教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

口頭発表業績一覧

2024年09月29日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 この記事は、口頭発表の一覧です。発表後、何らかの形で活字化しているものが多いです。




1.白石崇人「明治初期における教育会の結成に関する研究 ―東京教育学会の活動実態を中心に」中国四国教育学会第54回大会、高知大学、2002年。
2.白石崇人「東京教育会の活動実態」全国地方教育史学会第26回大会、金沢大学サテライトプラザ、2003年6月1日。
3.白石崇人「大日本教育会主催の全国教育者大集会に関する研究」教育史学会第47回大会、同志社大学今出川キャンパス、2003年9月21日。
4.白石崇人「『大日本教育会雑誌』における外国教育制度情報 ―情報の使用形態に注目して」中国四国教育学会第55回大会、広島大学、2003年11月9日。
5.白石崇人「大日本教育会機関誌における外国教育情報に関する研究」国際研究集会、中国浙江省杭州市、2004年4月3日。
6.白石崇人「大日本教育会の地方会員に関する研究 ―全国と地方との関係」全国地方教育史学会第27回大会、熊本大学、2004年5月23日。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における組織的研究活動の展開」教育史学会第48回大会、法政大学、2004年10月10日。
8.白石崇人「19世紀末の大日本教育会・帝国教育会機関誌にみる西洋・東洋教育情報」アジア教育史学会2004年度第二回例会、広島大学、2004年11月6日。
9.白石崇人「明治三十年代の帝国教育会における組織的研究活動の展開」中国四国教育学会第56回大会、鳴門教育大学、2004年11月28日。
10.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会の地方会員の履歴に関する研究」全国地方教育史学会第28回大会、福島大学、2005年5月22日。
11.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」教育史学会第49回大会、東北大学、2005年10月8日。
12.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題」中国四国教育学会第57回大会、安田女子大学、2005年11月26日。
13.白石崇人「明治期における教育会の情報交換」全国地方教育史学会第29回大会、広島大学、2006年5月21日。
14.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会像の再構築」教育史学会第50回大会、大東文化大学、2006年9月16日。
15.白石崇人「明治期帝国教育会における道徳教育研究活動」中国四国教育学会第58回大会、岡山大学、2006年11月。
16.白石崇人「結成時における大日本教育会の根本的目的」教育史フォーラム・京都 第20回研究会、京都大学、2007年9月2日。
17.白石崇人「明治30年代・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案」中国四国教育学会第59回大会、広島大学、2007年11月23日。
18.白石崇人「全国教育者大集会の開催背景 ―帝国議会開設前の大日本教育会における「東京」と「関西」の問題」教育情報回路研究会第7回全体研究会、東北大学、2008年5月17日。
19.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像」中国四国教育学会第60回大会、愛媛大学、2008年11月30日。
20.白石崇人「1940年代末結成の日本教育協会―日本連合教育会改称までを視野に入れて」1940年体制下における教育団体の変容と再編過程に関する総合的研究第1回研究会、東北大学、2009年7月18日。
21.白石崇人「大日本教育会単級教授法研究組合報告の内容―高等師範学校編『単級学校ノ理論及実験』との比較から」日本教育学会第68回大会、東京大学、2009年8月28日。 ※訂正:題目「…組合報告の報告の内容」→「…組合報告の内容」
22.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会第61回大会、島根大学、2009年11月21日。
23.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―地方教育雑誌『東伯之教育』を用いて」全国地方教育史学会第33回大会、九州大学、2010年5月23日。
24.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程-師範卒教員と検定教員との衝突・分離・合流」日本教育学会第69回大会、広島大学、2010年8月22日。 ※訂正: PDF320頁 下から3行目「79,298」→「79,299」
25.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教員の地位向上と専門性」中国四国教育学会第62回大会、香川大学、2010年11月20日。
26.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会第63回大会、広島大学、2011年11月19日。
27.白石崇人「明治13年東京教育会の教師論―普通教育の擁護・推進者を求めて」教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月22日。
28.白石崇人「明治30年代帝国教育会の中等教員養成事業―中等教員講習所に焦点をあてて」(コロキウム報告)、教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月23日。
29.白石崇人「明治20年代半ばの大日本教育会による夏季講習会の開催」中国四国教育学会第64回大会、山口大学、2012年11月10日。
30.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」教育情報回路研究会、東北大学、2012年11月25日。
31.白石崇人「帝国教育会結成直後の教員講習事業―指導的小学校教員の学習意欲・団結心・自律性への働きかけ」教育史学会第57回大会、福岡大学、2013年10月13日。
32.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会第65回大会、高知工科大学、2013年11月3日。
33.白石崇人「1900年代鳥取県教育会における小学校教員批判ー教育研究態度の改良に向けて」全国地方教育史学会第37回大会、早稲田大学、2014年5月18日。
34.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」教育情報回路研究会、立教大学、2014年7月21日。
35.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会における教育勅語解釈―指導的教員・教育行政官の動員構想」教育史学会第58回大会、日本大学、2014年10月5日。
36.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会第66回大会、広島大学、2014年11月15日。
