創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

42.政教分離と世界の政治状況についてご存じ有りませんか?

2006年02月18日 16時40分22秒 | 創価学会
創価と公明党と竹入氏(言論問題) ここでたくさんのコメントを頂きまして有難う御座います。世界中の宗教と政治の関わりについて論じたいです。

多分この記事は一日とかで完成しないので、ここは議論の場か情報収集の場にして他にHPを持つこともあるかもしれません。

キリスト教関連やヨーロッパについては http://ja.wikipedia.org/ から、政教分離で検索すると「政教分離の態様」が出てきます。ところがアジアの仏教と政治では記述や項目がありません。

Open Directory Project[ja] ここに Top: World: Japanese: 社会: 宗教・精神世界: 仏教 と辿っていくと仏教関連のリンクが山ほど有ります。宗教政党の数や割合を世界や国で見たいですね。あとは法律や状況ですが、ブログは記述は無理なのでHPで表にしないと駄目ですね。まだ方針や調査内容についてなにも決めていませんが、少しずつ調べようかと思います。

どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、どんな情報でも結構ですので教えて下さい。アンチの視点でも創価の視点でもどちらでもOKです。ま、学会の人はここでのやりとりを見て、nanaさんといい他の人といい、もう来ないでしょうけどね。(笑)
コメント (14)
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41.創価学会に感じる違和感

2006年02月18日 06時28分56秒 | 創価学会
 最近、イラク人質事件で今井紀明氏がHPに批判中傷の手紙やメールをHPに公開して、ブログ上で多くの人たちから批判されていますね。彼本人は「向き合いの中から生まれるもの、それは対話。」というHPを立ち上げたにもかかわらず、ほとんどなんの信念も無しで批判中傷の手紙やメールをHPに公開して、また更になんの信念も無しで、更新停止、更新再開などとしている。(笑)最近になってやっと自分の気持ちや置かれた状況、今後の行動を説明している様ですけどね。

 彼のブログから彼の言葉をそのままここに書くと、善意でイラクに行ったにもかかわらず、(自作自演ではなく)人質となり、またイラクでは人質の意識がなく、金銭取引の有無も判らずに解放。帰ってきてから事の重大さに気が付いたようだ。信念も無しで批判中傷の手紙やメールをHPに公開するあたり、更新停止、更新再開など何しろとんちんかんな行動が多いので、今でも判ってないかもしれない。

 彼の行動がいかに重大だったのかは、イラクで亡くなった香田証生さんの一件でわかってもらえるだろうか?判らない人は検索して欲しい。つまり、今井氏は助かったが香田さんは助からなかった。
 今井氏の事件は共産系赤軍ゲリラとイラク人テロ組織の自作自演でかつ身代金目的か、あるいはイラク人テロ組織だけの身代金目的だけだったのかもしれないが、結果として今井氏らは助かったことは良かったと思う。だがしかし、登山や太平洋横断などの冒険と同じく自己責任であり、3人の目算が甘かったのは言うまでもないし、今後は軽はずみな事はして欲しくないですね。なのにHPでの手紙公開が腹が立つ。もちろん法律を無視しろ!とまでは言わなくとも、出来うる限り、国の反体制組織や人間でも、日本人が拉致監禁されれば可能な限りは、冒険と同等の範囲で助けるべきでしょう。

 彼の人柄や行動をみていると、子供すぎる、というのが私の印象。戦争反対や劣化ウラン弾の絵本を書く、など反戦やかわいそうな子供達のため、、このあたりは私も自衛隊撤退賛成、戦争反対な人間なので同意出来るが、今の彼にはそのような行動は何も感じられないのが、驚きでもあり怒りも覚えるし、本当に無神経というか反省がない。批判中傷の手紙やメールをHPに公開している場合じゃないでしょう。お詫びと自身の哲学を知ってもらう為に講演するとか本を出すとかして、謝罪と本当に人の役に立つ事をすべきだと思う。

 また、最近、堀江貴文氏の逮捕事件も記憶に新しい。彼の哲学はお金が得られれば何をしても、法律の網をくぐり抜けても何をしてもかまわない、というのが、持論のようですね。何しろ自殺してしまった同僚がいるのに、今日'06.02.17に至ってもほとんど反省していません。部下がやったので俺は悪くない、法律上問題ない、知らなかった、というスタンスなのでしょう。

 そしてここからが本題、創価学会と宗門問題が始まってから、10年以上経ちます。当初、宗門問題が起こった際に、登山方式がそれまでと変わって添書登山になりました。創価学会員は学会を辞めて寺に所属して登山が出来る、というものです。当然、ほとんどの学会員は宗門に着く事はなく、現在に至る訳で、今でも学会員は登山出来ません。
 創価学会員は富士大石寺に行く際に大富士開発という会社のバスに乗って登山に行っていました。日蓮正宗の9割以上を占めている?学会員が登山出来なくなるんですから、バス会社にとっては死活問題です。バス会社の副社長が自殺してしまうという不幸な結果になってしまいました。
下記のURLにあります。
http://www.geocities.jp/fboy_hp/kako2004_02_4.htm 2004.02_4
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>日顕宗の登山の一方的な運営方法の変更によって、長年団体登山を担当してきた大富士開発株式会社は解散に追い込み、多数の社員は解雇され、精神的な危害を蒙った上、代表取締役副社長を自殺させたのは、日顕宗ではないか!
以下、痛憤の「抗議書」を読み、少しは人間の振る舞いとしての責任の重さを思い知れ!
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 宗門問題の事の発端は私が聖教新聞を読んだ限りではほとんど宗門側が悪いとしか思えません。お尋ね文書が最初だったと思いますが、学会側に論破されています。
 このブログを始めてからも私に日蓮正宗の人がHPへのリンクをはって誘ってきました。その人の個人のHPというよりも勧誘出来るようになっていました。妙観講など、学会員を狙うか、元会員を狙って折伏しています。もちろん学会側も脱講運動していますし、専門の組織があります。妙観講などは何故か外部の一般人よりも学会を狙う傾向がある(?)

