教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題

2021年04月08日 22時32分00秒 | 日本教育学史
 忙しいと言いながら、研究成果の紹介を予約投稿します。昨年度末には単著2本と共著1本の論文を発表しました。本学のポータルサイトで公開されるのを待っていたのですが、まだ時間がかかりそうなのでとりあえず順次、簡単に紹介していきます。

 まず1つ目ですが、白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題―教育事実の実証的研究の問題化と「教育科学」・「日本教育学」の制度化」(『広島文教大学高等教育研究』第7号、広島文教大学高等教育研究センター、2021年、45~60頁)です。同主題で、昨年の中国四国教育学会大会ラウンドテーブルで発表した内容を活字化したものです。論文構成は以下の通り。

 はじめに
1.教育学における科学的関心の芽生え ―1880~1890年代前半
 (1)英米由来の心理学的教育学と教育学会 ―1880年代
 (2)ヘルバルト派科学的教育学の受容 ―1880年代末~1890年代前半
2.科学論争時代における教育学の模索 ―1890年代後半~1920年代前半
 (1)教育学の科学的基礎づけの問題化 ―1890年代後半~1900年代
 (2)実証的・科学的研究の相補的発展と日本独自の教育学 ―1910~20年代前半
3.「教育科学」と「日本教育学」の誕生 ―1920年代後半~1930年代
 (1)教育実践・政策の科学的研究と「教育科学」の制度化
 (2)教育学における普遍と特殊、理論と実践
 おわりに

 「教育学は科学か」という問いは昔からあるのですが、いつごろからあったか、日本ではどうか、ということは、長年、澤柳政太郎『実際的教育学』(1909)からや1930年代以降の教育科学研究会前後から(もしくは阿部重孝から)というのが有力な通説でした。しかし、拙著『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』(溪水社、2017年)や同「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」(教育史学会編『日本の教育史学』第60集、2017年10月、19~31頁)などで明らかにしてきたように、澤柳以前から科学化の問題は日本の教育学に現れていました。その内実と全体像をとらえようとしたのが、同「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」(杉田浩崇・熊井将太編『「エビデンスに基づく教育」の閾を探る―教育学における規範と事実をめぐって』春風社、2019年9月、281~314頁)でしたが、1900年代のとらえ方がまだ甘く、かつ1910年代以降の流れが未解明のままでした。本稿は、前稿を超えて1930年代までを視野に入れ、日本の教育学における科学化の歴史を研究したものです。
 教育学史研究はいま特に必要だと思っています。1990年代以降(日本では2000年代以降)、EBE(Evidence-Besed Education)論争がおこり、「教育学は科学か」という問いが改めて問われるようになりました。初発の問いが「これまでの教育学(教育実践・教育政策)はすべてエビデンスがなかったから、エビデンスに基づいた教育学(教育実践・教育政策)を立てなければならない」という立て方になっていたために、教育学史上の科学化の歴史は忘れさられてしまいましたが、実際の教育学史は科学化の歴史でもあって、EBE論争にもつながる長い歴史をもっています。EBE論争が過熱して賛成派・反対派の間に対立が深まって、なかなか議論のプラットフォームがつくれない状態が続きましたが、それはこの科学化の歴史を我々が忘れ去ってしまったからかもしれません(忘れたふりをした人もいたのではないかと思いますが)。当の本人である教育学者自身が忘れているのではないか、と思わないでもないので、私はいまこそ教育学史研究が必要だと思っています。
 そんなこんなでまとめた論文です。細かいことは論文を読んでいただけると幸いです。最初は通史のつもりで研究といえるかなと思いながら執筆を始めたのですが、結果として新しい発見がたくさんありました。例えば、科学の名のもとに教育実践・政策の実証研究が行われていった結果、「教育科学」が制度化されたのはまだわかるとしても、日本特殊の教育事実への注目から日本の教育学の自立や「日本教育学」の誕生にもつながっているらしいという発見は意外なものでした。課題もたくさん残っているので、ぜひ後に研究が続いてくれるとうれしいです。私もできる限り続けたいです。

 本稿はそのうちPDFでネット公開される予定です。すぐに必要な人は、PDF添付しますので白石まで連絡してください。ぜひ読んでいただけると幸いです。
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新年度

2021年04月07日 22時14分00秒 | Weblog
 こんにちは。新年度もあけまして、本学にも新入生がやってまいりました。
 感染状況が不安ですが、とりあえずもろもろ対面主で進行し、今のところ無事進んでいます。授業は来週頭から開始です。教員側もいろいろ不安ですし、事態の変動次第で状況が変わる可能性はありますが、現状確かなことはやはり学生はうれしそうだということです。昨年度の経験を生かして、臨機応変に対応してまいります。まあ、昨年度のこのころは対面かオンラインかという極端な判断(しかもオンラインの方法は白紙状態)しかできなかったのですが、今では経験を積み重ねてたくさんの選択肢を選ぶことができるようになったので、少し余裕をもって取り組めそうです。「くるならこい!」という感じです(もちろんそんな状況にはなってほしくないですが)。
 とはいえ、今年度は3年次の小学校実習の主担当になってしまいました。仕事量は純増です。教育学部設置後、初めての小学校の本実習で、新しい仕組みをつくらないといけないので、言い出しっぺのお前がやれという流れでこうなりました。昨年度のように、感染対策した授業方針やオンライン授業などについてゼロから考えなくていいので、その分、少し手が空くはずですが、そもそも元々の仕事量がいっぱいあるので少し不安です。皆様お手柔らかにお願いします。
 とりいそぎ、年度初めから予防線をはり始める私でした。
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研究論文業績一覧(共著)

