創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

203.考え方が変わる事は裏切りか?退転か?地獄行きか?(その1)

2007年07月07日 00時19分53秒 | 創価学会
●学会の家庭の中で。。。。

「ウチの嫁は選挙活動しない。」「ウチの嫁は新聞啓蒙しない。」
「退会なんてとんでもない。」「退会者は地獄行き!」
「池田先生を裏切った!裏切り者!」
「学会を裏切った!裏切り者!」
「公明を裏切った!裏切り者!」
創価学会の組織信仰をしないか、学会批判するかあるいは退会すると裏切り者扱いですね。要は

「考え方が変わる、変わったこと」

を学会側は非難、誹謗中傷しているわけですね。心情的な信仰の自由がないわけです。

●仏教史が適切にまとまっているBBSコメント

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富士門流信徒の掲示板 素朴な疑問 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/3320-3344より。

富士門流信徒の掲示板 素朴な疑問 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/3344

3344 名前:犀角独歩 投稿日: 2007/06/10(日) 08:05:59
(中略)
"日蓮の時代は末法ではありませんでした。末法を説いた『大集経』は後世の創作でした。なにより、法華経は西暦前100年から後150年に創られたものであり、釈迦の直説ではありませんでした。漢訳された法華経、すなわち『妙法蓮華経』は恣意的訳が多く、原意から乖離している部分がありました。その漢訳を元に構成された天台(実際は章安の述)の釈でした。その天台の釈をさらに説明した妙楽には飛躍があります。これら釈は妙法蓮華経という漢字5文字に基づく構成です。梵語原典とは距離があります。さらにそれを踏襲した伝教は、その釈に積極的に「本尊」語を適用していきます。日本仏教の特徴、本地垂迹説、神仏習合があり、その様相は原意からさらにかけ離れていきました。日蓮は本覚の影響も、本地垂迹の影響を受容し、さらに本尊義、漫荼羅(密教)の影響も受けて、独自の法華観を展開します。日蓮の没後、日興は漫荼羅を本尊と定着させ、日蓮の仏像崇拝を撤廃、さらに日有に前後し、日隆の影響を受けました。日蓮本尊論の展開がありました。中世に恵心流口伝法門、また、日教が招来した京都の影響を受けました日蓮本尊は日蓮本仏へと変容しました。財力にものを言わせ、文献収拾した日精は本門戒壇堂(御影堂)を建立し、この頃より、「本門戒壇の大御本尊」が看板になります。この文献収拾(つまり相伝、口伝の寄せ集め)を大成したのが日寛であり、さらに日蓮本仏と捏造された「戒壇本尊」を一体のものとする珍解釈を以てこれを鼓舞しました。"
(中略)
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以前のコメントで誰か(釈bookさん?だっけ?)が、経文名が不明のまま末法自体が後世の創作だと教えてくれましたが『大集経』が後世の創作だったんですね。仏説ではなかったわけですね。
しかし1人がやったことではなく仏教史上、多くの人が関わってきたとはいえ、すごい変わりようですね。

日蓮自身も天台宗に学んでいながら独自の自説を主張していますね。天台宗とは違っています。
日蓮も「考え方が変わった、あるいは変えた、」のです。釈迦はこう言いたかったに違いない、、というかなり善意解釈したと思います。日蓮にMCしようなどという創価学会のようなMC的な悪意は極めて少なかったと思います。(ややカルト的、カルトっぽく法華経や釈迦信仰をしたと思いますけどね。)

○リンク記事。

リンクばかりになってしまいますが。

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----NOTHING TO YOU----如来蔵思想は仏教ではない(松本史朗)
>かくして、仏教の呪術化、ヒンドゥー教化が進められ、その最後に行き着いた先が、七世紀における『大日経』『金剛頂経』の編纂によって端的に示される純粋な密教、所謂“純密”の成立だったのである。
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さるさる日記 - 創価学会に悩むすべての人へ

■2007/06/18 (月) 日蓮仏法は密教の盗用(1)
■2007/06/18 (月) 日蓮仏法は密教の盗用(2)

チョンガーさんの解釈や意見と仏教界における解釈、論説の違いがはっきりしないところもありますが、18日、19日、22日の記事はものすごく参考になりますね。

2007/06/22 (金) 浄土思想について(1)には創価学会の法華経解釈の間違いを指摘していますね。
池田大作氏自ら下記のように言っているのにまたも矛盾し、「創価の嘘、MC(マインドコントロール)、ダブルスタンダードがあるわけです。」
創価学会に悩むすべての人へ 創価学会側の苦しい言い訳

池田氏本人はもちろんのこと学会本部にも”経文解釈を勝手に変えたり、間違えても訂正せず、なおかつ人を騙し、さらに時間をお金を搾取している”これらの責任はあると思います。

宗教教義は変わって良いのか?
上記にも書いてきたとおり創価の教義は創価学会(特に学会本部)に都合が良いように変わっていくことを書きました。

参考までに
私の宗派? 教えて!
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●創価学会は変わることを全く認めないか、あるいは認めているか?どちらか?