 法律に触れなければ、正しければ、結果を考えないで、何をしても良いのでしょうかね?今井氏や堀江氏に感じる違和感と同じものを、創価学会、日蓮正宗や妙観講に感じます。

 今井氏も香田さんの死に直接関係有る訳ではありません。しかし今井氏の行動はそれくらい重大事です。今もね。堀江氏なんかはかなり責任があるでしょう。どちらも法律ではかなりグレーですね。では宗門問題ではどうなんでしょうか?仏法では法律と仏法を比較すると、国の法律よりも仏法の法則のほうが絶対的であり正しいものだ、としています。

 宗門や学会のその後の行動は未だに変化がありません。宗門がほとんど悪いとは思いますが。一般の創価学会員さんに自殺したバス会社の人の責任があるとは思いませんが、創価学会(本部)も被害者だから学会は悪くない、、、。どちらも自分たちのしていること判ってるんですかね?説得出来ない責任はないのでしょうか?
 つまり富士大石寺の大御本尊は正しいので拝むと功徳がある、といわれて入信したのは私ですが、学会についたこともあって自己責任で(笑)大石寺に行く事は出来ませんでした。先の記事にも書きましたが、学会は繁栄している、学会は凄いですね、、なんて今年の正月に挨拶に来た企業のおべっかを受け取って、さらにそれを新聞記事にして平気な感覚って何なのでしょうか?

 大御本尊を拝みに行けない状況が凄いの?創価学会本部が儲かっていればOK?何時になったら学会員の日顕死ね(笑)とか(日顕退座は事実なので叶ったと言えるのか?(笑)でもほとんど無意味。)叶うんでしょうか?(笑)御祈念文に 一日も早く学会員が大石寺にお参りに行けますように、、なんて御祈念文書いたのは私一人だけだったのかも。(笑)どの会館も池田大作氏、つまり池田先生と奥様の健康と長寿、日顕退座など、そんなのばかりです。もちろん学会のいう「一般家庭に有る御本尊を祈ればそれでよい」というのを信じていました。つまりは学会本部の誰も宗門を説得する気はないって事かもしれません。裁判はしてもね。(笑)

 正しい事は言わないといけないのですが、創価学会や日蓮正宗には違和感を感じます。説得や議論については学会もだらしがないし、情けないのですが、宗門だって絶対におかしいでしょう。で、どちらも日蓮、、と。特に僧侶が説得力を持たないのは笑えます。仏法に格下格上はなく平等なので、法主の言う事を聞け、というよりは教義で言い負かせないのが最大の問題でしょう。言い負かせる事が出来たなら、学会は解散、全員日蓮正宗でとっくに決着が付いているはず。

 先日記事にした、元公明党の竹入氏の創価学会側の批判も学会が正しければ、学会が騙されていれば、人格攻撃でも、何でもかんでも、自分たちの謝罪も無しに批判して良いのでしょうかね?
 創価アンチの人が創価批判をしますが、池田氏をはじめとして学会員に人格攻撃や不幸な姿の批判をされるのは、当然でしょう。お互いに自分たちが正しいと思って批判するんですから。但し、どちら陣営でもその内容が正しいかは別です。

今井氏も「向き合いの中から生まれるもの、それは対話。」とかいいながら、一時的にとはいえ、対話拒否しますし、学会だってそうです。

 私は退会したいと申し出た際に 「最後の希望で気が変わってやりなおすか、あるいは諦めがつくかも」と思い、一度だけでなく2度3度「「副会長にも指導を受けたい」」と都内のある都市の区幹部や様々な幹部に言いましたが、その要望は叶わず、駄目でした。ちなみに理由も教えてもらえません。
 対話が大事とか、一人一人を大事にする、とか創価班で教えられ、望まれるのに、自分が苦しい時には希望する指導も受けられないのです。

 月に一回は必ず、大石寺の大御本尊を拝みに行きなさい、という戸田城聖氏の指導もありました。

 前にも書きましたが、学会指導や方針、勤行など、様々に変わり池田大作氏の評価だって池田氏の死後、もしかすると良くも悪くも変わるかもしれません。勤行という宗教行為が変わるのですから人の評価ぐらいはいくらでも変わるでしょう。

 竹入氏の記事を書き終わって、今井氏や堀江氏の事を知って彼らに感じる違和感、ということで記事にしてみました。
いじょ。
創価学会とみなさんのやりとりの中でもきっと ああいえばこう言う、ああ言ったのに今はこう、なんて無数にあるでしょう。あいまいな違和感をどうぞ。↓
コメント
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