教育情報回路研究ニュース(仮)

教育情報回路研究会(教育会史研究会)から、最近の研究情報をお知らせする予定です

(目次)近代日本における教育情報回路と教育統制に関する総合的研究 中間報告書(Ⅰ)

2015-04-24 21:10:10 | 論文紹介
教育情報回路研究会『近代日本における教育情報回路と教育統制に関する総合的研究 中間報告書(Ⅰ)』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))、2013年3月発行、全80頁。

(目次・章節構成)

はしがき(梶山雅史)

1940年代日本における全国教育団体の変容と再編(白石崇人)
 はじめに
1.1940年代前半における教育会の統合再編と教育職能団体の形成
2.1940年代後半における教員組合の勃興と教育会(教育職能団体)の解体・再編
 今後の課題
 1940年代日本における全国教育団体の変容・再編に関する年表

秋田県教育会の解散と教職員組合の発足(板橋孝幸)
 はじめに
1.戦時下における秋田県教育会の動向
2.秋田県教育会の解散
3.秋田県教職員組合の結成
4.戦前県教育会の財産と戦後教職員組合への引き継ぎ
 おわりに
 秋田県教育会1940年代年表

戦後における教育会の終焉と教育研究団体の組織化―校長会を通じた教育会機能の継承―(佐藤幹男)
 はじめに
Ⅰ.教育会と地方教育行政
(1)教育会の法制的性格
(2)教育会の変遷
Ⅱ.校長会と地方教育行政
(1)戦前の校長職
 ①【管理者】としての校長 ②【監督者】としての校長 ③【統督者】としての校長 ④再び【監督者】としての校長へ
(2)戦前の小学校長会
Ⅲ.戦後初期における教育団体と校長(会)
(1)教員組合と校長(会)
(2)管理職団体としての校長会の再スタート
(3)教育研究活動と校長
Ⅳ.戦後における教育研究団体の立ち上がりと校長(会)
 おわりに

神奈川県内における戦後教員組織の再編と教育研究団体の発足について―研究の総活と今後の研究推進の在り方―(須田将司)
 はじめに
1.横浜における教組結成の動向―青年教師と校長層のせめぎ合い―
(1)「県教組」結成の動き
(2)神奈川県教職員組合=「神教組」結成の動き
2.足柄上・下両郡教育会の戦前と戦後
(1)足柄下郡教育会
(2)足柄上郡教育会
3.戦後教育研究団体の発足
(1)戦後直後の神奈川県新教育研究会
(2)教育研究の官製化
(3)教職員組合の教研活動―戦後教育研究団体のもう一つの極として―
 おわりに―本報告の総活と今後の課題から―
 神奈川県教育会1940年代~1950年代年表―修正(1)

熊本県教育会の解散について(軽部勝一郎)
1.はじめに
2.本報告を執筆する際に用いた史料
3.翼賛体制下の熊本県教育会
4.熊本県における教員組合の叢生
(1)1945(昭和20)年の事項
(2)1946(昭和21)年の事項
(3)1947(昭和22)年の事項
5.戦後の熊本県教育会とその終焉―熊本市教育会
(1)1945(昭和20)年の事項
(2)1946(昭和21)年の事項
(3)1947(昭和22)年の事項
6.おわりに

1940年代における沖縄県教育会の変容と再編過程―戦後の再編を中心に―(照屋信治)
 はじめに
1.先行研究に基づく戦後の教育会の変遷
(1)沖縄群島
 ①田井等地区教育会から沖縄教育連合会、沖縄教職員会へ ②組合移行に関すること
(2)八重山群島
(3)宮古群島
2.教育会と政治との関係
(1)沖縄教育連合会
(2)八重山教育会
 おわりに
 〈付表〉教育会雑誌目次集(略)

1940年代台湾における教育団体の変容と再編過程―台湾教育会、台灣省教育會を中心に―(陳紅ブン・山本和行)
 はじめに
 Ⅰ.日本統治末期(1939-1945)における台湾教育会の事業内容について
1.1937年移行における台湾教育会事業内容の変化
(1)手がかりの『台湾教育』について
(2)1937(昭和12)以降の事業内容変化
2.1940(昭和15)―1944(昭和19)年の事業内容について
(1)1940(昭和15)年の予定事業内容
(2)「台北通信」による1940-1944(昭和19)年前半における主な事業内容のまとめ
3.1940―1944(昭和19)年の新規事業について
(1)臨時教員養成講習会
(2)台湾国語研究会について
(3)南方に関する新事業
(4)留学生連絡部の設立
(5)出版関係
4.まとめと今後の課題
 Ⅱ.「戦後」における台灣省教育會の結成―結成の経緯を中心に―
1.台灣省教育會結成の経緯に関する資料
2.台灣省教育會結成の経緯
3.台灣省教育會の活動方針
(1)台灣省教育會における活動方針の決定
(2)台湾省行政長官公署の方針
4.主要人物の経歴
5.まとめと今後の課題
 補論―「台湾新生教育会」について
 台湾教育会(1939―1945)、台灣省教育會(1945―1950)年表