37.白石崇人「「研究」する教師・保育者の誕生-学び続ける明治期の先生たち-」広島文教女子大学教育学第31回定期総会、広島文教女子大学、2015年5月22日。
38.白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」(コロキウム報告)、教育史学会第59回大会、宮城教育大学、2015年9月27日。
39.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会第67回大会、岡山大学、2015年11月14日。
40.白石崇人「新鳥取県史編さん事業における教育史研究者」全国地方教育史学会第39回大会、東洋大学、2016年5月22日。
41.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会第60回大会、横浜国立大学、2016年10月1日。
42.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会第68回大会、鳴門教育大学、2016年11月6日。
43.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには」中国四国教育学会第68回大会ラウンドテーブル、鳴門教育大学、2016年11月6日。
44.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会第69回大会、広島女学院大学、2017年11月26日。
45.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」(シンポジウム指定討論)教育史学会第62回大会、一橋大学、2018年9月29日。
46.白石崇人「明治末期の教育研究における教育品展覧会」中国四国教育学会第70回大会、島根大学、2018年11月17日。
47.白石崇人「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」第13回教員養成と教育学に関する研究会、博多市、2019年1月12日。
48.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会、東洋大学、2019年2月24日。
49.白石崇人「1886~1929年鳥取県の小学校教員検定制度について」小学校教員検定科研費研究会、神戸大学、2019年3月17日。
50.白石崇人「1975 年における日本教育会の結成―世話人会・各全国校長会・森戸辰男の動向に注目して―」教育情報回路研究会、オンライン、2020年6月27日。
51.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題」中国四国教育学会第72回大会ラウンドテーブル、広島大学(オンライン)、2020年11月22日。
52.白石崇人「明治期鳥取県の小学校教員試験検定制度―有資格教員確保政策・免許状授与数・受験者養成・教育学的知識」小学校教員検定科研費研究会、オンライン、2021年8月30日。
53.白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」中国四国教育学会第73回大会、山口大学(オンライン)、2021年11月27日。
54.白石崇人「日本教育学史をどう描くか?―1880~1930年代における科学的基礎づけ問題とその後の展望」教育学史研究会、オンライン、2022年3月22日。
55.白石崇人「明治末期の小学校正教員に求められた教育学的知識―鳥取県小学校教員検定試験問題の分析」日本教育学会第81回大会、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
56.白石崇人「20世紀初頭日本の中等教員養成における教育学の役割―東京帝国大学の吉田熊次による「大学に於ける教育学研究」論に注目して」日本教育学会第81回大会ラウンドテーブル、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
57.白石崇人「日本教育協会結成における信濃教育会の役割―1948・49年度の信濃教育会所蔵資料を中心に」教育史学会第66回大会コロキウム、埼玉大学・オンライン、2022年9月25日。
58.白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」コンピテンシー重視の時代における教師教育と教育学の在り方に関する日独比較研究成果中間報告会、九州大学博多駅オフィス、2022年11月13日。
59.白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会第74回大会、香川大学、2022年12月4日。
60.白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」日本教育学会第82回大会、東京都立大学・オンライン、2023年8月24日。
61.白石崇人・井上快・三時眞貴子「沼田家文書にみる知と近代教育―エゴ・ドキュメントによる教育史研究の可能性」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
62.白石崇人「沼田實日記にみる20世紀初頭の広島県師範学校・東京高等師範学校生の生活―近代的時間規律の訓練を支えた師範教育制度と師範生の感情・習慣・主義」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
63.白石崇人「戦前日本の教員養成に対する教育学の役割(試論)」日独ミニシンポジウム・教育学と教員養成を見直す、オンライン、2024年1月10日。
64.Takato Shiraishi, 'The Position of "History of Education as Educational Studies in Japan"', International Workshop on the Development of Educational Science in Japan and Germany, on-line, 2024/3/21.
65.白石崇人「1900年代後半の師範学校教育科における実地授業から教育実習への移行―教育学の視点変容と師範学校の反応に注目して」教育学史研究会、オンライン、2024年5月28日。
66.白石崇人「日本学術会議 心理学・教育学委員会 教育学分野の参照基準検討分科会「報告 大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野」から考える教育史教育の役割と課題」日本東洋教育史研究会、広島大学、2024年7月6日。
67.白石崇人「1900年代における師範学校学科課程の模索―師範学校学科程度取調から師範学校教授要目の訓令化まで」日本教育学会第83回大会、オンライン、2024年8月29日。
68.白石崇人「20世紀初頭における教育学に対する社会的要請とその対応に関する分析の構想―日本教育史の立場から」WINE科研研究会、琉球大学・沖縄コンベンションセンター、2024年9月22日。
69.白石崇人「1910年代前半東京高等師範学校の教育学教育―沼田實作成波多野貞之助講義ノートの分析」教育史学会第68大会、東京学芸大学、2024年9月29日。
70.白石崇人「1947年度信濃教育会役職員会議の教員団体一本・二本化論争―戦後長野県の教育会存続を再考する」教育史学会第68回大会コロキウム、東京学芸大学、2024年9月29日。
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研究論文業績一覧(単著)

