教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

社会的道徳

2008年09月28日 17時34分38秒 | Weblog
 このところ腰の話ばっかりですね(苦笑)。
 まだ走ることはできませんが、再び普通に歩けるようになりました。油断して再々々発させるわけにはいかないので、気をつけながら生活するとともに、コルセットは手放せません。
 研究科紀要の論文もだいたいできました。月末の〆切までにはなんとか完成させられそうです。題目は「日清・日露戦間期における帝国教育会の公徳養成問題―社会的道徳教育のための教材と教員資質」。日清・日露戦間期における激しい社会変動を受け、新しい社会秩序を維持するための道徳教育(公徳養成)の模索過程について、帝国教育会の公徳養成問題の特徴を明らかにした、と思っています。2006年11月に中国四国教育学会第58回大会で発表した「明治期帝国教育会における道徳教育研究活動」を原案としてますが、かなり大幅に手を加えました。なお、副題中の「社会的道徳」はイコール「公徳」でして、公徳よりはイメージしやすいかなと思って言い換えています。「社会的道徳」は、穂積陳重が帝国教育会で公徳養成を問題提起した際の言葉です。穂積の用語によれば、「社会的道徳」のほかに、「家族的道徳」「人類的道徳」というのがあります。
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再々発…!

2008年09月25日 17時43分12秒 | Weblog
 昨日、椎間板ヘルニアを再々発してしまいました(T_T)。
 楽になってきたので、ある程度普通に生活できるなぁと思っていた矢先。
 …あっ、痛…!
 くそぅ、油断した…
 1度目(5年前)と2度目(先週)よりは痛くない。けど、しばらく座って立ち上がると、力が入らないのと痛いのとで、背中をまっすぐできない。10分ほど横になってから立つとまっすぐ立てる。
 うぐぐ…不便すぎる…!
 2週間で元通り、なんて甘い考えだったみたいで。
 粘り強く治していきます。
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杖なしで歩けるありがたみ

2008年09月22日 18時18分46秒 | Weblog
 ようやく杖なしで歩けるようになりました。まだ腰・足に違和感が残っていますので油断はできません。が、少しホッとしました。
 苦労せず普通に歩けることの、何とありがたいことか。
 杖をついて歩くことの、どれだけ不便でツラいことか。
 5年前に初めて発症した時には、今回よりもヒドい病状・痛みだったのですが、今回ほどそのありがたみ・大変さを感じなかったように思います。初発の5年前は院生でしたので、歩けなければ治るまで家にこもっていてもそれほど問題なかったためでしょうか(オイオイ…)。今は歩けなくとも苦労して出勤して仕事をしないといけない(いろんな人に休めと言われましたが…そうは言ってもね…)。もう数日すれば普通に歩けるようになるはずですが、治るのが待ち遠しい。
 時々、道行く人の背中を見て、「健康な背中ってうらやましいなぁ」とおかしなことを考えるようになりました(笑)。「次痛みも何もなくなったら、もう二度と再発させないよう気をつかうぞ!」と誓う毎日です。
 土日は、行く気満々だった教育史学会に行けなかったのでへこみつつ、月末〆切の紀要論文を書いていました。休み休み書いておりますが、なかなか充実した感じの内容になりつつあります。
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病状は快方に向かっている

2008年09月18日 21時32分20秒 | Weblog
 先日、5年前の腰椎椎間板ヘルニアが再発した私ですが、病状は少しずつ快方に向かっていると思います。杖なしで立てるようになりました。短時間なら、歩いたり座ったりできるようになりました。ただ、歩けるとは言っても、ほんの少し歩いたり、長い間座っていたりすると、次第に下半身に違和感を感じてきます。何やかんやで腰をかばいながら仕事をしております。
 さすがにまだ、遠出は無理そう。
 この土日に青山学院大学で開かれる教育史学会の大会があります。16日の朝までは、何の迷いもなく行くつもりだったので、未練タラタラです。
 がんばれば行けそうな気もしてしまうので、余計くやしいなぁ…
 でも、がんばって症状を悪化させてはいけないので、ここは我慢すべし。
 今すべきことは、少しでも早く完治するための努力「無理をしないこと」。
 何度も自分に言い聞かせてます(苦笑)。

 つーか、松葉杖を生まれて初めて使ったような気がするのですが(5年前にも使ったかな?記憶にない…)、これで歩くの、ものすごい疲れますね。
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椎間板ヘルニア再発。予定変更せざるを得ず…

