教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

初集中講義の感想

2009年09月24日 19時36分20秒 | Weblog
 もうすぐ9月も終わろうとしています。こちらは本日、2日間の集中講義をなんとか勤め上げました。教えなくてはいけないと私が思ったことは、出し切ったように思います。修正点もいっぱいあります。まだまだやることいっぱい。
 ちなみに私、集中講義を担当するのは初めて。週1コマの授業とまったく同じペースで授業をしたところ、3限目の終わりくらいから4限目にかけて、息切れ状態になっておりました。目が回るというか、くらくらするというか、そんな状態でした。1日が終わった後は、もう何も手につかないくらい疲れ果ててしまいました。最初から最後まで全霊をかけて教えてたら、そりゃ疲れるよね。集中講義を務めるには、ペース配分にひと工夫必要なようです。
 大学教員のなかには、1限から4限(さらに5限)まで連続して授業しなければならない方もいるのでしょうか。そうなったら、私なら教育・事務に加えて研究しようなんて気になれないよなぁ。
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教職員免許更新制に関する一考察―終身免許の歴史的重みに留意して

2009年09月13日 20時48分32秒 | 教育研究メモ
 先の衆院選の影響で、民主党がにわかに動き出しましたね。妙な動きもあるようですが、一つ気になった動きがあったので、取り上げてみましょう。
 教員免許更新制を廃止しようとする動きが出てきたようです(yahooニュース9/13)。私としては、ようやく国会の中で議論ができるようになったか、というのが率直な感想。教員の不祥事が強烈に社会問題化されて、世論の後押しを受けて成立した教員免許更新制だっただけに、国会の場で冷静な議論がなされることを祈ります。ただ、気になるのは、yahooニュースで見る限り、日本教職員組合だけが廃止を要求してきたような書き方になっていること。日教組の動きは重要だと思いますが、日教組だけがクローズアップされるのは、「日教組」という団体・名前にアレルギーを持つ人々の拒否反応を引き起こすだけで、理性的な議論ができないのではないかと思います。更新制廃止要求の基盤はもっと広く、多様だと国民の皆様には理解してほしいと思います。
 教員の資質向上・力量形成の機会を増やすことは、私も大賛成です。しかし、教職免許を更新可能にし、有限化する方向性には疑問をもたざるを得ないです。教員の資質向上・力量形成のために、免許更新制を採用する必然性はあるのでしょうか。教員の力量不足が問題なら、研修制度を公私共に充実させればよいわけで、免許制度全体に及ぼす必要性はないのではないでしょうか。むしろ、なまじ免許制度にかかわらせたために、予想外の問題を引き起こさないとも限りません。
 実は、日本には、教員免許更新制を採用していた経験があります。明治前期の教員免許は、免許取得から数年で効力を失っていました(終身有効のものもありましたが、大半の免許は有限)。それがためにどういうことが起こっていたか。すなわち、有資格教員の不足。最低限必要な教員数すら足りず、速成で養成された非常勤教員を採用せざるを得ない明治教育の実情。優秀な人材やベテラン教師は、免許期限が切れると同時に他分野へ転職してしまうこともしばしば。これでは、教育の質を保障することもできない。教職の責任・権威・地位も確立させようがない。有期限制度では教員数の確保が難しいという事情が一つの重要な要因となって、明治半ばにおいて教員免許の終身制が始まったのです。
 上のような問題が起こったのは有期限免許だけのせいではありませんが、「有期限だからこそ辞めやすい、腰掛の職業になりやすい」のも真理ではないでしょうか。一つの職業に一生をささげるという意識が薄れ、一般的に転職が考えられるようになってきた近年、教職から優秀または経験豊かな人材が流出しないとは言い切れないでしょう。せっかく戦前戦後を通して高められた教職の質を、低下させる引き金にもなりかねません。古い考え方かもしれませんが、「教職に一生をささげる」という意識は、子どもにとっても、国家社会にとっても貴重なものだと思います。更新制によって教職から去る可能性があるのは、いわゆる「不適格教員」だけではないのです。
 今年、すでに免許更新講習は行われました。とても有意義だったという声もありますが、それは講習内容が有意義だったのであって、免許が更新されたから有意義だったからではないでしょう。免許を流動的で不安定なものとしなければ講習を受けないほど、教員は「自ら学ぶ心情と態度」を失ってはいないはずです。
 先述のように、免許終身制は「当たり前」のものではありません。だからこそ、「当たり前」でないからこそ、我々は、今から百年前の祖先たちが考え抜いた末に出した決断について、もっと真剣に向かい合ってもよいのではないでしょうか。
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カテゴリー「教育研究メモ」を追加

2009年09月09日 18時06分07秒 | Weblog
 心のエンジンがかからなくなってしまい、モチベーションを高めるために苦心している今日この頃。ちょっと調子に乗りすぎて、がんばりすぎたせいかもしれません(苦笑)。
  