2021年04月01日 18時46分58秒 | 研究業績情報

  1. 白石崇人・牧亮太・上村加奈・善本桂子・杉山浩之「教育実習(幼稚園)の概要と課題」広島文教女子大学教職センター編『教職センター年報』第4号、2016年3月、9~19頁。

  2. 佐藤仁・杉田浩崇・白石崇人・樋口裕介・熊井将太「教育学研究と実践志向の教員養成改革の関係性を問う」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第62巻、2017年3月、677~688頁。(うち「教育史の立場から」679~681頁を執筆)

  3. 本畝瑞歩・白石崇人・森哲之・田邊日向子・福田聡子・峰谷日菜子・森望美・山本祐理「教員養成における学生の主体的な正課外活動の意義―広島文教女子大学初等教育学科生による自主サークル“はぐくみ”の取り組み」広島文教女子大学教育学会編『広島文教教育』第33巻、2019年3月、45~55頁。

  4. 久賀隆之・白石崇人「平成29・30年告示の学習指導要領に基づく歴史教育―小・中・高の連続性と高等学校「日本史探究」を想定した授業実践を通して」広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第34巻、2020年3月、15~24頁。

  5. 久賀隆之・白石崇人「社会的な見方・考え方に基づいた「問いを表現」する歴史教育―高等学校「日本史探究」を想定した実践開発を通して」広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第35巻、2021年3月、1~12頁。


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研究論文業績一覧(単著)

2021年04月01日 18時46分28秒 | 研究業績情報

 学術雑誌掲載の論文に関する研究業績情報。増え次第、ここに順次追加しています。卒論と修論は普通挙げませんが、参考までに。 PDF公開されている論文には、ウェブリンクをつけておきました。 レフェリー付き論文には、文末に「」を付けています。 




1.白石崇人「沢柳政太郎の教師論 ―教師の専門職性」卒業論文、広島大学教育学部、2002年。
2.白石崇人「大日本教育会における研究活動の展開」修士論文、広島大学大学院教育学研究科、2004年。
3.白石崇人「東京教育学会の研究」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第48巻第1部、2003年、50~55頁。
4.白石崇人「東京教育会の活動実態 ―東京府学務課・府師範学校との関係」全国地方教育史学会『地方教育史研究』25号、2004年、47~68頁。
5.白石崇人「明治二十年前後における大日本教育会の討議会に関する研究」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第53号、2004年、103~111頁。
6.白石崇人「明治三十年代前半の帝国教育会における研究活動の展開 ―学制調査部と国字改良部に注目して」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第50巻、2005年3月、42~47頁。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題 ―学校教育・初等教育・普通教育研究の重視」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第51巻、2006年3月、66~71頁。
8.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における広島県会員の特徴 ―明治16年の結成から大正4年の辻会長期まで」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第54号、2005年、87~95頁。
9.白石崇人「明治21年の大日本教育会における「研究」の事業化過程」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第55号、2006年、83~92頁。
10.白石崇人「明治32年・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案 ―明治30年代における初等教育重視の学制改革案の原型」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第53巻、2008年3月、46~51頁。
11.白石崇人「1880年代における西村貞の理学観の社会的役割 ―大日本学術奨励会構想と大日本教育会改革に注目して」日本科学史学会編『科学史研究』第47巻No.246、岩波書店、2008年6月、65~73頁。
12.白石崇人「明治20年代後半における大日本教育会研究組合の成立」日本教育学会編『教育学研究』第75巻第3号、2008年9月、1~12頁。
13.白石崇人「日清・日露戦間期における帝国教育会の公徳養成問題 ―社会的道徳教育のための教材と教員資質」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第57号、2008年12月、11~20頁。
14.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像 ―不況期において小学校教員に求められた意識と態度」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第54巻、2009年3月、270~275頁。
15.白石崇人「小学校歴史教科書における寺子屋記述」『鳥取短期大学研究紀要』第60号、2009年12月、9~20頁。
16.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第55巻、2010年3月、314~319頁。
17.白石崇人「明治後期の保育者論―東京女子高等師範学校附属幼稚園の理論的系譜を事例として」『鳥取短期大学研究紀要』第61号、2010年6月、1~10頁。
18.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―『東伯之教育』所収の小学校普及・中学校増設関係記事から」『鳥取短期大学研究紀要』第62号、2010年12月、11~23頁。
19.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教職の社会的地位および資質向上の目標化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第56巻、2011年3月、268~273頁。
20.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程―地方小学校教員集団の質的変容に関する一実態」中国四国教育学会編『教育学研究ジャーナル』第9号、2011年、31~40頁。
21.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第57巻、2012年3月、233~238頁。
22.白石崇人「明治期における道府県教育会雑誌の交換・寄贈―教育会共同体の実態に関する一考察」広島大学教育学部日本東洋教育史研究室編『広島の教育史学』第3号、2012年3月、27~47頁。
23.白石崇人「大日本教育会夏季講習会の開始―明治20年代半ばの教員改良策」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第58巻、2013年3月、53~58頁。
24.白石崇人「1940年代日本における全国教育団体の変容と再編(年表解説)」教育情報回路研究会編『近代日本における教育情報回路と教育統制に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、東北大学大学院教育学研究科内教育情報回路研究会、2013年3月、1~10頁。
25.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」学位論文(論文博士(教育学))、広島大学、2014年3月、全390頁。
26.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第59巻、2014年3月、533~538頁。
27.白石崇人「明治期鳥取県教育会の結成と幹部」『広島文教女子大学紀要』第49巻、2014年12月、27~40頁。
28.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第60巻、2015年3月、37~42頁。
29.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第61巻、2016年3月、174~179頁。
30.白石崇人「教員養成における教育史教育」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第2号、2016年3月、29~48頁。
31.白石崇人「日本の学校における道徳教育の展開―修身教育、教育活動全体、道徳の時間、特別の教科」『広島文教女子大学紀要』第51巻、2016年12月、47~57頁。
32.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第62巻、2017年3月、370~375頁。
33.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会編『日本の教育史学』第60集、2017年10月、19~31頁。
34.白石崇人「『東京府教育会雑誌』解説」白石崇人編『『東京府教育会雑誌』解説・総目次・関連年表』不二出版、2017年11月、7~37頁。※目次・年表も元データを作成
35.白石崇人「現代日本の教育政策における学校・地域の連携協働構想―平成27年中央教育審議会答申以降に注目して」『広島文教女子大学紀要』第52巻、2017年12月、33~43頁。
36.白石崇人「現代日本の教育政策における教員養成の課題―平成27年中教審教員育成答申以降の諸施策に注目して」『広島文教女子大学教職センター年報』第6号、2018年2月、7~16頁。
37.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第63巻、2018年3月、537~542頁。
38.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには(教育学研究と実践志向の教員養成改革との関係性を問う(教育史の立場から))」佐藤仁編『教員養成における「エビデンス」の位置づけをめぐる学際的研究』2016・2017年度中国四国教育学会課題研究成果報告書、2018年3月、30~40頁。
39.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討―2012年11月までの研究成果を整理して」教育情報回路研究会編『日本型教育行政システムの構造と史的展開に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書、教育情報回路研究会、2018年3月、21~42頁。
40.白石崇人「教職教養としての教育史」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第5号、2019年3月、1~13頁。
41.白石崇人「明治30~40年代の教育研究における教育展覧会」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第64巻、2019年3月、96~101頁。
42.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会編『近現代日本の地方教育行政と「教員育成コミュニティ」の特質に関する総合的研究』2018~2020年度科学研究費補助金(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、教育情報回路研究会、2019年4月、(1)~(23)頁。
43.白石崇人「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」杉田浩崇・熊井将太編『「エビデンスに基づく教育」の閾を探る―教育学における規範と事実をめぐって』春風社、2019年9月、281~314頁。
44.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」教育史学会編『日本の教育史学』第62集、2019年10月、142~145頁。
45.白石崇人「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第55巻、2020年12月、73~89頁。
46.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題―教育事実の実証的研究の問題化と「教育科学」・「日本教育学」の制度化」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第7号、2021年3月、45~60頁。
47.白石崇人「現代日本社会における教育制度の課題―格差・AI・人口減少社会における主体的・対話的で深い学び、オンライン学習」広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第35巻、2021年3月、69~80頁。
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新型コロナが猛威をふるった年に卒業する皆さんへ

