教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

福山へ行って

2005年09月19日 22時12分30秒 | Weblog
 今日は早起き。朝ご飯を食べ過ぎる。久しぶりに朝といえる時間に登校して(笑)、来月の教育史学会大会発表のため、レジュメに必要な一覧表を書きました。ただ、今日は友人と映画を見に行く約束が。私が今日しか時間がとれなかったためと、もうすぐ上映が終わってしまうので今日行くことに。しかもマイナーな映画なので、福山(東広島からだと1時間半以上かかる)の映画館に行かないといけない。午前中から友人の車に乗って移動しました。
 見に行った映画とは、オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督『ヒトラー~最後の12日間~』でした。誘ったのは友人ですが、彼はちょうどナチ時代のドイツ教育史を研究しているので見に行こうと思ったようです。私もずっと前に新聞で批評されていたのを見かけて、興味を持っていたので行くことになりました。
 この映画は、近代史上最も有名な独裁者であるアドルフ・ヒトラーが敗戦直前にこもった、首相官邸の地下要塞の極限状態を描いた映画です。題名からヒトラーが主役のようですが、その内面を語ることなく、映画は淡々と描かれています。第二次世界大戦を舞台とした映画であれば必ず描くであろう、ユダヤ人虐殺もヨーロッパ戦線の戦闘も描くことなく、地下要塞内部とベルリン市街戦のみを映し出します。ヒトラーを題材とする映画であれば必ず描く独裁者としての狂気だけではなく(もちろんこれは激しいものです)、政治から離れた時に始終見せる優しさを描いています。
 この映画を見ていない人は、第二次大戦期にヒトラーやナチス・ドイツのやったことを美化しているのではないか、と思うかもしれません。しかし、この映画が言いたいことは、そこにはないと私は思います。それは、映画の最後に、ヒトラーの個人秘書官・ユンゲさんが語った言葉で理解できます。すなわちそれは、人の現実認識の難しさであり、限界であったのではないかと私は思います。
 大戦中ずっと首相官邸・地下要塞にこもっていたユンゲさんは、なかなか自分とユダヤ人虐殺を関係あるものとして認めることができなかったといいます。これは、彼女がその現実を目の当たりにしなかったからであるのではないでしょうか。劇中、空想の軍事作戦をわめき散らすヒトラーに対して部下達が蔭で、「師団は地図の上にはないのに」と言われるシーンがありました。ヒトラーは、劇中では地下要塞のすぐ側までしか出ません。劇中のヒトラーも、現実を目の当たりにしなかった人物でした(彼の場合は狂気にも写りますが)。登場人物だけでなく、映像上も、地下要塞と将校の視野に入るベルリン市街戦しか映し出されません。上空から見下ろすような、ある意味超越的な視点はないのです(部屋の一室全体を見下ろすような視点はありますが)。これは、人の視野に入るものしか、あえて映像にしていないのではないかと私は思えてなりません。
 以上は私の勝手な解釈に過ぎないのですが、映画を見てきた感想です。全部で155分だそうです。上映時間3時間はきついかな、と思ったのですが、意外とあっという間に終演時間になっていました。当時の時代背景や人物は私はあまり詳しくないですが、それらを知っていれば、もっと興味深く見られたかな。
 おすすめです
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読書論(生硬)

