教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

大学授業料振込方法

2005年04月27日 23時55分55秒 | Weblog
 写真は、通学路の途中の他人の家の庭に咲いている花を撮りました(笑)。
たぶん、ハナミズキだと思うのですが…違ってたら教えてください。

 今日は、中国四国教育学会のレフリー付研究雑誌『教育学研究ジャーナル』に投稿する予定の論文を書いていました。今月末〆切です。まだ完成してません。欧文要旨も必要なのに、やばいです。
 ちなみに一昨日・昨日にかけて一睡もせず徹夜しました。おかげで、昨日の授業はほとんど寝ており(なぜかメモをとらなくてはならない所では目が覚めた)、特研はぼんやりしてました。この論文は、この間『日本教育史研究』に落選した論文を、審査評と先生の意見を参考にしながら、書き直したもの。かなり変わっていますので、ほぼ別の論文といえるでしょう。特に、審査評でつっこまれまくった部分は、ほぼ残っていません。後にじっくり研究を進めて使おうと思います。そんなこんなで、昨日は特研が終わった後、速攻で帰宅。熟睡して今日の昼間に論文作成を再開しました。
 今日はまた、年金の銀行振替と広大の授業料の振り込みをやりました。広島大学の授業料は、今年から年々増加していくそうですが、まあ、それは結構。国立大学法人化で収入増加をねらっているのでしょう。仕方ありません。
 しかし、納得いかないことが一つ。授業料振り込みが、今年から銀行or郵便局の窓口振り込みになったことです。まず、窓口で手続きをするのが面倒!他の一般客がいるんだから、窓口にたどり着くまでに時間がかかる。俺には時間がないんだっつーの!また、手数料が525円かかる!ただでさえ授業料自体が高いんだから、何でこの上手数料を払わなければならないのだ!その辺、大学の意見箱に意見してやろうかと思いました。どうしようかな…!
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広島市立図書館

2005年04月24日 19時05分46秒 | Weblog
 写真は、何時撮ったのかわからない桜です。画像暗いなあ。この桜の木は、通学路(笑)上にあるバス停の後ろ側に立ってます。今日同じ桜の木を見たら、花がすべて葉になってました。まぎらわしいですが、写真がほしいのではってみます。
 さて、本日も大日本教育会・帝国教育会広島県会員の調査続行中です。
 先日、広島県私立教育会の機関誌『芸備教育』を繰っていると、広告欄に『広島県教育関係者年賀名簿』(編・発行:積善館支店)という冊子が紹介されていたので、試しに広島県内の図書館OPACで調べてみました。すると、一冊だけ、広島市立中央図書館に明治38年のものがあったのです。そこで、本日調査に出ました。お目当ての『広島県教育関係者年賀名簿』は、教育関係吏員や各学校長、有力訓導の方々の名前と肩書・住所(ない人もいますが)が、A5サイズ80頁ほどの紙面に書かれています。名簿には自己申告で載せてもらったようなので、載っていた人名は以外と少なかったのですが、調査していた何人かの会員の職業が明らかになりました。ついでに、広島市内の学校を中心に、各学校史が書棚に納められていたので確認。これもまた、広大にはないものが多くあり、確認作業に追われました。
 朝10時から調査を始めて、14時半ごろ調査終了。不明者がだいぶ減ってきました。そろそろ分析を始められそう。

 ところで、広島大学をご訪問される予定がある方に一つ情報を差し上げます。
 私が住んでいる「東広島市」は、車で「広島市」まで飛ばして40分から、混んでいて1時間以上かかります。「広島」の名を冠しているくせに、非常に遠いところにあります。広大を訪れるときは、重々お気をつけください。
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大日・帝教広島県会員

