教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

前近代日本の学びの可能性と課題

2024年04月25日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
(現在書き続けている日本教育史のテキスト拙稿、第2章の結論から抜粋)

 以上の通り、古代から近世に至る時代の教育史について、読み書きや学びの目的・方法に焦点を合わせて明らかにしてきた。これらをまとめて、前近代の学びとしたとき、そこにはどのような特徴・可能性と課題があったか。
 まず、古来より、読み書きは政治・経済あるいは文化の活動に必要なものであった。人々は、生活に必要な範囲で、主に定型文に習熟し、テキストを身体化することで読み書きや文字で表現された知識を学んできた。そして、17世紀には読み書きは「人」の条件と化した。文書による政治が徹底され、様々な階層の人々を巻き込んで経済・文化活動が活発化したとき、政治・経済・文化にかかわる「人」として生きるうえで必要な条件として、読み書き(識字)が挙げられるようになったといえよう。学ぶべき読み書きの内容は、生活に必要な限りにおいて定められ、生活に不要になれば別のものに差し替えられた。楷書の漢文は古代律令制において必要であったが、律令制の崩壊により重要性が低くなった結果、行草書の漢字仮名交じり候文の陰に隠れることになった。学ぶべき読み書きの内容は、普遍的なものというよりも、生活や時代に応じた特殊なものが据えられ続けてきたといえる。
 次に、江戸期において、漢学(儒学)を介して道徳や政治の方法としての学びが展開した。漢学は、「聖人」または「君子」を目標化し、その学びをすべての人に開いた。それゆえに、読み書きや学問による民衆・風俗教化という手段をとることができたといえる。学びの目標・成果がすべての人に開かれていなければ、権力によって学びを押し付けても無理が生じるからである。また、身分制によって守られて学ぶ需要の少ない上層の人々に対しても、学ぶ意義を提示しようとしたことも注目すべきだろう。ともにうまくいったとは言い切れないが、漢学のもっていた学びの開放性は前近代の教育の可能性をうかがわせるに十分であった。ただし、前近代の社会が身分制を前提としていた限り、いくら学びを開放しても人々は同じように聖人君子の目標に向かうことはできなかった。知識や道徳的修養をいくら積んでも、身分の壁は依然として存在したままであり、「人」として一つになることはできなかった。このような開放性をめぐる前近代の学びの可能性と限界は、江戸期に流行した会読において典型的にみることができる。会読は身分にこだわらず開放的な学びを展開させたが、そこに参加するには素読・講義を修了する必要があり、そこに達するまで学び続けることができる人々は限られていたのである。
 また、18・19世紀に至って、学校が人材育成機関として位置づけられたことや、人生に対する子ども期における教育的配慮の重要性が広く認識されたこと、子育てと貧困に対する国家の責任に注目する人物が現れていたことが確認できた。これらの課題意識は近代教育において花開くことになるが、明治以降に急に出現したわけではなく、江戸後期を通じて模索され続けていたものであった。


【参考文献】
 市川寛明・石山秀和『図説 江戸の学び』河出書房新社、2006年。
 岩下誠・三時眞貴子・倉石一郎・姉川雄大『問いからはじめる教育史』有斐閣、2020年。
 江森一郎『「勉強」時代の幕あけ―子どもと教師の近世史』平凡社、1990年。
 大石学『江戸の教育力―近代日本の知的基盤』東京学芸大学出版会、2007年。
 大戸安弘「中世社会における教育の多面性」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、65~119頁。
 貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年。
 鈴木俊幸『江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通』平凡社、2007年。
 鈴木理恵「大陸文化の受容から日本文化の形成へ」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、3~64頁。
 鈴木理恵『近世近代移行期の地域文化人』塙書房、2012年。
 鈴木理恵「日本編・子ども観の歴史的変遷」鈴木理恵・三時眞貴子編『教師教育講座第2巻教育の歴史・理念・思想』共同出版、2014年、167~187頁。
 辻本雅史『「学び」の復権―模倣と習熟』角川書店、1999年。
 辻本雅史「幕府の教育政策と民衆」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、245~269頁。
 辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年。
 高橋敏『江戸の教育力』ちくま新書、筑摩書房、2007年。
 平田諭治「「日本」「学校」「教育」の概念系」宮寺晃夫・平田諭治・岡本智周『学校教育と国民の形成』講座現代学校教育の高度化25、学文社、2012年、47~69頁。
 平田諭治編『日本教育史』MINERVAはじめて学ぶ教職4、ミネルヴァ書房、2019年。
 前田勉『兵学と朱子学・蘭学・国学』平凡社、2006年。
 前田勉『江戸の読書会―会読の思想史』平凡社、2012年。
 八鍬友広『読み書きの日本史』岩波新書、岩波書店、2023年。
 湯川嘉津美「「無垢なる子ども」という思想」『ソフィア』第44巻第2号、上智大学、1995年。
 湯川嘉津美『日本幼稚園成立史の研究』風間書房、2001年。





