教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

趣味の話―落語とかマンガとか

2010年05月30日 23時11分06秒 | Weblog

 土曜は古巣での研究会に行って発表してきました。先週が先週だったので、日曜は思いっきり休みたくて日帰りでした。車運転、往復8時間。行きは音楽を、帰りは落語のCDを聞きながら。今回の記事は、なんとなく趣味の話です。どうでもいい話題ですが(笑)。
 最近、落語を長距離移動のときによく聞いています。なぜかというと、①聞き手を楽しませる話術を知りたいから、②単純に誰かの話を聞いて楽しみたいのだけど、移動しながらだとラジオのチューニングが面倒だから、③昔「タイガー&ドラゴン」というドラマ(落語をモチーフに現代風にアレンジした)が好きだったから。人情噺が好きなようです。「芝浜」がとっても好きです。
 昨日、ようやく、とよ田みのるの『友達100人できるかな』の最新刊(3巻)を手に入れました。地元の本屋になかったので、旅先で見つけました。以前、『アフタヌーン』(講談社)という月刊マンガ雑誌が好きだということは話題にしたことがありますが、この作品も『アフタヌーン』に所収されている作品です。とにかくこの人の作品は、純粋で、まっすぐで、そして熱い! キャラクターたちは、どことなく不思議だけど魅力的。新作を読むたびに、必ず一回は泣かされます。年をとって涙腺がゆるくなってるから、余計に(笑)。作品の内容については、私の固い解説をつけるより、一度読んでもらったほうがよいのでよします。とよ田さんは、『ラブロマ』(全5巻完結)を連載していたころから好きな作家でした。『FLIP-FLAP』(全1巻完結)も好きです。

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全国地方教育史学会第33回大会雑記

2010年05月27日 21時07分25秒 | 教育研究メモ
 激烈な体調不良のため、ちょっと時間があきましたが、先日の土日について。全国地方教育史学会第33回大会に参加・発表してきました。
 22日(土)、大会第1日目。九州大学大学文書館の主催による資料見学会に参加しました。まず、九州大学大学文書館の職員諸氏から、同館の事業等について説明を受けました。とくに、S氏がおっしゃった「大学史はその大学の存在証明である」という主張には、まさにそうだと首肯させられました。大学の年史を関係者による文集的な内容にしてしまうところも少なくないように思いますが、その大学は自校のためにも、時代ごとにどのような役割を果たしてきたかきちんと押さえなくてはならないのではないか、と改めて思いました。説明後、同館内の施設を案内され、九州大学の各部署から集められた諸書類の保管状況を見て回りました。なお、当日は、九州大学史料室(同館の前身)のパンフレット、『九州大学大学文書館ニュース』第30~34号、および『九州大学大学史料叢書』第18輯(米国人文科学顧問団記録を所収)が配布されました。
 夕方からは、古い酒蔵を改装した店内での懇親会に参加。従来から交流のある方々との再会だけでなく、新しい出会いのある懇親会となり、近年にない充実した会でした。とくに、常々お会いしたいと思っていた沖縄教育史(教育会も研究対象とされている)研究者であるK氏とかなり交流できたのはラッキーでした。K氏からは、学生が以前私が公開していた資料を使っていたとうかがったのは、驚きました。また、K大のTさんから、私の「大日本教育会・帝国教育会の群像」の某記事がご自身の研究に役立ったことを伺い、とてもうれしく思いました。研究成果を公開することの意味の大きさを感じ、やり続けてきてよかったと思うと同時に、その責任の重さを感じさせていただきました。
 23日(日)、大会第2日目。私は、第1会場にて、「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題関心―地方教育雑誌『東伯之教育』を用いて」と題して、発表しました。明治期倉吉の教育・教員の実態について、全国の教育史研究者へ少し情報提供することができたのではないかと思っています。発表後、さまざまな意見やアドバイスをいただき、今後の研究に資するところ大でした。とくに、教員検定を研究されているI氏から直接アドバイスいただけたのは幸運でした。また、H氏から、『東伯之教育』という貴重な史料を発見し研究したことを評価していただいたのも光栄の限りでした。
 そのほか、同じ部会で発表されていた、明治初期における漢学師匠の役割変容をめぐる地域の反応、昭和期奈良の小学校における学力不足児対象の特別学級開設についての発表を聴き、それぞれ資料を収集しました。その他、発表は聴けませんでしたが、いくつかの発表資料を収集しました。また、抜き刷りを下さった先生方、ありがとうございました。
 その後、公開シンポジウム「福岡における地域と大学の歴史」に参加しました。そこでは、九州帝国大学(九州大学)・明治専門学校(九州工業大学)・福岡高等商業学校(福岡大学)の3校を事例に、それぞれの大学の地域における歴史的役割が検討されました。戦前から高等教育機関が多様であった福岡の地域性が見える内容でした。自分のこれまで住んできた愛媛・広島・鳥取における高等教育機関はどうだったのか、というような新しい興味がわく、いい機会でした。
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地方教育史研究の醍醐味?―具体的な教育の姿を垣間見る

