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【判例】*敷引特約が消費者契約法10条により無効ということはできないとされた事例

2018年11月14日 | 民法・借地借家法・裁判・判例

最高裁判例

消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付されたいわゆる敷引特約が消費者契約法10条により無効ということはできないとされた事例
(最高裁平成23年7月12日判決)


       主   文
 1 原判決中、上告人(賃貸人)敗訴部分を次のとおり変更する。上告人の控訴に基づき第1審判決を次のとおり変更する。
  (1) 上告人(賃貸人)は、被上告人(賃借人)に対し、4万4078円及びこれに対する平成20年7月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
  (2) 被上告人(賃借人)のその余の請求を棄却する。
 2 訴訟の総費用は、これを20分し、その1を上告人(賃貸人)の負担とし、その余を被上告人(賃借人)

の負担とする。


       理   由
 上告(賃貸人)代理人藤井正大、同堀大助の上告受理申立て理由(ただし、排除されたものを除く。)について
 1 本件は、居住用建物を上告人(賃貸人)から賃借し、賃貸借契約終了後これを明け渡した被上告人(賃借人)が、上告人(賃貸人)に対し、同契約の締結時に差し入れた保証金のうち返還を受けていない80万8074円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める事案である。上告人(賃貸人)は、同契約には保証金のうち一定額を控除し、これを上告人(賃貸人)が取得する旨の特約が付されているなどと主張するのに対し、被上告人(賃借人)は、同特約は消費者契約法10条により無効であるなどとして、これを争っている。

 2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
 (1) 被上告人(賃借人)は、平成14年5月23日、甲との間で、京都市左京区上高野西氷室町所在のマンションの一室(以下「本件建物」という。)を賃借期間同日から平成16年5月31日まで、賃料1か月17万5000円の約定で賃借する旨の賃貸借契約(以下「本件契約」という。)を締結し、本件建物の引渡しを受けた。本件契約は、消費者契約法10条にいう「消費者契約」に当たる。

 (2) 被上告人(賃借人)と甲との間で作成された本件契約に係る契約書(以下「本件契約書」という。)には、次のような条項があった。
 ア 賃借人は、本件契約締結時に保証金として100万円(預託分40万円、敷引分60万円)を賃貸人に預託する(以下、この保証金を「本件保証金」という。)。

 イ 賃借人に賃料その他本件契約に基づく未払債務が生じた場合には、賃貸人は任意に本件保証金をもって賃借人の債務弁済に充てることができる。その場合、賃借人は遅滞なく保証金の不足額を補填しなければならない。

 ウ 本件契約が終了して賃借人が本件建物の明渡しを完了し、かつ、本件契約に基づく賃借人の賃貸人に対する債務を完済したときは、賃貸人は本件保証金のうち預託分の40万円を賃借人に返還する(以下、本件保証金のうち敷引分60万円を控除してこれを賃貸人が取得することとなるこの約定を「本件特約」といい、本件特約により賃貸人が取得する金員を「本件敷引金」という。)。

 (3) 被上告人(賃借人)は、本件契約の締結に際し、本件保証金100万円を甲に差し入れた。

 (4) 上告人(賃貸人)は、平成16年4月1日、甲から本件契約における賃貸人の地位を承継し、その後、被上告人(賃借人)との間で、本件契約を更新するに当たり、賃料の額を1か月17万円とすることを合意した。

 (5) 本件契約は平成20年5月31日に終了し、被上告人(賃借人)は、同年6月2日、上告人(賃貸人)に対し、本件建物を明け渡した。

 (6) 被上告人(賃借人)は、平成20年6月29日、上告人(賃貸人)に対し、本件保証金100万円を同年7月7日までに返還するよう催告した。上告人(賃貸人)は、同月3日、本件保証金から本件敷引金60万円を控除した上、被上告人(賃借人)が本件契約に基づき上告人(賃貸人)に対して負担すべき原状回復費用等として更に20万8074円(原状回復費用17万5500円、明渡し遅延による損害金2万2666円、消費税9908円の合計)を控除し、その残額である19万1926円を被上告人(賃借人)に返還した。

