教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

目 次「明治中期教育学史」 (2012年3月時点)

2012年03月30日 21時52分41秒 | 目 次

 長々と整理して参りました本ブログの目次ですが、ひとまず整理したものはこれで最後です。以後、通常運転に戻ります(笑)。

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、2007年1月19日作成(未発表)の拙稿「明治中期における教育学の制度化」を公開しております。論文とするにはもっと手を入れなければなりませんが、基礎研究として自分自身には重要だと考えております。「歴史から教育学とは何か考える」という関心から綴られたレポートと思ってもらえればよいかもしれません。
 他の研究者に少しでも刺激・参考になればと思って、公開しています。

○ 明治中期教育学史について

 明治中期における教育学の制度化 (2011.3.30)

1.明治中期における科学の制度化
(1) 明治中期における学問の制度化 (2011.3.31)
(2) 明治中期における科学教育・研究の制度化 (2011.4.1)

2.人文・社会系諸学の制度化
(1) 明治中期における人文・社会系諸学の制度化 (2011.4.2)
(2) 明治中期における歴史学の制度化と「日本」 (2011.4.4)
(3) 明治中期における社会学の制度化(組織化) (2011.4.5)

3.明治中期における教育学の制度化
(1) 明治中期における教育学説の発展 (2011.4.6)
(2) 明治中期の師範学校における教育学教育 (2011.4.7)
(3) 明治中期の帝国大学・「文検」における教育学 (2011.4.8)

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目 次「教育会」 (2012年3月時点)

2012年03月29日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、私の研究の主要対象である「教育会」についても、いくらか見解を書いてきました。論文に生きているものもあれば、いまだ構想にとどまっているものもあります。
 なお、以下に整理したほかにも、本ブログには構想の構想というべきものも多数あります。とりあえず、記事を読んだだけでもなんとか理解できそうなものや、今でも基本線としては大きく間違っていないと思うもののみ、ピックアップしました。

○ 教育会について

1.教育会研究の枠組み試論
(1) 教育会は現在の教育委員会の前身か? (2010.3.21)
(2) 教授定型の普及ルート=教育会 (2006.1.26)
(3) 「教育会=利益団体」論 (2007.4.25)
(4) 教育会研究の基本文献(独断偏見) (2006.7.18)
(5) 明治人の距離感覚と大日本教育会 (2008.10.16)

2.中央教育会への注目―大日本教育会と帝国教育会
(1) 大日本教育会・帝国教育会の系図 (2011.1.24)
(2) 大日本教育会の前史と結成―東京教育会・東京教育協会・東京教育学会 (2011.1.27)
(3) 大日本教育会結成時の幹部組織の特質 (2008.6.17)
(4) 大日本教育会の結成と模索 (2011.1.29)
(5) 全国教育者大集会の開催背景―1880年代末における教育輿論形成体制をめぐる摩擦 (2010.11.30)
(6) 大日本教育会の教育研究団体化 (2011.1.31)

3.大日本教育会・帝国教育会の群像
   (teacupブログ 2009年3月までに、両教育会の東京府・広島県会員82名について簡易な列伝を作成)

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目 次「幼稚園制度」 (2012年3月時点)

2012年03月28日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、私自身が幼稚園教諭養成に携わるようになったため、「幼稚園制度」についても少し論じています。政論になりすぎないよう気を遣いながら、それでも現場を少しでも知っているものとして黙っていられなかった結果、書いたものです。

○ 幼稚園制度について

1.なぜ保育所と幼稚園があるのか?―戦後日本保育制度史 (2011.4.19)

2.幼保一体化制度論の問題点
(1) 「子ども園(仮)」の制度化について (2010.10.4)
(2) 子ども・子育て新システムについての一考察―「幼稚園と0~2歳児保育」という問題 (2012.3.2)

3.幼稚園教員養成制度論の問題点
(1) 幼稚園教員養成について―教員養成課程延長(6年制)論の流れのなかで (2010.9.2)
(2) 教育実習先としての幼稚園の減少―実践力ある保育者の養成の困難 (2011.7.9)

4.幼稚園制度成立時の言葉―フレーベル「われわれの子どもたちに生きようではないか」 (2012.3.23)

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目 次「研究法」 (2012年3月時点)

2012年03月27日 22時46分17秒 | 目 次

 23:55:55投稿の目次記事については、予約投稿機能を利用しています。

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、研究(教育史研究)の仕方・あり方について、しばしば私なりに論じてきました。大学院生時代にもよく書いたため、いつどこに何を書いたか、本当にわからなくなってきています(笑)。
 もちろん、研究者ごとに自分のやり方があると思います。ただ、自分のやり方を再確認する上で、少しでも参考になれば幸いです。
 切れっ端みたいなものは除いて、まとまって書いた記事をなるべく整理してみました。