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教育学的思考③―「日本」「東洋」批判

2024年04月21日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
 広島大学の教育学は、戦後、新制大学として再編後に、「日本東洋教育史」という概念を使って、教育学として教育史の研究を推進してきた。この概念をいかに現在の教育史研究に生かすかについては私もまだ研究を始めたばかりだが、現段階でいかなる方向性をもつべきだと考えているかまとめておく。

 「日本東洋教育史」概念によって思考を進めようとするとき、まず先頭にある「日本」概念が目に入る。「日本東洋教育史」は、まず「日本の教育」を歴史的に研究する日本教育史を重要な要素として含んでいる。「日本の教育」とは何か、どうあるべきか(と考えられてきたか)について、歴史を通して研究する。近代の「日本の教育」を研究する場合、日本という国民国家のナショナルな教育について考えることが重要である。また、日本国内の特定地域における教育に関する歴史や文化を探究することも重要である。日本教育史は、「日本」という国民国家やその一部としての特定の地域に生きる「我々」の教育問題を発見・解決するための参照資料を我々に提供する。さらに、教育の定義として先述したように、教育は人々に様々な感情・記憶を喚起する行為・領域であるから、日本教育史もまた、「日本の教育」を通して喚起されてきた過去の感情・記憶に向き合う必要がある。当たり前の物事は問い直すことすら思い至らない。教育の喚起してきた感情・記憶の歴史性・近代性を明らかにすることで、この感情・記憶は相対化されて当たり前のものではなくなり、我々は改めてこれらを自由に考えることが可能になる。
 現在は、グローバル化の進行により、国民国家が相対化された時代である。このような現在を生きる我々にとって、「日本=国民国家」という考え方にどう向き合うかはとても重要な問いになる。それは結局「日本とは何か」という問いである。日本教育史は、「日本の教育とは何か」という問いに取り組むことで、重要な役割を果たすことができる。例えば、近代批判として近代日本とは何かという問いを立てる場合、かつての「日本=帝国」という問題が重要になってくる。近代日本は大日本帝国となり、第二次大戦後に解体されて日本国になったが、大日本帝国が残したものの中には現在に至るまで未解決の問題もある。日本国になった時点で終結した単純な問題ではなく、戦後引き続き新たな変遷をたどったポスト・コロニアリズムの問題として生き続けている。これは日本だけの問題ではなく、かつて帝国主義をとった各国とその支配下にあった国々の世界的問題である。この問題に取り組むには、日本国内(本土内)の研究だけでは済まない。現在は、「日本」の外側への視点がなければ、日本教育史は十分研究できない時代になっている。
 そう考えると、「日本」を超える範囲をもつ「東洋」概念には可能性を感じる。しかし、「東洋」概念は古くから使われており、その歴史性ゆえに現在そのまま使用するには問題があり、その意味内容を刷新しなければならない。特に「日本」と「東洋」をセットで使用する場合、より深刻な問題が生じる。「日本=特殊な東洋」という考え方がある。これは、「東洋」諸国に対する日本の優越感を表す考え方であり、現在においても大きな問題をかかえている。現在においては、各国・各地域の文化の多様性を尊重し、共生していくことが求められる。「日本=特殊な東洋」という考え方は批判されなければならない。「東洋」批判は、「日本」批判である必要がある。
 また、「東洋」概念が指す諸国・地域とはどこか、という問題もある。伝統的には、中国、朝鮮半島、台湾、日本、そしてインドを中心的に指しており、それ以外のアジア諸国の存在を度外視してしまいがちであった。では、「アジア」概念に差し替えれば問題が解決するかというと、そう簡単にはいかないと思う。私が注目したい「東洋」概念の可能性は、ある程度の一体性をもつ文化(東洋文化)の存在を前提とする概念である。では、アジア諸国に「アジア」としてひとくくりにできるほど一体性があるのかというと、文化人類学が発展した現在では、とてもそのような一体性が見いだせるとは思えない。思考・研究にはある程度の枠組が必要だが、「アジア」では広すぎる。「東洋」の可能性を探りたい。
 「東洋」概念は「西洋」概念と対で用いられる。「世界=西洋+東洋」という単純な世界観は現在において通用しない。また、「西洋」批判は欧米で100年前ほどからすでに行われているが、往々にして相対的な「東洋」の優越性を強調する論調がある。「東洋」上げとも言うべき現象は、グローバル化や冷戦後の国際関係の変化の中で捉えると、各国・各地域の文化の多様性を尊重し共生していくうえで支障をきたすおそれがある。「東洋」批判は「西洋」批判とも関連して進めなければなるまい。
 近代日本は「東洋」・「西洋」の両方から影響を受けてきた。「日本」「東洋」「西洋」批判を並行して進めていくには、「日本ー東洋」関係の再構築とともに、「日本ー西洋」関係の再構築が必要である。「日本ー東洋」関係の再構築は、先述の通り、「優越/劣位」の関係を見直すことである。優劣ではなく、多様性を尊重する方向に見直していく必要がある。近代日本史についていえば、大日本帝国の問題は、まさにこの「日本ー東洋」関係の問題と関わっている。また、「日本ー西洋」関係の再構築について、日本から西洋に対する「憧憬または対抗」・「受容または借用」の問題があると思われる。この問題は、教育制度・思想においても重要であって、日本の近代教育の特徴を形作った重要な要因である。