(記事:白石崇人)

(目次)近代日本における教育情報回路と教育統制に関する総合的研究 中間報告書(Ⅱ)

2015-03-21 16:48:31 | 論文紹介
教育情報回路研究会『近代日本における教育情報回路と教育統制に関する総合的研究 中間報告書(Ⅱ)』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))、2014年9月発行、全148頁。

(目次・章節構成)

はしがき(梶山雅史)

1930年代初頭における岐阜県教育会の動向―「岐阜県教育」による年表作成を通して―(梶山雅史)
 1.岐阜県教育会の経費、財源事情
 2.県教育会書記(会計主任)不始末事件
 3.改正岐阜県教育会規約
 4.岐阜県教育会代議員
 5.岐阜県教育会の再出発 役員の再編
 6.機関誌「岐阜県教育」の改良
 7.満州事変以前と以後 県教育会の変容について
  岐阜県教育会史年表 1930年(昭和5年)1月以降

信濃教育会の戦中戦後―1940年代の信濃教育会及び長野県内の各教育会の組織改変を中心に―(金井徹)
 1 はじめに
 2 信濃教育会の解散と大日本教育会長野県支部の結成
 3 信濃教育会の復活
 4 教職員組合と信濃教育会
 5 信濃教育会の存続と軍政部
  おわりに
  信濃教育会 年表(1940年―1951年)

戦後東京都における教育団体再編の動向―戦後初期の区部における教育会・教育研究会・教員組合に着目して―(佐藤高樹)
  はじめに
 1.東京都教職員組合(都教組)の結成―その経緯―
 (1)東京都教職員組合(都教組)結成までの流れ
  ①新しい教員組織(=組合)への動向―「単一組合」をめぐるかけひき―
  ②二つの全国組織の分立―日教労と教全連―
 (2)東京都教職員組合の誕生
 2.区部における教育団体再編の動向―教育会・教育研究会・教員組合―
 (1)「教育会」と「教育研究会」
 (2)教員組合から教育研究会へ
  ①千代田区 ②新宿区 ③豊島区
 3.戦後の「区教育会」
 (1)北区教育会と北区教職員組合(北教組)
 (2)中央区における教育会設立と中央区教職員組合
 (3)他区の動向―目黒区・渋谷区・港区・板橋区・練馬区―
  ①目黒区 ②渋谷区 ③港区 ④板橋区・練馬区
  まとめにかえて
  【表1】戦後東京都・区部における教育団体の結成・再編の動向
  【表2】年表―東京都教育会(帝都教育会)・教職員組合・各区教育研究会―(1940―53年)

群馬県における地方教育会の終焉と戦後における教育諸団体の結成―教育研究活動の継承を中心として―(清水禎文)
 1 はじめに
 2 大日本教育会の発足と地方教育会の改組
 (1)群馬県教育会の活動
 (2)郡市教育会の活動
 (3)大日本教育会の発足と大日本教育会群馬県支部の設立
 (4)大日本教育会群馬県支部郡市分会の設立
 3 戦後初期における教育会と教員組合
 (1)戦後初期における教員組合の動向
 (2)群馬県教育会の解散
 (3)郡市教育会の動向
 4 職能団体としての地方教育会の再建
 (1)桐生市教育会
 (2)碓氷教育会と甘楽郡教育会
 (3)山田郡教育会と勢多郡教育会
 (4)西佐波教育会
 5 結びに代えて~残された研究課題
 〈年表〉群馬県教育会の終焉と戦後教育諸団体の結成

昭和戦前期 福島県教育会雑誌目次集(須田将司)
 [※1927―1944年分]

(記事:白石崇人)

「教育情報回路」概念の検討

2015-02-25 08:06:06 | 論文紹介
 白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」(教育情報回路研究会発表資料、於・東北大学、2012年11月25日)を紹介します。