 (7) 被上告人(賃借人)が本件契約に基づき上告人(賃貸人)に対して負担すべき原状回復費用等は、合計16万3996円である。


 3 原審は、次のとおり判断して、本件特約は消費者契約法10条により無効であるとして、被上告人(賃借人)の請求を64万4078円及び遅延損害金の支払を求める限度で認容すべきものとした。

 (1) 本件特約は、公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し、消費者である被上告人(賃借人)の義務を加重したものである。

 (2) 本件契約の締結に当たり、被上告人(賃借人)が、建物賃貸借に関する具体的な情報(礼金、保証金、更新料等を授受するのが通常かどうか、同種の他の物件と比較して本件契約の諸条件が有利であるか否か)を得た上で、賃貸人が把握していた情報等との差が是正されたといえるかは必ずしも明らかではない。また、被上告人(賃借人)が本件特約について賃貸人と交渉する余地があったのか疑問が存する。そして、本件敷引金は、本件保証金の60%、月額賃料の約3.5か月分にも相当する額であり、本件契約の賃料の額や本件保証金の額に比して高額かつ高率であり、被上告人(賃借人)にとって大きな負担となると考えられる。これに対し、被上告人(賃借人)が、本件契約の締結に当たり、本件特約の法的性質等を具体的かつ明確に認識した上で、これを受け入れたとはいい難い。

 従って、本件特約は信義則に反して被上告人(賃借人)の利益を一方的に害するものである。


 4 しかし、原審の上記3(2)の判断は是認できない。その理由は、次のとおりである。
 本件特約は、本件保証金のうち一定額(いわゆる敷引金)を控除し、これを賃貸借契約終了時に賃貸人が取得する旨のいわゆる敷引特約である。賃貸借契約においては、本件特約のように、賃料のほかに、賃借人が賃貸人に権利金、礼金等様々な一時金を支払う旨の特約がされることが多いが、賃貸人は、通常、賃料のほか種々の名目で授受される金員を含め、これらを総合的に考慮して契約条件を定め、また、賃借人も、賃料のほかに賃借人が支払うべき一時金の額や、その全部ないし一部が建物の明渡し後も返還されない旨の契約条件が契約書に明記されていれば、賃貸借契約の締結に当たって、当該契約によって自らが負うこととなる金銭的な負担を明確に認識した上、複数の賃貸物件の契約条件を比較検討して、自らにとってより有利な物件を選択することができるものと考えられる。そうすると、賃貸人が契約条件の一つとしていわゆる敷引特約を定め、賃借人がこれを明確に認識した上で賃貸借契約の締結に至ったのであれば、それは賃貸人、賃借人双方の経済的合理性を有する行為と評価すべきものであるから、消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は、敷引金の額が賃料の額等に照らし高額に過ぎるなどの事情があれば格別、そうでない限り、これが信義則に反して消費者である賃借人の利益を一方的に害するものということはできない(最高裁平成21年(受)第1679号同23年3月24日判決・民集65巻2号登載予定参照)。

 これを本件についてみると、前記事実関係によれば、本件契約書には、1か月の賃料の額のほかに、被上告人(賃借人)が本件保証金100万円を契約締結時に支払う義務を負うこと、そのうち本件敷引金60万円は本件建物の明渡し後も被上告人(賃借人)に返還されないことが明確に読み取れる条項が置かれていたのであるから、被上告人(賃借人)は、本件契約によって自らが負うこととなる金銭的な負担を明確に認識した上で本件契約の締結に及んだものというべきである。そして、本件契約における賃料は、契約当初は月額17万5000円、更新後は17万円であって、本件敷引金の額はその3.5倍程度にとどまっており、高額に過ぎるとはいい難く、本件敷引金の額が、近傍同種の建物に係る賃貸借契約に付された敷引特約における敷引金の相場に比して、大幅に高額であることもうかがわれない。

以上の事情を総合考慮すると、本件特約は、信義則に反して被上告人(賃借人)の利益を一方的に害するものということはできず、消費者契約法10条により無効であるということはできない。