 しかしよく考えると、特に創価学会の自己正当化に使われている五時八経なんかは釈迦と弟子達が一生の中で ”教えが変わっていったこと” を示す物です。弟子達に合わせて説いたとはいえ釈迦自身も一生の間に考え方を変えている事が創価学会の教義の前提なのです。日蓮自身も最初は法華経と題目だけだったのに晩年に密教的ともいえる本尊を顕しています。
 但し私自身が考える釈迦や日蓮は(カルト的でない)宗教的な善意解釈、結果オーライ主義、ケースバイケースだったのではないか?と思います。特に釈迦はそう感じます。経文や本尊などによりカルト的だったのが日蓮ということでしょうか?


変わることを池田氏も末端の学会員もある程度、、、、というより”「自分たちの都合の良い」範囲で認めている”わけです。


よく創価学会では、
「良く変わるか?悪く変わるか?それが大事だ。創価の信仰、学会活動をすることで、より良く変わるのだ!」
という指導がありますが、嘘やごまかしだらけの池田大作氏、創価学会(日蓮正宗も)のご都合主義には呆れますね。
上記の通り、解釈を変えるか、酷い時には「嘘」をついてMCして学会活動、組織信仰をさせるわけです。

●教義が変わること自体は宗教団体の自由。

特に宗教団体の教義が変わることはそれ自体は自由でしょう。但し、誠実、不誠実はあるでしょうね。
教義が変わって嫌になったらやめればいいし、

「人を救うはずの誠実であるべき宗教」
「出来るだけ嘘や間違いを言うべきでない宗教団体」
「間違えたら謝る。誠実であるべき。」

のが当然です。出来なければ不誠実な宗教団体、あるいは宗教者でしょうね。
宗教団体の教義が変わることだけなら私も特にブログ立ち上げや学会批判はしません。

問題は創価退会する事に「退会者は地獄行き!」などへの罵倒があるからです。

●矛盾

 ここで私の矛盾が出てきます。

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創価学会の信仰に功徳はあるか? 師匠達との対話。その5

根本的な仏教思想の一つに物事のすべては 無常、つまり変化(無常、無我、無自性、空) ということでしたね。
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”仏教思想の一つに物事のすべては 無常、つまり変化(無常、無我、無自性、空) ということ。全ては変わりゆくこと”

なのですから、創価学会の教義も変わって良いことになります。しかし本当にそうでしょうか?何かがおかしいですよね。
創価学会自体の教義、つまりは ”幸福への方法” が「変わっている」のですから、個人の幸福を得る方法自体が変わっているのです。
宗門問題前後で大御本尊に祈ることは必須だったのが、不要に「変わって」います。池田氏とその弟子達の都合なわけです。(宗門の都合も(笑))
なのに、先に書いたとおり、

「退会なんてとんでもない。」「退会者は地獄行き!」
「池田先生を裏切った!裏切り者!」
「学会を裏切った!裏切り者!」
「公明を裏切った!裏切り者!」

なわけです。(あの人は邪宗の人!だとかあの宗教は邪宗、外道!だとかの発言も問題を感じます。)


絶対だの、正義だの、裏切り者だの、地獄行きだの宗教として問題発言をしながら創価学会はご都合主義で大御本尊、正宗、法主、教義などの取り扱い、家庭配布本尊、法華経の取り扱い、、、などなど「変わっている」のに、末端の信徒は創価信仰、池田信仰、財務、選挙、学会活動においては「変わってはいけない!?」のです。矛盾しているのは創価です。


池田氏は過去において法華経を誹謗しています。「池田 法華経 役に立たない」で検索してみて下さい。ところが今は池田大作様々の「法華経の智慧」二一世紀の宗教を語る、、、んだそうです。。。。。騙るの間違いでしょう。
つまり創価の教えは池田氏だけを信じる池田教、創価だけを信じる創価教、、もっというと時間とお金の搾取の手段でしかないでしょう。


●まとめ

創価学会は賛成してくれるか、入信しようとする人は「立派」「すごい」とかいって褒めまくります。
創価学会は正義!創価は絶対!この信心は絶対!「池田先生はすごい!」とも言いますね。ところが、上記の通り

