イエスがオリーブ山ですわっていたとき、
弟子たちがひそかにみもとにきて言った、
…世の終りにはどんな前兆がありますか。
ちなみに世の終りとは一神教世界の発想である。
多神教の世界には初めも終わりもない。
循環の世界である。
季節の変わり目(画期)はあるが。
一神教の終末思想とはつまりはその画期のことである。
それは次の世の始まりでもある。
答えて曰く、
私の名を名のる者が現れて多くの人々を惑わす、
また、にせ預言者が現れて多くの人々を惑わす、
と。
・・・・・
預言者とは神から言葉を預かる者である。
自分からは成れない。
神から選ばれるのだ。
有名なところでは十戒を授かったというモーセがいる。
イスラム教ではコーランを授かったムハンマドがいる。
ところで、今の時代は預言者が沢山いる。
それは選ばれたのではなく、自ら志願した者達である。
その一例を科学者とか謂う。
聖書に拠れば世界は神の言葉で成っている。
科学者は自らの思考でその世界を読み解く。
そして神の言葉(現実)を人の言葉にする。
それを人々に伝える。
まさに預言者である。
選ばれなくとも、自らの志願と雖も、
現実に添っていれば、
それはその通りです。
預言者と言ってもおかしくはない。
あくまで現実に添っていればです。
あくまで現実に真摯に向き合っていればです。
だが実態はあさましい。
人間の業か、欲に追われて自分を見失う。
そんな人達が少なくない。
そしていま巷に溢れてる。
・・・・・
それが一番目立つのがメディアの世界である。
それに政治の世界にも。
それに学問の世界にも。
勿論ネットの世界にも。
見分けるのはそんなに難しくはない。
神に選ばれたなら、それは自然に伝わる。
謙虚なのである、どこまでも謙虚なのだ。
今の所そんな人は見当たらない。
唯一そう思えるのは陛下である。
血の定めがその証なのだろうか。
自ら志願した者等はどうだろう。
現実に真摯に向き合っている科学者は概ねそうである。
中には、そうでない者達もいる。
地球温暖化を言う輩は怪しそう。
余りに近視眼的に断定するから。
やはり謙虚でなければならない。
見分けるポイントは正にそこだ。
神ならぬ人であること、それを踏まえているか。
つまり、
自分を絶対化するもの、
自分が正しいと言い張るもの、
他人を認めないもの、
現実を顧みないもの、
観念(脳)に囚われているもの、
等々、
それらは預言者ではない、
にせ預言者である。
今そんな輩が巷に溢れているが、
正に斯く言う終わりの時なのか。
確かにその様ではある。
・・・・・
世界はにせ預言者で溢れているが、
未だイエスの名を名のる者は現れていない。
どこかに隠れているのか、
少なくとも私は知らない。
それが現われれば、いよいよ終わりのときである。
心していよう。
世界が武漢肺炎で震えている現今だが、
この震えが治まったときが要注意です。
惑わされないようにしよう。
そのとき、
まことの新しき世界を迎えるのか、
なおの混乱が待ち受けているのか。
私の関心はそこにある。
弟子たちがひそかにみもとにきて言った、
…世の終りにはどんな前兆がありますか。
ちなみに世の終りとは一神教世界の発想である。
多神教の世界には初めも終わりもない。
循環の世界である。
季節の変わり目(画期)はあるが。
一神教の終末思想とはつまりはその画期のことである。
それは次の世の始まりでもある。
答えて曰く、
私の名を名のる者が現れて多くの人々を惑わす、
また、にせ預言者が現れて多くの人々を惑わす、
と。
・・・・・
預言者とは神から言葉を預かる者である。
自分からは成れない。
神から選ばれるのだ。
有名なところでは十戒を授かったというモーセがいる。
イスラム教ではコーランを授かったムハンマドがいる。
ところで、今の時代は預言者が沢山いる。
それは選ばれたのではなく、自ら志願した者達である。
その一例を科学者とか謂う。
聖書に拠れば世界は神の言葉で成っている。
科学者は自らの思考でその世界を読み解く。
そして神の言葉(現実)を人の言葉にする。
それを人々に伝える。
まさに預言者である。
選ばれなくとも、自らの志願と雖も、
現実に添っていれば、
それはその通りです。
預言者と言ってもおかしくはない。
あくまで現実に添っていればです。
あくまで現実に真摯に向き合っていればです。
だが実態はあさましい。
人間の業か、欲に追われて自分を見失う。
そんな人達が少なくない。
そしていま巷に溢れてる。
・・・・・
それが一番目立つのがメディアの世界である。
それに政治の世界にも。
それに学問の世界にも。
勿論ネットの世界にも。
見分けるのはそんなに難しくはない。
神に選ばれたなら、それは自然に伝わる。
謙虚なのである、どこまでも謙虚なのだ。
今の所そんな人は見当たらない。
唯一そう思えるのは陛下である。
血の定めがその証なのだろうか。
自ら志願した者等はどうだろう。
現実に真摯に向き合っている科学者は概ねそうである。
中には、そうでない者達もいる。
地球温暖化を言う輩は怪しそう。
余りに近視眼的に断定するから。
やはり謙虚でなければならない。
見分けるポイントは正にそこだ。
神ならぬ人であること、それを踏まえているか。
つまり、
自分を絶対化するもの、
自分が正しいと言い張るもの、
他人を認めないもの、
現実を顧みないもの、
観念(脳)に囚われているもの、
等々、
それらは預言者ではない、
にせ預言者である。
今そんな輩が巷に溢れているが、
正に斯く言う終わりの時なのか。
確かにその様ではある。
・・・・・
世界はにせ預言者で溢れているが、
未だイエスの名を名のる者は現れていない。
どこかに隠れているのか、
少なくとも私は知らない。
それが現われれば、いよいよ終わりのときである。
心していよう。
世界が武漢肺炎で震えている現今だが、
この震えが治まったときが要注意です。
惑わされないようにしよう。
そのとき、
まことの新しき世界を迎えるのか、
なおの混乱が待ち受けているのか。
私の関心はそこにある。