2005年04月21日 21時43分34秒 | Weblog
 今日は、5月22日に福島大学で開催される全国地方教育史学会で発表する予定の、調査を進めていました。この研究は、全国的教育団体であった、大日本教育会および帝国教育会における地方会員の履歴を調べるもので、どのような人が両会に入会していたのだろうか、ということを明らかにするものです。そのため、広島県会員の履歴を具体的に洗っています。では、なぜこのような研究をやるのか。
 理由その1、「教育会会員には教員が多かった」と漠然と当然のようにいわれている常識を、数字化してみたかったため。地味な結果がでそうですが、どのような学校段階・地位にある教員が、どれくらいいたのか明確なデータを出せると思います。ただ、不明者が多いのが難点…
 理由その2、大日本教育会・帝国教育会を支えていた人たちはどのような人だったのか、ということを明確にするため。私の専門はこの両団体における研究活動に関する研究ですので、誰に向かって研究活動が展開されていたのか気になるところです。また、会員には両団体の機関誌が毎月配布されました。彼らは、両団体の機関誌に掲載された知識を共有していたのです(もちろん個人差はあるでしょうが)。本研究は、当時の日本における教育情報の普及状態を明らかにするために、不可欠な基礎的研究としても位置づくのではないかと思います。
 本当は全国の会員の履歴を洗うことができれば最高なのですが、当然とんでもなく時間と手間がかかるので、広島県を事例に検討することにしました。今は、二次資料(学校史・府県市郡史・教育会雑誌)を中心に使って調査しています。ほんとは学校を実際に訪ねてフィールド調査をするのが当然なのですが、私の所属する広島大学日本東洋教育史研究室には、学校史資料が少なからずあるのでまずはそれから。これだけでも、相当時間がかかるのです。あと、今、手を広げすぎるといろんな意味でヤバイことになる、という本音の理由もあり。
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今までとこれから

2005年04月19日 17時05分28秒 | Weblog
 何もやる気がでないので、先日から手元にある純邦楽曲の整理をしていました。これは機械的にできるので、とりあえず作業が進むのですが… 現在私の手元にあるのは300曲以上あるということがわかりました。大学学部生の時に、邦楽部や知人のつてで手当たり次第に集めたものです。学部生のころは、生活のほとんどが邦楽とTVゲームでした。今になって、あのころ勉強しておけば今こんな苦労はしなかったのになあと、後悔しきり。こういうことは、後になってわかるんですよねぇ。
  
 上に言う「勉強」とは、基礎勉強のこと、教養を身に付ける勉強のこと、幅広い知識・認識を身に付ける勉強のこと。この「勉強」がおろそかであったために、現在の研究がうまくいかない。このようなことは後悔しても今更なので、結局はがんばるしかないのですが。しかし、今の私の現状は、学振や科研費の関係で切迫した研究活動を要求されている。当然、専門的な研究を求められているわけで、基礎勉強にかまっている時間もないのです。学部生の時はうなるほど時間はあった。しかし、教育史研究で生きていこうなんて考えてもなかった。いや、考えてはいたが、現実味がなかった。大学に在籍していたのだから、勉強するのが当然だったのに。まあ、言い訳ではあるけれど、いろいろ家庭的事情や個人的事情があって、精神的余裕がなかったのが一つの原因だったのだが。
 過去を振り返ることは、直接に現実問題を解決するわけではない。しかし、何に根本的原因があるのか確認することはできる。私の場合は、興味のあることが狭い上にそのことしかやってこなかったことが、今の研究活動の行き詰まりを誘引しているのである。そのためにはどうすればよいのか。物事に対して広く興味をもち、実際に調べるという行動に移し、こつこついくしかないのである。
 現在の研究活動の行き詰まりは過去の「勉強」不足が引き起こした問題であるが、そのために私が過去やっていたことは意味を持たないのか。そんなことはない。学部生のころに邦楽に入れ込んだことは、現在の作曲活動に有益に反映しているだろう。学部生のころに頭の中で悩んでばかりであったことは、確かに大量の勉強時間を奪ったが、大きな問題を抱えていた自分自身を見つめ、良い方向に自分をコントロールできるようなる素地を作った。別の角度から分析すれば、過去の行動には現在においても意味があるのである。
 やるしかないんだから、悩んでばかりいても仕方ない。しかし心は動かない。体も動かない。おそらく軽い鬱なんだろう。まあ、外出はできるし、今日は特研にも参加した。深刻ではない。
 前へ進むしかないのは間違いないし、納得している。「前を向く」ということは、現状を脱する条件として最も重要である。「前を向く」ために「過去を振り向く」、今日この頃。
 ああ、理屈っぽいなぁ。
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日本東洋教育史特研

