甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

大東文化大学陸上競技部今昔物語7

2016-04-28 06:33:54 | 陸上競技のこと
追伸
怒られたこともあれば、殴られたこともある。決して面白いことばかりではなかったはずなのだが、何故だか?面白かったこと、楽しかったことしか思い出せない。
高倉建や菅原文太、やくざ映画が好きだった神山。絶対音感の持ち主なのに歌を唄わせたら、高音が出なくなり音痴になる中野。立石、新原、加藤の三○○大将。400mを走らせて60秒掛かるのに800mを2分00秒で走る森岡(現ノーリツ監督)。練習しなくても強い山元。練習よりも雲取山の独荷(ぼっか)のアルバイトに喜んで行った江田。野球はジャイアンツ、相撲は同郷高知出身の荒勢が負けると機嫌が悪くなり、後輩いびり?をする加用さん。酒を飲む時は目が細くなって本当に嬉しそうに飲む後藤さん。寮にいる間は運転免許の取得禁止だったが、「監督には内緒だぞ」と言って主将自ら自動車学校に行っていた森田さん。窓に目張りをして踊っていた岩元さん。いつも故障していた佐野さん、右手で眼鏡を少し上げてヒクヒクヒクと笑う法村さん。誕生会では、酔うといつも「やっしょ(八代)よいとこ、それゆえに~♪♪」と唄っていた森下さん。米盛さんからは「俺の洗濯物しておいてくれ」洗濯はしたものの、お陰で体中が痒くなってしまった、ノミ?あれはなんだったのだろうか?・・・さだまさしが好きな、長崎出身の寺坂さんは15年前に心筋梗塞で8分間心肺停止、死地を彷徨っている時、「箱根は、よかですねえ・・・」と、うわ言を言いながら見事生還。箱根駅伝に命を救われた。
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