○ 研究のあり方・方法について

1.研究とは?
(1) 読書論(生硬)―自己修養の方法 (2005.9.18)
(2) 夢と研究―教育問題の解決に関わるために (2006.11.30)
(3) 評論と研究の違い (2005.5.31)
(4) 研究の楽しさ―「無間地獄」だけど… (2010.5.13)
(5) 教師に研究の時間を与えよ (2011.8.2) ※再掲

2.研究の方法
(1) 研究をよりよく進めるには?
  1) 教育史研究論文を書くまでVer 1.2 (2010.6.3)
  2) 研究会の組織と利用 (2010.6.4)
  3) 文献史料の読み方 (2010.6.6)
  4) 差異による論文の価値 (2010.6.9)
(2) 「理論がない」ってどういう意味? (2006.2.3)
(3) 学会・研究会への参加
  1) 研究会の効果、専門外の勉強 (2005.6.9)
  2) 学会・研究会での質問は、異論と批判のどちらがよいか (2007.5.12)
(4) レフェリー論文掲載までへの長い道のり
  1) 日本科学史学会編『科学史研究』に掲載されるまで (2008.7.8)
  2) 日本教育学会編『教育学研究』へ掲載されるまで (2008.10.21)

3.教育史研究法試論
(1) 時代区分・時期区分 (2006.3.15)
(2) 過去のリアルに近づく
  1) 古写真による過去の感覚の再現 (2008.8.7)
  2) 明治人の距離感覚と大日本教育会 (2008.10.16)
(3) 地方教育史研究の醍醐味?―具体的な教育の姿を垣間見る (2010.5.20)

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目 次「生き方」 (2012年3月時点)

2012年03月26日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、生活の仕方すなわち「生き方」についてもしばしば綴ってきました。主に私自身の状況と、就職以降は学生指導の中から、そのとき感じたことを綴ったものです。
 なお、「夢の実現」というテーマともつながっているため、教育論にも関係の深い記事が多いです。

○ 生き方について

1.自分を律する
(1) 逃げたくなるのはなぜか―もういやだ (2010.6.23)
(2) 逃げたい気持ちを乗り越える―「わがまま」をコントロールする (2010.6.30)
(3) 座右の銘―成るときは成る! (2005.12.2)
(4) やるべきことをやるだけだ (2008.2.11)

2.自分と向き合う
(1) 無知の知―無知を認めること (2005.6.18)
(2) 他を見て己の未熟を知る (2008.11.25)
(3) 悩みの解消法(なまかた) (2005.10.21)
(4) 過去を再び経験したいか、なんて (2006.12.27)
(5) 鬱との闘争―鬱とつきあう私の方法 (2005.7.4)

3.自分を乗り越える
(1) 群青―つらい過去 (2009.7.25)
(2) 積み重ねる生活 (2011.2.12)
(3) 悪く良い方、狭く広い範囲 (2007.11.12)
(4) 今を生きる不安と充実 (2010.12.12)
(5) 目標達成のための準備 (2005.6.20)

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目 次「健康・その他」 (2012年3月時点)

2012年03月25日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログには、睡眠時無呼吸症候群と鼻づまりに関する検索キーワードでやってくる人も多いです。これらについて書いた記事を簡単にまとめておきます。
 睡眠時無呼吸については、下のものだと少ないようですが、古い記事は省略しています。下の1-(2)に古い記事へのリンクが張ってありますので、参照してみてください。なお、医学の進歩は非常に速いので、すでに時代遅れの内容を伝えているかもしれませんのでご注意を。
 ついでにその他の記事も集めておきました。
 ちなみに「目次」はあといくつか用意しています。順次公開していくつもりです。

○ 健康について

1.睡眠について
(1) 不眠を防ぐには (2007.3.19)
(2) 睡眠時無呼吸症候群に関する私の体験談 (2007.6.1)
(3) 私の睡眠時無呼吸症候群への対処法 (2010.7.18)

2.鼻づまり解消法
(1) 鼻づまり解消法(我流) (2010.7.25)
(2) 鼻づまり解消法(我流)補筆 (2011.7.25)


○ その他

(1) 私がブログを書く理由 (2007.1.8)
(2) 23時55分55秒 (2007.9.18)
(3) 他人の言葉 (2007.10.23)
(4) 生まれ変わるための長い道程 (2010.4.20)
(5) 現時点での研究業績の系統的整理 (2011.3.29)
(6) 教育問題把握における自由論の応用 (2006.4.7)

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目 次「日本教員史」 (2012年3月時点)

2012年03月24日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、私の研究領域の一つ「日本教員史」について、しばしば書いてきました。それらは、主に自分の論文についての若干の解説と、先行研究のまとめです。自分でもいつごろ書いたかだんだんわかりにくくなってきましたので、ここに整理しておきます。
 なお、戦前の教師論や教員免許制度については、よく検索されているようです。