2008年09月16日 21時06分13秒 | Weblog
 よりにもよって連休明けに、なぜか大けがしてしまいました。
 椎間板ヘルニアを再発してしまいました。5年前に治療して何ともない状態になっていたのに、なぜか今日になって… 連休はそれなりに休んだのに…
 頭や手は問題なく使えるのですが、立ったり歩いたりすると激痛が走ります。手すりやカベがなにもないところでは立って歩けないので、松葉杖をついてやっと歩けるくらいです。
 そんな状態なので、いろいろ不便。今日なんとしてもしなくてはならない仕事があったのですが、病院からトンボ帰りして悶えながら何とか済ましました。しかし、今週末の出張(教育史学会参加)にはドクターストップがかかってしまい、一転キャンセルしなくてはならなくなってしまいました…。
 あ゛ぁぁぁぁ、、、やる気になっていた上に、楽しみにしていたのに…
 経験上、一週間くらい病院通いをすれば、不自由なく動けるようになるはず。早く治します。
 周りの友人や先生のお気遣いが身にしみます…

 そういえば、連休中にも「大日本教育会・帝国教育会の群像」を更新しました。「清水直義」氏と「久保田鼎」氏。清水の履歴は、同時代の超有名人だったわりに、ホントに断片的にしかわからなくて苦労しました。久保田は、美術行政・美術教育、および博物館運営のスペシャリスト。両人とも、公徳養成問題で重要な役割を果たしています。
 …痛み止めが切れてきたのか、腰が痛くなってきました。いでで…
 それでは今日はこんなもんで!
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開発社長・湯本武比古、それから「公徳」について

2008年09月12日 19時58分52秒 | 教育研究メモ
 今日も「群像」更新です。
 今日は「湯本武比古」氏。明治後期の教育史研究者ならご存知、『教育時論』の主宰者、開発社長です。彼も、明治34~36年の公徳養成問題に、どっぷりつかっていました。もともと徳育に強い関心をもっていたようですが、公徳養成問題と同じ時期に倫理学に関する著書を多く出版しており、同問題に関わったことで彼の道徳論が加速したようにも見えます。私の妄想かもしれませんが…
 「群像」の更新とあわせて、このところポツポツ読んでいた井上哲次郎・高山林次郎(樗牛)『新編倫理教科書』(金港堂、訂正版1898年(初版1897年))を読み終わりました。中学校向けの教科書として構成されていましたが、師範学校でも使われていました。井上哲次郎といえば忠孝・愛国中心の国民道徳論の主導者のように思いますが、公徳(社会に対する道徳)についても全分量の5分の1ほどを割いて説明しています。
 同著によると、家族・国家とは異なる(ただし、矛盾せず重複した)存在として、「社会」という存在があります。社会とは、生存・幸福の利害を同じくする人民の間に存在する共同体です。ここでいう幸福とは、個々人がそれぞれ身体の欲望と精神の需要を充たすことです。社会には、構成員相互の権利・幸福を尊重し、生命・財産・名誉を保証し合って生きていくためのルールがあり、これを「公義」といいます。しかし、公義を守るだけでは、社会に対する義務を尽くしたことになりません。社会に対する義務を尽くすには、「公徳」を実践しなくてはなりません。公徳とは、社会の幸福を増進させることに積極的に寄与することであり、「博愛慈善の精神」に基づいたものです。博愛慈善の精神とは、自己の利益を捨てて他人のために尽力して、なお報酬を期待しないことであり、かわいそうだと思う心(惻隠の心:孟子の言葉。「仁」の源)を拡張したものだといいます。
 『新編倫理教科書』では、公義を守るにとどまる者を「悪人でない」者とし、公徳を実践する者を「善人」とします。これだけでは具体的にわからないかもしれませんが、具体例で「なるほど、そういうことか」と思わされましたので、他の箇所を参考にしながら適当に意訳をして掲げておきます。

 ある人がいた。
 彼は、とても厳格に法律を守り、非常に心をこめて公義を貴び、人を殺さず傷つけず(生命を保証)、人のものを盗まず(財産を保証)、嘘をついて人の名誉を汚さず、悪意をもって人の言行を批評・告発しない(名誉を保証)。腰は低く、相手を敬ってつつしむ雰囲気もある。
 しかし、彼は、道に人が餓えてたおれている様子を見ても憐れまない。孤児が泣き叫ぶ声を聞いても救わない。彼に期待されている社会の事業があっても関わらない。
 彼は果たして善人と言えるだろうか。

