≪ベルリン②≫
ベルリン市内中心部をざっとバスで回ってから「ペルガモン博物館」に行った。私自身勉強不足で事前の知識が全く無かったので、行って見てベルリンにこんな素晴らしい古代遺跡があったことを初めて知った。
「ペルガモン」は現在のトルコ領、トロイ遺跡の北側に隣接する古代オリエントの都市だった所だという。そこから発掘した紀元前180~160年の「ゼウスの大神殿」は体育館の様な大きい部屋一杯に保存再現されていて、入場者は祭壇の上迄行く事ができる。本当に素晴らしい芸術作品だし、人類の遺産だと思った。
次の部屋には古代バビロニアのネプカドネザル2世時代(紀元前603~562年)の「イシュタル門」などの遺跡が再現保存されていた。門を飾る数々のライオン像は、立体的にリアルに描かれ、2500年以上前に作られたにもかかわらず色も鮮やかさを失っていない事に驚いた。「行列通り」のライオン像も素晴らしかった。
この遺跡がベルリンにある経緯をネットで調べてみると、1864年にカールフーマンらが発見したもので、外交交渉で金を払って買い入れたのだそうだ。その後、1910年から保存のため建物の建設に取り掛かり、1930年に完成した。
しかし第二次大戦中、「大祭壇」は戦利品としてレニングラードに持ち去られたが、1959年に東ドイツに返還されたそうだ。機会があれば再訪して、もう一度じっくり見たい博物館だった。
博物館を出てからバスに乗って「ブランデンブルク門」の見学に行った。
ところが車道がプラカードなどを持った一杯の人で塞がれていてバスが進めない。警察官が警備しているようだった。
私たちはやっとバスから降り、歩道を歩いて門に向かった。ガイドに聞くと、ロマの人達が就職や生活向上を政府に訴えるデモなのだと言う。
「ロマ人」というとエジプトに起源を持つ流浪の民たちで、ヨーロッパの他の国々ではキャンピングカーなどの車中で生活し、スリや子供を使った窃盗等で暮らしている人達だと今まで私は思っていたので、正々堂々と市民権を行使しようとする姿を見たのは初めてだった。しかし彼らの主張は人間として当然だと思った。
ガイドの案内で「ブランデンブルク門」の近くに行った。門は1791年、プロイセン王国の凱旋門として、ギリシャのパルテノン神殿の列柱門を模倣して作られたものだが、上部の古代4頭立て二輪馬車は1806年にナポレオンが戦利品として持ち去った事があるらしい。
ガイドは以前、壁が直ぐ近くにぐるりとあり、門をくぐることができなかったと説明した。壁があった所の道路上に「ここに壁があった」と刻まれていて、その傍に、壁が壊された日、大勢の人々がよじ登った写真が掲示されていた。門は今、統一ドイツのシンボルになっているようだった。
ベルリン市内には見るべき場所が沢山あるのだが、見学コースと時間が限られたツアーではそのごく一部分しか見られない。できればもう一度ベルリンに行きたいと思い始めている。
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こんなに素晴らしい遺跡があるとは・・・。
ペルガモン博物館、ケルン大聖堂、ヴュルツブルグの司教館、ロマンチック街道のローテンブルグやノイシュバンシュタイン城、ルートヴィヒ2世関連建築、フリードリヒ2世のサンスーシ宮・・・惹かれるものが多いです。
ちょっと暗いイメージがあったのですが考えを変えなければなりませんね。
ベルリンは東西冷戦の間の痛みを乗り越えて、大都市として再建されていました。歴史的にも文化的にもとても魅力がある所です。
今回、数度目のドイツ訪問でしたが、新しい魅力を沢山見つけました。
サマンサどら猫さん、こんにちは。
チェコもハンガリーも歴史が残る素敵な国ですから、3月が楽しみですね。