2005年09月18日 20時42分02秒 | Weblog
 本論は、読書を効率的に行うための重要な要素は何か、という問題を、興味の視点から論じたものである。
 読書は、いろいろな意味で、自分をより価値ある存在へ高めることにつながる行為である。読書の目的をどこにおくかは個人によって違うとしても、最終的には自分を高めることにつながる。例えば、自分が知りたい知識を得ることは、言うまでもなく博識の地点へ一歩自らを高めることになる。読書は気晴らしであるという人もいる。気晴らしとは、ストレスを発散することであろう。ストレスは、集中力を散漫にし、行為の正確さを引き下げ、行為の質を下げる。つまり、気晴らしの読書であっても、次に行う行動をより質のよいものにしてくれるのであり、自分を高める手助けとなるのである。
 人間は限られた時間の中で生きている。自分を高める機会は無限にはない。だからこそ、より高い質の読書を求めることは意義がある。読書の質とは、ここでは自分を高めることへの貢献の程度である。読書の質を高めるには、その内容を記憶するだけでは十分ではない。より深く、その意味を理解することが必要になってくる。例えば、明治5年の学制は、その年に頒布されたことを記憶することが重要なのではなく、ヨーロッパ近代学制を日本に導入した意味を理解することが重要なのである。限られた時間の中で、読書の質をより高めるには、内容を理解する効率を考えることが重要となるだろう。これを読書の効率性とよぶとしよう。では、読書の効率性を高めるには、どうすればよいのだろうか。
 読書は、その本の内容に対して、興味を持って読むのがよい。興味がある内容には、熱心に取り組むことができ、理解しようと努めることができる。逆に、興味がない内容には、手に取ることすらおっくうで、理解できない部分は棄て置いてしまう。読書する上において棄て置いた内容は、少なからず自分を高める要因を有している可能性は否定できない。あえて簡潔にいえば、読書した内容を棄て置くことは、自分を高める可能性を棄て置くことになる。かつて「この文章は理解できない。それは筆者の悪文のためだ。」と生意気にも言い切った私に、ある教員が「理解できないのは、あなたが理解しようとしていないからではないですか?」とおっしゃったことがある。読書の効率性を高めるためには、理解できないことを自分の問題として、興味がもてない自分を省みる必要がある。興味がなくては、理解しようという努力すら怠ってしまうのだ。
 読書は、自分をより価値ある存在へ、直接間接に高める行為である。我々が限られた時間しか持たない人間である限り、読書した内容をより効率的に深く理解することが重要となる。しかし、理解は、自らの興味の有無濃淡によって規定される部分がある。宗像誠也氏はその著書『教育研究法』(『宗像誠也教育学著作集』第1巻、青木書店、1974年。初版は1950年)にて、「私は、研究者の関心と情熱の向うところが漠然ときまった段階における読書が、最もみのりの多いものだと思う。自分に問題の意識があってこそ読書も身につくのである。」といった。問題意識は興味を生む。逆に興味が問題意識を生むこともある。興味は研究のための読書にも、重要な役割をする。
 読書の効率性を高めるには、興味を持つことに努める必要がある。ただ、ある知識や視点を理解するには、その背景にある知識や視点を理解しなくてはならない。例えば、現代日本の学校体系が6・3・3制を取ることは、戦後の教育改革の展開過程や戦前学校体系の問題、さらにはそれを支持した社会的要求を理解しなくてはならない。興味を持つことは、読書の効率性を高める第一歩に過ぎないのである。
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今日何したっけ

