教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

問題問題問題…

2006年09月28日 21時17分57秒 | 教育研究メモ
 今日は、比較的起床成功ぎみに起床(?)。I先輩の電話で目が覚めて、そのまま登校しました。昨日は博士候補論文の件で落ち込んでいましたが、今日は何とか立ち直りました。もちろんショックなのは変わらないのですが、いつまでも落ち込んでいてもしかたないので、今の自分ができる範囲で前へ進もうと思います。しかし、眠い。
 登校後、研究科紀要用論文の書き直し。この論文の指導はもうしてもらえそうにないようだし、〆切は29日ですが、今日中に提出可能な状態にしてしまいました。直した内容は…なんだかちょっとよくなったかな? 17時過ぎ、完成したので、Y先生に渡す(研究科紀要原稿の提出は主任指導教員を通すので)。
 晩飯を食べて気分転換。もう一度研究室に戻って宗像誠也『教育研究法』を読む。このところ「教育研究」の概念にこだわっているので、戦後の教育研究概念の出発点ともいえるこの著を、(前にも読んだことはあるのですが)読み直しているところです。この著に見られる戦前教育学批判は、極めて極端で、戦前教育学を全否定しています。もちろん、戦前の反省に基づく新しい教育学の構築を推進するための出発点を作ったという歴史的な意味はある。しかし、日本の教育学を再検討する必要がある今、この戦前教育学史観は再検討すべきだと思う。この教育学史観の下では、問題点を探すことはできても、戦前教育学の継承すべき所は継承し今に活かそうという立場は生まれてこないので。事実認識の点では、私の拙い知識でもいただけないところばかり。歴史的事実を掘り起こし、戦後直後の教育学者の戦前教育学史観を乗り越えて新しい歴史観を再評価していくことが、現代日本の教育学の再構築につながるんだろうなと思います。
 ちなみに、同著を読んでいる理由は、つい先日からもう一つ別の理由が付け加わりました。同著は、教育研究を進めるに当たって、問題設定の重要性を強調している著作です。自分のやり方では研究の問題設定がなっていないと言われ、行き詰まっている今、問題設定ってどうしたらいいの?と素朴に答えを探しています。私自身、常に問題意識は明確に持ってきたつもりなんですけど、どうやったらその問題意識を論文に反映できて、指導教員たちを納得させられるのか、がわからない。これをそのまま論文に書いても仕方ないだろうしなぁ。
 それこそ、問題は問題意識と具体的テーマ(教育会)の連結と、説得力か…
 つーか、何年も前に書いたこの問題意識、書いたことすら忘れてた… 全然勉強せず、「教育問題の解決を目指す科学的方法=教育研究法」なんてことも知らずに書いたはずなのに、意外に本質をついている(笑)昔の自分の文章を見ると、勉強しても答えが見つからず、もがき続けざるを得ない今の自分の姿が滑稽で涙と笑が同時に出てくる。ただ、何年も「全国的教育会」の部分を書いていない(書けなかった)のが、当時の限界だったのだろうし、おそらく今の苦しみもそこにあるんだろうな。
 文章がわけわからんようになってきました。
 迷い道を迷っていますネ~。
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研究科紀要の博士候補論文の結果

2006年09月26日 19時47分38秒 | Weblog
 研究科紀要用論文、博士候補論文としては認められず。ぁ~
 理由は、細かい作業を積み重ねているのはわかるが、自分自身の問題意識が現れていない、概念説明ができていない、概念同士の関係が明確でない、先行研究の整理が不十分である、だそうです。滅多切りだ…
 普通の院生論文として提出することに決定。29日が〆切なのですが、直しますと言うともう提出していいとのお言葉。あっ…もうダメなんですね… わかりました…とりあえず、今日言われたことで直せそうなところは直して、提出しよう…
 これで、8月に投稿した論文が一つも採用されない場合は、3月までの博士論文執筆はできないということに。弱気になってしまったので、「博士論文を書ける見込みはありますか?」とY先生に聞いてしまいました。お答えは、「今のままではダメ。がんばって論文の各ポイントが一定のレベルに達することができたら見込みはある、としか言えない。もちろん我々指導グループはそれに到達できるようにサポートしていく。」とのこと。テーマは大事だし、大日本教育会・帝国教育会を対象とするのはもちろん結構だ、とのこと。ただ私の場合、問題は研究以前の問題設定のようで。大風呂敷を広げすぎてもいけないし、箸にも棒にもかからないのもダメ。では適切な問題設定をするには、「教養」が必要だ、君に足りないのはそれだ、とのご指導をいただきました。「教養」を身に付けるには史料ばかり読んでいてもダメで、いろんな本を読んでそういう「教養」をぼちぼちと身に付けていくことが、私が今しなくちゃいけないことだとのこと。正直、「そんな悠長な…」と思ってしまいましたが、博士論文は学問であり一定のレベルが求められる、指導グループは内容を磨き上げる指導をし(今回の場合は不足している点を厳しく指摘する)、学問の立場から正当な評価をしなければいけない、というY先生の考えもお立場も当然だと理解できます。Y先生には、3年で博士論文を書き上げるという目標は理解できるし、それに向けてがんばっているのはわかる、次は日本教育学会編『教育学研究』に投稿するなどの方向でがんばっていきなさい、とのこと。えぇっと、もう投稿してしまいました… 8月に投稿します、といちおう言っておいたはずなんだけどなぁ。直しようも指導してもらいようもないや…はっはっは(ヤケ)。
 ちなみに、かつての論文(2)が、すでに投稿してしまった『教育学研究』の投稿論文です。まー、よく考えると、8月中に投稿した投稿論文の結果は12月ごろに出るとのことだし、今頃から投稿したって、いくら『教育学研究』が年4回紀要を出しているからって、結果が出るのは来年2月以降だと思う。指導してもらえないのはかなり悔やむところだけど、すでに投稿しておいて正解だったともいえるかな。8月当時のY先生は、私のことでいえば、紀要論文の審査に力を入れてくださっていたので、とても言い出せない状況だったしなぁ。
 来年3月までに博論が書けるかどうかは、8月に投稿した論文(1)と(2)がどう評価されるかにかかってきました。博士論文完成へむけて邁進するという目標が未だ立たないのはつらいけど、目の前のことをこなしていくしかないな。あきらめないで…ひたすらに…とほほ