○ 日本教員史

1.日本教員史の歴史像の整理
(1) 唐澤富太郎の日本教員史像―師範タイプの克服を目指して (2008.2.26)
(2) 石戸谷哲夫の日本教員史像―教員の社会的位置 (2008.2.29)
(3) 『小学校教師の歩み』の日本教員史像
  1) 『小学校教師の歩み』その1 (2008.3.3)
  2) 『小学校教師の歩み』その2―国家統制からの自由 (2008.3.4)
(4) 『中・高教師のあゆみ』の日本教員史像
  1) 『中・高教師のあゆみ』その1―中等教員の多様性の源流 (2008.3.31)
  2) 『中・高教師のあゆみ』その2―大正・昭和期における中等教員の意識変遷 (2008.4.7)
(5) 海原徹の明治教員史研究―日本教員史研究の実証性の向上を目指して (2008.4.10)
(6) 寺崎昌男編『教師像の展開』―近代日本における教師像の歴史的形成過程 (2010.6.7)

2.明治前期の教員史
(1) 『日本教員社会史研究』その1―明治前期教員史研究の深化 (2008.4.15)
(2) 明治10年代後半、不況期において小学校教員に求められた意識と態度 (2009.12.10)
(3) 明治20年代初頭の大日本教育会における教師論 (2011.3.28)

3.明治後期の教員史
(1) 『日本教員社会史研究』その2―リアルな明治後期教員史像 (2008.4.21)
(2) 明治後期の教育者論とErzieher概念―教員改良のための (2010.4.2)
(3) 単級教授法という教育方法―明治20年代の教職の一断面 (2008.7.31)
(4) 明治30年代初頭の鳥取県倉吉の教員たち
  1) 明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識 (2010.12.20)
  2) 明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団 (2011.12.23)

4.戦前日本における教員養成と教員資格
(1) 師範学校卒教員と検定教員 (2010.8.19)
(2) 戦前日本の小学校教員養成のしくみ―笠間賢二論文を読む (2007.4.24)
(3) 戦前日本の教員免許―牧昌見『日本教員資格制度史研究』 附・免許終身制への視点 (2010.7.2)

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フレーベル「われわれの子どもたちに生きよう」

2012年03月23日 21時11分33秒 | 教育者・保育者のための名言

 「幼稚園の祖」フリードリッヒ・フレーベル(1782~1852)の言葉のなかで、最も有名な言葉に以下のものがあります。


さあ、われわれの子どもたちに生きようではないか!
Kommt,lasst uns unsern Kindern leben!


 子どもたち「と」、または子どもたち「のために」であれば、よくわかる言葉です。
 しかし、ちょっとまってください。訳は、子どもたち「に」、になっています。なぜ、ここを「に」と訳すのか? 子どもたちの中「に」生きるということか? だったらそれはどういう意味だ? とまあ、私はこのところがうまく理解し切れず、ずっと心に引っかかっていました。


 フレーベルの幼児教育論説の訳者である岩崎次男によれば、フレーベルのこの標語は、以下のように解釈されています。


この言葉は、親や教育者たちが子どものために、子どもとともに、子どもの気持にたちかえって、子どもから学びつつ生きること、子どもにかわって子どもの言葉にならない要求を代弁し、子どもを通じて自由な国家の実現を期待しつつ生きることを、呼びかけたものにほかならない。(フレーベル(岩崎次男訳)梅根悟編『幼児教育論』世界教育学名著選、明治図書、1974年、237頁)。


ふむ、なるほど、子どもたちのため「に」、子どもたちととも「に」、の両方の意味を含意させている様子です。さらに、「子どもを通じて自由な国家の実現を期待しつつ生きる」という意味が込められているとのこと。ここのところが、どうも私の疑問を晴らすポイントのようです。


 実は今、教材研究として、フレーベルの古典を読んでいます(翻訳ですが)。フレーベルを読んだことのある方はご存じの通り、フレーベルの文章は、装飾と難解な概念(おそらくフレーベル自身の直感的な把握だけによるものも多い?)がちりばめられていて、読みにくいです。そんな苦労をしつつ、「ドイツ幼稚園にかんする報告および弁明」(1843年)を読みました。その巻末で、以下のように書いてありました。


現代が追求するものは、教育をつうじてのみかちとられうる。幼年時代はもっとも欠乏せるまたもっとも可塑性にとんだ時期である。したがって、われわれが待望しかつ希望するものを、萌芽の段階にある世代が達成しかつみることになってほしいものである。「したがって、来たれよ、そしてわれわれの子どもたちに生きようではないか。」 (同上、126頁)


