甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

被災地へ行ってきました。 被災地日記 1

2011-05-15 08:55:32 | ツーリング
   東日本大震災を訪ねて(困っている人がいたら助ける)
 4月中旬、名古屋の江場さんから被災地への旅に誘われた。がれき撤去が始まり、動き始めたばかりの被災地に自分なんかが入ってよいのか?被災地を見て自分はそれをどのように受け止めることが出来るのか?怖いような不安もあった、また逆に今の被災地をこの目で見ておきたいという気持ちもあった、少し迷ったが一緒に行くことにした。
26日、江場さんとは東京駅で待ち合わせ、7時36分発、やまびこ125号に乗り込む。しばらく行くと、家々の屋根の上にはブルーシートが載っている。北に向かって広がる穀倉地帯の家々の屋根にも・・・この1年ではとても直しきれないだろうと思いながら車窓からの景色を眺めた。
 仙台で、群馬の佐藤さんと合流。レンタカーで被災地に入る。ひっくり返った家が、ペシャンコになった車が当たり前のようにある。潮の澱んだ匂いが漂っている。
江場さんの友人タヘルさん(名古屋在住のパキスタン人)が炊き出しをしている石巻湊小学校へ入る。タヘルさんたちは3月12日に仙台に入り翌13日から、毎日、ここで昼食のパキスタン風カレーを炊き出ししている。
すべての教室は避難所になっていて、校庭には自衛隊が設営したお風呂がある。となりのお寺の墓地には、墓標の上に車が何台も載っていた。意外にお墓が倒れていないことが不思議だった。もちろん倒れた墓標もあるのだが・・・
 パキスタン人のタへルさんたちが炊き出しをしている。日本人の自分が何もせず、お客さんでいることに違和感を憶えながら・・・タへルさんは「困っている時は宗教も国も関係ない。困っている人がいたら助ける。それが人間じゃないか、それが我々の神様の教えだ」(タへルさんたちはイスラム教)
タへルさんたちの活動に参加しているボランティアの学生も、自衛隊の隊員も、被災している人たちも、みんな溶け込んでいるように感じた。前に向かって動いていた。
石巻から女川へ、どこの現場も悲惨な状況。がれきはずいぶん整理されているものの、取り壊すかどうか迷っている半壊の家、船が屋根の上に載っている建物もある。そんな中、がれきを撤去している自衛隊の重機が。そのがれきを、運んでいる民間の大型ダンプが行き交っている。
国道398号線を北上、北上川の河口(石巻市北上町)に出る。河口の橋は落ち、仕方なく北上川を川沿いに遡る。すでに夕刻。近くの旅館、ホテルは震災の影響はしていない。20km以上橋って登米市まで行くものの、やっと見つけた旅館は震災で壊れたのか「危険建物」と表示がされていた。
そこへ救いの女神が現れた、「この近くに、旅館かホテルかありませんか?」と尋ねると「うちの近くにあるよ。案内してあげる」と言って近くの旅館に連れて行ってくれた。旅館は満室、すると彼女は携帯電話を取り出して「お父さん、今夜、泊まるところが無くて困っている人がいるの、男の人3人、10分前に知り合った。悪そうな人じゃないみたいだから、うちに泊めてあげて!いいでしょ!」と電話している。「お父さんから、OKもらったから大丈夫。」と彼女の家にお邪魔することになった。
彼女は韓国人で濁音がうまく発音できない。「これも縁だから、ご先祖様があなた達に会わせてくれた」と言って・・・家に着くと、一人息子のよしたか君(小学校4年生)が歓迎してくれた。ご主人は会社員、彼女は家で「ニューコリア」という韓国家庭料理のお店を開いている。
我々が「被災地を訪ねている旅だ」ということを話すと、「この前、商工会で、志津川へ炊き出しに行ってきた。みんな泣いて喜んでくれたよ。本当にひどいことになっている、うちのお客さんにも被災した人がいる」と話してくれた。
夕食は塩味の豆腐チゲ、温かくて本当に美味しかった。夕食を終えたころ、ご主人が帰ってきた、恐縮して挨拶すると、ご主人は「どぶろく、あるけど一杯やりますか?」江場さんが「いただきます」と。それで酒宴が始まった。
「私たちはバツイチ同士で・・・うちの女房はいつも先に決めてから事後承諾。判子押してから契約書を見せにくる」「困っている人がいたら、助けるのが人間でしょ!」「韓国から、放射能が危ないから帰って来い。と電話が入ったんですよ。だから、子供連れて帰れと言ったんです」とご主人「国を捨ててきたんだから、帰るところなんかないよ。及川けいすけに会う為に日本へ来たんだから、死ぬまで一緒だよ」と、おのろけも。
被災地を訪ねる旅の初日、小さな韓国家庭料理の店を一人で切り盛りしている及川あやさんと、その家族に出会えたことに、改めて我々の「運の強さ」を感じた。
    2011年5月1日              笹原 真二
 追伸
「困っている人がいたら助ける」石巻湊小学校で炊き出しをしているタへルさん、登米市の及川あやさんから、同じ日に、同じ言葉を聞いた。さらに、及川さんは話の中で「悪い人は、韓国人にも、日本人にもいるよ。良い人も、日本人にも韓国人にもいっぱいいるよ」と単純明快。この単純明快さが、即行動へとつながっている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一月、空いてしまいました。 | トップ | 被災地日記 2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ツーリング」カテゴリの最新記事