2024年09月12日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 学術雑誌掲載の論文に関する研究業績情報。増え次第、ここに順次追加しています。卒論と修論は普通挙げませんが、参考までに。 PDF公開されている論文には、ウェブリンクをつけておきました。 レフェリー付き論文には、文末に「」を付けています。 




1.白石崇人「沢柳政太郎の教師論 ―教師の専門職性」卒業論文、広島大学教育学部、2002年。
2.白石崇人「大日本教育会における研究活動の展開」修士論文、広島大学大学院教育学研究科、2004年。
3.白石崇人「東京教育学会の研究」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第48巻第1部、2003年、50~55頁。
4.白石崇人「東京教育会の活動実態 ―東京府学務課・府師範学校との関係」全国地方教育史学会『地方教育史研究』25号、2004年、47~68頁。
5.白石崇人「明治二十年前後における大日本教育会の討議会に関する研究」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第53号、2004年、103~111頁。
6.白石崇人「明治三十年代前半の帝国教育会における研究活動の展開 ―学制調査部と国字改良部に注目して」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第50巻、2005年3月、42~47頁。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題 ―学校教育・初等教育・普通教育研究の重視」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第51巻、2006年3月、66~71頁。
8.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における広島県会員の特徴 ―明治16年の結成から大正4年の辻会長期まで」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第54号、2005年、87~95頁。
9.白石崇人「明治21年の大日本教育会における「研究」の事業化過程」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第55号、2006年、83~92頁。
10.白石崇人「明治32年・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案 ―明治30年代における初等教育重視の学制改革案の原型」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第53巻、2008年3月、46~51頁。
11.白石崇人「1880年代における西村貞の理学観の社会的役割 ―大日本学術奨励会構想と大日本教育会改革に注目して」日本科学史学会編『科学史研究』第47巻No.246、岩波書店、2008年6月、65~73頁。
12.白石崇人「明治20年代後半における大日本教育会研究組合の成立」日本教育学会編『教育学研究』第75巻第3号、2008年9月、1~12頁。
13.白石崇人「日清・日露戦間期における帝国教育会の公徳養成問題 ―社会的道徳教育のための教材と教員資質」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第57号、2008年12月、11~20頁。
14.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像 ―不況期において小学校教員に求められた意識と態度」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第54巻、2009年3月、270~275頁。
15.白石崇人「小学校歴史教科書における寺子屋記述」『鳥取短期大学研究紀要』第60号、2009年12月、9~20頁。
16.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第55巻、2010年3月、314~319頁。
17.白石崇人「明治後期の保育者論―東京女子高等師範学校附属幼稚園の理論的系譜を事例として」『鳥取短期大学研究紀要』第61号、2010年6月、1~10頁。
18.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―『東伯之教育』所収の小学校普及・中学校増設関係記事から」『鳥取短期大学研究紀要』第62号、2010年12月、11~23頁。
19.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教職の社会的地位および資質向上の目標化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第56巻、2011年3月、268~273頁。
20.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程―地方小学校教員集団の質的変容に関する一実態」中国四国教育学会編『教育学研究ジャーナル』第9号、2011年、31~40頁。
21.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第57巻、2012年3月、233~238頁。
22.白石崇人「明治期における道府県教育会雑誌の交換・寄贈―教育会共同体の実態に関する一考察」広島大学教育学部日本東洋教育史研究室編『広島の教育史学』第3号、2012年3月、27~47頁。
23.白石崇人「大日本教育会夏季講習会の開始―明治20年代半ばの教員改良策」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第58巻、2013年3月、53~58頁。
24.白石崇人「1940年代日本における全国教育団体の変容と再編(年表解説)」教育情報回路研究会編『近代日本における教育情報回路と教育統制に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、東北大学大学院教育学研究科内教育情報回路研究会、2013年3月、1~10頁。
25.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」学位論文(論文博士(教育学))、広島大学、2014年3月、全390頁。
26.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第59巻、2014年3月、533~538頁。
27.白石崇人「明治期鳥取県教育会の結成と幹部」『広島文教女子大学紀要』第49巻、2014年12月、27~40頁。