2021年03月20日 17時47分27秒 | Weblog
 本日、本学は学位記授与式(卒業式)でした。感染対策をしての実施、無事終了しました。写真は卒業のゼミ生からいただいたもの。ありがとうございました。ゼミでの議論は毎週刺激的で、素晴らしいゼミ生たちでした。

 今年卒業する学年は、最後の年に新型コロナの影響を受けて、様々な予定変更を受けた学年でした。オンライン授業や行事短縮などの影響を受けて、前人未到の教育環境のなかで生き抜いた学年です。世の中は新型コロナの影響を早く脱したい雰囲気ですが、コロナ後の世界はどうなっていくでしょうか。皆さんはどのように生きていきますか。
 本日の学科卒業式で、うちの学科長が「新型コロナ後は、元に戻るよりも、前よりもよい教育・保育をつくらなければなりません。」という趣旨のことを述べました。本当にその通りです。新型コロナの影響で日本の教育はズタズタにされました。そして、我々は、オンライン学習や行事・部活教育の可能性も限界も身をもって経験し、これまでにない教育のあり方を垣間見ました。もともと日本の教育は現代日本社会の現実に合わなくなっていました。これまでの教育に戻そうとしても、おそらく無理であり、できたとしても困難多くして意義は少ないものとなるでしょう。「前よりもよい教育・保育」とは何か。これからの学校は、これに回答し、形にしていかなければなりません。おそらくその時に必要なのは、己や職場の足元を見つめ直し、過去や他に学び、協働して解決策をまとめ、試行錯誤することです。その時に一番役立つのは、教育を根本的に問い直そうとする教育学的な見方・考え方であるはずです。
 「こんな時代に学生時代を送って卒業しなければならないなんて、損した」と思っている卒業生は少なくないと思います。しかし、皆さんは時代を作っていく世代です。今年度味わった苦しさを力に変えて、前に進んでください。

 元に戻すことではなく、以前よりもよい教育・保育をつくっていこう。これを、この時代に生きる我々の願いとしよう。
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職業教育としての「大学における教員養成」

