ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

それにしても

2020-04-06 13:50:01 | 日記・エッセイ・コラム
日本もいよいよ緊迫してきた。
そこであらためて思うのです。
まったくもって、どうなってるんだ。
なぜこんなことになるのか。
武漢肺炎とは一体何なんだ。
これはインフルエンザの一種だと言われている。
それはそのようだが、少し違うようにも見える。
同じと言えば同じなのだろうが、
身体の倦怠感とともに味覚、特に嗅覚が変調するらしい。
それに熱が出て重症化すれば進行が速いようだ。
でも当然と言えば当然だ。
免疫力が落ちていればそうなるだろう。
でなければ軽い症状で済む。
日本では、野球選手に感染するなど有名人にも及んでいる。
特に志村けんさんの訃報が衝撃をもって伝えられた。
疑問なのは、
流行の程度が実際それ程でもないのに、
なぜこれほどまでの大騒ぎになるのか。
欧米の狼狽えようは尋常ではない。
確かにイタリアは酷い状態である。
・・・・・
これほどの騒動になる原因は何なのか。
実はものすごく怖い病気なのか。
実は感染力が異常に強いからか。
致死率が高いか、低くても感染力が強ければ、
結局亡くなる人が増える。
このウイルスはそういうものなのか。
今までのものとは明らかに違うのか。
そしてそれを知ってる者がいるのか。
或いは、そのように装っているのか。
そこが分からない。
私は最初から疑っている。
生物兵器ではないのかと。
このウイルスが自然由来であろうとなかろうと。
意図してばら撒いたか、流失したかはともかく。
意図していたなら、これは計画通りだ。
でないなら、後は天(自然)の定めだ。
天の定めだとしてもだ、
世を支配する者はこの状況を利用する、
必ず利用する。
そういうものだ。
これを機会に社会を誘導しようとする。
己の思うところに。
だからまた、それに抵抗する者も現れる。
つまりは、
これは医療問題であるが、大きな経済問題となり、
結局最後は政治問題となる。
そこは注意して見ていよう。
そうは言っても、結局凡夫にははかれない。
だから踊らされることなく過ごすしかない。
と言う訳で、
当方以前からプチ引き籠もり中だが、
それを粛々と実行する。
しかして、
一日に一回は食料買い出しかつお茶を飲むため外に出る、
そして時々の医者通い、
まれにはゴルフに行く。
以上。
・・・・・
巷間言われているように、
この騒動が終息すれば世界は変わるのだろうか。
グローバリズムが息をひそめるか。
今回の騒動でその欠陥が露わになったが。
もともとグローバリズムとは、
一部特権階級による世界の囲い込みであり、
少しのおこぼれをばら撒いて、
それを皆に取合いさせている、
そんな世界である。
リベラル的言説はあらかた詐欺の道具だろうし、
とりわけ人道と謂うのが胡散臭い。
ところで、
一つ気になることがある。
人が集まるのを極端に避けるようになると、
それは人々の紐帯を壊しかねない。
通信でしか交わらなくなれば必ず失うものがある。
それは切り取られた情報でしかないのだ。
現実に向き合えば、
そこには色や匂いに肌ざわり、存在の気配や場の空気など、
ありとあらゆる感覚が交錯している。
それが命の世界である。
その世界は一見狭くとも、全宇宙に繋がっている。
命の世界は星々の世界と同じ場に如かず。
ともに宇宙的存在なのです。
その感覚を失ってはいけない。
そこは押さえておこう。