28.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第60巻、2015年3月、37~42頁。
29.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第61巻、2016年3月、174~179頁。
30.白石崇人「教員養成における教育史教育」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第2号、2016年3月、29~48頁。
31.白石崇人「日本の学校における道徳教育の展開―修身教育、教育活動全体、道徳の時間、特別の教科」『広島文教女子大学紀要』第51巻、2016年12月、47~57頁。
32.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第62巻、2017年3月、370~375頁。
33.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会編『日本の教育史学』第60集、2017年10月、19~31頁。
34.白石崇人「現代日本の教育政策における学校・地域の連携協働構想―平成27年中央教育審議会答申以降に注目して」『広島文教女子大学紀要』第52巻、2017年12月、33~43頁。
35.白石崇人「現代日本の教育政策における教員養成の課題―平成27年中教審教員育成答申以降の諸施策に注目して」『広島文教女子大学教職センター年報』第6号、2018年2月、7~16頁。
36.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第63巻、2018年3月、537~542頁。
37.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには(教育学研究と実践志向の教員養成改革との関係性を問う(教育史の立場から))」佐藤仁編『教員養成における「エビデンス」の位置づけをめぐる学際的研究』2016・2017年度中国四国教育学会課題研究成果報告書、2018年3月、30~40頁。
38.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討―2012年11月までの研究成果を整理して」教育情報回路研究会編『日本型教育行政システムの構造と史的展開に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書、教育情報回路研究会、2018年3月、21~42頁。
39.白石崇人「教職教養としての教育史」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第5号、2019年3月、1~13頁。
40.白石崇人「明治30~40年代の教育研究における教育展覧会」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第64巻、2019年3月、96~101頁。
41.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会編『近現代日本の地方教育行政と「教員育成コミュニティ」の特質に関する総合的研究』2018~2020年度科学研究費補助金(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、教育情報回路研究会、2019年4月、(1)~(23)頁。
42.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」教育史学会編『日本の教育史学』第62集、2019年10月、142~145頁。
43.白石崇人「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第55巻、2020年12月、73~89頁。
44.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題―教育事実の実証的研究の問題化と「教育科学」・「日本教育学」の制度化」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第7号、2021年3月、45~60頁。
45.白石崇人「現代日本社会における教育制度の課題―格差・AI・人口減少社会における主体的・対話的で深い学び、オンライン学習」広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第35巻、2021年3月、69~80頁。
46.白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第56巻、2021年12月、1~14頁。
47.白石崇人「澤柳政太郎『実際的教育学』の実証主義再考―20世紀初頭の科学史・教育学史・教師の教育研究史における意義」日本教育学会編『教育学研究』第89巻第2号、2022年6月、40~50頁。
48.白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年3月、1~14頁。
49.白石崇人「なぜ戦後の長野県で教育会が存続したか―1948年信濃教育会運営研究委員「教育会の在り方」を読み直す」『信濃教育』第1644号、信濃教育会、2023年11月、1~17頁。
50.白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学紀要』第58号、2023年12月、11~25頁。
51.Shiraishi, T. (2024). The Role of Pedagogy in Secondary Teacher Training in Early Twentieth-Century Japan: Theory of Pedagogical Research in College by Kumaji Yoshida of Tokyo Imperial University. History of Education, 53(3), 497–518. https://doi.org/10.1080/0046760X.2024.2306985
52.白石崇人「沼田實日記にみる20世紀初頭の広島県師範学校・東京高等師範学校生の生活―近代的時間規律の訓練を支えた師範教育制度と師範生の感情・習慣・主義」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第69巻、2024年3月、545~550頁。
53.白石崇人「日本教育協会結成における信濃教育会の役割―1948・49年度の信濃教育会所蔵資料を中心に」教育情報回路としての教育界に関する総合的研究会『近現代日本における「学び続ける教員を支えるキャリアシステムの構築」の総合的研究』2021~2024年度科学研究費補助金(基盤研究(B))報告書(Ⅱ)、2024年。
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著書業績一覧