   (井上哲次郎・高山林次郎『新編倫理教科書』巻下、金港堂、1898年、巻三・65頁参照)

 2段落目は、社会の公義をしっかりと守っている例。公義を守ることで、「彼は悪人でない」とは言える。
 3段落目は、博愛慈善の精神を持たず、公徳を実践しない例。「彼は悪人ではないが…善人ではないな」と言わざるをえない。
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教育会員でもあり衆議院議員でもある―根本正

2008年09月11日 20時18分05秒 | 教育研究メモ
 このところ毎日更新しております。昼間は忙しいので、あまり研究する時間はありません。しかし、最近、心を入れ替えた上に(笑)体調がよいので、早起きして早朝から研究しています。月末〆切の論文を書かなければならないので、関係者の履歴を調べておりまして、その結果として「群像」の更新報告ができているわけですね。
 さて、今日もまた「大日本教育会・帝国教育会の群像」を更新。
 今日は、「根本 正」氏。名前の「正」について、私はずっと「ただし」と呼んでいましたが、「しょう」がどうも正しいようです。未成年禁酒法成立の尽力者として知られています。実はそれだけではなく、その他の教育問題にも強い衆議院議員でして、義務教育無償化を強く主張していた人でもあります。明治32(1899)年から20年以上、帝国教育会の評議員や各種委員を務めていた重鎮です。衆議院議員の帝国教育会役員というのは珍しいです。もともと、教育社会は帝国議会に脅威を感じて結束を固めた向きがありますので、「教育会員としての帝国議会議員」「帝国議会議員としての教育会員」というのは、なかなか興味深いテーマですね。未成年・貧民・労働者・借地人などの弱い立場にいた人々の保護を求めていた人でもあり、社会福祉の面でも調べてみる価値がありそうな人だと思います。
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高師の物理教師・後藤牧太、野尻精一について追加

2008年09月10日 19時04分42秒 | 教育研究メモ
 さて、今日もまた「群像」を更新しました。これで今後書く予定の論文に奥行きができれば、と思っています。
 今日は、「後藤牧太」氏。慶應出身の東京高等師範学校教授です。開発主義的・実験中心の物理学教授法の実践者、かつ「手工教育の開拓者」。大日本教育会・帝国教育会で30年以上も評議員を務め続けたが、その一方で栄達には興味のないサイエンティストにして教育者、という感じの人です(?)。明治期の大日本教育会・帝国教育会の機関誌を繰っていると必ず見かける人だったのですが、今まできちんと調べたことはありませんでした。公徳養成について、第3回全国連合教育会へ提出した帝国教育会案、連合教育会での調査委員、教科用書『公徳養成唱歌』と理論書『公徳養成』の編纂委員、といったように、帝国教育会の公徳養成問題を最初から最後までカバーするとても重要な人だったので今回調査しました。あまり公徳養成に関連する事実はわかりませんでしたが、昨日の野尻氏と同じく、調べたらやっぱり凄かった、という感想をもちました。
 なお、野尻氏についても解説を追加してます。文部省視学官と奈良女高師校長のころの業績について、追加調査しました。文部省時代、清国政府の提学使に、代表して日本の教育制度を説明したらしいというのは、近代中国教育史の研究者には興味深い事実じゃないでしょうか。奈良女高師でも、附属学校や研究科、教育研究部を設置しており、同校の研究体制を整える役割を果たしています。奈良女高師附属小学校は、大正期に木下竹次主事のもとで研究・実践を行い、めざましい成果をあげています。これらの研究・実践にとって、野尻校長の下で整備された体制はどういう意味があるのでしょうか。気になります。
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明治師範教育の牽引者―野尻精一