この文脈からすると、フレーベルは「子どもたちに生きよう」という標語に、次のような意味を込めているように思います。すなわち、我々現代を生きる大人の希望は、子どもたちの教育によってのみ得られる。我々の希望は、教育によって子どもたちに引き継がれ、達成されるしかない。我々は、子どもたちの中で生きて(希望を託して)のみ、自らの希望を達成することができる。そのため、我々に対して、子どもたち「に」生きることが勧められるわけです。(※この引用中の「われわれ」は、誰を指しているのかは明確ではありません)
 子どもたちの人生は子どもたちのものじゃないか、という反論が聞こえてきそうです。ただ、その反論の前に、まずはフレーベルの立ち位置を理解することをお勧めします。フレーベルのいう「現代が追求するもの」「待望・希望するもの」という概念は、もちろん19世紀半ばドイツで形成された概念であり、歴史的な特殊の意味をもつものです。大ざっぱに理解したところでは、フレーベルは子ども個人の発達を論じていますが、究極的に目指すところは、普遍・根源への到達・一体化や、人類・ドイツ社会・家庭などの改革にあるようです。また、幼児教育・保育は子ども個人の発達だけのためではなく、保育者が自分自身を理解するためでもある、という論旨も見かけました(「遊び」、1838年)。そういった論旨からすると、子どもの教育は子どものためではあるが、大人・市民・国民のためにもなるのだ、という理解もありうるのかなと思います。
 上の引用文は、ブランケンブルク市長とミッデンドルフ、バーロップ(フレーベルの協働者)との連名で書かれた文書であり、1840年に呼びかけた幼稚園設立運動に対する支持と無理解との間で書かれたものです。この運動への支持者は、予定ではすぐ1,000人に達する予定であったのですが、この文章が書かれた1843年6月時点で155人でした。また、1842年には、内務省に対して行った幼稚園設立のための株式申請が、「ドイツ幼稚園への需要がない」という理由で却下されています。この文章は、「幼稚園は必要なものだ」ということを、国家社会や保護者へ切実に訴えるための文章であったと思われます。そういう執筆背景からも、上のような解釈は重要ではないかと思います。


 以上のように理解すると、岩崎氏の後半の解釈も納得できます。「われわれの子どもたちに生きよう」という標語は、この1843年の文章が初出ではないようですし、他の文章でも見かけました。ただ、上の引用部分に出会って、ようやく「に」の意味が理解できたような気がしました。
 フレーベルの「子どもたちに生きよう」という呼びかけの意味は、「子どもたちと」だけではなく、「子どもたちのために」だけでもないんですね。そして、「私の子どもたち」ではなく、「われわれの子どもたち」であることに意味があるようですね。


 それにしても、有名な標語なだけに、誤解していたり、私のような疑問を持つ人もいるんじゃないでしょうか。もっとわかりやすい訳はないのでしょうかねぇ。そもそもドイツ語が読めれば、どういう意味の「に」なのか、すぐにわかるのでしょうか。本ブログはドイツ語で研究している学者さんも読者にいるようですが、皆さんはどう考えますか?



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目 次「日本音楽(純邦楽・現代邦楽)」 (2012年3月時点)

2012年03月19日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、「日本音楽(純邦楽・現代邦楽)」についてあれこれ書き綴ってきました。来訪者はもちろんですが、すでに私自身もいつごろどこで何を書いたのかわからなくなっています(笑)。古い記事には読みにくいものもありますが、主に自分の気分転換のために、整理して目次をつくってみましたので、もし興味がありましたらご利用ください。

○ 日本音楽(純邦楽・現代邦楽)について

1.現代日本音楽論
(1) 日本音楽の展開―小泉文夫の現代邦楽問題 (2006.1.13)
(2) 1970年代の音楽教育の問題点―小泉文夫を手がかりに (2005.12.11)
(3) 伝統音楽と西洋音楽―伝統音楽(2006.1.8 ※後半のみ該当) 伝統音楽2(2006.1.9 ※末尾のみ該当)
(4) 戦後日本音楽史における杵屋正邦 (2006.6.24)
(5) 三味線のイメージ (2008.3.8)

2.現代日本音楽作曲論
(1) 今後の純邦楽について―作曲法と曲の聴き継ぎ (2011.5.15)
(2) 現代邦楽の作曲スタンス (2006.1.15)
(3) 純邦楽の1960~70年代―作曲年から考えること (2011.2.11)
(4) かつて私が作曲し始めた理由 (2010.3.23)
(5) 京都にて、私の中の教育と作曲の間を見る (2006.11.18)

3.自作曲について
(1) 自作の純邦楽曲について (2010.3.24)
(2) 自作純邦楽曲その1 「ひのもとのくに」 (2010.3.25)
(3) 自作純邦楽曲その2 「糸竹協奏曲第一番 “焔”」 (2010.3.27)
(4) 自作純邦楽曲その3 「祭りの喧騒」 (2010.4.1)
(5) 自作純邦楽曲その4 「穂波」 (2010.4.10)
(6) 自作純邦楽曲その5 「唐牡丹」 (2010.5.4)