2024年09月11日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 書籍になった著書業績については、以下の通り。



<単著>


1.白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用②、社会評論社、2013年。(全198頁) ※目次詳細→社会評論社HP
2.白石崇人『幼児教育とは何か』幼児教育の理論とその応用①、社会評論社、2013年。(全182頁) ※目次詳細→社会評論社HP
3.白石崇人『鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち』鳥取県史ブックレット16、鳥取県、2015年。(全112頁) ※目次詳細→鳥取県HP
4.白石崇人『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』溪水社、2017年。(全658頁) ※目次詳細→溪水社HP
5.白石崇人『教育の理論① 教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』kindle、2022年(全248頁、電子書籍)。
6.白石崇人『教育の理論② 教師・保育者論―研究する教育者』kindle、2022年(全208頁、電子書籍)。
7.白石崇人『教育の理論③ 教育の制度と経営―社会の中の教育』kindle、2022年(全293頁、電子書籍)。
8.白石崇人『教育の理論④ 道徳教育の理論と方法―道徳を考え議論するために』kindle、2022年(全235頁、電子書籍)。

<共著>


1.梶山雅史編『近代日本教育会史研究』、学術出版会、2007年。(白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」303~326頁)
2.梶山雅史編『続・近代日本教育会史研究』学術出版会、2010年。(白石崇人「全国教育者大集会の開催背景―一八八〇年代末における教育輿論形成体制をめぐる摩擦」109~132頁)
3.池田隆英・上田敏丈・楠本恭之・中原朋生編『なぜからはじめる保育原理』建帛社、2011年。(白石崇人「日本の保育の制度史(戦後)―なぜ保育所と幼稚園があるのか?」97~104頁)
4.鳥取県立公文書館県史編さん室編『鳥取県史』資料編・近代4(行政1)、鳥取県、2016年。(白石崇人「第三章 明治期の村と教育」「第六章 明治後期から大正期の地域動向 第四節 青年団・その他」「第七章 日露戦争後の教育と地域」担当解説28~36・83~84・85~95頁、選定史料413~470・755~761・767~820頁)
5.梶山雅史編『近・現代日本教育会史研究』不二出版、2018年。(白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」385~414頁)
6.鳥取県立公文書館県史編さん室編『鳥取県史』資料編・近代7(産業・教育・文化)、鳥取県、2018年。(白石崇人「教育」担当解説32~60頁、選定史料221~558頁)
7.杉田浩崇・熊井将太編『「エビデンスに基づく教育」の閾を探る―教育学における規範と事実をめぐって』春風社、2019年。(白石崇人「第10章 明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」、281~314頁)
8.貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年。(白石崇人「第八章 国民教育の始動―明治期の教育」115~130頁)
9.尾上雅信・三時眞貴子編『教育史』新・教職課程演習第2巻、協同出版、2022年。(白石崇人「日本近代教育史上の人物について述べなさい」・「大正時代の新教育思潮について、八大教育主張を中心に述べなさい」・「師範教育制度の確立・展開過程について述べなさい」54~55・61~62・132~133頁)
10.中原朋生・池田隆英・楠本恭之編/木下祥一・白石崇人・平松美由紀・光田尚美・山本孝司・龍崎忠『なぜからはじめるカリキュラム論』建帛社、2024年。(白石崇人「第4章 日本における教育課程の理念(戦前)―なぜ社会・国家のために教育するのか?」33~44頁)

<編集>


1.白石崇人編『『東京府教育会雑誌』解説・総目次・関連年表』不二出版、2017年。(白石崇人「『東京府教育会雑誌』解説」7~37頁。※目次・年表も元データを作成)










