ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

バランサーとなる

2015-06-19 11:55:06 | 日記・エッセイ・コラム
大国の間でバランサーとなる、
との主旨の発言をした大統領がいる。
何代か前の韓国の大統領である。
表現が正確かどうかは自信がない。
それはつまり、
中国・日本・アメリカなどの間で、
力関係の間合いを計り、
バランスを取りながら調整する、
そんな要石のような国になる、
ということのようだ。
・・・・・
意味からすれば成程とは思う。
半島は歴史的に大国の脅威にさらされてきた。
中華平原や大陸北方の諸勢力に。
だからそれは半島人の知恵でもある。
ちなみに日本は大きな脅威ではなかった。
豊臣秀吉の時に攻めたことはあったが、
それは明を攻めるのが目的であったのであり、
他には攻めたことは無いのだから。
歴史的には脅威ではなかった筈だ。
海という大きな堀があったということもあり。
それはさておきバランサーという言葉は、
旗色を鮮明にしないということであり、
どっちつかずの日和見ということだ。
つまりは強い方に付くということである。
もっとも自分が強ければ自分の思い通りにするのだろうが。
そういう力はついに持てなかった。
それが半島の歴史である。
悲劇の歴史、恨の歴史である。
だから強い者にどこまでも従う。
朝鮮国王が中華王朝に対して取った態度は正に隷属であった。
その反動は半島社会に現れる。
強い者に隷属する者は逆に弱い者を隷属させる。
それが当然の帰結となり半島社会の常態となる。
ゆえに立場の違いに係わらず恨の社会となる。
そんな社会が恨から免れるチャンスがあった。
日本統治時代とそれに続く軍事政権時代である。
だがその機会を活かせなかった。
そして今に至る。
・・・・・
強い者に従うということは、
立場が代われば相手を従わせるということであり、
これは旧世界と同じである。
すなわち力が支配する世界なのである。
韜光養晦を標榜する国と何も変わらない。
ただ力が持てなかっただけだ。
だから従うより他ない。
それが「バランサーとなる」ということだ。
半島ではよく言われる言葉に事大主義というのがある。
何のことはない、
それは正にそのことだ。















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