2021年03月12日 19時55分00秒 | 教育研究メモ
 教員養成は、他の職業のものと比べて特殊な原理を多く含むが、一つの職業教育である。職業教育は現実・現在の職業の秩序に向けて準備するだけでは、職業や使用者の論理に従属する受け身の人材を養成することになる。社会のあり方や制度の大きく変わろうとしている現代において、このような職業教育しかもたない職業は持続不可能である。職業の現実についての確かな認識をもち、職業の現実に向き合って、その改善・向上に協力して行動できるような人材を養成することが、今の職業教育の求められる姿勢であろう。
 そうだとすれば、教員養成は、教員の現実についての確かな認識をもち、教員の現実に向き合って、その改善・向上に協力して行動できるような人材を養成することである。これを実現するには、教員養成の現場は、教員の現実である教育現場とつながりながら、一定の距離をとった位置にある必要がある。教員養成が現場の徒弟制ではなく大学において行われることの意義はここにあるし、教員養成が「実習と講義・演習」の往還や、「実務家教員と研究者教員」または「教科教育学者と教育学者、親学問の学者」の協同によって行われることの意義もここにある。教員の仕事には、教育現場でしか学べないことと、教育現場では学べないことがある。現場から距離をとって体系的・研究的に学問することによってはじめて学べることがあり、教員の現実に向き合ってその改善をはかるには、そのような学びを欠かすことはできない。そのような学びが欠けたまま現場に出れば、既存のあり方に順応するしかない。
 もちろん、学問のみでは職業教育にはならない。新しく養成された新卒者が教員の現実を改善していくには、教員の仕事に関する基本的な知識・技能を身につけておく必要がある。基本的な仕事ができない者は、既存の職場のあり方に順応するか、順応すらできずに職場を去るしかないからである。教員養成は、教員の基本的な仕事に関する知識・技能を身につけながら、同時に教員の現実に飲み込まれずに自立して現実に向き合えるような能力と態度を身につけていく必要がある。教員養成は、そういう意味で、職業訓練と学問の往還の課程でなければならないし、実習と大学の往還の仕組みを充実させる必要がある。
 教員養成の現場は、教育現場と一体化しては己の役割を全うすることができない。既存の教員の仕事を学びつつ、教員の現実に協同してしっかりと向き合える力と態度を身につける独自の立場を確立した上で、教育現場と連携・往還する経路を確保することが必要である。そうすることで、学問の場である大学で教員養成(職業教育)を行う「大学における教員養成」が成立する。
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教育・学びをめぐる規範的問いと教育学

2021年02月01日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
 何を学ぶべきか。なぜそれを学ぶのか。
 何を教えるべきか。なぜそれを教えるのか。
 この規範的問いは現代日本において無視されがちである。一般的な資質能力やスキル、態度などを習得するための教育内容・教材を選択し、教育課程を編成するときにはこの規範的問いを経ることが必要である。極端なことをいうと、独裁国家のリーダーの演説原稿ですら規範意識を形成する教材になるし、銃や爆弾の使い方ですら自然現象を科学的に理解・処理する能力を習得する教材になるのである。教育や学習においては、その資質能力やスキル、態度のもつ「意味」に注目しなければならない。これは哲学的(人間学的)・規範的・歴史的な問題である。教育課程の編成や教育内容・教材の選択は、哲学的・規範的・歴史的な思考や判断を欠いてはならない。
 資質能力やスキル、態度の習得は学習者が主体的に進め、教育者・教育関係者は間接的にかかわるしかないが、そのための教育課程・教育内容・教材を提供するのは明らかに教育者・教育関係者の役割である。教育に関わる者は、学習者が何を学ぶべきか、それをなぜ学ぶか(何を教えるべきか、それをなぜ教えるか)についての規範的問いを持たなければならない。個人内の学習過程に関わる学習科学の問いだけでは、この規範的問いには届かない。経済成長のための人材育成論の問いだけでは、この規範的問いには十分ではない。人間として、国民・市民として何を学ぶべきか。文化も歴史的失敗も様々に含む過去をもち、なお変化し続けて世界とつながる現在と未来の社会を生きる現代の日本人として何を学ぶべきか。これらを問う姿勢なしに教育に関わっては、専門職として自律的な仕事をすることはできない。また、これらの問いは、教育者はもちろん、人間であり、国民・市民である人々すべてが問うべき問いでもある。すべての人間がこの問いの当事者だからである。
 教育学はこの規範的問いを問う学問である。教育学は、教員養成・教師教育において欠かせない学問であり、人間・国民・市民育成においても欠かせない学問である。
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論文「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」

2021年01月08日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 続いて投稿しております。昨年6月に教育会史(教育情報回路)研究会で発表したものをもとに、拙稿「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」(『広島文教大学紀要』第55巻、2020年12月、73~89頁)を書きました。今回はその内容を紹介します。
 最近の教育会史研究会は、戦後研究に軸足をおいておりまして、私もその関係で研究をしています。教育会は戦後すぐに解散したと通説では言われがちなのですが、中央教育会や一部の地方教育会はまだ現役で、中央教育会は日本連合教育会と日本教育会の2つが現役で活動しています。前著である梶山雅史編『近・現代日本教育会史研究』(不二出版、2018年)で日本連合教育会の結成までを論文にしましたので、今回は日本教育会の結成を取り上げました。なお、今回取り上げたのは戦後生まれ、1975年結成の日本教育会です。戦前の大日本教育会の後身団体も日本教育会なので紛らわしいのですが、別の団体なので、区別するときは「旧日本教育会」と称することにしました。論文構成は以下の通りです。

「1975年における日本教育会の結成
 ―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」
 はじめに
1.日本教育会の結成まで
 (1)世話人会と教育8団体
 (2)職能団体を目指す動きとその課題
 (3)教師・学校中心の教育改革構想
2.日本教育会結成大会の成果と課題
 (1)職能団体のなかの校長とPTA
 (2)日本連合教育会・文部省・校長会の関係
3.森戸辰男会長の教育会再建構想
 (1)教育会再建への意欲と世話人会路線への批判
 (2)ILO・ユネスコ共同勧告に基づくプロフェッション論
 おわりに