創価学会の教義は ”くるくる変わっていて破綻” しています。

残念ながら日蓮もある程度は破綻、、、、、です。ですから読んでいるあなたも創価学会に対して気持ちや非活動や退会など態度を変えて良いと思います。

「ウチの嫁は選挙活動しない。」「ウチの嫁は新聞啓蒙しない。」
「退会なんてとんでもない。」
これらの意味不明な点を改めて欲しいですね。

「退会者は地獄行き!」「不幸になる!」「罰が当たる!」
こうした ”創価を離れると不幸になる!” という恐怖や

「池田先生を裏切った!裏切り者!」
「学会を裏切った!裏切り者!」
「公明を裏切った!裏切り者!」
こうした ”創価(公明)を離れた裏切者!” という怒りを

毎日のように聖教新聞上で書いている以上は一般の人やアンチ創価の人から問題視されるでしょう。
創価学会の組織信仰をしないか、学会批判するかあるいは退会すると裏切り者扱いですね。
カルト団体、カルト思考にぴったりあてはまりますね。

正宗、創価のトップが教義変更のお詫び。大御本尊の真贋の説明。和解できないことのお詫び。
退会者、批判者などに罵倒誹謗のお詫び。当然、罵倒誹謗はやめるべきでしょう。
宗教者らしく説得や法論したらいい。こうしたことが出来なければ、、、、、、、、、


創価は日蓮と違うことを言っていますから「創価学会員が釈迦や日蓮を裏切っている」と思います。


あ、いやいや創価も正宗もどっちも宗教じゃなくてカルトだもんな。裏切るのは当たり前?
「宗教者らしく説得、法論」なんて出来るわけもなく無理でしょうね。

教義だけでなく、「人を救うはずの誠実であるべき宗教」なのですが、「人を救うはずの気持ち」まで創価都合で敵味方を分けて変えてしまう。
だから学会員は(退会者も)信用を無くしています。だから一般の人やアンチ創価の人(退会者も)は怒るわけです。
退会したら地獄行き、というのを最初から教えて折伏して欲しいですね。

反戦、反核、平和、福祉、こうした路線を変えたのは創価公明でしたね。

釈迦や日蓮の人を救う気持ちや情熱が後代の人々に継承され、人を救う気持ちや情熱が永遠であるべきか、あるいは、普遍、「変わらない事であるべき」なのでしょう。何を変えては駄目なのか?何を変えても良いのか?ということを創価学会員はゴチャゴチャにするから気をつけましょうね。
議論の仕方と同じにゴチャゴチャにするから気をつけましょう。

●カルトの定義

「退会なんてとんでもない。」「退会者は地獄行き!」
「池田先生を裏切った!裏切り者!」
「学会を裏切った!裏切り者!」
「公明を裏切った!裏切り者!」

なんて言うのはおかしいです。過日の福本潤一氏に対する創価公明や末端の学会員の反応もそうですね。

ある人が幸福のために選択した事(自立したこと)を喜ぶのが宗教であり宗教者でしょう。
ある人が創価から去ってゆくのを選択した事(自立したこと)を喜ぶことが宗教であり宗教者でしょう。

逆はカルトです。

カルトに傷ついたあなたへ -宗教とカルト-
>宗教は問いや自立した批判的な考え方を許し、また奨励しもする。
>カルトは問いや自立した批判的な思考をさせない。

仏教の根本的な教えは 無常です。変わることが前提です。
カルトである創価の教えは末端の信徒は「変わってはいけない!?」のです。


絶対だの、正義だの、裏切り者だの、地獄行きだの宗教として問題発言をしながら創価学会はご都合主義で教義などが「変わっている」のに、末端の信徒は創価固有の教え、精神、考え方は「変わってはいけない!?」のです。


何々でないと幸福になれない、という「創価学会員でないと幸福になれない」「退会者は地獄行き!」「学会を裏切った!裏切り者!」という正宗、創価のカルト教団を改めて否定します。あなたの気持ちは”仏教の無常の教え”からしても将来的に変わってしまうかもしれません。なのに創価なんかに入信したりしてはいけません。
( 信じさせる、手段、方法、テクニック(怒りや恐怖)などが、聖教新聞や池田氏発言となって出てきます。これらが心理操作、MCです。学会本部が意図的にMCするだけでなく、 ”嘘の教義を教えている” ことも過去記事の通り問題です。矛盾しません。MCなわけです。創価の嘘教義を教えると言う伝言ゲームが始まるわけです。 )
一定の法、普遍的な法ではなく、創価や正宗に属することが条件の幸福ってなんなのですかね?

以上。
コメント (2)
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