 2003年に梶山雅史が提唱した「教育情報回路」概念は、教育会史研究を飛躍的に活発化させた重要な概念です。表記の論文(発表資料)は、教育情報回路研究会の研究成果を整理し、「教育情報回路」概念の意味内容とその問題点とを検討することを目的としました。
 表記の論文は、まず、「教育情報回路」概念の主唱者である梶山雅史がどのようにこの概念を使ってきたかを取り上げ、2012年11月段階における概念内容を整理しています。次に、『近代日本教育会史研究』と『続・近代日本教育会史研究』に対する批判を「教育情報回路」概念に対する批判として取り上げ、この概念についての残された課題を整理しました。最後に、教育情報回路研究会および同研究会メンバーによる教育会史研究の成果(2012年11月現在)をおおまかに整理して教育会史を試論的に叙述しました。本論文が、「教育情報回路」概念の具体的内容と今後の課題とを導き出すたたき台となれば幸甚です。
                        
<論文構成> ※リンクからは白石個人のブログに移動します。
  はじめに
1.梶山雅史の「教育情報回路」概念
 (1)「メディア」としての仮説的認識
 (2)総合性への注目―「回路」
2.「教育情報回路」概念による教育会史研究への批判点
 (1)国際的視点の不足
 (2)「教育情報回路」概念内容の追究程度
 (3)「教育情報回路」と「職能団体」
 (4)「教育情報回路としての教育会」の総括的研究を求めて
3.「教育情報回路」概念による教育会史試論
 (1)地域における学事協議・教員講習・教育研究機能の形成と継承 (1870年代)
 (2)私立教育会結成による教育情報回路の形成開始 (1880年代~1890年代半ば)
 (3)組織改革による教育情報回路の確立 (1890年代半ば~1900年代)
 (4)教育会の系統化と情報集積・循環機能の充実 (1910年代~1920年代)
 (5)教育情報回路の徹底・変容・再編 (1930年代~1940年代)
  おわりに

(白石崇人)

近代日本における教育情報回路としての中央・地方教育会

2015-02-04 20:00:00 | 巻頭言
 1870年代後半(明治10年代)に全国各地に登場した地方教育会は、その多くが設立時に「互ニ知識ヲ交換」し、「管内教育家ノ気脈ヲ通」じ、「学事ヲ改良拡張」することを規約に掲げた。当初、有志の「私立」教育団体として設立され、やがて町村レベルから郡レベルへ、さらに県単位の組織となる。それは職能団体であるとともに、行政の翼賛団体的性格を併せ持ち、地域の教育事業振興に深く関わった。
 戦前の教育会は、日本の教育史上全く新たな組織・システムの造出であったと言ってよい。戦後の教育諸団体に比して、地方教育会は行政担当者、師範学校スタッフ、教員、地方名望家が一体となった極めて注目すべき組織であった。実に多様な事業を繰り広げ、教育情報を、集積、配給し、戦前の教員、教育関係者の価値観と行動様式を強力に水路づけた。さらには地域住民の教育意識形成に大きな作用を及ぼした。
 その組織・活動が生み出した地域事業の特質、活動内容の全貌解明は、いまだ試みられていない。戦前の地方教育会の特質分析は、近代日本教育史の極めて重要な核心に行きつくはずである。
 教育会は1890年代前半には、府県レベルを越えた動きを示し、広域ブロックの府県聯合教育大会を開催するに至る。一方、東京に結成された中央教育団体は、1896(明治29)年に帝国教育会と改称し、全国レベルでの教育世論形成を主導した。昭和の総動員体制が強化される中、「大日本教育会」へと組織を改め、戦時国策翼賛団体となる。そして、戦後、1948(昭和23)年に解散するという道筋をたどる。
 明治、大正、昭和の戦時期に至る期間、全都道府県さらに朝鮮、満州、台湾、樺太、南洋群島にも設立されるに及んだこの教育会組織は、近代日本の空間・時間両軸において実に巨大な教育情報回路を形成したのであり、強力なメディアであったと言えるのではあるまいか。
 各地教育会が紡ぎ出す教育情報の内実、その地域的、時代的特質、中央・地方教育会の重層構造、教育会の教員養成さらには教員統制機能、戦時動員と教育情報等、多くの研究テーマが次々と浮上してくる。
 この教育会の組織・機能・活動実態の解明に向けて、多様な観点から議論を深めることができればと願っている。

(教育史学会第49回大会コロキウム企画趣旨より、2005年10月9日実施、於・東北大学)
(梶山雅史)