 これと異なる原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は上記の趣旨をいうものとして理由がある。そして、以上説示したところによれば、被上告人(賃借人)の請求は、上告人(賃貸人)に対し4万4078円及びこれに対する平成20年7月8日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、原判決中、上告人敗訴部分を主文第1項のとおり変更する。

 よって、裁判官岡部喜代子の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官田原睦夫同寺田逸郎の各補足意見がある。

  裁判官田原睦夫の補足意見は、次のとおりである。
 私は多数意見に与するものであるが、岡部裁判官の反対意見が存することもあり、以下のとおり補足意見を述べる。

 1 現在、建物の賃貸借契約、殊に居住用建物の賃貸借契約において、賃料以外に敷金、保証金、権利金、礼金、更新料等様々の費目による金銭の授受を行うとの定めがおかれていることがある。そのうち「敷金」は、判例法として形成されている、賃貸借契約における賃料の担保及び同契約において賃借人が負担することのある損害賠償金支払債務を担保するための預託金としての性質を有するものである限り、法律上特段の問題は生じない。また、権利金や礼金も、賃貸借契約締結に際して賃借人から賃貸人に一方的に交付されるものであり、それが契約締結の際の条件として明示されている限り、震災等地域全体の賃貸借契約に影響を及ぼすような特別の場合を除いては、法律上特段の問題は存しない。更新料は、契約期間終了時に更に契約を更新するに際して授受するものとして定められる金員であるが、それが借地借家法の定める更新規定に反するか否かの問題はあっても、それも契約締結時に明示されている限り、その趣旨は明らかである。

 問題となり得るのは、保証金である。その法律上の性質について種々議論されているが、少なくとも本件では保証金名下で差し入れられた100万円中60万円は、明渡し後も返還されないことが契約締結時に明示されているのであるから、その法的性質が如何であれ、賃借人は本件契約締結時に、本件建物明渡し後に同金額が返還されないものであることは、明確に認識できるのである。


 2 建物賃貸借において、上記のごとき費目の金銭が授受されるか否か、また如何なる費目の金銭が授受されるかは各地域における慣行に著しい差異がある。国土交通省が公表している調査資料によれば、例えば、敷金あるいは保証金名下で賃貸借契約締結時に賃貸人に差し入れられた金員のうち、明渡し時に一定額(あるいは一定割合)を差し引く旨のいわゆる敷引特約(以下、単に「敷引特約」という。なお、この差引き部分は、上記の本来の敷金としての性質を有するものではないから、「敷引特約」という用語は誤解を招く表現であるが、一般にかかる用語が用いられているところから、それに従う。)は、京都、兵庫、福岡では半数から大多数の賃貸借契約において定められているのに対し、大阪では約30%、東京では約5%に止まっており、また更新料については、かかる条項が設けられている契約事例が、東京や神奈川では半数以上を占めるのに対し、大阪や兵庫では、その定めがあるとの回答は零であったなど、首都圏とそれ以外の地域で著しい差異があり、また、近畿圏でも、京都、大阪、兵庫の間で顕著な差異が見られるのであって、賃貸借契約における賃料以外の金銭の授受に係る条項の解釈においては、当該地域の実情を十分に認識した上でそれを踏まえて法的判断をする必要がある(なお、このような各地域の実情は、地裁レベルでは裁判所に顕著な事実というべきものである。)。

 岡部裁判官は、その反対意見において、賃貸人は敷引特約の条項を定めるに当たっては、その敷引部分に通常損耗費が含まれるか否か、礼金や権利金の性質を有するか否か等その具体的内容を明示するべきであると主張されるが、そこで述べられる礼金や権利金についても、それに通常損耗費の補填の趣旨が含まれているか否かをも含めて必ずしも明確な概念ではなく、また、上記のとおり賃貸借契約の締結ないし更新に伴って授受される一時金については各地域毎の慣行に著しい差異が存することからすれば、敷引特約の法的性質を一概に論じることは困難であり、いわんや賃貸人にその具体的内容を明示することを求めることは相当とは言えない。