 日本教育会は、2000年には5万人を超える会員を有したことのある、現役の全国教育団体です。しかし、旧日本教育会や日本連合教育会とは異なる歴史をもっており、なぜ多くの教育会が解散した後にわざわざ「教育会」を名乗って結成されたのだろうか、と長年疑問に思っていました。その疑問は本論文で解くことができたと思っています。これまでの教育会史研究は主に1940年代の教育会解散までを射程にしてきたのですが、本論文の取り組みはそれを乗り越えることになりました。そのカギになったのは校長会です。副題にある「全国校長会」というのは便宜的につけた用語であって、実際は、全国連合小学校長会と全日本中学校長会、全国高等学校長協会といった全国規模の校長会を主に指しているつもりです。また、1970年代にこれらの校長会に協働していた、全国国公立幼稚園長会と全国国公立幼稚園PTA連絡協議会、日本PTA全国協議会、全国高等学校PTA協議会、全国公立学校教頭会についても言及しました(1970年代には、前3校長会とこれら5団体を合わせて「教育8団体」といいました)。また、副題の「教育改革」というのは、1971(昭和46)年に中教審が発表した、いわゆる「四六答申」に沿った「第三の教育改革」を念頭に置いていると思ってください。それから「教職プロフェッション化」というのは、最初は「教職の専門職性」と題したかったのですが、初代会長の森戸辰男が用語として「専門職」ではなく「プロフェッション」を使っているためこのようにしました。
 1950年代以降の教育会史はこれまであまり日本教育史の研究対象になってこなかったのですが、今回の研究を通して、それは戦後教育史の研究を貧しくしてしまうもとだなと感じました。拙稿では、職能団体結成における校長会の主導性、そして教頭会の葛藤、PTAの位置づけの難しさ、日本連合教育会の存在、自民党・文部省との関係、森戸辰男の存在感と理念、これらの面白さに触れることができたと思います。また、教育8団体の教育運動やそれぞれの団体の活動など、面白そうなテーマを派生して発見することができました。よくある文部省・中教審中心史観や日教組史観などを乗り越えて(もちろん文部省・中教審・日教組研究は重要ですが)、これから戦後教育史を豊かに描くには、やはり教育会史研究の進展も欠かせないな、と思いを改めているところです。

 なお、本論文はPDFでネット公開されました(こちら)。
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教材「国民教育の始動―明治期の教育」

2021年01月07日 18時56分13秒 | 教育研究メモ
 昨年のことになりますが、貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』(ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年9月)の第8章「国民教育の始動―明治期の教育」(115~130頁)を担当執筆しました。
 このところ教育史教育について考えるようになって、既存の教育史の教科書叙述に不満を感じることが多くなりました。教師教育・教員養成の教材として考えたとき、単に年表を書き下したような叙述では不十分です。どのような事実を選択し、どのように解釈・構成するか。もっともっと考えなければならないと思っています。そんな問題意識をかかえながら執筆しました。論文構成は以下の通り。

 第8章 国民教育の始動―明治期の教育
1 明治教育の出発点
 (1)江戸から明治へ
 (2)「教育」とは何かをめぐって
2 国民教育制度の形成
 (1)共通年限の義務教育を目指して
 (2)普通教育の模索
 (3)普通教育と人材養成
3 国民教育の影響
 (1)就学慣行の定着と臣民教育
 (2)立身出世主義と良妻賢母主義
 (3)学校・地域・家庭
4 国民教育始動の意義

 明治期の教育史をどう描くか考えたとき、まず一度まとめておきたかったものが「国民教育」でした。明治以前(江戸期)の教育と明治期の教育とが異なることは何か。明治期の教育が明治以後に残したものは何か。そして、その中で教職課程で取り上げるべきテーマは何か。明治期が、江戸期になかった国民教育の原型を形成し、それを実際に始動させた時期であることは間違いありません。そして、今の教職課程で育てている学生たちは、教師になれば、国民教育の制度の上で国民教育を実践する立場に立つことになります。そう考え、章を貫くテーマを「国民教育」にしました。なお、国民教育というテーマは国民国家論から得ています。国民国家論自体はやや使い古された感のある理論ですが、我々の生活において国民意識の意義が失われない限り、我々の教育制度が国民教育をあきらめない限り、有効な理論の一つだと思っています。
 今回、明治期の国民教育史を描くときに私が心がけたのは、明治期の教育は江戸期から引き続く教育の伝統を基礎に作られた事実を無視しないこと、それから義務教育制度を国民教育制度の中心にすえて、中央や法令のレベルだけでなく周辺的な位置づけにあった地域のレベルをも意識しながらその形成過程を明らかにすること、普通教育制度と人材養成制度を区別してそれらの交錯と接続の形成過程をとらえること、社会や国民生活の中に国民教育制度の影響をとらえること、立身出世主義と良妻賢母主義を男女それぞれの生き方に関わるものとして明確に位置付けてその分離状態に注目すること、国民教育の始動が学校のみならず地域・家庭・社会のあり方を変えたことに触れること、国民教育始動の意義を課題とともに批判的にとらえようとしたことなどです。私の専門である教育会についても、教育社会の形成史の中に位置づけました(江戸期には教育社会はなかったので、明治期の教育社会の形成は歴史上画期的な出来事です)。章末の問いにも、学生が教育史を身近に感じるように、本文から得た国民教育の視点を用いて教育制度や社会のありようを理解・解釈する練習の機会を得られるように工夫をこらしました。
 本論文の出来は個人的には満足しています。特に、義務教育制度の形成過程を中央だけでなく地域(山間・島しょ部や植民地含む)をも意識して描けたことや、国民教育史を普通教育理念と人材養成理念の交錯と接続という視点に基づいて描けたこと、立身出世主義・良妻賢母主義に基づく教育制度が国民の生き方を男女に分けたことを指摘できたこと、教育社会の形成は国民教育始動が日本社会に与えた影響の一つであったこと(その代表的な現象の一つとして教育会の結成・活動があったこと)を指摘できたことなど、日本教育史研究者として書きたかったことも多く書けました。ぜひ読んでいただければ幸いです。
 書けなかったと思っていることもたくさんあります。いつか機会があれば、また挑戦してみたいです。
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歴史を学ぶこととは?―時間を認識する力を育てる

