教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

発表・授業の予習をすること

2009年02月16日 20時18分37秒 | 教育研究メモ
 今日は卒論発表会でした。助教らしく(?)、会の初めから終わりまで発表を聞いておりました。
 手違いでレジュメを前週末に受け取ったので、事前にレジュメを読んでおくことができない発表が多かったです。学生の頃は、レジュメを事前に読んでから発表を聞くことは、損だと思っていました。レジュメも発表も同じ内容なので、事前に読むのに時間を使った上に、発表を聞く時間を使うのは、時間のムダだと思っていたのです。今から思うと、とてもバカなことを考えていたものです。
 いつも、発表後にいい質問(発表者の思考、または発表を聞く者の思考・理解を深めるような質問)はどうしたらできるのだろう、と考えてきました。上のような考え方をしている内は、答えなどでてきません。私は普通の人間なので、発表を一度聞いただけで、発表者の理解を超える発言などできるわけはないからです。その場で初めて聞いて、一度に内容を理解し、的確に質問する。これは、実は人並み外れた芸当だと私は思っています。ぼう大な知識量と、回数・質ともにすさまじい思考経験がなくてはできないことです。私には、まだまだできません。
 凡庸な人間が発表者の理解に近づくには、事前に時間をとってレジュメ・論文をじっくり読んでおくしかありません。そして、いい質問をするには、発表者の言いたいことがどこにあるか理解し、自分なりの仮説をもって発表に臨むことが必要になります。こうすることによって、いい質問ができるとともに、発表テーマについて深く考えることができると思います。実際、自分で実践してみたところ、研究発表会とはここまで面白いものか、と感動しました。そして、発表を聞いていると質問が思い浮かぶようになったものです。
 ということで、事前にレジュメを受け取れなかったので、時間切れで事前に読み切れなかった発表があったのは残念でした。発表を聞くことができた人の4分の1は、時間切れで読んでこられなかったので、いい質問などとてもできませんでした。うーん、とても残念です。

 ちなみに、以上は、授業場面でも同じで、受講生(学生)が注意すべきことでもあります。恥ずかしながら、私はかつて、研究発表だけでなく授業までも、事前に予習することは損だと考えていました。最近、上記のようなことに気がついたので、予習してから授業に出るようにすると、これが面白いのなんの。気がついたのが大学院に入って随分経ってからですから、いままで何ともったいない時間の使い方をしてきたのだろうと後悔しました。
 授業を聴いて、教師に対して「こいつ何言ってんだ?訳わかんね」と思う人は、ぜひ、予習してから授業に出てみましょう。ホントに訳のわからない話をしていることもあるかもしれませんが(苦笑)、実は、聴いている自分の理解がついていっていないだけかもしれません。今まで苦行・地獄(笑)でしかなかった授業が、予習して聴けば考えが深まるいい機会になるかもしれません。自分の考えが深まることほど、楽しいことはないですよ。次の授業が待ち遠しくなるかもしれません。
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福山の教育関係者を調べるのは

2009年02月13日 21時08分00秒 | Weblog
 ふう、なんとか今週を乗り切りました。
 来週も忙しいので、まだ序の口です。
 忙しいですが、それでも「大日本教育会・帝国教育会の群像」の記事を追加。研究する小学校長・山田恵喜太の記事は、書いてて楽しかったです。大正期には、山田のような教員がたくさんいたんでしょうね。
 阿部の記事は、沼隈郡内の山陽本線沿線の村にあった小学校長のもの。資料がほとんどなくてとても短い記事ですが、3年前に書いた松永尋高小の西川・福原・松田校長(ファイル3・4・5)、最近書いた赤坂尋小の青景校長(ファイル35)と合わせると、松永町-赤坂村-瀬戸村という山陽本線沿線につらなる町村の小学校長を書くことができて、ちょっと満足しています。現在、松永と赤坂にはJR山陽本線の駅(松永駅と備後赤坂駅)があります。松永・赤坂・瀬戸は、尾道と福山の間に位置する町村です。
 阿部も山田も、広島東部・福山周辺の小学校長ですが、調べていて資料上の困難を少し感じています。福山市の初等教育史を一覧できる本が、なかなか見あたらないので。戦前に出版された自治体史は、学校長全員の在職期間を記すことがしばしばあります。調べるとき、非常に助かります。しかし、福山市は戦前に自治体史を作ってないのかな? 誠之館は有名ですが、福山市教育史は見あたらないし(ないのかな?)。戦後出版の『福山市史』は学校の簡単な沿革と種々の数字しか挙げていないので、人の履歴を調べているこの研究プロジェクトでは、ほとんど使えないんですよね。地方教育史は資料じゃないんですか、そうですか。仕方ないのかな。いい資料があったら教えてください。
 うーん。福山に行って、各学校史をさがすしかないだろうなぁ。広大や広島市内には、ほとんどないんです。
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燃え尽きを乗り越えて…

2009年02月06日 19時55分45秒 | Weblog
 今週は、まさに研究会を乗り切った後の週でした。週前半には、若干燃え尽きておりました(笑)。このままではいけない!と思ったので、来年度以降の計画を建て、やる気を出すことにしました。
 来年度にはやらなければならないことがたくさんある、ということがわかると、ボンヤリしてられません。次やらなくてはならないことがハッキリすると、やる気(やらなきゃいけない気?)がわいてくるものですね。週後半には、研究の準備(読書)に打ち込むことができました。もちろん、仕事も計画的に処理できましたよ。
 「群像」の記事も、広島県会員について、一気に追加。今回も興味深いことがわかってきました。青景の記事では、明治40年小学校令改正と師範卒教員の着任との関係について想像させるものがありました。また、赤木の記事では帝国教育会と広島高師との関係が、浅沢の記事では大日本教育会と私塾との関係が、マイヤーの記事では大日本教育会と御雇い外国人教師との関係が、それぞれ考えることができます。「群像」の記事は「そんなに新しいことは見つからないかな」と消極的に考えながら書き始めるのが常なのですが、今回も、大日本教育会・帝国教育会の人的ネットワークの幅広さを感じさせる記事になってます。予想以上でしたので、素直にうれしいです。
 さて、来週以降は、学内行事のオンパレード。補講、試験、修論発表会、入試、卒論発表会、特研、送る会、送る会、入試、送る会… うーん、なんだこりゃ(苦笑)。
コメント (2)
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ひとくぎり

2009年02月01日 16時02分45秒 | Weblog
 昨日、なんとか研究会を乗り切りました。想定以上に議論が白熱しました。参考になる意見をたくさんもらえたので、がんばった甲斐があったと思います。そして、疲れました(笑)。
 これで、自分が乗り切らなきゃいけない研究系のイベントが、ひとまず終了。さて、来年度の計画を立てて準備していかなきゃ。
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