2005年09月14日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は、まず『帝国教育』を使った帝国教育会年表の作成(大正12年)。大正12年といえば、9月1日、関東大震災。帝国教育会の事務所も壊滅。『帝国教育』10月号の原稿は全部パアになり、10月号は発行されていません。また、帝国教育会の資料も、このときにすべて燃えてしまったそうです。事務所倒壊の状況は、帝国教育会編『震災と教育』(文化書房、1924年)にリアルに描かれています。この本を読んだとき、あまりのリアルさに私は背中がゾクッとしました。文学的な余計な表現などがないので、むしろリアルに感じました。大正期の教育を研究されている方は、読んでみても良いかもしれませんね。『帝国教育』の復刻版シリーズにも含まれているので、大学図書館には所蔵されていると思います。
 関東大震災は東京中心部に未曾有の損害をもたらし、事後には様々な闇の事件が起こりました。大災害後のパニックは恐ろしいものです。煽動する人がいるとさらにタチが悪い。関東大震災から80年以上経ちましたが、最近大地震の予想が次々に出されています。地震がおこるのはしかたないならば、被害を最小限にしないといけない。そのとき大事なのは、実は一人一人がパニックにならず、冷静に行動することなのです。
 さて、半ば自分に言い聞かせている言葉はおいておいて… 年表作成の後は、注文していた本を引き取りにいきました。そのうちの一冊に、永嶺重敏『雑誌と読者の近代』(日本エディタースクール出版部、1997年・OD版2004年)がありました。これは近代日本の活字メディアが民衆に如何に受容されたかを明らかにした本ですが、私はこの中で第2章「田舎教師の読者共同体」に注目しました。教育史の内容的な記述は微妙なところがありますが(史料部分以外)、その内容は教育会史研究にも重要な示唆を与えます。というのも、永嶺氏は、明治三十年代以降に郡部の小学校教員たちが雑誌購読を通して、知識を共有し、意見交換することで読者共同体を形成したとしています。小学校教員が購読できる雑誌は限られていましたが、購読雑誌は教育雑誌を中心として構成されていたといいます。特に教育会雑誌は、読者に地域共同体の成員としての意識を喚起し、統合していく機能を果たしたのだとしています。結論の実証は少々怪しいところがありますが、出された事実は納得できますので、興味深い示唆だと思います。
 この研究書を読み、少し参照しながら、『広島大学教育学研究科紀要』の原稿を完成させました。できあがった論文を見て…前よりよくなったなあ、と自画自賛(笑)。学会発表時のものよりという意味と、今まで書いてきた論文よりという二つの意味で。確実に成長している、と思う。
 英文要旨もとりあえずできあがり。英語力は成長していない(笑)。私の英語力は最悪なので、後で誰かに見てもらわないといけませんなあ…
 ま、とりあえずいっちょ上がり
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蔵書の整理

2005年09月11日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は、昼飯を食べて投票に行く。
 昼過ぎに学校へ行くが、中途半端な時間になったので、何をしようか思索する。ふと、研究室で借りている自分の机の後ろに山積みになった自分の蔵書と資料が気になる。次に新しい本を買うと、もう置けない状態になっている。
 ということで、今日は蔵書の整理。プラスチックの箱を買ってきて、本格的に整理を始める。前に整理したのは1年くらい前だったような気がする。それから新しく本を買い、上に上に積み上がっていた。最初は史料(主に地方教育会雑誌)を、プラスチックの袋に一冊一冊入れていき、タグシールを貼って一目でわかるようにする。最後に、Excelで所蔵史料の一覧表を作っていく。1年前に作った一覧表に続いて作成。これをしておくと、新しく買うときに重複したりする不安があるし、研究に使うときも便利である。史料整理が全部終わるまで、結局3時間ぐらいかかった。
 やれやれ終わった、いやいや、まだ終わりではない。まだ書籍の整理が残っている。段ボール箱にうまく納めるため、入れたり出したりしながら試行錯誤する。それをしながらぼんやり考えるうちに、所蔵書籍もExcelで一覧表を作ることにした(最初はやりたくなかったのだが)。所蔵書籍の一覧表は初めて作るので、時間がかかった。書籍整理が全部終わるまで、結局5時間ぐらいかかった。
 24:10ごろ、ようやくすべての作業が終了。きれいになった。最終形態は写真の通り。研究・勉強もはかどりそうだ。…最も難物なコピー資料の整理はしてないが…さらに家にある蔵書の整理もしてないが… まあ、まだいいか。
 まだ選挙の状況を一度も確認してない。さあ、帰って選挙見て寝よっと。
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教育学と科学