2021年01月06日 18時40分13秒 | 教育研究メモ
 歴史は時間の認識を可能にする。我々は、1分1秒の時間を日常的に認識できる。しかし、1日以上の時間を認識するには、いったん記憶を呼び戻し、それらを思考・解釈しなければならない。1年単位、10年単位、100年単位というように、時間の単位が大きくなればなるほど、我々は時間を認識することが難しくなる。それを可能にするのが歴史である。
 大きな単位の時間を隔てた記憶や、自分が実際に経験しなかった他者や社会の記憶は、歴史家の編集・解釈した歴史の物語や、史料を手掛かりにしなければ認識できない。自分の記憶や思い込みに頼るだけでは、長い時間を経てしまった真実に近づくことはできない。適切な物語や史料を適切に用いれば、事実をより詳しく深く認識し、真実に近づくことができる。歴史を学び、様々な過去の物語を理解し、史料操作の方法と資質能力を身につけることによって、我々はより長い時間を認識することが可能になる。
 我々は「今」という時間を認識することができるが、我々が生きている世界は「今」だけで構成されていない。世界は、1年、10年、100年を経た時間すなわち「過去」によって構成され、これから1年、10年、100年と経ていく時間すなわち「未来」を構成していく。「過去」を認識することは容易ではないが、歴史を学ぶことによって可能になる。1年、10年、100年の単位で時間を認識できるようになることは、「未来」を認識(予測)するために重要なことであろう。1年、10年、100年前を認識する能力は、1年、10年、100年先を認識する能力と関係しているのではないか。今を生きる人間は、歴史を学ぶことによって時間を認識する力を育て、過去と未来を見通すことを可能にするのではないか。
 歴史は、過去ー現在ー未来という時間を見通しながら、よりよく生きるために学ぶのだ。
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他人事ではない歴史―教育史ははたして?

2021年01月04日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 歴史は史料に基づく論争を容認する。歴史は我々のアイテンデンティに関わる物語であり、真実を追究する学問である。歴史は他人事ではないからこそ、論争も激しくなる。
 歴史は、完全のように見える我々のアイテンデンティに関わる物語を、我々がいつでも誰でも語り直すことのできるものにするために、議論を容認しなければならない。歴史をめぐる議論は、歴史研究者に事実の探究を促し続ける。歴史をめぐる議論・論争と歴史研究は、「歴史の絶えざる民主化」(リン・ハント『なぜ歴史を学ぶか』岩波書店、2019年)を促す。歴史の議論や研究は、歴史をみんなのもの(民主的なもの)にするために必要である。
 歴史を国民・市民のためのものにするには、議論・論争を容認しなければならない。フェイクニュースや歴史の政治化が止まない現代において、このことは益々困難になっていく。こんな現代だからこそ重要なことは、議論の作法を国民・市民が身につけておくことである。例えば、議論の相手を尊重する姿勢をはじめ、感情を吐露するのではなく史料に基づいて根拠ある解釈を示す力、論点を論理的に理解して適切に反応する力などを、我々は身につけなければならない。人々にこれらの資質能力を育成することこそ、初等・中等教育ならびに高等教育における歴史教育の使命であろう。

 上と同じ事を、教育史についても言えるはずだ。特に近代教育史は、教育が国民形成の仕組みの一つとして働く歴史であり、国民にとって他人事ではない。地域や一国の教育史も、そこに住む市民にとって他人事ではない。教員養成の文脈では、自らの職場・システム・職能の歴史であり、教員にとっても他人事ではないのだ。しかし、現在、国民・教員の間で教育史の論争が起こっているかというと、そうとはとても言えない。教育史は、我々の人生において、それはそういうものとして、議論を生むことなく過ぎ去っていく。
 これからの我々には、教育史を自分事にする教育機会が必要だ。それから、議論の論点を探り、整理することも必要だ。おそらく、国民一般にとっての論点と教員にとっての論点とは、あるいは重なり、あるいは異なる。初等・中等教育、高等(教養)教育、教員養成、現職教育、それぞれの違いを意識しながら、論点を整理していくことが必要である。
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教育は資質能力の育成にどう関わるか

2021年01月03日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 教育は資質能力の育成にどのように関わるか。
 資質能力は特定の個人に備わるもので、それだけを切り離して譲渡することはできない。教育は資質能力を育成することが可能だが、教育者の資質能力が被教育者に直接伝達されるのではない。教育者が提供する教材(知識や技術、価値観などを含む、教えるべき価値ある文化財)を学習者が自らの学習材として学習する過程で、学習者は自らの様々な資質能力を刺激され、働かせる。こうした過程で、学習者のもともともつ資質能力が、目覚め、開発、強化、変質する。つまり、資質能力は、学習を通して学習者が自ら育成するものである。被教育者が教育の客体であると同時に学習の主体であるからこそ、資質能力の育成は可能になる。
 資質能力育成が学習の結果だとはいえ、教育者は資質能力育成に対して関わることはできる。教育者が資質能力育成に関わるには、被教育者=学習者の可能性を見極め、被教育者=学習者の個性に応じてそのの資質能力育成を支援することが可能である。教育は知識や技術、価値観などの伝達だけを介して成立可能だが、それだけでは資質能力の育成を支援するには不十分である。まずもって、資質能力育成を支援しようとする意欲が必要である。
 育成すべき資質能力は、学習者が今、そしてこれからどのように生きていきたいかに応じて決まる。教育者は、すべての学習者の欲求に応じる支援を準備することはできないが、一般的な傾向を把握して、調整しながら実践することは可能である。教育者の学習者の欲求は、その生きる文化や時代に影響を受けて形成されるから、文化や時代を理解することで学習者の一般的な欲求を推し量ることは可能である。
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教育を関係として認識してみる