 3 現代の我が国の住宅事情は、団塊の世代が借家の確保に難渋した時代と異なり、全住宅のうちの15%近く(700万戸以上)が空き家であって、建物の賃貸人としては、かっての住宅不足の時代と異なり、入居者の確保に努力を必要とする状況にある。そこで、賃貸人としては、その地域の実情を踏まえて、契約締結時に一定の権利金や礼金を取得して毎月の賃料を低廉に抑えるか、権利金や礼金を低額にして賃料を高めに設定するか、契約期間を明示して契約更新時の更新料を定めて賃料を実質補填するか、賃貸借契約時に権利金や礼金を取得しない替わりに、保証金名下の金員の預託を受けて、そのうちの一定額は明渡し時に返還しない旨の特約(敷引特約)を定めるか等、賃貸人として相当の収入を確保しつつ賃借人を誘引するにつき、どのような費目を設定し、それにどのような金額を割り付けるかについて検討するのである。他方、賃借人も、上記のような震災等特段の事情のある場合を除き、一般に賃貸借契約の締結に際し、長期の入居を前提とするか入居後比較的早期に転出する予定か、契約締結時に一時金を差し入れても賃料の低廉な条件か、賃料は若干高くても契約締結時の一時金が少ない条件か等、賃借に当たって自らの諸状況を踏まえて、賃貸人が示す賃貸条件を総合的に検討し、賃借物件を選択することができる状態にあり、賃借人が賃借物件を選択するにつき消費者として情報の格差が存するとは言い難い状況にある。


 4 敷引特約も賃貸条件中の一項目であり、消費者契約法10条前段には一応該当するとは言える。しかし、同条後段との関係では、当該地域の賃貸借契約において定められている一般的な条項や当該契約における他の賃貸条項をも含めて総合的に検討されるべきであり、敷引特約に基づく敷引金と賃料との比較のみから単純にその有効性が決せられるべきものではない。

 なお、敷引特約に基づく敷引金の金額が賃料に比して高額であり、賃貸借契約締結時に当事者が想定していたより短期に賃貸借契約が終了したような場合には、敷引特約に定められた敷金(保証金)をその約定どおり差し引くことが信義則上問題となることがあり得るが、それは当該契約当事者間における個別事情の問題であって、敷引特約の有効性とは異なる問題である。


 5 ところで、賃貸人が賃貸借に伴う通常損耗費を賃借人の負担に求めようとする場合には、賃料として収受すべきであって、賃料以外の敷引金等に求めるのは相当でないとの見解が一部で主張されている。しかし、賃貸人が賃貸借に伴う通常損耗費部分の回収を、賃料に含ませて行うか、権利金、礼金、敷引金等の一時金をもって充てるかは、賃貸人としての賃貸営業における政策判断の問題であって、通常損耗費部分を賃貸借契約において賃貸人が取得することが定められている賃料及びその他の一時金以外に求めるのでない限り、その当不当を論じる意味はない(1審判決が引用する最高裁平成16年(受)第1573号同17年12月16日判決・裁判集民事218号1239頁は、通常損耗費を賃借人が負担する旨の明確な合意が存しないにもかかわらず、賃借人に返還が予定されている敷金から通常損耗費相当額を損害金として差し引くことは許されない旨判示するもので、当初から賃借人に返還することが予定されていない敷引金を通常損耗費に充当することを否定する趣旨のものではない。)。


 6 本件では、賃貸借契約締結後、最初の更新時に賃借人である被上告人は賃料値下げを賃貸人である上告人に了解させているのであるから、被上告人(賃借人)が上告人(賃貸人)に比して弱い立場にあったものとは認められない。また、本件契約においては、契約締結時に権利金や礼金の授受はなく、敷引特約は賃貸借契約締結時に明示されているのであって、被上告人(賃借人)はそれを十分に認識して本件契約を締結したものと窺える。そして、本件敷引特約に定める敷引金額は60万円であって、賃料の約3.5ヶ月分と一見高額かのごとくであるが、賃貸借契約が更新されても敷引金額は当初に定められた金額のままなのであるから、賃貸借期間が長期に亘るほどその敷引金額の賃料に対する比率は低下することになるところ、被上告人(賃借人)は本件契約の解約迄6年余本件建物に居住していたものであるから、敷引金額を居住期間の1ヶ月当たりにすると8,333円で、当初の1ヶ月の賃料(共益費込み)の4.76%、更新により改定後の賃料(共益費込み)の4.90%にすぎないのである。