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教育とは何か―「夢」の形成・実現者の育成

2012年03月18日 09時35分20秒 | 教育研究メモ

 記事「教育とは何か―教育を考える基本的枠組み」に、yrrさんから以下の批判コメントをいただきました(一部のみ引用)。

>結局、教育とは何ですか?
>「理想的な人間」とは何かが明らかにされておらず、何のために(つまり何に対して)「理想的な人間」をつくるのかが明示されていません。

 普段からの読者さんであれば、私がどんな教育観を持っているのかおおよそ予想がつくとは思います。ただ、この記事を読むだけでは、私が教育を何だと思っているのか、育てたい「理想的な人間」とは何かわかりません。一度は私の考えを読者に押しつけるような気がしたので直接答えるのを避けましたが、いつものように気に入らなければスルーしてもらえばいいので、このあたりで一度私自身の考えをまとめて批判にさらすのもよいかと思いました。以下に要旨だけまとめてみます。


 教育とは何か。古今、この問いに対して様々な答えが試みられてきた。究極的には「理想的人間をつくること」であると考えるが、「理想的人間」の定義は時代・社会・立場などの違いによって変化する。理想的人間の定義に踏み込んだ場合、すべての時代・社会・立場に通じた絶対的な答えは存在しない。しかし、この定義に踏み込まなければ、教育を考えることも、実践することもできない。絶対的な答えは存在しなくても、一定の合理性と共感とにより、他者と共有可能な答えは存在するであろう。以下、「教育とは何か」について、私個人の定義を試みる。

 教育とは、「夢」に向かって支援し、自ら「夢」を形成・実現できる人間を育成することだと私は考える。「夢」とは、個人の意志による生活目標であり、その人自身の過去・現在を踏まえて形成された、その人自身の現在・将来を変化させる精神的・身体的原動力である(※1)。生き方の目標であり、生きるためのエネルギーの発生源である。「夢」と「進路」とは近接する概念としてとらえたいが、「進路」は進学先・職業選択に限定されがちであるため、「夢」の下位概念としてとらえたい。「夢」は、個人の生き方全体を指すものであり、職業生活だけでなく家庭生活や道徳的生活をも含む。
 「夢」は個人の目標であるが、純粋に個人的なものではない。人間の生活は純粋に個人的なものとしては営めない。社会から様々な影響と物質的・精神的支援を受けて営まれるものである。そのため、個人の過去・現在・将来は、直接的に支えてくれる周囲の人々と、間接的に支えてくれる国民・社会の期待の中で形成されるものであり、道徳的にもそうでなくてはならないものである。周囲の人々の期待は様々であるが、国民・社会の期待は教育制度(とくに法制度)に表現されている。現代日本の教育は、基本的に、人々(子どもに限らず)の人格の完成と、国民すなわち国家・社会の形成者の育成を期する。個人は、人格の完成と将来の国家・社会の形成者になることを前提として、「夢」を形成する。「夢」は、期待される人格および将来の国家・社会のあり方(その内容は省略する)と無関係・矛盾関係にあるべきではない。むしろ、形成・実現者自ら、「夢」の形成・実現の前提として、ふまえようとすべきものである。
 「夢」の形成・実現は、様々な知識や技能を必要とする。まず、自分の経験を拡大・整理し、自分の適性・能力・限界などを認識する必要がある。自分の興味関心または周囲の勧めから、様々なものごとを実際・擬似的に経験し、知識・技能として習得していく。習得した知識・技能、およびそこから感受・予測される今後の成長の見通しから、自分の可能性を合理的に判断していく。また、それらと同時に、自分の周囲の状況を認識し、自分がこれまで生き/今生き/これから生きていく社会のあり方を認識する必要がある。だれがあなたにどんな期待をかけているのか、どんな職業や生き方の可能性があるのか、を知るのである。このようにして、「夢」は自分自身の意志により周囲との関連の中で形成され、実現に向かっていく。
 適切な「夢」を形成・実現するには、長期的な忍耐と努力とが必要である。つねに自分の内部・外部と向き合い、自己変容を求められるため、常に意志・生活の危機にさらされる。その危機を乗り越えるために、苦しみに乗り越える忍耐と、具体的な行動にうつす努力とが必要となる。それは自分一人では難しい。孤独では苦しみを乗り越えるには心許ないし、経験の乏しい場合は有効な知識や見通しを得られない。仲間が複数人いれば、励まし合って心を奮い立たせられるだけでなく、多様な立場からの意見から刺激を受けて、冷静な自己認識やよりよい判断を得ることができる。また、教育者がいれば、教材や授業を介して、自分だけではかかわれなかった人や世界とかかわり、新しい知識を得て、経験を拡げ、それらを整理し、助言を受けられる。「夢」の形成・実現には、仲間と教育者(とくに教師)とが必要である。
 「夢」の形成と実現とは生涯を通して行われるが、人生の各時期にはそれぞれ適した形成・実現のあり方がある。乳幼児・児童期は、主に「夢」を形成する準備をし、実際に形成し始める時期である。この時期には、「夢」を形成するために必要な基礎的知識・技能・態度等を育成する必要がある。とくに、心身の健康を保ち、自分を見つめて表現し、他者・世界とかかわり、将来の見通しを持って行動し、自ら学ぶようになることが目指される。教育は、これらの推進・達成を支援する。なお、これらは、現代日本においては教育基本法・学校教育法・指導要領・教育要領などに表現されている。生涯学習社会を「生きる力」を育成することとも言ってもよい。なお、この時期には、「夢」の実現そのものはまだ早いと思われる。この時期の発達を「夢」の実現に従属させること(すなわち将来だけのために乳幼児・児童期を犠牲にすること)は、かえって基礎的能力・態度等の育成を阻害する(※2)。また、「夢」は青年期以後に修正・変化する可能性のあるものであり、将来において修正(すなわち再形成)するためにも、「夢」の形成に必要な基礎的能力・態度等をこの時期に十分育成しておく必要がある。
 青年期以降は、ときには「夢」を修正しつつ、自ら「夢」に向かう時期である。「夢」に直接・間接に関連する専門的知識・技能(意欲・態度・心情を含む)を習得・育成・活用していくことが目指される。教育や生涯学習事業は、それを支援する。とくに中等教育すなわち普通教育段階にある中学生・高校生の時期は、基礎的・全体的知識や技能から専門的知識・技能へと次第に比重を増して習得・育成し、児童期までに形成した「夢」を基盤として、自分の適性と周囲の期待に応じて「夢」を調整・修正していく。そして、「夢」の実現に向けて、自分の知識・技能等を最大限活用して、生活していく。
 教育が育てるべき「理想的人間」とは、以上のような、社会的関係のなかで「夢」を自ら形成し、実現していく、「夢」の形成者・実現者のことである。「夢」の内容は、個人の選択による。たとえば、どのような政治的・思想的立場を選ぶかは、個人のおかれた社会的関係の影響をうけるとはいえ、自らの意志で選び取るべきである。したがって、教育者(教師)は被教育者が自らの意志で選択できる環境を作り出さなければならない。そのためには、教育者は多様な政治的・思想的・国際的立場などについて理解し、教育する際には中正の立場に立つ必要がある。実際の教育者には限界があるため、せいぜい2つ3つの立場を踏まえる程度しかできないし、無意識に特定の立場に立ってしまうことは無理のないことであろうが、それでもできるだけいくつかの立場を踏まえた上で中正的立場を取ろうとする姿勢が必要である。