 ちなみに今日は起床失敗。昼ちょっと前に登校。勉強(読書)の際の視点を定めて読書せず、いろいろたまっていた手紙やらなにやらをやっておりました。15時半からY先生のところへ。上記の件について指導を受けました。その後しばらく放心状態(笑)。ブログを書きながら気持ちの整理をする(笑)。
 夜は論文修正したいけど、ちょっと置いておいて、本を読みます。
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先行研究の整理基準 [超入門段階]

2006年09月25日 23時55分55秒 | Weblog

 更新遅れ気味ですんません(^_^;)
 今日は起床失敗。ただし、午前中の登校には成功。眠いけど。
 今日は博士論文の先行研究をひたすら整理。現在、本研究を日本教育学史研究の序説的な位置づけをする方向で、先行研究を整理してみています。教育思想史・教育学説史、教育学研究体制史、教育学の社会史の先行研究はあまりに多く、かなり限定しなくては有効な整理はできない様子。限定の基準は、①一冊の著書にまとまったもの、②学会誌で特集されたもの(しかも日本教育学会編『教育学研究』に限る)、にしました。☆☆通史、または各論でも体系的な先行研究を選ぶための基準です☆☆。たぶん一論文にもいいものはあるんでしょうが、膨大な数の論文をすべて把握してあれもこれもあげつらうのはむしろ問題を不明にさせるし、その中から重要論文を抜き出すにしても、今の私一人の能力ではとても扱いきれないという限界があるので、論文はとりあえず含みません。入れたい論文はいろいろあるんですが、とりあえず学会誌の特集として含み込むことで整理する範囲に含めるに止めました。もちろんいずれやることは必要ですので、論文も含めて整理し、日本教育学史研究を体系化するのは今後の課題としたいです。ひとまず20本の著作・特集に限定して、これから整理していく予定。
 これで良いかどうかは、是非ブログの読者にも聞いてみたいです。また、「これも日本教育学史研究のいい本・特集じゃないか?」という研究情報もほしいです。
 まー、まだ「博士論文を書いていい」とのお許しはいただいていないので、意味があるかどうかはわからんのですが。いや、個別の論文を書いていくにしたって大きな目的・課題が必要なんだし、無駄にはならないか。

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休みたかったけど

2006年09月23日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は休みたかったのですが、ちょっとした諸事情(笑)がありましてひたすら研究しておりました。
 昨晩から午前3時ごろまで、某先生に頼まれていたデータ整理をおこなう。その後、明るくなるまで一休み。
 午前9時から16時半まで、読書。中内敏夫『教育学第一歩』(岩波書店、1988年)の「教育学説史」を読みました。これは、教育学説の羅列になりがちな教育学説史の叙述の仕方に加えて、中内氏のいう「教育の社会史」的な観点が加わったような内容になっています。本の題名からすればこれは教育学の入門書の一部であるはずですが、ちょっと内容的にはむずかしいかな。
 夕方から、長旅の疲れを癒しにホットカモ(健康ランドのような温泉)に行ってきました。ようやく休みに入ることができました。
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資料調査最終日

