私が子供の頃は、
欧米は比較的厳格なキリスト教社会であった。
日曜日は教会へ行くのが当たり前。
だから商店はすべて閉まっている。
そのように記憶している。
もちろん今も基本的には変わらない。
しかし、だいぶ緩くなってきている。
日曜日には必ず教会へ行く、
という人は少なくなっているようだ。
だから祈りの機会は減ってるだろう。
中東などのイスラム圏は、
今も比較的厳格である。
ほとんどの人が一日5回のお祈りをする。
とりわけ中東諸国はそのようだ。
私から見れば、
あまりに杓子定規で堅ぐるしい気がする。
日本人はどうだろう。
戦前は家に仏壇や神棚がたいていあったようだ。
だから家長が毎日お祈りしていた。
戦後は家族制度が解体され、
旧家以外は相当怪しくなっている。
初詣ぐらいしか行かない、という人が多いのではないか。
仮に行ったとして、参拝というより観光ではないのか。
祈りを忘れている。
実に祈りを忘れてる。
そんな人が多い。
・・・・・
日本は祈りの国ではないのか。
これはおかしい。
話が合わない。
だがしかしである。
日本には天皇が在る。
天皇は日本国の総祭主である。
祈り主、祝い主である。
天皇は日々祈っている。
赤き心、清き心でただひたすらに祈っている。
そのような存在として在る。
天皇の祈りがあるから、
ときに人に祈りがなくともよいのである。
これは何も祈らなくてもよいということではない。
祈らなくとも既に祈りの中に在る、
ということである。
それにしても、
多くの人が祈りを忘れてる。
実に嘆かわしい。
・・・・・
しかし有り難いことである。
日本には祈りがある。
何もしなくても空気のように。
おかげで、
形としての祈りからも自由なのである。
欧米は比較的厳格なキリスト教社会であった。
日曜日は教会へ行くのが当たり前。
だから商店はすべて閉まっている。
そのように記憶している。
もちろん今も基本的には変わらない。
しかし、だいぶ緩くなってきている。
日曜日には必ず教会へ行く、
という人は少なくなっているようだ。
だから祈りの機会は減ってるだろう。
中東などのイスラム圏は、
今も比較的厳格である。
ほとんどの人が一日5回のお祈りをする。
とりわけ中東諸国はそのようだ。
私から見れば、
あまりに杓子定規で堅ぐるしい気がする。
日本人はどうだろう。
戦前は家に仏壇や神棚がたいていあったようだ。
だから家長が毎日お祈りしていた。
戦後は家族制度が解体され、
旧家以外は相当怪しくなっている。
初詣ぐらいしか行かない、という人が多いのではないか。
仮に行ったとして、参拝というより観光ではないのか。
祈りを忘れている。
実に祈りを忘れてる。
そんな人が多い。
・・・・・
日本は祈りの国ではないのか。
これはおかしい。
話が合わない。
だがしかしである。
日本には天皇が在る。
天皇は日本国の総祭主である。
祈り主、祝い主である。
天皇は日々祈っている。
赤き心、清き心でただひたすらに祈っている。
そのような存在として在る。
天皇の祈りがあるから、
ときに人に祈りがなくともよいのである。
これは何も祈らなくてもよいということではない。
祈らなくとも既に祈りの中に在る、
ということである。
それにしても、
多くの人が祈りを忘れてる。
実に嘆かわしい。
・・・・・
しかし有り難いことである。
日本には祈りがある。
何もしなくても空気のように。
おかげで、
形としての祈りからも自由なのである。
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