 「西洋」概念もそうだが、「日本」・「東洋」概念は近代の問題ときわめて深くかかわっている。教育学的思考が近代教育批判を重視するならば、教育学としての教育史として、「日本」・「東洋」批判を進める必要がある。この作業は「日本教育史」や「東洋教育史」で専門的に進めてもよいだろうが、「日本東洋教育史」として「日本の教育」を新しい「東洋」概念をもって研究することには、現在においてますます価値があるように思われる。今後の研究を進めていきたい。

主要参考文献
白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第68巻、2023年3月、306~317頁。

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教育学的思考②―近代教育批判

2024年04月19日 20時06分00秒 | 教育研究メモ
 現在において「教育学としての教育史」の研究において、重要な思考法・研究法の一つに近代教育(近代学校)批判がある。ここでいう「批判」とは、単なる「非難」や「否定」ではなく、物事の価値や誤り、不十分な点等を検討してよりよい知見を目指す議論のことを指す。

 近代批判は、近代を制度や思想等において徹底しようとする近代主義を批判してその問題を乗り越えようとする思考法である。それは20世紀前半には始まっているが、現代の学問・思想においても重要な思考法になっている。教育学においても、近代教育批判は、特にポストモダンの影響を受けた20世紀末以降、ますます重要な方法になった。近代教育は、現在の学校教育や教師の在り方などのよって立つ原理の一つであり、明治以降150年にわたって試行錯誤のうえ思想化・制度化されてきた。しかし、現在、「学校教育は行き詰まっている」などの言説や、「学校でなくても学べる」、「日本でなくても学べる」、「AIによって代替可能なので教師は不要なのではないか」などの言説によって、近代教育の問題が多方面から指摘され、新しい教育が模索されるようになって久しい。現代の教育学が取り組むべき重要な使命の一つとして、近代教育批判が上がってくる所以である。極論を言えば、教育史は過去の教育を研究すれば成立してしまう。しかし、教育学としての教育史は、近代教育批判に取り組むことが求められる。
 近代教育批判に限らず、近代批判は現在の学問研究一般に重要である。歴史研究を通した近代批判の特徴は、過去そのものを問うことを通して批判を進めるところにある。過去(歴史)の問い方には大きく2つある。第1に、過去と別の過去が本当に連続・進歩しているのか、その連続性を問う。第2に、過去同士が本当に断絶しているのかその断絶性を問う。いずれの問い方についても、その真偽を史料を通して確かめるのが歴史研究である。
 そのとき、近代をどのように捉えるかによって、とるべき研究法は変わってくる。近代は現在に対して過去であり伝統である。ここで、近代を「継承すべきもの」と捉えるか、「克服すべきもの」と捉えるかによって、歴史研究の姿勢が全く違ってくるだけでなく、現在または未来の捉え方までも変わってくる。近代を「継承すべきもの」と捉えるならば、現在・未来は「過去からの進歩・徹底、または過去の延長」と捉えることになる。近代を「克服すべきもの」と捉えるならば、現在は「克服すべき過去の課題を背負うもの」または「過去の課題は現在に至るまでに解決済の、過去から断絶されたもの」と捉えられ、特に未来は「過去から断絶されたもの」と捉えられやすい。どちらが正しい視点・姿勢かという問いに唯一の答えはないが、近代をどうとらえ、どう考えるかで現在・未来の見方・考え方は根本的に変わってくることは確かである。