2006年09月22日 22時43分16秒 | Weblog
 今日は資料調査最終日です。今日はチェックアウトをしないといけないので、時間通り起きる。荷物が重くなってしまったので、段ボールに詰めて郵送。
 今日の予定は、中央区京橋図書館と東京江戸博物館へいってこようと思っていましたが、ご存知の通り昨日、行きそびれたところがあるので、そちらを優先しました。今日予定していた調査先は、目当ての資料があることがわかっているわけではないので。
 ということで、東京学芸大学へ行って来ました。同大学は東京府(都)立の師範学校(青山・豊島・大泉・東京青年)を包括して創立された大学です。東京府青山師範学校と東京府豊島師範学校の関係者が、帝国教育会役員にしばしばなっていましたし、そもそも東京府師範学校(青山師範)の教員4名が大日本教育会・帝国教育会の前身団体・東京教育会の基礎を作ったので、私の研究にもかなり縁ある学校なのです。何か資料ないかな~と軽い気持ちで行ったのですが、思っていた以上に興味深い資料がありました。が、今直接関係ある資料ではないのですけどね…(笑)。附属図書館の特殊文庫である望月(軍四郎)文庫と松浦(鎮次郎)文庫には非常に興味をひかれました(ちなみに二人とも帝国教育会にも関係が深い。直接の資料はなかったですが)。なお、師範時代の資料はいちおう図書館にあるそうですが、図書館の管轄ではないらしく、扱えないそうで。閲覧すらできないんじゃ仕方ないよなあ。12時直前、大学を出ました。
 昨日までの予定はこれで消化。今日予定していた残りの2つの調査先へ行く元気は、疲れ果ててもうすでにないし、とくにさしせまった資料情報もないので、もう広島へ帰ることにしました。ただ、ちょっとあまりに早すぎるので、もう1つ寄っていく。武蔵小金井駅からそのまま神田まで行き、JR神田駅から少し中央区側へ歩く。そこには常磐小学校があります。この小学校は、上述の東京教育会結成の最初の発端を作った、教育に関する演説討論会(明治12年1月)の会場になったところなのです。移転しているかもしれないので、本当の開催場所とは違うのかもしれませんが、機関は同じなはず。さすがに中には入れないので外から見ただけですが、伝統を感じさせる雰囲気を醸し出していました。拙稿(「東京教育会の活動実態~東京府学務課・府師範学校との関係」全国地方教育史学会編『地方教育史研究』25号、2004年)でもほんのちょっと書いたことがある学校なので、「この学校で開かれた集会から大日本教育会・帝国教育会につながったんだ~」とイメージできて満足しました(^^)。ちなみに、常磐小学で最初の集会が開かれた次の月には、東京府立第一中学(現・日比谷高等学校←資料調査2日目に校門前を通り過ぎたのを忘れてた(笑))に会場が移り、さらに数ヶ月後には上野公園にあった教育博物館へ移りました。その後は、学習院や東京大学などなど。ホントに最初の一回しか会場になってはいませんが、出発点が小学校だったなんて、大日本教育会・帝国教育会の本質をついているようで興味深いです。
 そのまま東京駅まで歩いていく。14時50分の新幹線に乗って帰りました。
 広島経由で西条駅(東広島)に帰り着くと、なんだかやたら寒いぞ。
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資料調査四日目

2006年09月21日 22時10分15秒 | Weblog
 さて、今日で東京での暮らしも一週間目。かなり疲れがたまってきており、予定の時間に起き上がることができない。資料調査(あくまで収集ではないと言っておこう(苦笑))も今日明日でおしまいなので、がんばりたいのですが、体がいうことをきかない… 今日予定していた調査先は、国会図書館、国立公文書館、お茶の水女子大学、東京学芸大学。昼少し前になってようやく起き上がることができるようになり、宿を出発。
 まず国会図書館へ行って、目をつけていた資料を請求、コピーの申請をする。なにかと時間がかかり、予定していた時間を大幅に遅れるはめに。次に半蔵門線・東西線を乗り継いで、国立公文書館へ。ここでの用事は、以前マイクロフィルムに焼いてもらったのはいいが、マイクロフィルムを見る機械が自由に使えないために、ずっと宝の持ち腐れ状態にしていた資料を、紙焼きしてもらうことでした。私の作業でマイクロに撮ったのだから値段もそれほどしないだろうと、よく考えるとあまり根拠のない思いこみをしていたのですが、実際にコピーの申請をしてみるととんでもない値段になってしまうことに気づく。一度は「それでも!」と思い申請したのですが、よくよく考えて「これ以上無駄な金はないな、自分で努力して一枚一枚コピーした方がまだましだ」と考え直し、申請を取り下げて貰いました。…なにやってんだろ俺。
 次はお茶の水へ。しかし、校門前に立ったとき、すでに16時を過ぎている。今週のお茶の水の図書館の開館時間は17時までなので、ぎりぎり。ちなみに、先日の学会で情報収集をしたところ、図書館には興味深い史料はなさそうでした。ただ、いちおう旧東京女子高等師範学校を前身校としている大学ですから、女高師関係者が関わった大日本教育会・帝国教育会研究をしている者としては、一度はこの目で見ておかなくてはいけない。ということで、一応入構させて貰いました。しかし、ここの図書館はいきなりの外来はよろしくない様子(もしかしたら、すんなり入れてくださった東大・筑波大の図書館が特別だった?)。入れてくれそうではあったのですが、迷惑をかけるのは本意ではないので、幸い手続きしなくても入れる場所に、旧蔵書のカード目録があったので、それを閲覧することに止めることにしました。時間がないのでざっと見ただけですが、お目当てだった女高師の某教授の著作すら見あたらないので、ちょっと期待薄かな… 女高師は一度焼けているから、古い史料はあまり期待できないのかもしれない。実際、これが見たい、というものがあるわけではないので、ざっと見るだけに止めました。
 予定ではこの後、東京府師範学校を前身とする東京学芸大学へ行く予定でした。が、お茶の水を出た時点でもう暗くなり始めており、体力も限界に近づいていました。すでに気力で足を動かしている状態なので、今日はもうおしまいにしました。19時には宿に帰りました。
 宿に帰ると、明日帰国するための準備をする。その後、ブログ更新が滞っていたので、それを書き上げる。もういい加減いい時間になってしまいました。
 さて、寝よう。疲れた…
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資料調査三日目