<注>
※1
「夢」とは何か―生きるための原動力」(2009.3.7記事)
よりよく生きること―夢の役割」(2010.7.8記事)
「夢を持つこと」とは何か?―人間として成長・発達すること」(2012.2.12記事)
※2
発達状況に応じた保育について【1歳児】」(2011.6.10記事)


  以上、今、私が考えている「教育とは何か」の答えです。今後、自分自身の実践・研究・学習によって変化することはあるとは思いますが、ひとまず今まで私が考えてきたことを総まとめすることができたと思います。もっと深く言及すべきところ(とくに「夢」の形成の内容・方法)は残されていますが、一つの記事に収まりそうにないので、省略します。
 「夢」の実現が全体のテーマになっているのは、白石崇人という人物が語る教育論だから、だと思います。「夢」の実現というテーマは、私自身の履歴や人生観、教員・保育者養成という社会的役割と学生に対する責任、私の周囲の人々(このブログの読者も含む)とのかかわりから導き出されたものです。期せずして現勤務校も「学生の夢の実現」を大事にしていますが、これも立場上矛盾せずに積極的に主張できる理由の一つだと思います。
 こうして見ると、国民国家主義的な傾向が濃いですね。私は、教育・人間形成は周囲の社会に影響されるという立場を取りますので、こうなるのかなと思います。世界市民的な考え方や民族主義的な考え方には同意しかねるような気はします。
 ご感想・ご批判いただければ幸いです。根本的な批判には、すぐに答えられないかもしれませんが…

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鳥取県立図書館 稲村謙一文庫の様子

2012年03月12日 23時55分55秒 | 教育研究メモ

 先日、稲村謙一文庫を見てきました。稲村文庫は、今後、日本教育史上、重要な史資料群になっていくと思われます。規模が大きいので維持も大変でしょうが、鳥取県立図書館には頑張ってもらいたい!

 以下、写真の掲載許可を得ましたので、適当に撮った稲村謙一文庫(開架分)およびその展示の様子です。


展示室内部1 手前に稲村が昭和初年に書いた論文原稿などの展示


展示室内部2 奥に稲村の関わった戦後の児童文集・指導記録ノートなど、手前に戦前の児童文集・指導案など


展示室中央の箱 左手前に「綴方指導系統案」
(尋常小学校1年生~高等小学校2年生までの綴方の指導案を、大きな一枚の紙に整理している。
 作成年代(昭和8年頃)からすると、稲村先生は、これを20代後半の時に作ったらしい…!)


展示室脇の書棚 稲村謙一文庫開架分
(手前一面全部、通路を越えた奥の書棚の手前側も全部稲村文庫!)

