ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

初春

2024-01-01 08:35:09 | 日記・エッセイ・コラム
新年あけましておめでとうございます。
年末の大掃除もなんとかすませ、
今年も新年を迎えました。
ときの空模様はともかく、
新たな息吹を感じられて、
清々しいことであります。
今年も良い年でありますよう。
てか「も」が適切かどうかはともかく、
とりあえずそうしておきます。
・・・・・
年末に身の回りのみそぎはらいを行い、
新年を期して心のみそぎはらいを行う、
これが私の思うところの正月祭。
ゆえ常によみがえりがなされる。
よみがえりとは存在を存在たらしめるもの。
あることがあり続けること。
それは常に変化と伴に。
よみがえりが無ければ壊れがあるのみ。
よみがえりとは、
一に新陳対処、一に世代交代、一に種別交替、さらに…。
無限の変化に節を付けてよみがえりを期す。
ゆえ壊れずにあり続ける。
特に生命にはそれが必要。
と思っているが…。
そういうことで、
最近は毎年思うのです、
竹田恒泰先生の言葉を。
それを聞いたときから。
それは、
正月は何事もことほぎ、
専ら良き言葉ですごす、
ということ。
特に正月三が日は、
できたらもう少し。
もとより現実は何があるか分かりません。
ときにいろんな言葉が口を出る。
それは許より仕方なし。
とはいえ、
言葉はそも中立である。
そこに良し悪しはない。
でも表現は必要なのだ、
良きことにも悪しきことにも。
問題は言葉ではない、
それを発する心です。
そこに悪鬼が潜んでいる。
だから避けるべきは、
その悪鬼である。
まずは自分であるが、
できれば他人にもそうさせないよう、
それが大事かと。
であるが、
それでも正月は言葉自体に気をつけよう。
ともかく良くないと思われる言葉は避けよう。
でもあまり神経質になってもなあ~。
ともかく気をつけます。
ハイ!
・・・・・
ということで、
まずは雑煮を食べよう。
そしてお節料理も。
それにしても、
ワイはよう作らんから人頼み。
いつものところへ行ってゆっくりと。
それから初詣。
まあそんなことで。
ともかくめでたくめでたく有り難く。
おっと、
もう時間です、
それでは…

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