2006年09月20日 23時55分55秒 | Weblog
 今朝も疲れ気味で目が覚める。今日予定しているの料調査先が筑波大学だけなので、ゆっくり起きることにする。昼少し前に宿を出て、秋葉原へ。それからつくばエクスプレスに乗って「つくば」駅へ。一番早くて、片道45分。駅はきれいだし、ゆったり座れて、見晴らしもよく、快適に移動ができました。写真は、帰りに撮った車内のようすです。にしても、片道料金1150円はちょっと高いかな…?
 どんどん都心から離れ、思っていた以上の田園・森林の地に入っていく。つくば駅を出ると、真新しいビルと道路があるのですが、おそらく少し深く入り込めば…。行きはせっかくなのであちこち見たかったので、歩いて行きました。植物が非常に元気です。しかも人工的に育っているのではなく、自然の力で元気にのびのび育っている感じ。まだまだ土の力が強いのではないか、と直観で思いました。それにしても…静かすぎるなぁ。筑波大学のキャンパスに入った後も、しばらく「ここに人はいるのか…?」と思ってしまうくらい、ひとけがありませんでした。附属中央図書館に近づくと、急にたくさんの学生の姿が現れ、面食らってしまいました。
 中央図書館は、非常に使いやすい。旧東京教育大学所蔵(東京高師以来)の図書が収められた書庫も自由に出入りできるし、なにより整理されていて本が探しやすい。図書館に利用する人はいろんな人がいるので、なかなかこういうやり方はできないでしょうが、資料調査に来た人間としては、非常に満足できるサービスを提供してもらいました。なかでも、東京教育大学関係の資料がきちんと整理され、ほぼ自由に見られるようになっているのには驚きました。さすがに校務の細かいことが記されたような資料はなかったですが、一覧や大学関係者が関わった学術雑誌がまとめて置かれていました。また、地方教育会雑誌もたくさん所蔵され、きちんと整理され、なおかつ開架されています。さらに、地方史のコレクションも充実していて、私のような教育会研究をしている者にはしばらく止まって利用したいと思わせる図書館でした。
 地方教育会の雑誌を少しコピーしましたが、きりがないくらい所蔵されているし、さしせまって必要な部分はとくにないので、途中で断念しました。それよりも、昨日コピー請求し切れなかった国会図書館へ行こうと思い、筑波大を発ちました。帰りはバスでつくば駅まで行き、それからつくばエキスプレスで都心へ再び。バスや駅構内で聞こえてきた地元の人のであろう話し言葉を聞いていると、耳慣れないナマリが。これが東の言葉か…
 急いで国会図書館へ。18時ちょうどに到着。しかし、今日は一ヶ月に一回の図書整理日で休館… 急いで損した… それにしても、議員会館あたりはなにやら活気づいているように思われます。まー、時期が時期ですからね。
 19時に中高時代の友人Tと待ち合わせて一杯飲む。Tは、昨年まで研修医をやっていた内科医なのですが、自分と理想をしっかり持ち、弁舌巧みで鋭い観察眼を持っている。毎年会って、そのたびにやりこめられていました。彼にとっては専門外のことなのに、今年も相変わらず鋭いところをついてきて、やっぱりたいしたもんだなこの人は、とあらためて思いました。尊敬する友人の一人です。
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資料調査二日目