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鳥取県立図書館において稲村謙一文庫が開設されました

2012年03月10日 23時15分59秒 | 教育研究メモ

 鳥取県立図書館に史料収集へ行ってきたついでに、今ちょうど開かれていた 稲村謙一文庫開設記念展「昭和の生活綴方教育」 を見てきました。素直な感想は、「思っていた以上だった…!」です。

 稲村謙一(1906~2005)は、鳥取県の生活綴方(綴方とは作文のこと)・児童詩指導の代表的担い手の一人です(『国・語・人』の同人)。大正15(1926)年から昭和39(1964)年まで県内で小学校教員を勤め、戦後は鳥取県国語教育研究会長をも勤めました。歌人・詩人でもあります。
 生活綴方教育というのは、戦前・戦後(1910年代頃から)において、既成の学問内容からではなく、子どもの生活から教育を作りだそうとした教育思想・実践です。稲村は、鳥取の生活綴方教育の実践者として、峰地光重・佐々井秀緒などの次に上がってくる人物のうちの一人です。そんなビッグネームの文庫が、このたび遺族から大量の書籍雑誌・史料群が提供されたことを受け、鳥取県立図書館に開設されました。

 展示も良かったのですが、私が最も感嘆したのは稲村謙一文庫の規模でした。
 展示室のすぐそばに、いくつもの書棚を使って文庫の書籍がずらりと並んでおり、圧倒されました。当初「一応見ておこう」程度の感覚でいたのですが、この書棚群を見て、何だこれ…この資料数は尋常ではないぞ…と思いました。
 職員さんに聞いてみると、資料数は約5,600点あるそうです。資料目録は、館内のCD-ROM端末で見られます。この目録をざっと目を通したところ、近世以前・近代の文学・哲学・教育書など、たくさんの書籍がありました(復刻版や著作集も多いですが)。開架分の書棚を見ても思いましたが、目録を見ると、「稲村先生は相当な蔵書家・読書家だったんだろうな…」とさらに思わせられました。
 やはり目を引いたのは、児童文集や国語教育研究大会の資料などでした。とくに、1950年代~1970年代の鳥取県内小学校で作られたと思われる児童文集がたくさん見られました(300点以上)。稲村がかかわったものについては、戦前のものも、そろっていそうです。他県の児童文集や同人誌も、少しありました。稲村は歌人でもあったからか、俳句や短歌の雑誌も多くありました。(休呆さんが反応するかな、などと思ってしまいました笑)
 文庫には、一次史料もあるようです。目録を眺めていると、「児童詩授業ノート1年」(4年まであった)という手書きノートを見つけました。展示物の中には、手書きの指導案・指導記録などもありました(戦後だけでなく戦前のものも)。
 昭和戦前・戦後期の国語教育実践に関する史資料(しかも県内屈指の人物がかかわったもの)がひとところに集まって公開されていることは、そうそうあることではないと思います。昭和期(戦前・戦後とも)の教育実践史の研究が、この頃、学会でぼちぼち見られるようになってきました。この文庫は、今後、国語教育史研究者や教育方法学研究者にとって貴重なものになるでしょう。

 展示は、3月3日(土)~4月8日(日)の期間、鳥取県立図書館2階特別資料展示室で開催されています。
 明日、寄贈者への感謝状贈呈式が開かれるそうですよ。

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子ども・子育て新システムについての一考察―「幼稚園と0~2歳児保育」という問題

2012年03月02日 23時55分55秒 | 教育研究メモ

 本日3月2日、政府の少子化社会対策会議で子ども・子育て新システムの関連法案の骨子が決定したそうです。この問題は、現代日本における乳幼児の保育をどうするか、幼稚園と保育所とをどうするか、という問題です。
 どうも、新システムの成立を急ぐあまり、この問題に対する幼稚園側の消極的動向をいぶかしがる傾向が一部にあるようです。ただ、幼児教育・保育の実際について理解しないで制度・政策レベルで形式的に考えるだけでは、この問題を本当に解決することはできません。ましてや、幼児教育・保育の実際を無視して「大局的視点から賛成を!」などと言うのは、「決めたら後は現場で何とかしろ」と言っているのと同じであり、あまりに無責任です。
 この新システムのキーポイントの一つは、幼稚園が0~2歳児を受け入れるか否か、というところにあります。幼稚園が今受け入れていない0~2歳児を受けいれれば、待機児童の問題が一挙に解消できる、という考え方があるため、重要な問題となっています。今日は、この問題について少し考えてみたいと思います。