2021年01月02日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 教育とは何か。ここでは、因果関係・能動受動関係をもつ事実としての側面と、その言葉に付随する感情的反応に注目して論じる。
 教育とは、教育者と学習者との知的・感情的関係である。教育者(教育の主体)が被教育者(教育の客体)に関わり、知識や技術、価値観などを様々な手段で伝える。それを、被教育者が受け止め、学習し、自らの知識や技術、価値観などとする。被教育者は学習の主体でもある。教育において、被教育者は受動的立場にあるが、学習者としては能動的立場にある。
 教育者と被教育者との関係は、教育者が他者に対して教育したいという欲求、および学習者が教育者から学習したいという欲求によって成立する。また、学習者が、以前に比べて、その保持する知識や技術、価値観などを変容させることで成立する。教育は、教育者の教育欲求と学習者の学習欲求を原因として、学習者の学習を結果とする人間関係の一つである。
 また、教育は、以上のような現象・事実を指すとともに、一定の感情的反応を付随する言葉である。例えば、教育によって学ぶ楽しみを味わったり、何らかの利益を得たりした者には、肯定的な感情を引き起こす。逆に、教育によって学ぶ苦しみばかりを味わったり、自我を抑えつけられたりした者にとっては、否定的な感情を引き起こす。これらの反応は、個人だけでなく、集団・社会においても起こる。集団・社会における教育に対する反応は、輿論(言説)や世論となって集団・社会の文化や教育制度を動かす力となる。教育は、個人や集団・社会の感情的反応を引き起こし、その制度や文化、構造を動かす、教育者と学習者との人間関係である。したがって、教育とは、単に知識や技術、価値観などの個人的で即時的な学習では終わらない。学習の経験やそれに付随して感じ、感じ続ける感情によって、その後学習者がたどる人生の過程に影響し、その所属する集団・社会の行く末やあり方に影響する。
 以上のように、教育とは、個人・集団社会のあり方に継続的に影響する人間関係の一つである。教育を認識するには、教育の目的や内容、方法を明らかにする必要があると一般的には考えられるが、これらは時代や文化によって多様である。そのため、これらを明らかにするだけでは教育の原理を認識することはできない(帰納だけでは原理の認識はできない)。教育をより原理的に認識するには、被教育者=学習者における受動的かつ能動的立場という二面性と、原因としての教育者・被教育者の欲求、学習者の学習という結果、そして教育という言葉に個人や集団・社会が抱く感情的反応を捉えなければならない。これらの視点によって教育を認識する学問は、教育学である。
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著書業績一覧

2021年01月01日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 書籍になった著書業績については、以下の通り。



<単著>


1.白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用②、社会評論社、2013年。(全198頁) ※目次詳細→社会評論社HP
2.白石崇人『幼児教育とは何か』幼児教育の理論とその応用①、社会評論社、2013年。(全182頁) ※目次詳細→社会評論社HP
3.白石崇人『鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち』鳥取県史ブックレット16、鳥取県、2015年。(全112頁)
4.白石崇人『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』溪水社、2017年。(全658頁) ※目次詳細→溪水社HP

<共著>


1.梶山雅史編『近代日本教育会史研究』、学術出版会、2007年。(白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」303~326頁)
2.梶山雅史編『続・近代日本教育会史研究』学術出版会、2010年。(白石崇人「全国教育者大集会の開催背景―一八八〇年代末における教育輿論形成体制をめぐる摩擦」109~132頁)
3.池田隆英・上田敏丈・楠本恭之・中原朋生編『なぜからはじめる保育原理』建帛社、2011年。(白石崇人「日本の保育の制度史(戦後)―なぜ保育所と幼稚園があるのか?」97~104頁)
4.鳥取県立公文書館県史編さん室編『鳥取県史』資料編・近代4(行政1)、鳥取県、2016年。(白石崇人「第三章 明治期の村と教育」「第六章 明治後期から大正期の地域動向 第四節 青年団・その他」「第七章 日露戦争後の教育と地域」担当解説28~36・83~84・85~95頁、選定史料413~470・755~761・767~820頁)
5.梶山雅史編『近・現代日本教育会史研究』不二出版、2018年。(白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」385~414頁)
6.鳥取県立公文書館県史編さん室編『鳥取県史』資料編・近代7(産業・教育・文化)、鳥取県、2018年。(白石崇人「教育」担当解説32~60頁、選定史料221~558頁)
7.貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年。(白石崇人「第八章 国民教育の始動―明治期の教育」115~130頁)

<編集>


1.白石崇人編『『東京府教育会雑誌』解説・総目次・関連年表』不二出版、2017年。
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口頭発表業績一覧

2021年01月01日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 この記事は、口頭発表の一覧です。発表後、何らかの形で活字化しているものが多いです。