 近代と現在の関係を考えるとき、「近代=現代」または「近代≒現代」と捉える視点がある。「近代」という日本語は、その後に「現代」という新たな時代がやってくるように私たちに認識させがちであるが、英語ではどちらも「modern」である(しかも「近世」は「early modern」だからさらにややこしい)。この視点をとると、先述の歴史的見方・考え方の一つであった、現在の目で歴史を見て、過去と現在のかかわりを考える見方・考え方をとりやすい。過去と現在の共通点や連続性を探究するには便利である。しかし、現在の見方・考え方だけで歴史を解釈しようとすると、解釈を間違うことがある。この問題は、しばしば「現在主義」と呼ばれる、近代批判・歴史研究一般に共通する大問題である。自分の親や年の離れたきょうだいですら、自分とは考え方が違うなと感じた経験は誰にでもあるだろう。それと同じように、過去の見方・考え方や習慣、文化は、現在のものと似ている印象を受ける場合もあるが、まったく同じものではない。過去に存在したそれらは、少なからず時間を経て変遷している。基本的には、過去と現在とは、少なからず異質なものだと心がけなければならない。近代批判や歴史研究を行うのは現在を生きる我々だから、現在の見方・考え方を考察にまったく持ち込まないことは不可能である。同時代に生きている我々が、異なる他者と対話するですら容易なことではない。過去に生きる他者と対話することも同様である。歴史研究には、自分や自分の所属するコミュニティのもつ現在主義を相対化しながら、異質な過去を捉え、他者として尊重しながら対話しようとする研究法が必要である。この研究法を身に付けるには、特殊な訓練が必要である。
 近代を問うことは、近代史はもちろん、近世史・中世史・古代史でも可能である。近世以前の歴史研究は、その時代を明確に研究することで近代との比較材料を確かにすることができる(もちろん近代批判のためではない近世以前の歴史研究もある)。とはいえ、近代史研究はそのまま近代批判につながる点で、ほかの時代の研究と異なる立場にある。近代史研究は、近代内部(同時代)で、ある過去と別の過去の間に生じた変遷を分析し、歴史の画期等を発見して、近代そのものを考察していく。その作業を通して、近代とは何か、どのような課題が見いだせるかについて考察することができる。近世史はそのまま近代とは異なる他者として研究する場合も、early modernの研究として捉える場合も、近代批判につながげることができる。
 歴史研究は近代を問うために、国家や地域、制度、思想、文化、習慣等を時系列や因果関係などとして関連付けながら、その近代性を考察・解釈していく。比較・関連づけるべき事実は、同時代の別の国や地域・人物等の事実であることもあれば、同じ国や地域・人物等のさらなる過去の事実であることもある。例えば、1900年代と1910年代の思想を関連付けることで、その連続性や近代性を問うことができる。また、単体の事実同士だけでなく、複数の過去や出来事・集団・人物の間に起こった移動や交流、影響、受容、借用、移転等のかかわりを対象にすることもできる。単に20世紀前半の日本とアメリカの教育制度を比較するだけでなく、アメリカのA氏の教育学説が日本の学者B氏の学説に受容され、B氏が政府の審議会でその学説に基づいて発言し、政策に取り入れられたことを明らかにすることで、A氏の影響を特定したり、B氏の学説の独自性を研究したりして、日本における教育の近代化の在り方を明らかにすることができるかもしれない。

 現在の教育学にとって重要な教育学的思考の一つに近代教育批判がある。教育学としての教育史も、近代教育批判に取り組むことが期待される。そのためには、研究者自身が近代をどのように捉えようとしているか自覚し、その視点に適した思考ができる研究法をとらなければならない。また、現在と過去の連続性を捉えるにしても、断絶性を捉えるにしても、現在主義に陥ることなく、過去という異質な他者を尊重しながら、対話していく必要がある。また、過去の同時代の出来事を単に比較したり、関連付けたりするだけでなく、それぞれの関わり方に着目にすることで過去をより精緻に分析することが可能になる。近代教育の特質を正確に考察するには、過去を精緻に分析する教育史研究が必要である。

主要参考文献
E.H.カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』岩波新書、1962年。
リンダ・S・レヴィスティック、キース・C・バートン(松澤剛・武内流加・吉田新一郎訳)『歴史をする―生徒をいかす教え方・学び方とその評価』新評論、2021年。
Johannes Westberg & Franziska Primus, "Rethinking the history of education: considerations for a new social history of education", Paedagogica Historica, Vol. 59, (2023), 1-18. https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/00309230.2022.2161321



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現職の初心として

2024年04月17日 19時51分00秒 | Weblog
 先日から、予約投稿機能で連続して投稿しております。テキスト化を見据えての授業準備の一環ですので、お気づき等あれば、それぞれの記事にコメントしてもらえるとうれしいです(今後の課題にします、と答えるしかない場合もあるやもしれませんがご寛恕ください)。

