12月10日に中央教育審議会総会で、同「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会「「令和の日本型学校教育」を担う新たな教師の学びの姿の実現に向けて(審議まとめ)」が審議されました。これが報道されてから、免許更新制廃止の代わりに研修履歴管理システムを構築することが、一部で話題になっています。
忙しすぎるので、詳細を踏まえての検討は別の機会にしたいのですが、私は次のように思います。
まず、一部に研修を「管理」されることに対する拒否感があるようですが、教員制度が国の制度の一部であり、「研究と修養」に努めるべき存在として法的に定められている限り、教員の研修が「管理」されることを免れることはできません。管理されるべきか否かそのものを議論しても、有効な議論はできないと思います。もっと肝心な問題は、行政・管理職がどのように教員の研修を管理するかです。すなわち、「その管理は教職の専門性を確保できる管理か」、または「教職の専門性はいかに管理されるべきか」という問題です。今の中教審の議論を踏まえれば、「教師の研修履歴の管理システムが対象とすべき研修をどう作り、認めるか、そのシステムをどのように運用すべきか」という問題です。
行政が教職に対してやるべきことは、公的権限の委譲であり、教職の専門性の権威づけであり、最低限の専門性が備わっているかの確認であって、教職の専門性の上限を制限することではありません。管理は物事をなるべく均一にして公平さを保障するための働きですから、状況に応じてうまく対応したり、よりよいものを生み出したりすることはあまり得意ではありません。専門性の質のうち、均一にすべきものはあります。質の下限のところです。逆に、均一にしてはならないものもあります。それは質の上限のところ、「よりよい」ところです。そのため、教職の専門性の質保証と向上を企図するなら、管理されるところをなるべく最小化して最低限の質を保障するシステムを作るとともに、教員の自主的な研修を最大化して奨励し、教員個々の個性やキャリアに応じて必要な個々の専門性の向上を図るシステムを構築することが必要です。そういうニーズに応じるなら、研修プログラムを政府・行政に任せきりにしないことが大事です。政府・行政の第一の仕事は管理ですから、政府・行政に任せていると、当然、管理的に必要な研修プログラムしか出てきません。
教職の専門性を高めていくには、政府・行政は最低限の質を保障することに徹して、教師自身が主体的に質の向上に取り組むことが必要です。しかし、教師個人でこれをやるのは大変なことです。だから、組織的にやる仕組みを作らなければならない。それこそ教育関係の団体の出番です。日本教育史を振り返ると、かつての日本にはたくさんの教育関係団体が、教員や地域のニーズを掘り起こしながら、様々な教員の研修機会を積極的に生み出してきました。教育会史研究の成果は、教員たちがテーマ出しや研修計画の立案に関わってきた史実を明らかにしています(白石2017)。戦後にも、教育研究団体などのたくさんの団体が様々な研修機会を提供して、たくさんの教師が主体的に学び、レベルアップして教育の質向上に寄与してきました。それらの仕組みや実績が、正式に教員の研修システムの中に取り入れられてこなかったのは、日本教育史上残された重要課題の一つです。戦前は、私立団体が提供した研修履歴といえど、教員たちは履歴書に記録して、採用・資格上進などの際に参考にされていた事実があるのですから(小学校教員検定史研究参照)、こういう仕組みがまったく実現不可能なわけではないはずです。
既存の教育関係団体は、これから研修プログラムの開発にもっと積極的に取り組むべきです。行政や行政の関連機関、そして大学がやってもいいのですが、それだとこれまでと同じです。私は、それら以上に、教師を構成員に含む教育関係団体や教育学会がもっと積極的に研修プログラムの開発に取り組むべきだと思います。単独で無理ならコンソーシアムを作ってできることを出し合えばいいと思います。研修プログラムには、すぐ使えるスキルトレーニングから、学術的な深い研究につながる講義・演習まで、教師のニーズを取り入れながら様々なプログラムが開発され、それらを教師たちが自主的に選んで受けていける仕組みが今こそ必要です(もちろん、研修のための時間と資金を確保する仕組みも併せて必要です)。今、歴史はあっても、現代的な存在意義を問われている教育関係団体は多く存在します。研修プログラムの提供は、教育関係団体にとって存在意義を保障するきっかけにもなると思いますので、悪い話ではないはずです。
現代日本の状況から見て、行政は「研修としてカウントされるべき」研修をどうしても管理しなければならないのでしょう。それなら、研修プログラムの届出制・登録制・ライセンス制などの仕組みをつくるのが良いのではないでしょうか。行政が全部を用意しなければならないということはありません。また、その基準がおかしいならば、その仕組みの在り方を議論すればいいのです。
