甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

一族の、見えぬ絆を、引き寄せる、祖母が残せし、古い手紙に。

2017-05-27 19:41:32 | Weblog
 121年振りの墓参り
 明治29年(1896年)、121年前、本家の分家、屋号十家(じっけ)笹原浪造、所輔兄弟、其の従兄弟の、笹原為助、都美平兄弟4家族?は、開拓者として北海道十勝国中川郡(池田町、幕別町他)に入植した。(墓標・家系図から抜粋) 
明治19年には、函館、札幌、根室の3県が置かれていたが、県は廃止され北海道庁が設置、移住民等の入植適地を調査する植民地選定事業、囚人道路(当時の政治犯等で服役していた人たちが建設した道路)等のインフラを整備、結果、翌20年以降、北海道の開拓は急速に進んだ。(日本大百科全書から抜粋)
そんな開拓史の中でも早い時期に分家の4家族は、開拓者として北海道に渡った。原野を切り開く。当時は重機などあるはずもなく・・・鋸、鉈、鍬、ツルハシ、スコップ等・・・冬になればマイナス20℃、30℃、一体どんな苦労をされたのだろうか?想像もつかない。
14日、日曜日、為助さんの孫の猛司さん御一家(猛司さん夫婦、長男の富平さん夫婦、孫の長男惠太君、長女友恵さんの6人)が、121年振り?先祖のお墓参りに来られた。
孫の次男恵介君が広島工業大学卒業後、そのまま広島で就職。広島生まれの広島育ちのお嬢さんとの結婚式に一家で広島へ。昨年の12月、電話でこの話を聞いた時、思わず出た言葉。「皆さんで、広島に来られるのなら、是非、先祖のお墓参りに来てください。ご先祖様が喜ばれますよ。」
お袋はこの日を、本当に楽しみにしていた。20数年前、親父とお袋、親父の兄の伯父夫婦が、本家に届いていた葉書の住所を頼りに、上川郡清水町の笹原しずえさん(猛司さんの母)、中川郡幕別町の笹原瑞子さん(猛司さんの双いとこ)を突然訪ねて行ったことからお付き合いが始まった。顔も知らない、話をしたこともない、初めて会う北海道の笹原さんに「岡山の笹原です」と挨拶した瞬間に同じ一族というだけで打ち解けた親近感が湧いたという。それ以来、お袋は、岡山で採れる季節のものを送る。同じように北海道から送られて来る。お陰で、毎年、美味しい北海道をいただいている。
14日、笹原さんご一家をお迎えした。初めてお会いする北海道の笹原さん。「北海道の笹原です」お会いした瞬間に打ち解けたような、「他人じゃない」という感覚だった。何代前の分家なのかははっきりと分からないのだが、笹原という一族の見えない絆を感じた。
 本家に行って、仏壇に線香を上げてもらう。十家があった場所を伝える。菩提寺の成福寺では本堂で住職が分かる限りの家系図を用意して、お勤めまでしてくださった。先祖の墓へ。十家の墓に、これだけたくさんの人がお参りしたことがあっただろうか?これだけたくさんのお花が供えられたのは121年ぶりなのではないかと思った。十家のご先祖様はどんなに喜んだことだろうか。
 その後、本家を交え皆で会食をした。その時、訪ねてみた。「多分、100年以上振りの墓参りになるのではないかと思うのですが、先祖が生まれ育ったこの地に来るということは、どんな気持ちですか?」北海道の笹原さんは「当時、先祖がここを出て行った時のことを思うと、どんな気持ちで出て行ったのか・・・感慨深いものがあります。」と答えられた。
121年前、この芳井の地から、遠い北海道に出て行かれた。今でこそ飛行機に乗れば2時間もかからずに北海道へ行ける。清水町までなら芳井から、6時間も有れば行くことが出来るだろう。明治29年、4人の開拓者は何日かけて北海道までたどり着いたのだろうか?そんな一族の笹原猛司さん一家を迎えることが出来て、感慨深いものがあった。無事お迎えすることができたことは、本当に幸せな出来事だった。
               2017年5月26日    笹原 真二
 追伸Ⅰ
24日、13日に結婚した恵介君が花嫁を連れてお墓参りに来てくれた。結婚を機に広島の会社を退職し、北海道に帰って農業を継ぐ。墓参りを終えたら、北海道まで車で10日ほどかけて帰るという。14日と同じように、本家に行って仏壇へ線香を上げてもらう。成福寺の境内にあるお墓に行って線香とお花を上げた。
境内の中にある。福来い観音、嫁来い地蔵・婿来い地蔵は、親父とお袋が寄進したものだ。北海道の笹原家には広島から嫁が来た。岡山の笹原家には北海道からの墓参り・・・北海道から福が来た。
追伸Ⅱ
お袋が嫁いで来た翌日に、亡くなった本家の祖母が、そして伯母が、北海道からの古い古い手紙、葉書を、さらには北海道から東京に出て行かれた笹原一族の古い古い手紙、葉書を大切に保管していた。それが頼りだった。破棄していても不思議ではない手紙、葉書を元に、親父夫婦と伯父夫婦が会ったことも話したこともない北海道の一族を訪ねて行った。
今の時代は、電話、インターネットのメール等・・・改めて葉書、手紙、アナログの価値を教えられたような・・・写真でしか知らないおばあさんが教えてくれた。
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