2010年05月20日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 先ほど、ようやく週末の学会発表の準備が仕上がりました。週末の発表準備がひとまず完了したのは、かなり重荷がおりた感があります。まだ本番があるので気は抜けませんが。
 今週日曜に発表する題目は、「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題関心―地方教育雑誌『東伯之教育』を用いて」です。この間記事にした内容そのまんまの題目ですね。研究した結果、今回は小学校普及問題と中学校増設問題とに絞りました。教員集団の再組織化という興味深いテーマも見出せる興味深い史料だったのですが、前2つの問題の上にさらに取り上げると、とてもひとつの発表に収まらないので、別の学会でまた発表する予定です(夏に予定)。
 明治30年代という時代は、小学校就学率の急激な上昇(小学校制度導入以来、はじめて就学率90%を超えた)と中等教育機関(中学校・高等女学校・実業学校および師範学校)の増設・拡充が顕著に見られた時代です。こういう激動の時代に、鳥取県倉吉という一地方において、教員たちは何を問題として意識したのか。今回の発表では、とくに高等小学校と中学校とに対する問題意識に絞り込みました。急激な教育拡充がまさに進行していた最中に、高等小学校増設や中等教育機会の拡大について、教員たちはどう認識し、どこを問題として意識していたのか。こういう研究問題の設定と『東伯之教育』という史料とによって、従来よく研究されてきた政策立案者の考え方ではなく、現場の、教員の生に近い考え方をさぐることが少しはできたのではないかと思います。
 研究過程において、資料上面白いなと思ったところをひとつご披露させていただきましょう。『東伯之教育』誌上では、某教員が中学校増設論を唱えていたのですが、その根拠として中学校進学について保護者へ自分でインタビューした結果や、教え子である高等小学校生に行った進路希望調査の結果<などを使っていたのです。これほど生々しい資料に出会えるとは思わなかったので、研究していた私も正直驚きました。中央のことを研究していたときには見えてこなかった、地域における具体的な教育の実態が少し見えてきます。地方教育史研究の醍醐味はこういうところにあるのかもしれませんね。
 詳しくは、当日の発表を聞いていただくか、発表後どこかで活字化する予定なので、それを読んでいただければと思います。発表は、全国地方教育史学会第33回大会(於・九州大学馬出地区薬学部第2講堂・第3講堂)の第1会場、10時半~11時です。
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研究の楽しさ

2010年05月13日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 来週5月22日・23日、九州大学にて全国地方教育史学会が開かれます。この学会は私が大変お世話になった学会で、最初のレフェリー論文を機関誌に掲載していただいた縁のあるところです。この数年、直前に腰を痛めたり、参加費用不足に陥ったりしたため、大会に参加できずじまいでした。今の職場に着任して2年目になったし、九州福岡での開催なので、今年はようやく参加できそうだなと思っていました。そして、参加するなら発表したいネタがあったので、久しぶりに参加・発表のエントリーしています。
 発表するのは、明治30年代初頭の鳥取県倉吉にいた小学校教員が抱いていた問題関心についてです。地方に住んでいた一教員の頭の中を明らかにした教員史研究は、個人思想の研究でない限りあまりないと思うので、それなりにオリジナリティはあるのではないかと思います。ましてや、鳥取県倉吉に在職していた教員の問題関心についてはまったく研究されていないので、「地方教育史」の学会である当学会で発表するのにまあまあ適当なのではないかと思っています。明治教員史研究の課題のひとつが、明治期に生きていた教員の実態を再構成することにあるとすれば、これは意義ある研究だと思います。
 地元に『東伯之教育』という倉吉在職の小学校教員が編集した雑誌が残っていまして、それを使っての研究です。今回で全部使い切ってやろうと思っていたのですが、調べるとどうも興味深い研究問題がゴロゴロしていましたので、今回では使い切れそうにありません。もう一回くらい別の学会で研究発表をすることにしました。なかなか面白い史料です。
 それにしても、研究というのは、完成しかかった時が一番楽しいです。研究をしている間は何でこんな苦しいことを続けているのか、と思うことが多いですが、あるとき突然テンションがあがる瞬間があります。それは、それまで見えていなかったものが見えてきたとき。このときのうれしさといったら、何ものにも代えがたいものです。完成してしまえば、しばらく眺めて満足感には浸りますが、たいてい次の研究に関心がもう移っています。完成した論文は、もちろん努力の結晶として大事なものですけどね。研究をすれば、次すべきことが見えてくる。次の研究にとりかかり、そして次のすべきことが見えてくる。この繰り返しです。
 なぜそんな繰り返しを続けようと思うのか。ある意味、「無間地獄」です(笑)。やってもやっても終わりがないのですから。それでも続けるのは、やはり、完成しかかったときのうれしさ、これをまた味わいたいからというのは理由のひとつだと思います。それは知的快楽であり、知的欲望の実現であり、知的探求の意欲の始まりです。自分ではない誰かのため、社会のため、国のため。それも理由のひとつですが、それだけで苦しい研究を続けられるほど人間は強くないのではないかと思います。「研究が楽しい」。そういう個人的な楽しみがなくては、研究って続けられないのではないでしょうか。
 …ぁ、また睡眠時間を削ってしまった…もう寝ます。では。
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自作純邦楽曲その5「唐牡丹」