 かかる敷引金を賃貸人が取得することをもって、消費者契約法10条に該当するとは到底認められない。

  裁判官寺田逸郎の補足意見は、次のとおりである。
 消費者契約法10条の適用との関係で若干の付言をする。

 1 居住用建物賃貸借契約に見られる「権利金」をはじめとする一時金(賃借人への返還が予定されないもの)の授受については、使用収益の対価を規制することを止めるとの判断で昭和61年に地代家賃統制令が廃止された後は、その趣旨に立ち入って検討し、介入すべき公的動機づけは薄れ(ただし、いわゆる「更新料」については、借地借家法が強行的に権利の存続保障をしていることとの関係で、契約更新に対する阻害要因としてどうみるかという別個の判断要素がある。)、その目的が特定されている場合のゆれは残るものの、広い意味で使用収益の対価の一部をなし、賃料として組み込めないものではなくなったという意味で、賃料との本質的な差はなく、いわば賃料を補うものとしての性格をもった金銭の授受と受けとめるべきものとなったといえよう。本件で問題となっているいわゆる「敷引特約」に係る賃貸借終了時に返還されない金銭についても、そのような性格のものであると理解することができる。そうであるとすると、たとえこの部分における賃借人の負担が少なくないとしても、一般的には、これのみを切り離して取り上げ、それが相当性を欠くかどうかの内容的な検討をすることが適切であるとは思われない。多数意見は、基本的に以上のような理解に立っていると考えられる。

 2 ところで、このように解するときは、敷引特約を取り上げて消費者契約法10条の規定の適用を問題となし得るのかというところに立ち返って検討を要することにもなる。同条の規定は、法律に定められている任意規定の適用に比べて消費者の権利を制限し、その義務を加重する契約条項を対象として、その有効性を問題とするものであるところ、敷引特約によって賃借人に返還されないものとされるところが広い意味で賃料の実質を持つ金銭の支払にほかならないということであれば、少なくとも予定していた賃貸借の期間を満了した場合には、民法における賃貸借の規定の枠をはずれて賃借人に義務を課するものではないのではないかと考えられるからである。もちろん、敷引特約の下で、本件のように、契約締結時に差し入れられた金銭のうち返還されないものと約された部分がそのまま契約終了時に債務による差引きの影響を受けずに賃貸人に帰属する結果となる場合には、賃料の支払時期に関する民法614条の規定による賃借人の義務を加重するものと解し得るであろう。しかし、このような特約の意義を支払時期に係る義務の加重程度のものとしてとらえるのでは皮相的とのそしりを免れまい。 

 3 そこで、検討するに、結論としては、敷引特約に係る金銭の支払義務が消費者契約法10条の適用対象に当たることを肯定してよいと考える。
 消費者契約法の立法趣旨に鑑みると、同条の規定は、契約条件の実質のみならずその形式にも着目し、それによってもたらされる問題をも対象としているのではないかと考えることができるように思われる。民法等に定める典型契約の規定は、パターン化によって契約における権利義務の関係を一般人にも理解しやすくする機能を有するものとなっているところ、ある契約条件が典型契約としてのパターンから外れた形で消費者に義務を課するものとなっているときは、一般人が通常観念する契約で頭に浮かぶパターンから外れた部分としてその合理性をただちに理解できないおそれがあるのであって、同条の規定の意義は、このように組み立てられた条項によって受けるおそれのある不利益から消費者を救済しようとするところにも広がると考えられるからである。典型契約のパターンから形式的に離れた契約条項が定められる場合には、消費者にとって理解が十分でないまま契約に至るなど契約の自由を基礎づける要素にゆがみが生じるおそれが生じやすいとみて、信義則を通して当該条項の合理性につきより立ち入って審査するという趣旨をみて取るわけである(その意味で、岡部裁判官の反対意見の示す問題意識にも共感できるところがなくはない。このような状況の中には、消費者契約法4条などが対象とする契約締結の手続上の瑕疵としてとらえることができる場合もあるかもしれないが、定型的に条項の在りよう自体の問題としてとらえることを妨げる理由もないように思われる。)。