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その他研究業績一覧

2024年09月11日 23時55分55秒 | 研究業績情報
 ここでは、論文と口頭発表以外の研究業績を挙げます。

<公刊>
 【総論・研究ノート・研究紹介等】
1.白石崇人「日本教育学史研究の展望―教育学研究体制史研究の推進」『日本教育史往来』No.163、日本教育史研究会、2006年8月、1~3頁。
2.白石崇人「私の鳥取県教育史研究と北東アジア文化研究」鳥取短期大学北東アジア文化総合研究所編『北東アジア文化通信』No.36、2012年10月、1~3頁。
3.白石崇人「教育職能団体としての教育会における教育研究」(教育情報回路としての教育会史研究会「教育会史研究の課題と展望」の第Ⅱ節)、『日本教育史研究』第34号、日本教育史研究会、2015年、86~88頁。
4.白石崇人「鳥取県教育史の史料編纂状況」(地方の状況)『地教史学通信』、全国地方教育史学会、2020年。(『地方教育史研究』第45号、全国地方教育史学会、2024年、95~100頁)
5.白石崇人「後月の公教育を導いた枝益六」後月郡教育会史研究会編『後月教育をきり開いた枝益六』後月郡教育会史研究会(高木浩明会長)、2021年5月。
6.白石崇人「三原小学校初代校長の沼田良蔵先生について 」三原市立三原小学校創立150周年記念部会編『三原市立三原小学校創立150周年記念』三原市立小学校PTA、2023年3月、20~23頁。

【史料紹介】
1.白石崇人「昭和二十二年度信濃教育会教育懇談協議会記録―長野県における教育会・教組論争に関する史料」『地方教育史研究』第45号、全国地方教育史学会、2024年、43~50頁。

 【書評・図書紹介】
1.白石崇人「論評」(湯川嘉津美「学制期の大学区教育会議に関する研究―第一大学区第一回教育会議日誌の分析を中心に」に対する)日本教育史研究会編『日本教育史研究』第28号、2009年、40~44頁。
2.白石崇人「山田恵吾著『近代日本教員統制の展開―地方学務当局と小学校教員社会の関係史―』」(書評)全国地方教育史学会編『地方教育史研究』第33号、2012年、131~134頁。
3.白石崇人「釜田史著『秋田県小学校教員養成史研究序説ー小学校教員検定試験制度を中心にー』」(書評)全国地方教育史学会編『地方教育史研究』第35号、2014年、21~25頁。
4.白石崇人「徳本達夫氏の図書紹介に応答して」(徳本達夫「白石崇人『幼児教育の理論とその応用①幼児教育とは何か』『同②保育者の専門性とは何か』」(書評))広島文教女子大学教育学会編『広島文教教育』第29巻、2014年、64~65頁。
5.白石崇人「照屋信治著『近代沖縄教育と「沖縄人」意識の行方 沖縄県教育会機関誌『琉球教育』『沖縄教育』の研究」(書評)日本教育学会編『教育学研究』第82巻第1号、2014年、132~134頁。
6.白石崇人「齋藤慶子『「女教員」と「母性」―近代日本における〈職業と家庭の両立〉問題―』」(書評)『日本教育史研究』第34号、日本教育史研究会、2015年、207~213頁。
7.白石崇人「拙著書評に対する応答」(書評:古賀徹「白石崇人『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』に対する応答)『日本教育史研究』第37号、日本教育史研究会、2018年、120~125頁。
8.白石崇人「梶山雅史編著『近代日本教育会史研究【新装版】」(図書紹介)『地方教育史研究』第41号、全国地方教育史学会、2020年、99~102頁。
9.白石崇人「知本康悟著『村に立つ教育―佐渡の僻村が挑んだ「村を育てる学びの共同体」の創造―』」(書評)『地方教育史研究』第43号、全国地方教育史学会、2022年、61~65頁。
10.白石崇人「船寄俊雄・近現代日本教員史研究会編著『近現代日本教員史研究』」(図書紹介)『日本の教育史学』第66集、教育史学会、2023年、169~170頁。

 【大会記録・助言・実践報告等】
1.白石崇人「指導助言」(さくら幼稚園「保育者の資質向上を目指して」の一部)『平成22年度鳥取県私立幼稚園教育研修大会記録集』、2010年、7頁。
2.白石崇人「分科会Ⅳ(幼児教育コース)報告「生活習慣を楽しく形成するための援助プロセス」」(第30回記念研究発表大会)広島文教女子大学教育学会編『広島文教教育』第29巻、2014年、93~94頁。
3.白石崇人「教職実践演習(幼・小)(幼児教育コース対象)の報告」『広島文教女子大学教職センター年報』第4号、2016年3月、89~92頁。 ほか同様の報告多数
4.白石崇人「教育実習Ⅱ(幼)の報告」『広島文教女子大学教職センター年報』第4号、2016年3月、89~92頁。107~108頁。