1.白石崇人「明治初期における教育会の結成に関する研究 ―東京教育学会の活動実態を中心に」中国四国教育学会第54回大会、高知大学、2002年。
2.白石崇人「東京教育会の活動実態」全国地方教育史学会第26回大会、金沢大学サテライトプラザ、2003年6月1日。
3.白石崇人「大日本教育会主催の全国教育者大集会に関する研究」教育史学会第47回大会、同志社大学今出川キャンパス、2003年9月21日。
4.白石崇人「『大日本教育会雑誌』における外国教育制度情報 ―情報の使用形態に注目して」中国四国教育学会第55回大会、広島大学、2003年11月9日。
5.白石崇人「大日本教育会機関誌における外国教育情報に関する研究」国際研究集会、中国浙江省杭州市、2004年4月3日。
6.白石崇人「大日本教育会の地方会員に関する研究 ―全国と地方との関係」全国地方教育史学会第27回大会、熊本大学、2004年5月23日。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における組織的研究活動の展開」教育史学会第48回大会、法政大学、2004年10月10日。
8.白石崇人「19世紀末の大日本教育会・帝国教育会機関誌にみる西洋・東洋教育情報」アジア教育史学会2004年度第二回例会、広島大学、2004年11月6日。
9.白石崇人「明治三十年代の帝国教育会における組織的研究活動の展開」中国四国教育学会第56回大会、鳴門教育大学、2004年11月28日。
10.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会の地方会員の履歴に関する研究」全国地方教育史学会第28回大会、福島大学、2005年5月22日。
11.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」教育史学会第49回大会、東北大学、2005年10月8日。
12.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題」中国四国教育学会第57回大会、安田女子大学、2005年11月26日。
13.白石崇人「明治期における教育会の情報交換」全国地方教育史学会第29回大会、広島大学、2006年5月21日。
14.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会像の再構築」教育史学会第50回大会、大東文化大学、2006年9月16日。
15.白石崇人「明治期帝国教育会における道徳教育研究活動」中国四国教育学会第58回大会、岡山大学、2006年11月。
16.白石崇人「結成時における大日本教育会の根本的目的」教育史フォーラム・京都 第20回研究会、京都大学、2007年9月2日。
17.白石崇人「明治30年代・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案」中国四国教育学会第59回大会、広島大学、2007年11月23日。
18.白石崇人「全国教育者大集会の開催背景 ―帝国議会開設前の大日本教育会における「東京」と「関西」の問題」教育情報回路研究会第7回全体研究会、東北大学、2008年5月17日。
19.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像」中国四国教育学会第60回大会、愛媛大学、2008年11月30日。
20.白石崇人「1940年代末結成の日本教育協会―日本連合教育会改称までを視野に入れて」1940年体制下における教育団体の変容と再編過程に関する総合的研究第1回研究会、東北大学、2009年7月18日。
21.白石崇人「大日本教育会単級教授法研究組合報告の内容―高等師範学校編『単級学校ノ理論及実験』との比較から」日本教育学会第68回大会、東京大学、2009年8月28日。 ※訂正:題目「…組合報告の報告の内容」→「…組合報告の内容」
22.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会第61回大会、島根大学、2009年11月21日。
23.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―地方教育雑誌『東伯之教育』を用いて」全国地方教育史学会第33回大会、九州大学、2010年5月23日。
24.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程-師範卒教員と検定教員との衝突・分離・合流」日本教育学会第69回大会、広島大学、2010年8月22日。 ※訂正: PDF320頁 下から3行目「79,298」→「79,299」
25.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教員の地位向上と専門性」中国四国教育学会第62回大会、香川大学、2010年11月20日。
26.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会第63回大会、広島大学、2011年11月19日。
27.白石崇人「明治13年東京教育会の教師論―普通教育の擁護・推進者を求めて」教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月22日。
28.白石崇人「明治30年代帝国教育会の中等教員養成事業―中等教員講習所に焦点をあてて」(コロキウム報告)、教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月23日。
29.白石崇人「明治20年代半ばの大日本教育会による夏季講習会の開催」中国四国教育学会第64回大会、山口大学、2012年11月10日。
30.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」教育情報回路研究会、東北大学、2012年11月25日。
31.白石崇人「帝国教育会結成直後の教員講習事業―指導的小学校教員の学習意欲・団結心・自律性への働きかけ」教育史学会第57回大会、福岡大学、2013年10月13日。
32.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会第65回大会、高知工科大学、2013年11月3日。
33.白石崇人「1900年代鳥取県教育会における小学校教員批判ー教育研究態度の改良に向けて」全国地方教育史学会第37回大会、早稲田大学、2014年5月18日。
34.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」教育情報回路研究会、立教大学、2014年7月21日。
35.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会における教育勅語解釈―指導的教員・教育行政官の動員構想」教育史学会第58回大会、日本大学、2014年10月5日。
36.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会第66回大会、広島大学、2014年11月15日。
37.白石崇人「「研究」する教師・保育者の誕生-学び続ける明治期の先生たち-」広島文教女子大学教育学第31回定期総会、広島文教女子大学、2015年5月22日。
38.白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」(コロキウム報告)、教育史学会第59回大会、宮城教育大学、2015年9月27日。
39.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会第67回大会、岡山大学、2015年11月14日。
40.白石崇人「新鳥取県史編さん事業における教育史研究者」全国地方教育史学会第39回大会、東洋大学、2016年5月22日。
41.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会第60回大会、横浜国立大学、2016年10月1日。
42.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会第68回大会、鳴門教育大学、2016年11月6日。
43.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには」中国四国教育学会第68回大会ラウンドテーブル、鳴門教育大学、2016年11月6日。
44.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会第69回大会、広島女学院大学、2017年11月26日。
45.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」(シンポジウム指定討論)教育史学会第62回大会、一橋大学、2018年9月29日。
46.白石崇人「明治末期の教育研究における教育品展覧会」中国四国教育学会第70回大会、島根大学、2018年11月17日。
47.白石崇人「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」第13回教員養成と教育学に関する研究会、博多市、2019年1月12日。
48.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会、東洋大学、2019年2月24日。
49.白石崇人「1886~1929年鳥取県の小学校教員検定制度について」小学校教員検定科研費研究会、神戸大学、2019年3月17日。
50.白石崇人「1975 年における日本教育会の結成―世話人会・各全国校長会・森戸辰男の動向に注目して―」教育情報回路研究会、オンライン、2020年6月27日。
51.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題」中国四国教育学会第72回大会ラウンドテーブル、広島大学(オンライン)、2020年11月22日。
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