 さて、ちょっと閑話休題。
 広島大学に着任して一番ありがたいと思ったことは、研究が職場での業績として重視されることです。私大にいたこれまでの15年間でも、研究業績は評価されてきましたが、それとは別次元に入ったな、と思いました。私の働いていた地方私大では、学内・学科内分掌や実習業務、実習指導、広報活動などにどれだけ従事したか、が重視されてきました。広大でももちろんそれらは重視され、評価されますが、それだけでは働き続けることはできず、新しい研究業績を発表し続けなければなりません。研究するのが苦しい人や習慣づいていない人にとっては「地獄」かもしれませんが、研究が習慣づいていてしかもやりたくて仕方ない私のような人間にとっては「天国」だな、と思います。これから様々な状況変化の中でどう感じるかわかりませんが、とりあえず現状ではそのように思っています。このような環境・条件を整えてくださっている先輩方と大学には感謝しかありません。
 また、これは広大大学院の特徴だと思いますが、教育学研究者志望の大学院生を育てるところですので、自分の研究を院生指導や授業に直接間接に生かすことが可能であり、結果が出ればそれをも業績として評価される仕組みがあります。自分の研究の有用性を身近に実感できるので、とてもありがたい仕組みです。もちろん自己満足ではいけないので、履修生やゼミ生と対話(観察)しながら、どんな風に自分の学術研究と教材研究を展開し、その結果を活用していくか考えて続けていきたいです。こういうことが仕事として評価される可能性があると思うと、幸せな立場に立たせてもらえたな、と実感します。
 さらに、教員養成にも直結する現場(科目)も持たせてもらえており、教職課程担当教員の養成にも関わらせてもらえています。つまり、日本教育史研究者としての仕事、教育学者としての仕事、「先生の先生」としての仕事、そして「先生の先生」を育てる仕事という、自分のしたかった仕事をすべてさせてもらえ、それらがすべて職場で評価していただける。本当にありがたい職場に採用していただいたな、と実感しています。

 ここに、学会の仕事や、学外の仕事、校内・組織内分掌が重くなってきたとき、どういう気持ちになるかわかりませんが、すべて私自身がやりたい仕事につながっていくはずなので、なるべく楽観的に考えようと思います。
 私の現役生活はあと最大20年となりました。だんだんと、「終わり」を意識して仕事する必要性を感じるようになっています。とりあえず、初心を忘れないようにするため、書き留めておきます。
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教育学的思考①―どんな教育史の考え方か

2024年04月15日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 次に教育学的考え方、教育学的思考について考察したい。教育学的思考とは、端的に言えば教育学の研究法のことである。教育学の各分野において長年検討が積み重ねられ、年々専門分化と深化が進んでいる。教育学の代表的な分野には、例えば、教育哲学や教育史、教育社会学、教育心理学、教育方法学、教育行政学、比較国際教育学、社会教育学、教育経営学、幼児教育学などがある。ここでは、教育史の方法(教育史を通した思考の方法)に限定して、教育学的思考について詳しく考察する。

 教育学的思考の方法として、教育史の方法がある。教育史といっても多様なものがある。教育学的思考は、主に「教育学としての教育史」についての思考である。教育史には、これまでの研究史の中で、「哲学としての教育史」、「社会学としての教育史」、「人類学・民俗学としての教育史」、「歴史学としての教育史」などが現れてきた。研究者によって様々な姿勢があるが、「哲学としての教育史」は教育には触れても人間の考え方そのものを考えることに主眼があり、教育思想史と呼ばれる試みの中にはその傾向が強く出ているものがある。「社会学としての教育史」は社会のあり方を考えるものであって、教育の歴史社会学と呼ばれる試みの中にはその傾のあるものがある。「歴史学としての教育史」は人間の生き方や物事の変遷(歴史そのもの)を考えるものであって、日本で研究されてきた教育社会史にはその傾向が強い。そのほかに、「人類学・民俗学としての教育史」もある。これらに対して、「教育学としての教育史」とは、教育学の方法の一つとして教育自体を考えようとする。哲学や社会学、歴史学などの方法を取り入れることは大いにあり得るが、「教育学としての教育史」は教育学的視点・思考法を基礎としてあくまで教育のあり方を研究する。教育史を通して人間の生き方について考えていても、教育のあり方についてあいまいな考察しかできない場合は、「哲学・歴史学としての教育史」であっても「教育学としての教育史」としては不十分である。いずれかの教育史がすぐれている、と言いたいのではない。どの教育史にも長所短所がある。それぞれの教育史には、どこに視点をあてて、何を目的に研究するかについて違いがあるので、自分がどんな教育史の立場をとっているのか自覚して研究を進める必要がある。
 いずれの教育史の方法にも共通する基盤として、初等・中等教育を通して育てられる(そして高等教育を通して高度化される)歴史的見方・考え方がある。2018年告示の高等学校学習指導要領の地理歴史編解説によれば、歴史的見方とは、例えば、時系列や諸事象の推移、諸事象の比較、事象相互のつながり、過去と現在とのつながりを捉えようとする視点である。時系列を捉えるには、例えば、次期や年代、過去について、それはいつのことで、どういう経緯で起こったことか考える。諸事象の推移を捉えるには、それらの変化と継続について、何を変えようとして、どう変わったか変わらなかったかについて考える。諸事象を比較して捉えるには、それらの類似点や差異、共通点や相違点は何かについて考え、なぜその共通点や相違点が生じたかなどについて歴史を通して考え、それらの意味や特色を考える。事象相互のつながりを捉えるには、その背景や原因、影響、結果、転換点や画期に注目し、その出来事が起こった最も重要な要因は何かや、分岐点・転換点はいつか、どうしてそのような転換が起きたかについて考える。歴史の時系列や推移、類似点、相違点、影響、結果などについては、なぜそうなったか、どのような背景・理由・経緯でそうなったかについて考える。また、過去と現在とのつながりを捉えるには、現在の問題についての理解や歴史的な見通し、自分自身とのかかわりに注目して、過去と現在の似ているところや関連、その要因を考え、過去の事象が与えたのちの時代への影響や見通し、自分にとっての意味について考える。