 このような理解に立って本件をみると、本件の敷引特約は、賃料の実質を有するものの賃料としてではない形で支払義務を負わせるもので、民法の定める賃貸借の規定から形式的に離れた契約条件であるから、上記のような特約の実質的な意義を賃借人が理解していることが明らかであるなど特段の事情がない限りは、消費者契約法10条の「公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し、消費者の権利を制限し、又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項」の対象として扱って差し支えないと解することが相当であろう。


 4 そして、次の段階として、信義則との関係では、1で示したその本質的な性格に鑑み、それが高額あるいは賃料との関係で高率であるということだけで契約条件としての有効性が疑われることはないとしても、広く地域にみられる約定に基づくものであるとはいえ、いわゆる相場からみて高額あるいは高率に過ぎるなど内容面での特異な事情がうかがわれるのであれば、これを契約の自由を基礎づける要素にゆがみが生じているおそれの徴表とみて、当該契約条件を付すことが許されるかどうかにつき、他の契約条件を含めた事情を勘案し、より立ち入った検討を行う過程へと進むことが求められるということになる(相場の高止まりというような競争環境の不十分さまでも考慮に入れて契約内容の不当性を判断する役割を担うことをこの規定に期待すべきではあるまい。)。ただ、本件においては、広く見られる敷引特約の例として、敷引額が高額・高率に過ぎるなど内容的に特異な事情があると認めるべきところがないため、上記のような徴表を欠くものとみて、結局、多数意見の結論に落ち着くこととなると考えるわけである。

 

  裁判官岡部喜代子の反対意見は、次のとおりである。

 1 私は、多数意見と異なり、本件特約は消費者契約法10条により無効であると考える。その理由は、以下のとおりである。

 2 多数意見は、要するに、敷引金の総額が契約書に明記され、賃借人がこれを明確に認識した上で賃貸借契約を締結したのであれば、原則として敷引特約が信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するものとはいえないというのである。

 しかし、敷引金は個々の契約ごとに様々な性質を有するものであるのに、消費者たる賃借人がその性質を認識することができないまま賃貸借契約を締結していることが問題なのであり、敷引金の総額を明確に認識していることで足りるものではないと考える。

 3 敷引金は、損耗の修繕費(通常損耗料ないし自然損耗料)、空室損料、賃料の補充ないし前払、礼金等の性質を有するといわれており、その性質は個々の契約ごとに異なり得るものである。そうすると、賃借物件を賃借しようとする者は、当該敷引金がいかなる性質を有するものであるのかについて、その具体的内容が明示されてはじめて、その内容に応じた検討をする機会が与えられ、賃貸人と交渉することが可能となるというべきである。例えば、損耗の修繕費として敷引金が設定されているのであれば、かかる費用は本来賃料の中に含まれるべきものであるから(最高裁平成16年(受)第1573号同17年12月16日判決・裁判集民事218号1239頁参照)、賃借人は、当該敷引金が上記の性質を有するものであることが明示されてはじめて、当該敷引金の額に対応して月々の賃料がその分相場より低額なものとなっているのか否か検討し交渉することが可能となる。また、敷引金が礼金ないし権利金の性質を有するというのであれば、その旨が明示されてはじめて、賃借人は、それが礼金ないし権利金として相当か否かを検討し交渉することができる。事業者たる賃貸人は、自ら敷引金の額を決定し、賃借人にこれを提示しているのであるから、その具体的内容を示すことは可能であり、容易でもある。それに対して消費者たる賃借人は、賃貸人から明示されない限りは、その具体的内容を知ることもできないのであるから、契約書に敷引金の総額が明記されていたとしても、消費者である賃借人に敷引特約に応じるか否かを決定するために十分な情報が与えられているとはいえない。