2005年04月12日 23時48分29秒 | Weblog
今日のメインイベント(笑)は「特研」でした。特研(とっけん)とは前にも言及したように、広島大学教育学教室特有(?)の院生ゼミの名称です。私の所属する日本東洋教育史研究室の特研は、始まってから終わるまでの時間が長いことで有名(?)で、13:10から開始し、だいたい18:00過ぎぐらいに終了するという長さです。早いときでは15:00ごろ終わることもありますが、数年前(正確には思い出せない)に一回あっただけです。
 最長記録は、21:00! また、私が知っている限りでは、一度だけ翌日に延期戦を行ったこともありました。最近では17:00ごろ特研が終わると、「今日は早かったなあ」というかなり間違った感覚になることがあります。

 日本東洋教育史研究室の特研の特色は、発表したい人が当日発表の意思表示をすれば必ず発表させてもらえることです。これが特研が長くなる原因の一つなのですが、これはこれで我が研究室における院生教育の重要な特色でもあります。
 もう一つの特色は、日本教育史と東洋教育史の研究が同じ研究室で盛んに発表されることです。これは、当研究室の現教授である佐藤尚子先生がいらっしゃるからこそできる芸当でもあります。関心なく聞いていると専門外の研究は何の効果もありませんが、興味を持って聞くと自身の研究を相対化できたり、専門を越えた研究方法や視点を得られたりと、研究上有益な効果があってあなどれません。なかなかこういう研究室は他にはないらしいので、すばらしいことと思います。
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『日本教育史研究』

2005年04月11日 23時41分04秒 | Weblog
 がく。
 本日、日本教育史研究会編『日本教育史研究』に投稿していた論文「大日本教育会における部門の成立に関する研究-明治中期における教育学研究の組織的試み-」の査読結果が返ってきました。結果は、「今回は掲載を見送らせていただきます」。要するに不採用・不合格。結構自信があっただけに、ショックです。
 査読結果は、本論文を「雑誌を精査し、大日本教育会の『教育研究活動』の実態を掘り下げた点は本論文の功績として評価すべき点である」と評価してくださっていますが、「大幅な書き直しを必要とする」として不採用となりました。査読の批判点は、非常に示唆に富んだ部分が半分、納得できないので反論したい部分が半分。とくに私がこの論文の大部分を占める私がいいたかったことにはほとんど触れず(触れている少しの部分も反論したい)、論文の一部に批判が集中し、この論文でやっていないことを求められていたので、ちょっと不本意でした。日本教育史研究会には査読結果に対する反論ができませんので、不完全燃焼です。
 まあ、しかし、今後大日本教育会・帝国教育会を研究していくにあたって、非常に参考になる示唆も多くありました。この投稿は無駄ではなかったということ。…だけど、この論文は大日本教育会における研究活動の基本的特徴を明らかにした、私の研究の中では非常に重要な部分なのです。何とか活字化せねば。
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ブログを作ってみました

2005年04月09日 17時25分09秒 | Weblog
休呆さんに勧められていたブログを作ってみました。

今日は教育学教室の新入生歓迎会です。
さあ、今年はどんな新入生が入ってきたか、楽しみ。
普段教室の行事にはあまり参加しませんが、この歓迎会と送る会は毎年出ています。
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