 教育学的思考や教育史の方法は、高等教育において専門的に学ぶ。それはまったくゼロから学ぶというよりも、中等教育までに育ててきた歴史的見方・考え方を基盤にして学問を学び、そのことを通して各学問の視点・研究法を学んでいく。その過程は、歴史的見方・考え方を学問によって高度化させていく過程という側面もあろう。

参考文献:
文部科学省『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 地理歴史編』東洋館出版社、2019年。
白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年3月、1~14頁。
白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学紀要』第58号、2023年12月、11~25頁。

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教育学的視点②―どの教育のどの部分か

2024年04月13日 19時21分49秒 | 教育研究メモ
 教育学的視点は、どの教育のどの部分を捉えようとするかがまず必要である。教育の目的を捉えようとするのか、過程を捉えようとするのか、条件を捉えようとするのかで、まったく捉え方や対象が変わってくる。目的を意識して捉えてみると、例えば、一方の教育が人間性を教養しようとする教育であり、もう一方の教育は国家・経済発展のための人材育成の教育であることが明らかになってくる。条件を捉えるには、例えば制度・政策に注目するのか、制度の運用について行政の動きに注目するのか、学校の経営に注目するのか、教師の協働や研究研修に注目するのかによって、捉え方も見るべき対象も異なってくる。

 さらに詳しく考えておこう。教育は学校・社会・家庭の中て行われている。学校教育には、例えば幼児教育、初等教育、中等教育、高等教育がある。それぞれ異なる視点が必要である。幼児教育や初等教育の視点で高等教育を捉えようとしてもうまくいかない(思わぬ結果が発見されるかもしれないが)。幼児教育には、遊びや環境構成、社会的保育を捉える視点が必要である。お受験や早期教育の視点が必要なこともあるかもしれない。初等教育や中等教育を捉えるには、義務教育や普通教育の視点、市民教育や国民教育の視点、全人教育や人間教育の視点、進路指導や大学受験の視点などが必要である。高等教育を捉えるには、専門教育の視点だけでは不十分で、教養教育の視点も必要である。
 学校教育を詳しく見るには、教科指導や教科内容、教科外指導を分けて視点をもつことも有効である。教科指導・内容を捉えるには、読書算(3R's)だけでなく、言語認識や社会認識、自然認識、芸術、技術、倫理、道徳、運動、体育、衣食住や家庭生活などの視点や、それらを総合する視点を持たなくてはならない。また、それらの知識や技能を伝達するだけでなく、応用・演習したり、探究したりする方法や過程を捉える視点も必要である。教科外指導については、道徳教育や生活指導、学級経営、キャリア・進路指導、養護、給食、掃除、制服、校訓、校則、部活動、児童会・生徒会など、多様な活動を捉える視点が必要になる。
 社会教育には、図書館や博物館、公民館、スポーツ施設等の社会教育施設を捉える視点が必要だが、NPOや企業、マスメディアの動向を捉える視点も必要である。家庭教育には、子育てやしつけ、家庭的保育、早期教育などを捉える視点が必要である。
 なお、教育は生活・人間形成の一側面であると先述した。教育は、学習や福祉、政治、経済などの人間の生活の別側面との関係の中で、相互に影響し合っている。例えば、教育を学習との関係から捉える視点は、教育学的視点にも必要である。学習には様々なものがあるが、例えば、乳幼児期の発達や児童期・青年期・成人期・老年期それぞれの発達、または生涯発達を捉える視点によって異なった様相を見せる。生涯学習の視点は、教育を捉える際にきわめて重要な視点である。幼児期の学習に応じた教育と老年期の学習に応じた教育を捉えるには、やはり区別された視点が必要である。

 以上のように、教育学的視点をどの教育のどの部分を捉える視点かで整理すると、極めて多様な個別の教育学的視点が見えてくる。すべての視点を身に付けるのは至難の業であり、いくつかの視点を身に付けるだけでも容易なことではない。哲学や社会学などのほかの学問も教育を捉える視点があるが、ほかにも身につけるべき重要な視点があるので、それらの学問を学ぶだけでは教育学ほど細かく教育を捉えることは難しい。教育学的視点を身に付けるには専門的で体系的な計画的な教育・学習が必要な所以であり、ここに教育学教育の専門性がある。