2008年09月09日 22時10分11秒 | 教育研究メモ
 ちょっと間があいていましたが、「大日本教育会・帝国教育会の群像」を更新しました。
 今回は、「野尻精一」氏。明治34(1901)年の公徳養成に関する文部省諮問について、第3回全国連合教育会で文部省派遣員として趣旨説明をした人だったので、調べてみました。
 野尻精一といえば、明治教育史の研究者なら一度は見たことのある、超有名人(のはず)。明治20年代におけるヘルバルト主義教授理論の提唱者の一人であり、ハウスクネヒト門下の谷本富などとは別のヘルバルト主義教授法の普及ルートをつくった人。その華々しい業績のわりに、どういうわけか、あまり知られていない人のように思います。唐澤富太郎編『図説教育人物辞典』(ぎょうせい、1984年)にも独立した項目がなく、別の人の解説にほんの少し出てくるだけです。
 調べてみると、あぁやっぱりスゴイ人だな、という感想。なんといっても、初等教員養成機関の尋常師範学校では校長、中等教員養成機関の高等師範学校では教授であったと同時に、帝国大学文科大学でハウスクネヒトの後任として教育学を講じ、文検(尋常師範学校・尋常中学校・高等女学校教員検定試験)の学力試験委員として教員に求められる知識を規定していたという、明治20年代における凄まじい経歴。野尻は、初等教員検定試験と高等女学校・専門学校以外の教員養成分野の大部分をカバーしていたわけで、教員養成史上でも見逃せない人物でしょう。今日の記事にも、「明治師範教育の牽引者」と題してみましたが、あながち言い過ぎでもないように思います。
 明治30年代以降の文部省視学官や奈良女高師校長としての業績は、史料が手元になかったので書きませんでしたが、たぶんこちらの業績も小さいものではないでしょう。
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三絃演奏で地域貢献―黒田節の記憶

2008年09月07日 15時46分07秒 | Weblog
 今日は久しぶりに三絃(三味線)演奏家になりました。
 というのは、住んでいる地域の敬老会に行って演奏してきた、というわけです。1週間早い敬老の日のため、地域に住む77才以上の方々を祝う会でした。思っていた以上に立派で、この地域選出の某衆議院議員や市長なども直接出てくるような会でした。
 私はといえば、この会の出し物のひとつとして、友人と二人で三絃の演奏を披露しました。広島大学に入学して以来、同じ所に住み続けて11年目。10年ほど前から一緒に三絃を弾いている友人が同地域に住んでいまして、一緒に出ようと誘われたので出演することになったものです。我々以外の出し物は、民謡・舞踊・チンドンヤ・日舞など5演目ありました。
 私はずっとアパート暮らしですので、地域とふれあう機会など無きに均しいです。しかし、11年も同じ所に住んでいると、実家が別にあるとはいえ、何らかの形で地域に貢献したくなります。あんがい自分を根無し草のように感じていて、おちつく場所が欲しいのかもしれません。来年どこに行くかわからない身ですので、最初で最後になる可能性が高い中、せめてもの「恩返し」をしたいと思い、練習時間の少ない中、演奏を引き受けました。
 演奏したのは、友人がCDから耳コピした「黒田節(津軽三味線風味)」、および吉崎克彦「群」(6章のみ)、杵屋正邦「三絃二重奏曲第1番」の3曲でした。地域のお年寄りに敬意を払い、地域に感謝するという気持ちも盛り上がり、かつ演奏自体も大きな失敗なく弾くことができました。先の春先にあった友人の結婚式以来、久しぶりに気持ちよく演奏できたと思います。
 「黒田節」については、もとは雅楽の旋律にのせた福岡の民謡で、昭和17(1942)年にレコード化されたため、広く普及した曲だそうです。そうはいっても、どれほどメジャーなのかイメージできなかったので、「この曲を知っているお年寄りは多いから」という理由で選曲されたとき、半信半疑でした。しかし、私は気づかなかったのですが、本日の演奏中、口ずさむお年寄りもいたそうです。その話をきいて、知っているお年寄りが多いってホントなんだ、と気づかされた次第でした。
 いや、音楽の記憶はすごいもんですね。50年後、我々がほろっと口ずさむことができる曲は何なんでしょうか。
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道徳教育の「教科」化について