2005年09月10日 19時14分28秒 | Weblog
 今日は睡眠時間が短すぎるという欠点もありましたが、起床成功。しかし、せっかくの時間を有効に使えず、勉強は午後からの開始となりました。で、某先生に「この本も読んでないのか」とあきれられた、佐々木力『科学論入門』(岩波新書、1996年)をようやく読了。
 本書は、読者が近代自然科学の総合的理解を形成することを目的に、歴史的哲学的社会的分析を通して現代のあるべき姿を模索した本だそうです。特に近代日本の科学の受容の問題点を明らかにした第一章、技術発展を背景とした近代科学(テクノロジー科学)の成立と展開を明らかにした第二章、科学を背景とした技術(科学的テクノロジー)の問題を明らかにした第三章、の三章は読みごたえがありました。この本は自然科学の歴史的・哲学的問題を中心に論じていますが、数学・物理学・医学を中心とした複数の事例によって自然科学を論じているために、科学のスタンダードに触れた気がします。もちろん専門にわたる部分は半分も理解できてないと思いますが…
 教育学を研究する学生が、なぜ科学のスタンダードに触れてよろこんでいるかというと、教育学と科学の関係に注目するからです。私のホームページにも書いているように、私はもともと教育学の科学化という課題に興味をもっていました。こちらにも書いたように、「科学=普遍的」といった“幻想”に囚われている程度でしたが(あえて今本文は直しません)… それはさておき、佐々木著を読みながら、私は物理学や数学、特に医学の部分を教育学にどうしても置き換えて読まざるを得ませんでした。近代における教育学の科学化を目指した動向は、まぎれもなく存在しますので(日本なら教育科学研究会とか)、読み替える妥当性はあると思います。
 佐々木著では、17世紀以降技術発展(産業の機械化とか)に影響されて、自然科学が技術をささえる理論をつくり始めたとされています。19世紀ごろには、科学が技術の構成要素となり、その進展は技術に制限されるようになってしまったといいます。明治以降の日本は、まさにこのような自然科学と技術が融合した「科学技術」を導入していったわけです。この説明は自然科学に関する説明ですが、教育学にも重ね合わせることができます。19世紀、ヘルバルト主義教育学者が教授法いわば教育の技術を積極的に研究し、日本はどんどんこれらを受容していきました。佐々木著では日本の医学者による自然科学の分野における西欧のパラダイムの信奉が描かれていますが、日本の教育学者にもそのような様態が指摘されています。…などなど、読んでいて、この科学史観を日本の教育学史にあてはめるとどうなるのかな、とわくわくしたことを告白しておきます(恥ずかしい!)。もちろん、佐々木著のいちばん言いたいところである、近代科学技術の問題点とその対策について、特に技術が理論を必要としないことを論じた点も考えさせられました。
 本著を読んで、今やっている教育会史研究にもいろいろ示唆を受けました。博士論文に反映するといいのですが。また、さらにその先の話ですが、いずれこの視点を利用して、近代日本における教育学の歴史も描きたい!という無謀な野望も(恥ずかしい!)…
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おっ

2005年09月09日 22時50分42秒 | Weblog
 今日は二度寝をしてしまい、損をする。早起きは三文の徳、いや変換ミス、得。何が損かというと、午前中にしてしまわないとやる気がしない、年表作成ができなかったこと。やりゃあいいんだけど。いつものことだが、気分屋な自分がどうもうっとおしい(笑)。結局、今日は読書(=勉強)のみすることに。
 みなさんのいい本というのはどんな本ですか? 普段はマンガしか読まない私が言うのはなんですが、私のいい本とは、自分の肥やしになる本だと思います。別に研究に役立つ必要はないので、マンガでもいいのです(開き直り)。自分の生き方、見方、考え方、を変えてくれる、もしくは豊かにしてくれる本はいい本だと思います。で、今日(というより数日前から)読んでいる本(これは文字の本)は、研究の視点を豊かにしてくれる本でした。私の研究分野の本ではありませんが、「おっ」と思う部分に出合う。そういうとき、私はその部分をノートに書き留めて、さらに自分の思いつくままに思考をふくらますクセがあります。そういうことをしていると当然時間をとられるので、時間をかけたわりにほとんど読めませんでしたが…(笑)
 ノートを書き殴っているうちに、昔書いた論文(某学会でボツになってそのままのやつ)を引っ張り出し、すこし手直しを始めました。ほとんどやってませんが、しばらくして同級生(年はだいぶ上ですが)がやってきたので、話し込む。彼はイギリス・スコットランド教育史を専攻しているのですが、研究していて見つけたイギリスの資料(同時代の人が日本に紹介したもの)を見せてやると、「おっ」と言いました。そのうちにうちの研究室の先輩がやってきたので、彼はお帰りに。その後、その先輩と話し込む。ちょうどよかったので、先ほど手直しした論文の題名を見てもらう(先輩を「利用」する奴)。あれやこれやと意見交換し、キーワードを並べ替えて意見一致。先輩は用事があるのでそれで退散。私のために… その後読書を再開しましたが、あいかわらずノートに書き殴ってはの繰り返しになったのであまり進まず。約束があるので17時ごろ切り上げる。
 約束というのは、友人のコンサートに行くことでした。今日の写真はそのパンフレット。友人というのも、東京芸術大学卒の箏弾き。演奏者は4人で全員芸大卒、主催者の友人の友人(内一人旦那様)。芸大卒ほどの腕前を聴く機会はそれほど多くはないので、行くわけです。で、内容はやはり「おっ」と思いました。プログラム上は、「園の秋」(菊岡検校作曲)、「落葉の踊」(宮城道雄作曲)、「真虚霊」(琴古流本曲)、「微香(ほのか)」(黒川真理作曲)の四曲でした。…本ブログのほとんど読者には聞き慣れない言葉や人名が出ていますが、その解説はいずれということで今日はナシ(自分が理解し切れてないともいう(笑))。「落葉の踊」はCDでよく聴いているので別としても、他の三曲は聴くのが初めて。それぞれに「おっ」と思う部分があり、非常に芸の肥やしになりました。「芸」というのは作曲です。演奏の芸には、レベルが高すぎてなったかなどうかな…
 ま、というわけで、今日は様々な「おっ」を思った一日でした。
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勉強2