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教育学的視点①―教育の内と外

2024年04月11日 19時51分00秒 | 教育研究メモ
 教育学教育は、学生の教育学的視点と教育学的思考を育成する。ここではまず教育学的視点とは何かについて考えていきたい。
 教育は、教育学的視点だけでなく、哲学的視点、歴史学的視点、社会学的視点、心理学的視点など、様々な視点から捉えることができる。教育学的視点は、教育学の立場から物事をとらえる視点であり、教育を捉える視点の一つである。人は教育学的視点によって、教育の事実を捉え、教育とは何か、どうあるべきかを考えていくことができる。
 ここでは、根本的な教育学的視点について、まず教育の「内」と「外」とを正確に捉える視点について述べる。教育を正確に捉えるには、教育と「教育でないもの」を区別して認識し、教育と「教育でないもの」との相互関係を捉えようとする必要がある。

 教育とは、生きること(life・生命・生活)の一部であり、人間形成の一側面である。人間は、生きるために知識・技能等を身に付け、そのことを通して人間性を高め、生きることの質を高めていく。教育は、人間が生きるために行い、人間を人間らしく形成していく行為の一つである。それは、教育者と被教育者の間でコミュニケーションの一種として行われる。
 また、教育は、一定の感情や記憶を喚起し、そのあり方をめぐって関係者の間で利害が生じ、その利害をめぐって緊張を生じさせる社会的な領域の一つである。我々は、学校で教育を受け、楽しさや苦しさ、葛藤などの様々な感情を感じ、そのことを記憶している。教育は、ただ知識や技能を身に付けるだけでなく、人生に豊かさまたは貧しさを与える感情や記憶を生み出す。
 さらに、人によって望む教育のあり方は異なり、ある一定の教育が行われれば、その教育とは異なる教育を望む人々に不満を生じさせる可能性がある。例えば、子ども一人ひとりの興味関心に応じた教育を行うと、ペーパーテスト重視の進学校への受験準備を求める子どもや保護者は不満に思うことになる。人々は、公教育のあり方に様々な思想や感情をもって関心を向け、そこでの教育課程や方法・内容について支持または反対する。近代社会・学歴社会における教育は、人々の将来の地位や収入・階層を決める重要な要因となるため、そのあり方によって利を得る人々と得られない(得にくい)人々を生じさせる。そのため、教育の利害調整をめぐる政治や世論は、被教育者としての人々の思想や合理的判断だけでなく、その感情や記憶の絡む複雑な現象となる。このように、教育は、教育者ー被教育者の二者関係で語りつくせるものではない。その複雑な現象・過程を有する社会的な領域の一つであるという側面も捉えなければならない。
 行為・社会的領域としての教育は、ほかの行為・領域の一部と隣接し、相互に影響し合っている。例えば、教育と同じく、人間の生に深い関わりをもつ学習や福祉、政治、経済などの行為・領域との間には深い影響関係がある。例えば、学習のあり方が変われば教育のあり方も変わり、教育のあり方が変われば学習のあり方も変わる。政治・経済のあり方が変わったときも同様である。
 教育のあり方を捉える参照軸は多様に考えられるが、学習や福祉、政治、経済などとの接点に生じる重要な軸として、「人間(性)育成」と「人材育成」の軸がある。子どもが人間らしく幸福に生きるための教育と、政治や経済に役立つ人材として育てる教育の間には、重なる部分と重ならない部分がある。いずれの教育も人間の生き方や人間形成という側面では同じだが、例えば人間性育成重視の教育では、際立って経済の役に立たなくても一人の人間として最低限身に付けてほしい当たり前のことを育てようとする。人材育成重視の教育では、当たり前のことができるだけでは不十分で、経済活動において高いパフォーマンスを発揮できるような能力を育てようとする。同じ教育であっても、人間性育成と人材育成では意味が違うし、まったく異なる教育実践が行われることになる。

 このように、教育を捉える視点は、学校教育や、教師と生徒との間の二者関係を捉えるだけでは十分ではない。教育を十分正確に捉えるために、以上のような教育学的視点をもつ必要がある。
 教育学的視点は、生きることや人間形成の一側面として、2つの参照軸(内側の視点)とほかの行為・領域との関係(外側の視点)によって教育を捉えていく。自分が教育を捉えようとするとき、コミュニケーションとして捉えようとしているのか、社会的領域として捉えようとしているのか、どちらも総合的に捉えようとしているのか、などについて考え、自分の重点を自覚することで考察がしやすくなる。また、ある教育の質を考察する際には、人間性育成と人材育成の視点に基づいて、その重点がどこにあるか見極めてみよう。他の立場からの視点は、このような捉え方や参照軸をする必要はないかもしれない。しかし、教育学はこれらのことにこだわる学問である。