2006年09月19日 23時55分55秒 | Weblog
 起床成功。ただし、疲れがたまっていて、きつい~
 今日は、東京大学と国会図書館へ行く予定。まず東大附属図書館へ行ってきました。いつもなら、明治新聞雑誌文庫にも行くのですが、今まで何度も行ったので大体何があるかはわかっている。なので、今日は附属中央図書館にて目録・カード調査。使えそうなものは見つかりませんでしたが。
 昨晩、ふと成城学園教育研究所に行って沢柳政太郎(明治30年代から帝国教育会の役員を歴任、大正6年から会長)の資料を見てみたいと思い立ち、時間がありそうだったので今日行ってきました。しかし、予約が必要だったので電話をすれど、まったく出てくれない。仕方ないので直接行ってしまうことにする。小田急線に乗って成城学園に来たのはいいものの、肝心の教育研究所事務室は電気が消えている… 常設の人員がいないんじゃあ、電話に出るわけないわね(^^;)。資料をじっくり見る時間は今回の調査旅行にはないので、まあいいか。資料目録を売りに出しているらしいので、後でゆっくりと問い合わせてみよう。それから、せっかく来たので附属図書館にも行ってみたのですが、こちらは紹介者がないと入れないとか。昔別の私立学校の図書館へ行ったときは、ちゃんと広大の図書館を通して紹介状を発行してもらっていたのを思い出す。国立の大学図書館は国立大の学生ならすぐに入れるので、甘く見ていたなあ(^^;)。まあ、押し問答しても仕方ないので、おとなしく引き下がる。私立学校の図書館ってのはこういうもんなんだと。覚えておこう。
 小田急線からそのまま地下鉄に乗って、国会議事堂前まで。「前」とはいえ、国会図書館までは、急な坂を上ってかなり歩いて行かなくてはいけないところに出てしまった(^^;)。国会図書館では、教育会関係者の伝記を中心に調べました。最初はPCで検索していたのですが、思いつかなくなったので、目録を順に繰っていく作業を始める。作業を始めて、よく考えたら国会図書館の目録は広大にもあるよな(苦笑)、と気づく。たくさんあるわけではなかったのですが、「おっ、この人の伝記もあるのか!」と、いくつか(自分の中で)新発見をしながら調査が進む。実物を見ると、直接使えそうにないものが多いですけど。19時閉館ぎりぎりまで調査。結局時間が足りなかった。今まではしっかり下調べして資料調査に来て、何の問題もなしに目的の資料を集めていっていた(資料調査ではなく資料収集とでも言うべきか)ので、下調べの重要性をあまり感じることはありませんでした。ですが、今回思うようにいかない調査を行って、限られた時間内で資料調査するには、やっぱり下調べは大事だなあということを実感しました。
 今晩は、大学時代の友人Kと食事の約束。東京駅付近で食事をし、一杯飲んで帰る。Kは普通のサラリーマンなのですが、働きながら保育士の資格をとるぐらいの教育に興味を持つ努力家。毎年東京へ資料調査に行くたびに会っているのですが、教育学の話を聞いてくれるので、ついつい今とりかかっているテーマ(教育学史研究の意味)について長々と熱く話をしてしまう。「おもしろいので是非がんばってほしい」と言ってくれたので、ちょっとうれしい。とりあえず、もう少しコンパクトに話を伝えられるようにならないとね(笑)。
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資料調査一日目

