人間は、世界に対して応答することで主体となる。
世界に応答せずとも人間は人間であり、主体としての人間は世界に応答する。
社会的・心身的な困難をもっていても、人間は主体となり、世界と応答する可能性をもっている。
その可能性を実現させることこそ、教育の使命である。
教育は、教育者と被教育者の二者関係だけでなく、教育者と被教育者とを包む世界との関係によって成立する。
教育は、教育者と教材を介して、人間と世界との応答の機会をつくる。
そして、主体としての人間を導くことを介して、世界を動かし、歴史をつむいでいく。
世界・歴史を動かすのは、個性と文化であり、それらによって営まれる人間の主体的生活である。
教育は、人間を主体に導き、主体としての人間が個性と文化を育ることで、世界をつくり、歴史をつくることにつながる。
教育は主体を形成することで、世界と歴史をつくる間接的な動力となる。
(京都学派の研究を通して考えたことのとりあえずのメモです)
世界に応答せずとも人間は人間であり、主体としての人間は世界に応答する。
社会的・心身的な困難をもっていても、人間は主体となり、世界と応答する可能性をもっている。
その可能性を実現させることこそ、教育の使命である。
教育は、教育者と被教育者の二者関係だけでなく、教育者と被教育者とを包む世界との関係によって成立する。
教育は、教育者と教材を介して、人間と世界との応答の機会をつくる。
そして、主体としての人間を導くことを介して、世界を動かし、歴史をつむいでいく。
世界・歴史を動かすのは、個性と文化であり、それらによって営まれる人間の主体的生活である。
教育は、人間を主体に導き、主体としての人間が個性と文化を育ることで、世界をつくり、歴史をつくることにつながる。
教育は主体を形成することで、世界と歴史をつくる間接的な動力となる。
(京都学派の研究を通して考えたことのとりあえずのメモです)