<私家版・データ版>
1.白石崇人『大日本教育会・帝国教育会の群像』第1巻、teacup、2008年10月、全145頁。
2.白石崇人『講義用テキスト 道徳教育』私家版、2009年11月、全48頁。
3.白石崇人『幼児教育保育学科用講義テキスト 教育原理』私家版、2010年1月、全70頁。
4.白石崇人『幼児教育保育学科用テキスト 保育内容総論』私家版、2011年9月、全63頁。
5.白石崇人『幼児教育保育学科用テキスト 保育者論』私家版、2012年1月、全103頁。
6.白石崇人『幼児教育保育学科用テキスト 幼児教育の理論と応用』私家版、2012年4月、全235頁。
7.白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―(講義用追加テキスト)、私家版、2014年6月、全11頁。
8.白石崇人『資料から考える教育原理』広島文教女子大学、2017年、全260頁。
9.白石崇人『資料から考える教職原理』広島文教女子大学、2017年、全77頁。
10.白石崇人『資料から考える道徳教育』広島文教女子大学、2017年、全169頁。
11.白石崇人『教育の理論① 教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』広島文教大学、2020年、全205頁。
12.白石崇人『教育の理論② 教師・保育者論―研究する教育者』広島文教大学、2020年、全123頁。
13.白石崇人『教育の理論③ 教育の制度と経営―社会の中の教育』広島文教大学、2020年、全171頁。
14.白石崇人『教育の理論④ 道徳教育の理論と方法―道徳を考え議論するために』広島文教大学、2020年、全196頁。
15.白石崇人「三原沼田家文書「幕末明治期 広島の漢学者の書」資料展示会 解説・目録」三原沼田家文書資料展示会、2024年6月26日・7月9日(於・広島大学教育学部教育学第二資料室、全2頁) 
16.白石崇人『教育学としての日本教育史概論』(広島大学「日本東洋教育史Ⅰ」用テキスト)私家版、2024年7月、全180頁。


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研究費・研究による社会貢献一覧

2023年04月27日 23時55分55秒 | 研究業績情報
<研究費補助>
 【研究代表】
1.白石崇人代表「帝国教育会の教育研究活動」、日本学術振興会科学研究費補助金(特別研究員奨励費)、2004~2006年度。
2.白石崇人代表「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良運動」、日本学術振興会学術研究助成基金助成金(若手研究(B))、2011~2014年度。
3.白石崇人代表「明治日本における小学校教員の教育研究の制度化に関する研究」、日本学術振興会学術研究助成金(若手研究(B))、2016年~2018年度。
4.白石崇人代表「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良」、日本学術振興会学術研究助成金(研究成果公開促進費、学術図書)、2016年度。
 【研究分担者】
1.梶山雅史代表「近代日本における教育情報回路としての中央・地方教育会の総合的研究」、日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(B))、2006~2008年度。※2008年度より研究分担者
2.梶山雅史代表「1940年体制下における教育団体の変容と再編過程に関する総合的研究」、日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(B))、2009~2011年度。
3.梶山雅史代表「近代日本における教育情報回路と教育統制に関する総合的研究」、日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(B))、2012~2014年度。
4.梶山雅史代表「日本型教育行政システムの構造と史的展開に関する総合的研究」、日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(B))、2015~2017年度。
5.佐藤仁代表「教員養成における『エビデンス』の位置づけをめぐる学際的研究」、中国四国教育学会課題研究、2016~2017年度。
6.丸山剛史代表「戦前日本の初等教員養成における初等教員検定の果たした役割に関する歴史的研究」、日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(B))、2017~2021年度。
7.須田将司代表「近現代日本の地方教育行政と「教員育成コミュニティ」の特質に関する総合的研究」、日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(B))、2018~2020年度。
8.杉田浩崇代表「エビデンスをめぐる教育学領域の境界画定に関する思想史的研究」、日本学術振興会学術研究助成金(基盤研究(C)一般)、2018~2020年度。
9.鈴木篤代表「コンピテンシー重視の時代における教師教育と教育学の在り方に関する日独比較研究」、日本学術振興会学術研究助成金(基盤研究(C)一般)、2019~2023年度。
10.須田将司代表「近現代日本における「学び続ける教員を支えるキャリアシステムの構築」の総合的研究」、日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(B)一般)、2021~2024年度。
11.杉田浩崇代表「20世紀初頭における教育学とその周辺領域の形成過程に対する社会的要請の影響分析」、日本学術振興会学術研究助成金(基盤研究(B)一般)、2021~2024年度。

