本の減価の回収は、通常、減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われている」として、賃貸借契約においては、通常の使用による目的物の価値の減少は賃料によってまかなわれており、通常損耗の修繕費用は、原則として、賃貸人が賃料から負担すべきであるとの考え方を示した。そのような基本的な考え方から、「建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは,賃借人に予期しない特別の負担を課すことになる」と述べ、賃料以外の方法によって通常損耗の修繕費用を賃借人に負わせるのは、「賃借人に予期しない特別の負担」であると言い切った。「不意打ち」と多くの賃借人の感覚にマッチした指摘であるといえる。

 また、本判決は、「賃借人に同義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約…が明確に合意されていることが必要である」と述べ、例外的に通常損耗の修繕費用を賃借人に負担させる場合の基準を示した。

 その上で、本判決は、大阪府住宅供給公社の賃貸借契約書及び別冊である修繕費負担区分表について、「通常損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとはいえない」などとして、通常損耗の範囲が条項自体に具体的に明記されておらず、入居者説明会における口頭説明についても、「通常損耗補修特約の内容を明らかにする説明はなかった」として、賃借人が特約を明確に認識し、合意の内容としたとは認められないと判断した。

 原状回復をめぐる法的紛争は、(1)「原状に復して明け渡す」などの文言を賃貸借契約締結当時の状態にするのではなく、通常の用法に従って使用したことによる損耗や経年劣化については含まれないとする解釈論、(2)原状回復義務に通常損耗を含むとの明文化された契約条項について「明確に認識して自由な意思に基づき契約したか」どうかという意思表示論、(3)通常損耗を賃借人負担とする原状回復特約が民法90条や消費者契約法10条に違反し無効であるとする効力論、の三つの段階を追って争われてきた。

 本判決は、第二段階である意思表示をめぐる争いに終止符を打つ意義を有している。大阪府住宅供給公社の負担区分表は相当に詳細であり、これでも「通常損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとはいえない」と評価されたのであるから、不動産業者サイドとしても、およそ契約書に明記することなどできないといってよいであろう。

 また、本判決は、消費者契約法の適用前後を問わず、詳細に規定して通常損耗の修繕費用を賃借人に負担させる特約の成立を阻むものであり、不当な原状回復費用の請求から賃借人を幅広く救済する効果を有しているといえる。本判決と消費者契約法10条が相俟って、こうした原状回復特約を封じ込めることが期待される。

 私たち敷金問題研究会は、早速、大阪府住宅供給公社に対し、(1)契約書及び区分表の見直し、(2)将来の退居者から通常損耗の修繕費用を徴求しないこと、(3)過去の控除についても点検して不当利得があれば返還すること、を申し入れた。同公社の対応が注目される。また、他の地方住宅供給公社についても、同様の原状回復特約がなされていないかどうかを点検し、改善を申し入れることを検討している。

 私たち敷金問題研究会は、本判決を最大限に活用し、賃貸住宅契約において、標準契約書やガイドラインに従って、原則論である「通常損耗は賃貸人負担」を徹底するよう求めていく次第である。

 なお、合わせて、12月16日、原状回復特約を公序良俗に反し無効であるとした大阪高裁判決について、大阪府住宅供給公社の上告受理申立てを受理せず、上告を棄却する決定がなされ、同判決が確定したことも報告しておく。

自由法曹団通信 1183号

 

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