2005年09月06日 19時01分02秒 | Weblog
村上陽一郎『科学・哲学・信仰』、第三文明、1977年。読了。
近代科学技術は、西欧の中でキリスト教思想原理に従って成立したのであり、科学技術によるなら、未来を拓くヒントもキリスト教にあるとする。しかし、宗教の形は多様だし、科学技術を宗教と切り放すことも可能(村上氏のいうように不完全な形だとしても)。なのにこの結論に収斂しては、科学技術を扱って未来を開拓するのは一部の人々と言ってるようなものでは?
本書で興味深いのは、科学(自然科学)は観察された事実で造られているのではなく、理論で造られているという主張。
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勉強

2005年09月05日 22時30分10秒 | Weblog
大塚久雄『社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス―』、岩波新書、1966年。読了。
この本は、当時まったく対立するものとされていた両者の社会科学基礎理論を関連させ、その共通性と相違性を論じたもの。すなわち、経済(利害関係)が社会諸現象の分析軸であるとする点は共通、ただしヴェーバーはさらに理念(宗教)を分析軸に据えたとする。歴史研究における、理念と利害関係による両軸分析方法について学んだ。
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半年振り返って

2005年09月04日 15時20分59秒 | Weblog
 本日15時すぎ、豪雨。
 唐突にこの半年を振り返って。
 よく調べ、よくまとまったと自信のあった論文が、連続して落選してきた三月あたりから五月ぐらいにかけて。方向転換を余儀なくされた、博士論文第一次審査の準備と事後の六月から七月にかけて。研究再編に向けてあちこちをかけずりまわった八月。
 こうしてみるといろいろやってきた。今日は日常の自分の怠惰を叱るために振り返ってみたのだが、全体的には大事な過程を踏んでいる。
 しかし、その成果は満足には遠く及ばないぞ!
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病院めぐり