忙しすぎるので、詳細を踏まえての検討は別の機会にしたいのですが、私は次のように思います。
まず、一部に研修を「管理」されることに対する拒否感があるようですが、教員制度が国の制度の一部であり、「研究と修養」に努めるべき存在として法的に定められている限り、教員の研修が「管理」されることを免れることはできません。管理されるべきか否かそのものを議論しても、有効な議論はできないと思います。もっと肝心な問題は、行政・管理職がどのように教員の研修を管理するかです。すなわち、「その管理は教職の専門性を確保できる管理か」、または「教職の専門性はいかに管理されるべきか」という問題です。今の中教審の議論を踏まえれば、「教師の研修履歴の管理システムが対象とすべき研修をどう作り、認めるか、そのシステムをどのように運用すべきか」という問題です。
行政が教職に対してやるべきことは、公的権限の委譲であり、教職の専門性の権威づけであり、最低限の専門性が備わっているかの確認であって、教職の専門性の上限を制限することではありません。管理は物事をなるべく均一にして公平さを保障するための働きですから、状況に応じてうまく対応したり、よりよいものを生み出したりすることはあまり得意ではありません。専門性の質のうち、均一にすべきものはあります。質の下限のところです。逆に、均一にしてはならないものもあります。それは質の上限のところ、「よりよい」ところです。そのため、教職の専門性の質保証と向上を企図するなら、管理されるところをなるべく最小化して最低限の質を保障するシステムを作るとともに、教員の自主的な研修を最大化して奨励し、教員個々の個性やキャリアに応じて必要な個々の専門性の向上を図るシステムを構築することが必要です。そういうニーズに応じるなら、研修プログラムを政府・行政に任せきりにしないことが大事です。政府・行政の第一の仕事は管理ですから、政府・行政に任せていると、当然、管理的に必要な研修プログラムしか出てきません。
教職の専門性を高めていくには、政府・行政は最低限の質を保障することに徹して、教師自身が主体的に質の向上に取り組むことが必要です。しかし、教師個人でこれをやるのは大変なことです。だから、組織的にやる仕組みを作らなければならない。それこそ教育関係の団体の出番です。日本教育史を振り返ると、かつての日本にはたくさんの教育関係団体が、教員や地域のニーズを掘り起こしながら、様々な教員の研修機会を積極的に生み出してきました。教育会史研究の成果は、教員たちがテーマ出しや研修計画の立案に関わってきた史実を明らかにしています(白石2017)。戦後にも、教育研究団体などのたくさんの団体が様々な研修機会を提供して、たくさんの教師が主体的に学び、レベルアップして教育の質向上に寄与してきました。それらの仕組みや実績が、正式に教員の研修システムの中に取り入れられてこなかったのは、日本教育史上残された重要課題の一つです。戦前は、私立団体が提供した研修履歴といえど、教員たちは履歴書に記録して、採用・資格上進などの際に参考にされていた事実があるのですから(小学校教員検定史研究参照)、こういう仕組みがまったく実現不可能なわけではないはずです。
既存の教育関係団体は、これから研修プログラムの開発にもっと積極的に取り組むべきです。行政や行政の関連機関、そして大学がやってもいいのですが、それだとこれまでと同じです。私は、それら以上に、教師を構成員に含む教育関係団体や教育学会がもっと積極的に研修プログラムの開発に取り組むべきだと思います。単独で無理ならコンソーシアムを作ってできることを出し合えばいいと思います。研修プログラムには、すぐ使えるスキルトレーニングから、学術的な深い研究につながる講義・演習まで、教師のニーズを取り入れながら様々なプログラムが開発され、それらを教師たちが自主的に選んで受けていける仕組みが今こそ必要です(もちろん、研修のための時間と資金を確保する仕組みも併せて必要です)。今、歴史はあっても、現代的な存在意義を問われている教育関係団体は多く存在します。研修プログラムの提供は、教育関係団体にとって存在意義を保障するきっかけにもなると思いますので、悪い話ではないはずです。
現代日本の状況から見て、行政は「研修としてカウントされるべき」研修をどうしても管理しなければならないのでしょう。それなら、研修プログラムの届出制・登録制・ライセンス制などの仕組みをつくるのが良いのではないでしょうか。行政が全部を用意しなければならないということはありません。また、その基準がおかしいならば、その仕組みの在り方を議論すればいいのです。
参考文献
・白石崇人『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』溪水社、2017年。