2008年09月03日 23時55分55秒 | 教育研究メモ

〈学生たちへ: この記事をコピペしてレポートの字数をかせぐことを禁ず。 2011.7.27追記〉

 もうずいぶん前のように感じますが、平成20(2008)年1月31日、一年近くの時間をかけて、教育再生会議が「道徳を教科化せよ」という内容を含む最終報告を出しました。今年の学習指導要領の改訂には明確に盛り込まれたわけではありませんが(道徳は事実上、教科化されたという意見もあります。新谷恭明「特別活動の終わり」『2008年版学習指導要領を読む視点』白澤社、2008年、218頁参照)、教科化までいかなくとも、学校生活のなかで道徳教育を集中的・計画的に行うべきという意見は、おそらく今後もたびたびなされるでしょう。私はこの問題について、1年ほど前に評価の観点から疑問を呈してみましたが(2007年3月31日の記事の一部)、今回はちょっと違う視点から考えてみたいと思います。
 現在の道徳教育は、戦前の修身科に対する拒否反応を基盤としています。そこでの修身科は、訓育を排除した教授方法を用いて、法的に規制された「非民主的」道徳的価値を注入した元凶とされています(この修身科観は極端すぎると私は思いますが)。戦後の道徳教育は、まず、特定の教科ではなく学校生活全体で行い、教え込むのではなく、子どもに問題解決過程を経させて民主主義的な道徳的価値を養うこととしました。各教科(とくに社会科)は、各教科固有の役割を果たすことによって、このような道徳教育を担うとされています。このような道徳教育思想を「全面主義」といい、昭和20年代から30年代頭まで、教育課程における道徳教育の原理となりました。
 朝鮮戦争を契機とした高度経済成長期において、社会的動揺が拡がると、道徳教育の特設を希望する意見が強まっていきます。また、全面主義では教科固有の役割を阻害するという批判や、統一的・計画的に道徳教育を行うことが難しい教育現場での実態が次第に明らかになっていきました。その結果、昭和33(1958)年に学習指導要領が改訂されて、「道徳の時間」が新設されました。以後の道徳教育は、学校生活全体で行うという基本路線を維持しながら、「道徳の時間」で計画的に実施して子どもの道徳的自覚を深化させることになりました。このような道徳教育思想を「特設主義」といい、昭和30年代から今に至るまで教育課程における道徳教育の原理になっています。
 道徳科(徳育科)を推す人々は、集中的・計画的な道徳教育を推進したいのでしょう。そして、現行の教育課程に対する素朴な疑問として、道徳の時間があるならば、それが道徳科(徳育科)でもいいじゃないか、と思っているのではないでしょうか。しかし、そういう人々に気をつけてほしいのは、教育課程における道徳の時間は、「教科」であることを否定し、戦後求められた全面主義を基礎として成立したものであるということです。道徳の時間は教科ではないことに意味があるのです。道徳教育の教科化の問題点は、私が思うに、道徳教育が「教科」になることにあります。修身科の再来として拒否するのではありません。もし道徳科(徳育科)が設置されても、戦前の修身科と同じ轍を踏むとは思いません。それほど今の政府・国民は無知ではないと信じるからです。そうではなくて、「今」、「教科」になることに、以下のような問題点を感じるのです。
 現代日本の教科は、理念上・制度上、知識の伝達だけでなく意欲・態度・能力・徳性を養成することになっています。しかし、実態として、大部分の教科指導は、いまだ知識の伝達(ひどいときには注入)にとどまっているのではないでしょうか。現代日本における教育の一つの意義は、学歴取得です。学歴は現代において必要不可欠なものだと思いますが、その学歴取得の方法として知識量の多少を問うことを基本とする限り、知識伝達・注入中心の教科指導のあり方はかわらないでしょう。これは、個々の教員だけの問題ではなく、今の学歴社会を支持・推進する教育社会および日本社会一般の問題でもあります。
 現代そして未来の日本において必要とされる国民は、今何が起こっているかわからないまま、ただ誰かに流されて生きていくような人々ではありません。必要とされるのは、国家・社会のグローバル化・市場化が進んで従来の秩序や価値が有効性を失っていくなかで、正確な事実認識に基づいて、自ら道徳的価値を選択・創出して生きていく人々です。そうであれば、今後の道徳教育は、子どもたち自身が正確な事実認識に基づいて個別・集団的に道徳的価値を選びとる(ときには創り出す)ことによって行われるべきですし、そもそもこういう道徳教育実践は、各地で実際に行われているはずです。
 しかし、知識伝達・注入中心の指導が行われるのが一般的な「教科」として位置づけられ、道徳的とされる知識・価値を伝達したり注入したりすることでは、上記のような道徳教育は行えません。「教科」の実態が現状のままでは、道徳科(徳育科)の理念どうこうの話どころではなく、実施した数年後には様々な弊害が湧き出てくることでしょう。こんな状況下で道徳科(徳育科)を設置することは、私は絶対に反対です。それは、修身科の復興に対する拒否反応ではありません。教科のあり方が実態としてかわらない限り、つまり学歴取得のあり方がかわらない限り、道徳教育が教科になるべきではない、と私は思うのです。

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