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異動してもうすぐ十日

2024年04月09日 23時55分55秒 | Weblog


 心機一転、広大での仕事が始まって、もうすぐ十日が立とうとしております。相変わらず教育学部棟の研究室は見晴らしがとてもよいです。このところ天気が悪くて残念ですが、十分よい眺めです。
 一気に本を詰め込んだ研究室は、まだどこに何があるのか分からない状態で、少しずつ本を整理し直しております。3月からの引っ越しで本の持ちすぎで、ずっと指の付け根や手首が痛くて作業はなかなか進みません。研究室の完成はまだしばらくかかりそうです。
 授業は月曜から始まりました。準備は若干遅れ気味で、小さなトラブルはありますが、今のところ何とか対応しており、授業も手応えがあって、何とかなりそうだという印象です。何かとやることがあって、一つ一つ済ませていっており、油断すると時間が溶けていきます。研究まで早く達したいところです。

 広大に来て、働き方で今までと違うことはいろいろあるのですが、不思議とあまり違和感等はなく、自然に働けています。同僚や先輩方、学生、院生、後輩、元教え子など、何かと心遣いをいただき、支えていただいています。
 広大に来て、今までと違うなと思ったことが一つあります。我々教員に対する研修がとにかく多いな、ということです。しかも、本当に広大の教員として働く上で必要な内容、特に研修をしてもらわないと独学では簡単には分からない内容によって、体系的な研修プログラムが組まれているのです(変なことを言うな?と思われるかもしれませんが、推して知るべし)。リアルタイムやオンデマンドの研修がいろいろ組まれています。必修科目や選択必修もあるという徹底ぶり。それぞれかなりの時間と労力をとられるし、しかも研修を受けないとe-learningのためのLMSも使えないし、自分のテニュアもとれないといった、かなり強気の仕組み。これについて行けない人はいるだろうなと思いますが、ついて行ける人はかなりちゃんとした大学教員になれそうです。この制度をくぐり抜けた先生たちって、本当にすごいですよ。
 私も頑張ってついて行きたいと思います。今日は、朝から夕方までぶっ通しで初任者研修があったので疲れましたが、これから教育者・研究者としてどのように働いていくかたくさん考えることができました。ずっと自分で何とかしなきゃどうにもならないことばかりでしたので、久しぶりにこんなちゃんとした教育を受けられて、新鮮な気持ちです。本当にありがたい気持ちになりました。
 これで、受けなければならない研修はある程度ひと段落したかな。そろそろ研究と教育に軸足を移せるかな。
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広島大学に異動しました

2024年04月01日 23時55分55秒 | Weblog
 突然ですが、この3月31日をもちまして、白石は広島文教大学を退職しました。幼稚園教員・保育士養成からはじまり、後に小・中・高校教員養成に軸足を移しながら、10年間働きました。在職中は様々な方々にお世話になりました。

 そして、本日4月1日付で、広島大学に異動しました。大学院人間社会科学研究科・教育学部に配属され、教育学系コースの日本東洋教育史研究室を担当します。日本で最も伝統ある教育学研究機関の一つであり、かつ日本有数の教育学者の養成校です。教員や公務員も多く輩出しております。教育を深く考察して問題解決に取り組める幅広い人材を育てられる組織で働くことは長年の夢でした。その夢が母校でかなったのですから、感謝しかありません。
 正直言って、昨今の国立大学教員の状況は楽観視できるものではなく、かなり厳しい現実が待っています。私自身もテニュアトラックの身分ゆえ、これまで以上に研究業績を上げ、テニュア(終身雇用)を得なければなりません。楽をしに異動したわけではないので、私にとって厳しい状況は望むところです。私のできる限りを用いて、広島高師以来の伝統ある広大教育学を盛り立てるお手伝いをしたいと思います。
 私立大学・短大で幼小中高栄の教員養成と保育士養成に携わって、15年間「先生の先生」として頑張ってきました。これからは、これまでの私のような「先生の先生」を育てる立場に立ちます。私にしかできないことはあると思っています。研究・教育にこれまで以上に力を入れ、日本教育史・教育学の学問的発展に寄与し、あわせてその有用性を高め、力のある「先生の先生」を一人でも多く育ててまいります。

 本日は辞令式のあと、研究室づくりで一日が終わりました。講座の助教先生や別の研究室の院生さん、私のかつての教え子までが集まって、すごい勢いで手伝ってくれて、ほぼ荷物を入れ終わりました。手伝ってくれた皆さんには誠心より感謝申し上げます。メールアドレスは取得しましたが、まだうまくいっていません。関係者各位には、連絡が取れなくてご迷惑をおかけしているのではないかと思いますが、もうしばらくお待ちください。
 なお、本日の辞令式では、久しぶりに昔の同僚に式場で出会い、その昇任にも立ち会えました。驚きと嬉しさ。新しい仕事が始まるんだな、と感慨ひとしおです。
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