2005年09月03日 21時38分15秒 | Weblog
 今日はひたすら病院めぐりでした。
 まず、昨日行きそびれた耳鼻科に。しかし、初っぱなから失敗。期限切れの保険証を持っていき、一度自宅に取りに帰る羽目になる(笑)。昨日無呼吸の主治医に、鼻の通りがよくない理由を見てもらうように耳鼻科へ紹介状を書かれたのが、通院の理由。診察の結果、右の鼻の穴が少し狭くなっているらしいけれど、手術が必要な状態ではなく、健康そのものだとか。鼻づまりの時に鼻の通りをよくする薬をもらった。
 次に、広島市より西部にある力田病院というところに行く。これは、私の無呼吸の主治医が土曜日だけ勤めており、手続き上一回来てくれとのことで行くことに。車を運転していくのはしんどいし、駐車場があるか心配だったので、電車でいくことにする。電車に乗るには西条駅に行く必要があるが、ずいぶん以前に自転車が盗られたので、試行錯誤の結果、広島大学に車を停めてバスに乗って西条駅に向かうのが一番よいことになっている(自分の中で)。前にも言った通り、バカ正直に広島大学周辺の停留所(中央口・北口等)を利用すると料金が高いので、池の上学生宿舎前停留所から乗るつもりで歩いていきました。停留所についてしばらく経ってもバスは来ない。そういえば広大の前の道路が工事中で、片道通行になっていたなあと思い、遅れたのだろうと思って待っていたのだが、5分以上待っても来ないので「もしかしてもう行ってしまった?」と早合点して「行けるとこまで行こう」と思って歩き始める。もう走っても戻れないくらいの位置まで歩くと、バスが来やがった… 今日は土曜日。バスの数も少ない。このバスの次は30分ぐらい後。こりゃあかんわ、と歩けそうなところまで歩く。結局、大学から40分ぐらい歩いた…
 西条駅から新井口駅まで。新井口駅からさらに山の斜面にはりついた団地の中の病院まで歩く。途中の陸橋がすごく揺れて恐ろしかった(高所恐怖症なので…)。病院ではカルテを書いてもらって帰る。めったにこない広島市の西部にやってきてただで帰るのは面白くないので、もう少し歩いて大ショッピングモールのアルパークへ。着いたのはいいが、特に目的もなく、地理勘もないところだったので、20分ぐらい彷徨う(笑)。何もせずに帰ることにした(笑)。
 大学に戻ったのは19:00ごろ。「大日本教育会・帝国教育会の群像」を書く。今日は「長沢智水」さん。再び広島市の小学校校長さん。「群像」ですでに書いた人は広島西部の人が多いので(資料の関係上)、ここしばらくは広島市の教育関係者を書いていきたい。
 終わったので、このブログを書く。台風の影響か、突然強い雨が降り出した。おなかもすいたし帰ろう。やっぱり今日も何もした気がしない。時間を効率的に使いたい。ダメな原因はやはり朝。起きられないから時間がなくなる。ちょっと気合いれんと。
 明日からは頑張る予定。
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母親の

2005年09月01日 21時56分50秒 | Weblog
 今日は、まず大日本教育会・帝国教育会に関する年表作成(大正10年、ほとんど進んでない…)。年表作成には機関誌を使っているのですが、作業のついでに書籍の広告を見て面白そうな題名を書き留めています。明治期のころは書き留める名前も多くなかったのですが、大正期の半ばをすぎたごろから面白そうな名前が突然多くなり、今ではキリがないぐらいあります。大正期の教育史研究をする研究者は多いですが、なるほどその気持ちがようやくわかりました(笑)。
 その後機関誌を図書館に返却した後(雑誌は即日返却なので)、博士論文の副指導教員とばったりあったので、先行研究に関する質問をしました。すると、その論文を持っているからコピーさせてやるとのこと(ちなみに、ご本人の論文です)。お借りしてコピーし、十数頁だったので一気に読み切りました。
 最後に「群像」の執筆。今日は「三上主一」さん。明治期広島市の小学校校長です。ちなみに昨日、広島市立図書館に行って来て資料が増えるはずだったのですが、小学校教員の資料は学校の記念誌ではその任に堪えないことが判明。中等学校以上の教員に関する資料と、教員の顔写真だけとってくるはめになりました。ううーん、小学校教員について詳しく調べるには、やっぱ学校沿革誌にあたるしかないか… まあ、それはキリがないので、とりあえず今使える資料を使ってしまおう。
 「群像」の執筆終了後、さて帰ろうか、と思っていると、母親から電話が。インターネットサイトの検索方法を教えてくれという。30分電話でやりとりするが、なぜか成功してくれない。googleのサイトに飛んで、検索ワードを打ち込むだけのことを30分も教えてできないとは… むしろ俺がショックです(苦笑)。
 できないので後回しにするとのことで一端電話を切った数分後、ふたたび母親から電話。できた、という。教えたとおりにできていなかっただけだったとか… ううーん。
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