2006年09月18日 22時22分28秒 | Weblog
 今日はものすごく眠く、少しゆっくり起きました。10時少しすぎ、宿を出発。雨は降りそうだけど降っていない。
 資料調査一日目の始まり。今日は、千代田区図書館→都立中央図書館の順にまわり、時間があればその他寄ってみる予定。ただ、千代田区図書館最寄りの駅・地下鉄をチェックし忘れる(苦笑)。何度も行ったことのある神田古書街や日本教育会館の近くなので、適当に近づくように地下鉄を乗り継ぐ。ちょっと無駄に歩かなくてはならないところに出たため失敗したけども、なんとかたどり着く経路を確保。
 今日の目的地での資料調査はそれほど時間は必要ないので、先に寄りたいところへ。寄りたいところとは、千代田区立富士見小学校。この小学校は、大日本教育会・帝国教育会の評議系役員・実務系役員を長年務めていた、小学校校長の山崎彦八の勤務校なのです。なにやらかなり実績のある小学校だったようなので、一度どんなもんかこの目で見てみたかったので行ってきました。建物はおそらく戦後立て直されたもので、今度移転するらしい。参考になりそうなものは外からでは見あたらなかったし、校地も先に移転しているかもしれない(未調査)ので、明治当時のことはちょっとわからないけど、かなり特別な地にある小学校だということはわかる。近くに九段高校・九段中等教育学校など教育機関が集中し、さらに靖国神社があり、皇居にも近い。明治の時代のころは富士山が見える地でもあったとか。何気なく歩いていると、蕃書調所跡地の碑まで。
 富士見小学校から千代田区図書館へ。実は千代田区図書館は、明治20年設立の大日本教育会書籍館を前身とする図書館なのです。とくにそれらしき資料は見つからなかったので(以前チェックしたこともあるし)、千代田区の教育史・学校史を見て、小学校長の名前や写真をチェック。小学校長の名前をチェックするのは、文部省官僚や文部省管轄の学校教員のように、チェックできるまとまった資料(一覧のようなもの)が限定されているため。明治28年と38年の資料は把握しているんだけど、私がよくやる長期的な分析にはちょっと不便なので。また、写真をチェックしているのは、次のような理由のため。すなわち、教育会は機械のような無機質の組織ではなくて、人間の血のかよった集団・団体だというのが、私の研究姿勢の根本。そのため、運営に関わったり、入会していた人がどんな人なのかということは極力チェックしておきたいのです。まあ、2月以来更新してない「大日本教育会・帝国教育会の群像」にいずれ載せたいというのもあるんですが(笑)。千代田区図書館を出ると、小雨が… 近かったので国立公文書館へ行くが、祝日は休みだった…(笑)。
 次は、東京都立中央図書館へ。六本木ヒルズが見てみたかったので、日比谷線の六本木駅から下りて向かう。六本木ヒルズと中国大使館などを横目で見ながら通り過ぎる。大使館に近い道路上には、警官が何人も一人ずつ立っている。何じゃろ、いつもこうなんかな? ともかく、都立中央図書館に到着。この図書館に入って第一印象:国会図書館にそっくり… 図書は開架だけど、入館時に番号札を渡され、複写などの際には番号札が電子掲示板に表示される。そのためか、他の県立図書館や区立図書館とはちょっと雰囲気違うなあ、と感じる。5Fへ。まず特別資料室へ行って、井上(哲次郎)文庫・市村(サン次郎)文庫・実藤(けいしゅう)文庫の目録に目を通す。選択の基準は、次の通り。井上と市村は、大日本教育会・帝国教育会の機関誌に目を通してしばしば見かけたから、市村と実藤は、東洋教育史専攻の先輩たちがよく口にしていたのでどんな文庫なんだろうと思ったから。私のテーマでそのまま使えそうな資料はありませんでしたが、この三人は東洋のことにものすごく造詣の深い学者だったんだな、ということが実感できました。最後に、郷土資料室へ行って区教育史のチェック。複写のシステムが面倒だったので、目を通すだけにする。本としてまとまっているのは、機会を見つけて買おうかな…
 16時半ごろ、本日の日程終了。歩きずくめで疲れたので、都立図書館の隣にある(というより図書館が中にある?)、有栖川宮記念公園で一休み。この公園は、大日本教育会・帝国教育会の推戴員(パトロン)であった、威仁(たけひと)親王を記念して作られた公園らしい。威仁親王の父、熾仁親王(大日本教育会総裁も務めた)の像もあったみたいですが、疲れ果てていたので断念。写真では見たことあるし… 有栖川宮家といえば、最近妙なことになっておりますが(…)、維新期・明治期ともにいろんなことに関わった大事な宮家なんですよ。ちなみに写真は、この公園にある池にたくさんいた鴨。かわいくて、おいしそうだった…(オイ!)
 帰りは、疲れ果ててチェックを怠り、地下鉄の駅を見落とし、少し迷う(笑)。18時ころ帰宅。一日目、直接研究に使えそうな資料は見つかりませんでしたが、歴史観を養えた、なかなか充実した一日でした。
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教育史学会二日目

2006年09月17日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は7時起床。眠い… 大東文化大学へ向かう。
 9時から個人発表。昨晩酔いに任せて失礼な質問をしてしまった某先輩を見つけたので、あやまる。「何かあった?」とおっしゃられていたので、ああ優しい先輩だなあ(^.^;)と思い、安心しました。
 午後、13時半からも個人発表。16時10分からコロキウム。コロキウムというのは、討論会という意味で、研究発表やシンポジウムよりも意見交換の形式としては親密な形式。今回の学会では、教育会、ジェンダー・セクシュアリティ、自叙伝、西洋教育史、教育メディア史の5種類のコロキウムがありました。私は当然教育会のコロキウムへ。このコロキウムの目的は、明治21年秋に森有礼文部大臣が提案した教育会の役割に関する意見の影響を、各地方教育会の実際の反応の中に見てみようということ。事前に設定されていた報告者3人からテーマに沿った報告があり、それについて何か意見を出すという形で進行。報告は福島・埼玉・岐阜の教育会について。知らないことがたくさんつまった内容だったので、報告そのものは興味深かったです。このテーマに沿ってやらなければならない次の作業は、やはり森有礼文相の教育会改革意見の整理、それに対する中央教育会(大日本教育会)の反応、中央教育会の反応と地方教育会の反応の相関関係、さらにある地方教育会の反応と別の地方教育会の反応の相関関係、の解明でしょう。
 18時少しすぎに、コロキウム終了。これで学会日程はすべて終了。帰ろうと外へ出ると、細かい雨が降っている。傘を持っていなかったのでちょっと難儀する。研究室のS先輩と一緒に池袋まで行き、晩飯を兼ねて一杯飲む。

