甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

2月のマンスリー 1ページの音読

2016-02-27 08:28:23 | Weblog
1ページの音読
 月刊誌、致知を読むようになって16年になるだろうか?その致知出版から出されている「仮名論語」伊與田寛著を1月の初めに購入した。なぜ購入したかと言えば、仮名がふってあり自分でも読めるかも?と単純に思ったからだ。
 300ページを超える本だが、大きな字で書いてあり、思ったより早く読める?しかし、それは浅はかだった。仮名がふってあっても全く読めない。当初は1日10ページを目標に黙読していたが、それでは全く入ってこない。結果1日、1~2ページの音読に変えた。それでも入っているのかと言えば、?マークが付く。確かに音読の方が良いということは実感している。仕事が終わって帰る前の10~15分くらい、一人事務所で毎日、大きな声で音読しては解説を読む。ということを何度か繰り返し、今癖になりつつあるところだ。出来ない日もあるが、そんな時も出来なかったことに対して囚われることがなくなってきたことが、良い状況だと感じている。
 「学びて時に之を習う、亦悦(またよろこ)ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず亦君子ならずや。」音読を始め、読んでいくうちに改めて書いてあることに共感したり、今までの考え方がいかに浅はかっだったかということを感じ、自己嫌悪に陥ったりもする。
先日も「犀予昼寝(さいよひるい)ぬ。子曰(しのたま)わく朽木(きゅうぼく)は彫るべからず糞土の獎(しょう)は朽(ぬ)るべからず。予に於いてか何ぞ誅(せ)めん。子曰わく、始め吾人(われひと)に於(お)けるや、其の言(ことば)を聴きて其の行(おこない)を信ず。今吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行を観る。予に於いてか是を改む」解説(犀予がだらしなく昼寝をしていた。先師が言われた。「腐った木には彫刻をすることはできない。ぼろぼろの土の垣根に上塗りをしても駄目だ。そんな怠情なお前をどうして責めようか。責めても仕方ないことだ。」先師は又言われた。「今までは、人の言葉を聞いてその人の行いを信じた。だが今は、その人の言葉を聞いても、その行いを見てから信じるようにしよう。お前によって人の見方を変えたからだよ」)という詩を読んだ。自分に言われているようで、自分自身を振り返った時、言葉だけで、行いが伴っているのか?叱るにも値しないのでは?等と内省しながら55ページまで読んできた。前日のおさらいをしながらも、解説を読みながらも、残念ながら読み切れないのが現状だ。
今は、この1ページの音読で、この本を読み上げることだ。おそらく、10月あたりまでかかることだろう。読み終えたらまた一から始める。その次は書き取りを始める。還暦前の手習いは、今、癖になりつつある。「仮名論語」は、自分を戒めるための一冊。これから先20年の愛読書を得ることが出来た。
平成28年2月27日             笹原 真二
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