 まず、0~2歳児を受け入れるには、適切な量と質の人員・施設・設備などを揃えなければなりません。幼稚園が0~2歳児を受け入れるには、これらの増員・増設が必要です。そのための費用はかなりかかります。この費用を捻出するには、公的な補助金が不可欠ですが、現実的な財源確保の目処は実質たっていません。増税によって財源確保するといっても、増税が税収減につながる可能性が高く、仕分けなどの歳出削減が積極的に行われている現在、実際にやってみて難しければ、「はしご」を外されかねないのです。そうなっては、幼稚園は立ちゆかなくなってしまいます。幼稚園が立ちゆかなくなって困るのは、幼稚園だけでなくて、子どもであり、その保護者です。
 以上のように見てくれば、「財源はまだ確保してないが、とにかく幼稚園に0~2歳を!」と求めるのは、「0~2歳児をきちんと保育する用意がなくても、とにかく預かってくれればそれでよい」と言っているのと同じことだとわかります。0~2歳児の保育の留意点は、3~5歳児保育とはかなり異なっており、ものによってはより難しい点もあります。0~2歳児の保育は、ちょっとやそっとの研修や設備補修では対応し切れない、難しい仕事なのです。現幼稚園に人員・施設・設備投資の補助をしっかりしないで受入を要求するのは、0~2歳児の保育について何もしらないで言っているか、「0~2歳児の保育は3~5歳児よりも簡単だ」と勘違いして言っていると思われても仕方ありません。
 3~5歳児の保育については、幼稚園側も自信をもっているはずですが、経験のない0~2歳児の保育となるとそうはいきません。0~2歳児保育に躊躇する幼稚園は、むしろ幼児教育・保育について誠実に考えているところとも言えます。

 なにより、「とにかく幼稚園に0~2歳児を!」という要求は、現行制度で保育者(とくに保育士)が足りない実情に目を向けていないと思われます。今必要なのは、子どもの安全を確保できなかったり、過度の早期教育に走って発達をゆがめたりするような、カギ括弧付きの「保育者」ではありません。今必要なのは、子どもの養護と教育にきちんと責任もって保育をできる、良質の力量ある保育者です。受験免除制度を活用して保育士試験を合格しやすくしたり、保育ママを増やすことでは、そのような良質の保育者を確保することはできません。本当の意味での0~2歳児保育が可能なのは保育士ですが、良質の力量ある保育士は、一定の素質を必要とする専門職であるため、長期的観点から養成・研修されなければ生まれませんし、誰でも簡単になれるわけではありません。
 幼稚園で0~2歳児を受け入れるならば、今よりももっと低年齢保育ができる保育者、とくに保育士が必要になります。今でさえ保育士が足りないのに、これ以上増やすというのは、実際の制度運用を考えた上では言えないはずです。当たり前のことですが、「保育士を増やす」と言うだけでは保育士は増えません。また、幼稚園教諭は0~2歳児保育については本来専門外ですので(保育士資格を持っている先生は別ですが、幼稚園教諭全員が持っているわけではありません)、幼稚園で0~2歳児保育をすると決めたら幼稚園教諭が即、保育士の仕事ができるわけでもありません。
 現行制度では保育士は2年程度で養成されます。骨子案で「2015年から本格実施」といっているのは、そのあたりも考えての移行措置だと思いたいわけですが、養成校の現状から言えば、例えば急に募集定員を数十人増やせと言われても容易ではありません。養成校教員1人あたりの学生数をあまりに増やされると、保育者養成の質を維持することは不可能です。養成校の過度な定員増加は、「質は問わないからとにかく保育士の数を増やせ」と言われていることと同じことです。養成する保育士の質は養成校の信用にもかかわることであり、真剣に考えれば考えるほど、とても丸呑みできる要求ではありません。
 また、幼保総合施設であるこども園で働くには、幼稚園教諭免許状が必要です。養成校に幼稚園教諭免許状取得者を増やせと求めるのであれば、もう一つの問題が発生します。現状では、幼稚園が減少し、幼稚園実習の実施が年々難しくなっているのです。定員をただ増やされても、現制度のままでは、実習先の幼稚園を確保できません。
 実習制度は免許・資格制度の一部です。新システムの懸案の一つである、幼稚園教諭免許状と保育士資格の位置づけ直しを後回しにしては、保育者養成の拡張は不可能です。

 現状のままでは、新たに制度だけ作ったとしても、幼保一体化の完全実施はまず難しいと思われます。完全実施には、こども園移行の費用補助の確実な目処が立つこと、一定の質を維持した0~2歳児保育ができる保育士を養成すること、一定の質の教育能力を有する保育者養成校の増設・拡張、幼稚園教諭免許状と保育士資格の位置づけ直し、などを優先しなければなりません。完全実施を焦っても、まともに制度運用することができないのは目に見えています。幼保一体化そのものは、良かれ悪しかれ、現行制度でも着実に進んでいます。認定こども園は、少しずつですが間違いなく増えてきています。今すぐ財源確保できないのであれば、今は現行制度を活用し、自ら幼保一体化を進めることのできる各園や自治体が増えるように、さらに支援を尽くすの方がむしろ現実的です。
 待機児童の解消は、幼稚園に0~2歳児保育をさせれば解決すると思われるかもしれませんが、事はそれほど簡単なことではないのです。財源確保ができない以上、今は、他の方法(保育所の自然増設や保育ママの活用など)によって補填するしかないのではないでしょうか。

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