 今回の教育史学会は、個人的には次のようなことを考えさせられました。すなわち、教育史研究の活動における、事実の積み重ねによる歴史の実証と、研究の枠組みの開発による歴史の大きな流れの認識との兼ね合いのあり方について。後者はシンポジウムで指摘されていましたし、今までもしばしば行われてきたように思いますが、まず個人発表では見られなかったように思います。今回私は後者の作業を(無謀にも)個人発表で行い、賛否両論を受けましたが、私は個人発表(またはシンポジウム)でもどんどん枠組みの議論をやるべきだと思います。事実を積み重ねていくのは大事だし、今後もどんどんやっていく必要はあります。ただ、枠組みを設定することによって、初めて認識可能になる事実もあるわけで、より本質を認識可能な枠組みを追求することも大事だと思います。それによって教育史そのものが深い知識になっていくのではないでしょうか。もちろん、枠組みの提案もまた事実に基づくべきなので、事実の積み重ねも大事です。学会は研究発表と意見交換の場であり、どちらか片方だけでは機能不全を起こす気がします。事実解明と枠組開発が相互関連しながら、学会の日程が消化されていくといいのになぁと思いました。
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教育史学会一日目

2006年09月16日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は6時半起きです。8時半すぎごろに大東文化大学に到着しました。すぐに受付をすませて、何人かの先生にご挨拶をして発表の準備。すぐに個人研究発表が始まりました。同じ部会での発表者は5名。私は2人目の発表者。1人目のY会員の発表は私の研究対象に近く、一度別の視点から学会発表したこともある対象だったので何とか質問したかったのですが、適切な質問が思いつかず無理でした。残念。自分の興味の狭さと知識の貧困さを情けなく思います。
 自分の発表はそつなく終わりました。ただ、質問者がおらず残念。教育史学会ではあまり見ない大きな枠組みの話だったので、場違いだったかもしれません。ただ、教育会研究として(日本教育史研究として、とは言わない)、大日本教育会・帝国教育会研究の大まかな意図は認めてもらったもの、と思います。司会のC会員のはからいで、教育会研究では大先輩であるK会員から意見をいただきました。その意見は、私の発表時の枠組みでは曖昧になっていた部分でしたので、非常に有益な意見をいただきました。発表後の返答では正確でない返答をしてしまったので、後の総括討論の際にもう少し詳しく述べました。
 私以外の発表は、私の発表とは違って詳しく丁寧な研究でした。正直言ってうらやましい。そういう研究ができるのは、研究の問題意識や視点・方法がしっかりしていて、なにより資料があるから。大日本教育会・帝国教育会は肝心の本部が震災等でやられているので、雑誌以外の資料はなかなかない(雑誌がそろっているだけでもすごいのだけど)。研究の切り口によっては使える資料はあるのだろうけど、私の研究は純粋に組織論なので雑誌記事の大半を占める論説は使いづらいし、肝心の会報は詳しい時もあればぼんやりした内容の時もある。そういうぼんやりした時、いろいろ周辺資料が必要になるのだけど、広島にいる身ではなかなか東京の団体の資料は集めにくいし、資料情報も手に入れにくい。研究室にノウハウが残されているわけでもなし、独力ではどうにも限界がある。でも、似たような状況でもしっかりやっている人はいるわけだろうから、単なる言い訳にしかなりませんけどね。
 シンポジウムは、「戦後教育史の可能性」。あまり教育史学会関係の研究者が取り上げない戦後の教育史について、教育史研究の課題や通史的枠組み・時期区分論について報告や議論が交わされました。先日H先生の授業を聞いていたので、かなり内容を理解できました。ちなみに、たまたま隣に座った方が、超有名学者で密かに尊敬しているT会員でして、めちゃくちゃ緊張しました。緊張で潰瘍になりそうなくらい。イテテ…。先日の『往来』の試論的論文で同会員の論文を引用したので、ご挨拶すると、とてもほがらかに対応してくださいました。『往来』の文章も読んでくださったとのことで、引用された論文を書いた時に私の主要参考文献で挙げていたものと同じ本を読んで感銘を受けて書いたんだ、と聞き、何だかつながりを持てた気がしてうれしくなりました。教育学史は年を重ねてからすべきテーマだけど、方法によっては可能だから、かんばってね、と激励の言葉をいただきました。うれしい!
 懇親会では、あちこちでお世話になっているたくさんの会員(先生)方にご挨拶。来られている方だけには感謝の意を伝えたくて、うろうろしていると、ほとんど料理は食べられませんでした(苦笑)。資料調査へ行く予定の大学の会員に、資料所蔵保存の状態を聞き資料情報も入手できて大満足。ホントにありがとうございました。

 帰りの電車では、TM会員がおられたのでご挨拶をすると、なんと同郷であることが判明。親しく様々なお話をしてくださり、研究会の案内までもいただきました。ありがたいことです。
 その後、I先輩とS先輩と昨年まで同じ研究室で勉強したT君とで一杯飲む。T君が今晩の夜行バスで帰るとのことで、出発時間にあわせてお開き。
 今日はいろんなことがあった日でした。
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エサ(笑)がほしいんです

