こちらが正しい、394-1.の本文内容です。
もくじのリンク名は正しかったのですが、もくじのリンク先も記事も異なっていました。
大変失礼しました。
編年体(昭和四十九年六月一日 5刷)のナゾ
1.注意事項
本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。
本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。
2.編年体の問題点
2-1.句読点が御書全集と同じで段落毎に句点(。)がある。
2-1.述語の終わりには読点(、)または句点(。)となっている。
しかし、述語の終わりに読点(、)も句点(。)も無く、次の文章につながっている場合あり。
御書全集と同じく、編集上の不統一が存在。
十大部から五大部を除いた遺文。
唱法華題目抄(一三八)
法華取要抄(六〇七)
四信五品抄(九六七)
下山御消息(九九二)
本尊問答抄(一一四九)
十大部から五大部を除いた上記の5つの遺文はなぜか、現代の日本語として問題のある句読点です。
3.問題ないと思われる遺文。
3-1.日蓮宗の各遺文集と同じく、述語ごとに句点(。)がある。
五大部
立正安国論(一五四)
開目抄(四一三)
観心本尊抄(五二七)
撰時抄(七一七)
報恩抄(八八八)
五大部のみ、句読点を直したと思われる聖教文庫版で掲載し、それらを編年体に使ったと思われます。
編年体の凡例に聖教文庫のことが書かれています。
聖教文庫版の五大部は未確認です。
句読点の編集方針が不一致する書籍は他にないのではないでしょうか?
4.まとめ
創価学会員は白黒二極論な人が多いです。
編年体五大部の句読点を肯定すると、御書全集と編年体の句読点の大半を否定することになります。
日蓮宗遺文集の句読点を肯定し、正宗の法主だった堀日亨や戸田城聖を否定し師敵対となります。
編年体の五大部の句読点を否定し御書全集の句読点を肯定すると、日本語や日興上人の否定になります。
農民や庶民のため、漢字仮名交じり文によってわかりやすい文章を肯定したのが日興といわれています。それをバカにしたのが五老僧だと私は創価学会から習いました。
マインドコントロールって怖いものです。学会内部でこうした異常な遺文の内容にほとんど誰も気がつかなかったのでしょう。
以上
'170314 追記修正
'170326 修正
十代部
↓
十大部
もくじのリンク名は正しかったのですが、もくじのリンク先も記事も異なっていました。
大変失礼しました。
編年体(昭和四十九年六月一日 5刷)のナゾ
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2.編年体の問題点
2-1.句読点が御書全集と同じで段落毎に句点(。)がある。
2-1.述語の終わりには読点(、)または句点(。)となっている。
しかし、述語の終わりに読点(、)も句点(。)も無く、次の文章につながっている場合あり。
御書全集と同じく、編集上の不統一が存在。
十大部から五大部を除いた遺文。
唱法華題目抄(一三八)
法華取要抄(六〇七)
四信五品抄(九六七)
下山御消息(九九二)
本尊問答抄(一一四九)
十大部から五大部を除いた上記の5つの遺文はなぜか、現代の日本語として問題のある句読点です。
3.問題ないと思われる遺文。
3-1.日蓮宗の各遺文集と同じく、述語ごとに句点(。)がある。
五大部
立正安国論(一五四)
開目抄(四一三)
観心本尊抄(五二七)
撰時抄(七一七)
報恩抄(八八八)
五大部のみ、句読点を直したと思われる聖教文庫版で掲載し、それらを編年体に使ったと思われます。
編年体の凡例に聖教文庫のことが書かれています。
聖教文庫版の五大部は未確認です。
句読点の編集方針が不一致する書籍は他にないのではないでしょうか?
4.まとめ
創価学会員は白黒二極論な人が多いです。
編年体五大部の句読点を肯定すると、御書全集と編年体の句読点の大半を否定することになります。
日蓮宗遺文集の句読点を肯定し、正宗の法主だった堀日亨や戸田城聖を否定し師敵対となります。
編年体の五大部の句読点を否定し御書全集の句読点を肯定すると、日本語や日興上人の否定になります。
農民や庶民のため、漢字仮名交じり文によってわかりやすい文章を肯定したのが日興といわれています。それをバカにしたのが五老僧だと私は創価学会から習いました。
マインドコントロールって怖いものです。学会内部でこうした異常な遺文の内容にほとんど誰も気がつかなかったのでしょう。
以上
'170314 追記修正
'170326 修正
十代部
↓
十大部