私はアナログの信奉者である。
でもデジタルが嫌いなわけではない。
デジタルは非常に便利で有効なものである。
アナログは現場主義現実主義である。
これは神の事の場にある。
そこには體が受取る情報が止めどなくある。
ところがデジタルはそこに大きな抜け穴をつくる。
てか点で捉えるから当然。
でもゆえより鮮明になる。
しかもときに時と場を大きく超える。
瞬時に遠くに音と絵を届けることもできるのです。
これを利用するのは当然。
要は使い方次第なのです。
にしても肝に命じておくことがある。
すべては現場現実に帰ると。
言わずもがなだが。
・・・・・
最近は無人レジが増えている。
これはハッキリ言って嫌いである。
おもてなしの欠片もない。
だからこれを避けている。
ゆえ無人レジだけの店は行かない。
そんなこともあってネット市場も利用しない。
特にアマゾンはね。
日本的経営があるとは思えないからです。
それは売り手良し買い手良し世間良しの精神のこと。
日本企業でも有るとは限らないが。
それでもどうしても欲しいもので、
実店舗で見つけられなければそこで探す、
てか利用することもある。
そうですここでも時と場を超えられるのです。
便利は便利それはまさに。
てかそもネット市場を否定してはいない、
ただ嫌いなだけです。
でもこれは只の気まぐれではない、
そういう方針です。
でもネットで買うときは、
できるだけその商品の製造元を利用する、
てかこれは私の方針には反しない。
それはさておき元に戻り無人レジ。
無人レジとは要するに売買のこと、
これはすなわち経済のことであり、
これの始まりは「市」であろうか。
これは物々交換に始まりやがてそこに貨幣が。
以前にも言ったが経済とは助け合いであると。
それは売り手良し買い手良し世間良しである。
ゆえにそこにあるのは「おもてなし」である。
おもてなしとは一方通行ではなくそも双方向。
その精神で市は栄える。
そこにあるのは別の言葉で言えば、
それはエンターテイメントである。
つまりエンタメなのだ。
人が集まりそれが又人を呼び、
ワイワイガヤガヤの賑わいに。
それがイベントになればまさにエンタメ。
その始まりは売買にあり市にあり。
だから無人レジが嫌いなのだ。
てか必要なものを求めるだけならそれも良し。
だから否定はしないと、
ただ嫌いなだけである。
てかそれはそれとして、
欧米では無人レジはむしろ撤退しているとか。
万引きが横行して経営が為りたたないようだ。
目論見が逆転したのだ。
日本ではそれほどでもないが傾向は同じ。
やはりその対策は必要。
てかそれもあるが、
私が厭なのはそこに「市」が消えるから。
だから嫌いなのである。
理由は違ってもいづれ撤退するだろうと。
要は適材適所であると、
私はそう思っています。
・・・・・
ところで無人販売と言うのがある、
この日本には。
てかこれは無人レジに一寸似てる。
てか一寸似てるがまったく違うものです。
そこには同じ販売でもレジがないのです。
この違いは決定的なのです。
レジとはキャッシュレジスターのことで、
日本語で言えば金銭登録機。
登録つまり記録つまり言葉。
まあそう言うことです。
無人販売にはそれがないのです。
しても言葉がないわけではない。
価格の表示はあるはず。
してもそれは記録ではない。
必要最低限のお知らせです。
それにそれは相手次第です。
そこにあるのは信用信頼に基づく空気である。
そこにあるのはアウンの呼吸である。
てかこのアウンはどこから来るのか。
てかこれには私なりの存念があるが。
それは場への感謝と祈りである。
場とはそこに存在する物事のすべて、
そのすべてへの感謝と祈りです。
それがアウンをかもす。
そしてときにそこに無人販売が。
そこに言葉はない。
むしろ邪魔になる。
と謂うことだろう。
ぁうん!
でもデジタルが嫌いなわけではない。
デジタルは非常に便利で有効なものである。
アナログは現場主義現実主義である。
これは神の事の場にある。
そこには體が受取る情報が止めどなくある。
ところがデジタルはそこに大きな抜け穴をつくる。
てか点で捉えるから当然。
でもゆえより鮮明になる。
しかもときに時と場を大きく超える。
瞬時に遠くに音と絵を届けることもできるのです。
これを利用するのは当然。
要は使い方次第なのです。
にしても肝に命じておくことがある。
すべては現場現実に帰ると。
言わずもがなだが。
・・・・・
最近は無人レジが増えている。
これはハッキリ言って嫌いである。
おもてなしの欠片もない。
だからこれを避けている。
ゆえ無人レジだけの店は行かない。
そんなこともあってネット市場も利用しない。
特にアマゾンはね。
日本的経営があるとは思えないからです。
それは売り手良し買い手良し世間良しの精神のこと。
日本企業でも有るとは限らないが。
それでもどうしても欲しいもので、
実店舗で見つけられなければそこで探す、
てか利用することもある。
そうですここでも時と場を超えられるのです。
便利は便利それはまさに。
てかそもネット市場を否定してはいない、
ただ嫌いなだけです。
でもこれは只の気まぐれではない、
そういう方針です。
でもネットで買うときは、
できるだけその商品の製造元を利用する、
てかこれは私の方針には反しない。
それはさておき元に戻り無人レジ。
無人レジとは要するに売買のこと、
これはすなわち経済のことであり、
これの始まりは「市」であろうか。
これは物々交換に始まりやがてそこに貨幣が。
以前にも言ったが経済とは助け合いであると。
それは売り手良し買い手良し世間良しである。
ゆえにそこにあるのは「おもてなし」である。
おもてなしとは一方通行ではなくそも双方向。
その精神で市は栄える。
そこにあるのは別の言葉で言えば、
それはエンターテイメントである。
つまりエンタメなのだ。
人が集まりそれが又人を呼び、
ワイワイガヤガヤの賑わいに。
それがイベントになればまさにエンタメ。
その始まりは売買にあり市にあり。
だから無人レジが嫌いなのだ。
てか必要なものを求めるだけならそれも良し。
だから否定はしないと、
ただ嫌いなだけである。
てかそれはそれとして、
欧米では無人レジはむしろ撤退しているとか。
万引きが横行して経営が為りたたないようだ。
目論見が逆転したのだ。
日本ではそれほどでもないが傾向は同じ。
やはりその対策は必要。
てかそれもあるが、
私が厭なのはそこに「市」が消えるから。
だから嫌いなのである。
理由は違ってもいづれ撤退するだろうと。
要は適材適所であると、
私はそう思っています。
・・・・・
ところで無人販売と言うのがある、
この日本には。
てかこれは無人レジに一寸似てる。
てか一寸似てるがまったく違うものです。
そこには同じ販売でもレジがないのです。
この違いは決定的なのです。
レジとはキャッシュレジスターのことで、
日本語で言えば金銭登録機。
登録つまり記録つまり言葉。
まあそう言うことです。
無人販売にはそれがないのです。
しても言葉がないわけではない。
価格の表示はあるはず。
してもそれは記録ではない。
必要最低限のお知らせです。
それにそれは相手次第です。
そこにあるのは信用信頼に基づく空気である。
そこにあるのはアウンの呼吸である。
てかこのアウンはどこから来るのか。
てかこれには私なりの存念があるが。
それは場への感謝と祈りである。
場とはそこに存在する物事のすべて、
そのすべてへの感謝と祈りです。
それがアウンをかもす。
そしてときにそこに無人販売が。
そこに言葉はない。
むしろ邪魔になる。
と謂うことだろう。
ぁうん!
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