2006年09月05日 21時59分02秒 | Weblog
 やばい、やる気が出ない…
 今朝も起床失敗。それ以前に、夜が眠れない。夜が遅ければ当然朝も遅いよな…
 起きたのが遅かったので車で登校。帰りを歩くつもり。
 昼食後、さあ学会発表レジュメをやるぞと机に向かったのはいいけど、まったく筆が(パソコンなので指が)進まない。やばい…特研(ゼミ)まで1週間もないのに…。レジュメ作成が手につかないので、いずれやろうと考えていたパソコンの整備などを始めてしまう私。インストール等の合間に、レジュメ用の資料を読んでいるだけまだマシか…
  
 数日前に後ろを振り向かないと言った矢先にですが、ちょっとこの半年を振り返ると… 3月の論文投稿、4月~5月にかけてのPD申請、5月の学会、6月~7月の演奏会と研究科紀要、7~8月の論文(1)~(4)… 思えば、絶えず頭を使い、ストレスと格闘し、ここまで一気にやってきたような気がします。9月の学会が済めば一段落するので、そこまではなんとか一息に行きたい。ただ、もう2週間足らず、がんばれるはずだ!というのは頭では納得していても、実はすでに体が燃え尽きた状態なのか…?
 だぁ!
 俺にはわかる…
 今のお前は、だ・ら・け・て・るだけじゃ!


 と、書いた後、博論の指導教員の一人である某先生にバッタリ出会い、前回の審査会の際ガンガンに批判された論文(4)(研究科紀要論文)について、「以前より、だいぶよくなっていましたね」とひと言いただく。
 うれしい~! (←根が単純)
 そう、たまにこういう「エサ」がほしかったんですよ!

 晩飯は、助手・教務補佐の先輩方のおごりで、某仕事を手伝った連中と一緒に食事会。めったに一同にかいすることのできない面子で、食事。楽しいひとときをすごすことができました。
 明日はがんばらなきゃ!
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教育学研究体制史について

2006年09月01日 20時20分29秒 | Weblog
 2006年8月31日、日本教育史研究会のニュースレター『日本教育史往来』第163号が発行され、すでに同研究会員に配布されたことと思います。同往来には、拙稿「日本教育学史研究の展望-教育学研究体制史研究の推進」が掲載されました。若輩者が生意気なことを書き連ねた小論文ですが、日本教育史研究会員の方々には、読んでいただけると幸甚です。
 私は、科学史やとくに最近の心理学史の研究に刺激を受け、日本の教育学の歴史を「日本教育学史」とし、その構造を「人物史(学説史・思想史)」「研究体制史(制度史とも呼ばれる)」「社会史」の三つの領域に分けました。そして、本稿は、主に教育学説史との対比から、教育学研究体制史の重要性を説いたものです。私の中では、教育会の研究も、この教育学研究体制史研究に含まれるものと考えています。
 本稿は、今の私の最善を尽くして書き上げましたが、まだまだ深めなくてはならないところがたくさんあります。ぜひ、多くの様々な知識経験を有した諸先生方や、同じ教育学研究・教育史研究を志す院生・研究者方に、ご意見・ご感想等をいただければ幸いです。
 ご意見・ご感想等は、直接お会いした時にお伝えいただいてもかまいませんし、私のメールアドレス宛(s i r a i s i @ h i r o s h i m a - u . a c . j p )でも、このブログ記事のコメントでもかまいません。なにとぞご指導ご鞭撻のほどを、よろしくお願いします。

 今日は2本立てです。1本は教育学・教育史研究に関するもの、もう1本はいつもの日記です。まったく趣旨の違う記事なので、分けました。
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2本立て

2006年09月01日 20時20分01秒 | Weblog
 今日も完全に起床失敗。徒歩で登校。
 この数日なんだか涼しい。肌寒いくらい。セミよりもスズムシが鳴き始めました。天気予報を見ていると、明日はまた厚くなるみたいだけど。
 今日は雑多なことをしていました。第一に、図書館から借りたものの、一部分(一論文)だけ必要な本を、ひたすら必要部分だけコピーしました。第二に、論文執筆にかまけてたまっていたメールの返信および送信を、ひたすら書いて出し書いて出ししました。第三に、今月半ばの東京行きに関して、宿泊場所にチェックイン時間を連絡し、東京における細かいスケジュールを決めました。
 夕方ごろ、ようやく今できそうな用事の処理が完了。それから読書。B.C.ヴィッカリー(村主朋英訳)『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房、2002年)をとりあえず読み切る。さー、次の本を読まなきゃ。

 今日は2本立てです(笑)。1本は教育学・教育史研究に関するもの、もう1本はいつもの日記です。まったく趣旨の違う記事なので、分けました。
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