2010年05月04日 01時53分23秒 | 純邦楽

 せっかくのゴールデンウィークですが、1日は県立公文書館と県立図書館で史料調査。2日・3日は、科研の研究会のため、東北大学に行ってきました。連休明けは授業づくめなので、5日はその準備をしなくちゃ。4日は休んどかなきゃ。…こんな感じで、なんだか落ち着かない連休をすごしております。GWだと思うとやってられないので、普通の休日だと思っています(笑)。
 今回は、自作純邦楽曲の「唐牡丹」を公開。適当に牡丹らしきものを描いて動画を作りました。5作目の「唐牡丹」は、それまでの作曲の経験を生かすことができており、今のところ自作曲のなかでは、一番完成度の高い曲だと思っています。

唐牡丹

美しき富貴の花よ
大いなる地より来たる富貴の花よ
いにしえより大きくかつ大きく
幾重にも重なる花弁
色鮮やかな紅
純粋なる白

赤裸々なる美
明白なる品
豪華なる美を幾重にもまとい
人々のさまざまな想いを受け止めて
万様の姿を咲き誇る

美の奥は如何に
美は飾るのみでは身につかぬ
品の内は何が
品は不動の心の静けさ

古き大輪の華より生まれし牡丹よ
永い時を超えて今ここに
君は在る


           (白石崇閃 2005年作曲 9分34秒)
           (笛・尺八2・三絃2・箏2・十七絃1・打楽器)
           (初演 2006年7月9日ぐるーぷ樹第32回日本音楽コンサート・於広島市)

ひとことコメント
 この曲は、同じようだけれども少しずつ違うメロディーを重ねて仕上げました。タラランタラランと重ねていくメロディーが少し気に入ってます(^^;)。牡丹のつぼみがふわーっと咲く様子をイメージしていただければと思います。最後の二つの箏のハーモニクスが決まればばっちりでしょう。
 相変わらず三絃を入れた大合奏曲を書いてみました。

 (以下は初演コンサートのパンフレットに書いたものを少し訂正したものです)

 牡丹の花の歴史は古く、唐代中国以来たくさんの人に愛でられてきました。日本には、薬用として中国から輸入されて入ってきたようです。その後様々な改良を加えられ、今では多種多様な色・形をした牡丹があるようです。牡丹の花の豪奢な美しさと気品は、もともと備わっているものでもあるでしょうが、それは、やはり数百年もの長い年月を経て、様々な人々が改良を加えてきた「たまもの」であろうと思います。
 美や品は、持って生まれたものだけでは、ただそれだけのものに過ぎません。様々な物事を経験し、考え、様々に努力し、工夫した時、本当の美や品が生まれ、生まれ持った美しいものがさらに輝くのだと思います。牡丹の花の美や気品は、人、とくに女性の美や気品に通じると思います。本作品は、人間の成長、とくに精神的な成長の美しさや貴さを表現しようとした作品です。
  (動画から下、2006年ごろ執筆か)

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かつて見た火

2010年05月01日 03時26分22秒 | Weblog

 少ない過去の わが身重ね 今を見る
 油断 非礼 あてもない わが願い
 いずれ知るか 知らざるか 自らの姿
 いや 知らなくとも よいのかもしれない

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