 そもそも、消費者契約においては、消費者と事業者との間に情報の質及び量並びに交渉力の格差が存在することが前提となっており(消費者契約法1条参照)、消費者契約関係にある、あるいは消費者契約関係に入ろうとする事業者が、消費者に対して金銭的負担を求めるときに、その対価ないし対応する利益の具体的内容を示すことは、消費者の契約締結の自由を実質的に保障するために不可欠である。敷引特約についても、敷引金の具体的内容を明示することは、契約締結の自由を実質的に保障するために、情報量等において優位に立つ事業者たる賃貸人の信義則上の義務であると考える(なお、消費者契約法3条1項は、契約条項を明確なものとする事業者の義務を努力義務にとどめているが、敷引特約のように、事業者が消費者に対し金銭的負担を求める場合に、かかる負担の対価等の具体的内容を明示する義務を事業者に負わせることは、同項に反するものではない。)。このように解することは、最高裁平成9年(オ)第1446号同10年9月3日判決・民集52巻6号1467頁が、災害により居住用の賃借家屋が滅失して賃貸借契約が終了した場合において、敷引特約を適用して敷引金の返還を不要とするには、礼金として合意された場合のように当事者間に明確な合意が存することを要求していること、前掲最高裁平成17年12月16日判決が、通常損耗についての原状回復義務を賃借人に負わせるには、その旨の特約が明確に合意されていることが必要であるとしていることから明らかなように、当審の判例の趣旨にも沿うものである。


 4 このような観点から本件特約の消費者契約法10条該当性についてみると、次のようにいうことができる。
 まず、前段該当性についてみると、賃貸借契約においては、賃借人は賃料以外の金銭的負担を負うべき義務を負っていないところ(民法601条)、本件特約は、本件敷引金の具体的内容を明示しないまま、その支払義務を賃借人である被上告人に負わせているのであるから、任意規定の適用の場合に比し、消費者である賃借人の義務を加重するものといえる。

 そして、後段該当性についてみると、原審認定によれば、本件敷引金の額は本件契約書に明示されていたものの、これがいかなる性質を有するものであるのかについて、その具体的内容は本件契約書に何ら明示されていないのであり、また、上告人(賃貸人)と被上告人(賃借人)との間では、本件契約を締結するに当たって、本件建物の付加価値を取得する対価の趣旨で礼金を授受する旨の合意がなされたとも、改装費用の一部を被上告人(賃借人)に負担させる趣旨で本件敷引金の合意がなされたとも認められないというのであって、かかる認定は記録に徴して十分首肯できるところである。従って、賃貸人たる上告人は、本件敷引金の性質についてその具体的内容を明示する信義則上の義務に反しているというべきである。加えて、本件敷引金の額は、月額賃料の約3.5倍に達するのであって、これを一時に支払う被上告人(賃借人)の負担は決して軽いものではないのであるから、本件特約は高額な本件敷引金の支払義務を被上告人(賃借人)に負わせるものであって、被上告人(賃借人)の利益を一方的に害するものである。

 以上のとおりであるから、本件特約は消費者契約法10条により無効と解すべきである。

 なお、上告人(賃貸人)は、建物賃貸借関係の分野では自己責任の範囲が拡大されてきている、本件特約を無効とすることにより種々の弊害が生ずるなどと述べるが、賃借人に自己責任を求めるには、賃借人が十分な情報を与えられていることが前提となるのであって、私が以上述べたところは、賃借人の自己責任と矛盾するものではなく、かつ、敷引特約を一律に無効と解するものでもないから、上告人(賃貸人)の上記非難は当たらない。


 5 本件特約が無効であるとした原審の判断は、以上と同旨をいうものとして是認できる。論旨は理由がなく、上告を棄却する。


  最高裁裁判長裁判官田原睦夫、裁判官那須弘平、同岡部喜代子、同大谷剛彦、同寺田逸郎


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