創価学会の信仰に功徳はあるか?

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池田大作の対談の実際について

2015年09月29日 23時50分54秒 | 創価学会
●池田大作の対談

 先の記事にガルトゥング博士の公開書簡について書きました。池田大作の識者といわれる相手との対談は相手との直接の会話が収録されている、という誤解がありますが、実は違います。

一時間~二時間ほど直接対話して後は往復書簡のやりとり。おそらくは池田氏本人ではなく、本部幹部が往復書簡のやりとりをしているのでしょう。要は手紙のやりとりなわけですから、手紙のひとまとめの文章を対談形式に細かく会話を分割しているようです。

私の手元に証拠はありませんが、そういう話です。

間接的な証拠で聖教新聞や聖教文庫の内容で、かなり致命的だと思われるのは、「場所、日時と対談時間が書かれてない」ことです。

'90年代なかば、とある外国人と池田氏の対談があってそれなりの第一人者が騙されていて驚いています。
アンチになってからその人には興味を持ったのですが、学会から対談集が出ているとは知りませんでした。学会員時代、聖教新聞などで宣伝を絶対目にしているはずなんですけどね。

私のたどたどしい英語が通じるのであれば、この人物とやりとりしてみたいです。

●今後

 池田大作の死後、対談相手へのインタビューや証言でこうした学会の嘘はばれるんじゃないでしょうか?

外人であればあるほど、殺すことも口止めも出来ないでしょうし、どの対談相手も池田大作を有能な人間として誤解していたわけですから、学会の嘘や対談者の過ちが明らかになるでしょう。

対談相手の名誉回復の為にも学会本部と池田氏とどういうやり取りをしていたのかは、明らかになったほうが良いと私は思います。

池田氏、池田家、学会本部はどう責任を取るんでしょう?
都合の悪いことには黙ってしまう大石寺と同じですね。

以上

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