 講義用テキストは、教育原理4回分(全15回)、道徳教育3回分(全8回)まで書き散らしました。学内での学術談話会での話題提供やら、学内紀要の原稿やら、集中講義や後期授業やらの準備にかかりっきりで、現在、執筆停滞中です。
 なお、何を思い立ったか、このブログのカテゴリーを追加しました。忙しい時に限ってなぜか部屋の大掃除をし始める、という現象に似ているかもしれません(笑)。追加したのは、「教育研究メモ」というカテゴリー。教育(またはその周辺概念)について、若干まとめて書いた記事を整理してみました。1年くらい前までの記事しか整理してません。また、昔よく書いていた読書感想文は含めてません。あらためて気づいたのですが、いつの間にかこのブログも600記事を超えているという事実に驚き。読書感想文も整理しておきたいですね。またいずれ、心のエンジンがかからないときに、整理し始めるかも(笑)。
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実習訪問で隣県へ、講義用テキスト執筆中

2009年09月03日 20時01分28秒 | Weblog
 本日は、実習の訪問指導のため、隣県の中国山地に分け入ってきました。日帰りで車で往復9時間(行き3時間、指導3時間、帰り3時間)。さすがに疲れました。訪問しなくてはいけない実習園がもう1園くらい多かったら、泊まりで行きたいです。このところ遠出が多くて、腰の調子が思わしくないので、注意しないといけないですね。動けなくなったら、何にもできなくなりますので。
 写真は、隣県の大きな某S湖。写真になるとあんまりよくわかりませんね(汗)。帰り道に撮りました。

 話は変わりますが、実は今、講義用テキストを作成中です。やろうと思った一番の理由は、家計の厳しいうちの学生のために何かやれることはないか、と考えたから。担任やってるといろいろな学生を見ますが、ホントに奨学金がなければ在学すらままならない学生もいます。不況による家計の急変が直撃してしまった学生も出てきています。2、3,000円もする教科書を買わせるのは、本当に忍びない気持ちになります。
 また、私の講義で取り扱う内容は、既存の教科書一冊では対応できないので、個人的にもちゃんとまとめたいと思っていました。口頭説明と板書だけでは理解に限界があるし、予習・復習もしっかりしてほしい。そんなこんなの理由で、講義用テキスト(教科書とは言わないでおく)を作ってます。
 とりあえず「教育原理」(保育者志望者向け、15回分)と「道徳教育」(8回分)に取り掛かっています。正直、途中で挫折しそうです(笑)。先日、「道」と「徳」の語源について、連続して追加したのはその過程で出たもの。画像がほしかったんです。ちなみに、「教」「育」の語源は紹介されていても、意外に「道」「徳」の語源について言及している道徳教育教科書は少ないような気がする? 参考文献は、いつもの『漢字源』です。
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日本教育学会大会参加、8月始末記

2009年09月01日 19時19分50秒 | Weblog
 28日・29日、日本教育学会第68回大会(於・東京大学)に参加してきました。実は、日本教育学会の大会に参加したのは、これが初めて。教育学の諸分野の研究者が一堂に会する学会は、やはり規模が違いました。挨拶しなきゃいけない友人や先輩も多く参加しており、発表以外にも忙しい日々でした。総会での報告によると、第1日目の来会者数だけで500名を超えたそうです。
 発表「大日本教育会単級教授法研究組合報告の内容」はまずまず。昨年『教育学研究』に載せていただいた内容の続きです。同研究組合の研究成果を、高等師範学校附属学校編『単級学校ノ理論及実験』と比較しつつ内容分析し、学級制導入後の教師の資質のあり方を示すものとして捉えようとしました。フロアからは、単級教授法と多級教授法との違い、単級学校教師に求められた「才幹」は養成できるのか、教師教育の文脈における単級教授法研究組合報告の歴史的意義などについて、質問が出ました。思ってもいなかった指摘もいただくことができ、非常に有意義な研究発表になりました。
 私が参加したのは教師教育関係の部会や課題研究などでした。そのため、今教育学会でホットな話題として、とくに現職の力量形成に関する教師教育問題があるのかもしれない、と感じました。今は、反省的実践家としての教師像の普及、不適格教師、免許更新制など、現職教員の力量形成が重要な問題として浮上しています。なるほど、教員養成・研修よりも広く教師の力量形成を捉える「教師教育」が、もてはやされるのももっともだ。この傾向は、常々考えていた研究の方向性と合致するものであり、今後の研究活動への意欲をわかせてくれました。忙しい毎日を割いて、参加したかいがあったと思います。
 研究の向かう先に思い悩む学徒は、まずいろいろな学会に参加してみるといいかもしれません。学会でいろんな指摘を受けたり、発表を聞いたりするうちに、突破口が見えてくるかも。

 昨日、8月末日〆切の原稿も、ひとまず仕上げました。8月は地味に忙しかったです。8月前半は、試験・学生指導に追われっぱなし。机に座って研究できるかなと思ったら、電話がかかってきてお仕事追加。お盆だけ実家に帰りましたが、お盆明けはすぐに8月前半の続きのお仕事。このままでは発表がヤバいと思って、時間を縫うように発表準備に取り掛かり、最終週が始まる前になんとか形にしました。また、最終週からは実習が始まり、実習園へ訪問指導に行きました。そんな中の学会発表。そして、原稿〆切。常にギリギリ綱渡り、スケジュール繰りの難しい月でした。
 何はともあれ、何とか8月は終わり。これで後期の授業づくりに力を割くことができます。また、突発的に大学の仕事が忙しくならなきゃいいのだけど…
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