<研究による社会貢献>
 【学外委員】
1.新鳥取県史編さん専門部会委員(近代)・調査委員、鳥取県、2012年8月~2018年3月。
2.全国地方教育史学会全国幹事、全国地方教育史学会、2014年5月~ 。
3.東京の教育会雑誌復刻事業幹事、不二出版、2011年~ 。
 【講演等】
1.白石崇人「明治期鳥取県における「研究」する教師の起源」鳥取県教育職員初任者研修(宿泊)、於・鳥取県立船上山少年自然の家、2015年8月7日。
2.白石崇人「明治期における「研究」する教師の起源ー「後月郡教育会の研究」に向けて」岡山県井原市教育センター自主事業パートⅡ講演、於・井原市文化財センター古代まほろば館、2015年8月20日。

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研究論文業績一覧(共著)

2023年04月03日 19時51分35秒 | 研究業績情報
1.白石崇人・牧亮太・上村加奈・善本桂子・杉山浩之「教育実習(幼稚園)の概要と課題」広島文教女子大学教職センター編『教職センター年報』第4号、2016年3月、9~19頁。
2.佐藤仁・杉田浩崇・白石崇人・樋口裕介・熊井将太「教育学研究と実践志向の教員養成改革の関係性を問う」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第62巻、2017年3月、677~688頁。(うち「教育史の立場から」679~681頁を執筆)
3.本畝瑞歩・白石崇人・森哲之・田邊日向子・福田聡子・峰谷日菜子・森望美・山本祐理「教員養成における学生の主体的な正課外活動の意義―広島文教女子大学初等教育学科生による自主サークル“はぐくみ”の取り組み」広島文教女子大学教育学会編『広島文教教育』第33巻、2019年3月、45~55頁。
4.久賀隆之・白石崇人「平成29・30年告示の学習指導要領に基づく歴史教育―小・中・高の連続性と高等学校「日本史探究」を想定した授業実践を通して」広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第34巻、2020年3月、15~24頁。
5.久賀隆之・白石崇人「社会的な見方・考え方に基づいた「問いを表現」する歴史教育―高等学校「日本史探究」を想定した実践開発を通して」広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第35巻、2021年3月、1~12頁。
6.白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第68巻、2023年3月、306~317頁。
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鳥取県史編さん事業近代部会での成果

2018年06月29日 23時55分55秒 | 研究業績情報
 はっ!? 気がついたら、前回の更新から1か月が経っていました。忙しさの上に腰痛がまたひどくなり、やるべきことと治療に専念しておりました。1週間ほど休み休み仕事しておりましたら腰痛は何とか治りそうです。
 さて、そろそろ更新をしようと思いますが、書けないことばかりにかかわっていて、書くことのできる話題が少ないので、昨年度の研究成果を紹介しようと思います。

 昨年度、ようやく新鳥取県史編さん事業の近代部会調査委員のお仕事が終わりました。最後の方は激務のため、他の委員方や県史編さん室の職員方にご迷惑をおかけしてばかりでしたが、仕事はやり遂げました。
 6年間つとめて成果は3つ。1つ目は、『鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち』(鳥取県史ブックレット16、鳥取県、2015年)です。2つ目は、『新鳥取県史』資料編近代4・行政1(鳥取県、2016年)です。3つ目は、『新鳥取県史』資料編近代7・産業教育文化(鳥取県、2018年)です。1つ目は以前紹介したことがあるので、そちら(2015年4月12日記事)を参照してください。
 2つ目は、旧『鳥取県史』に収録されていない明治大正期鳥取県の教育史料について、村の学事行政を中心に選定し、それぞれ解説を書いたものです。郡・村レベルの就学行政に関する史料を多く収録しており、また、日露戦争または義務教育六年制開始を画期として整理したところに特徴があると思っています。3つ目は、同じく旧『鳥取県史』に収録されていない明治から昭和戦時期までの鳥取県の教育史料について、初等・中等の学校史料や教員養成、教員集団、教師論、青年・社会教育、幼児教育・保育に関する史料を選定し、それぞれ解説を書いたものです。学校史料はなるべく特徴的な学校経営や教育実践、児童生徒の実態にせまる史料を選定し、師範学校はもちろんそれ以外の教員養成(教員改良)の史料、教員集団や教師論、保育に関する史料も選定したところに特徴があると思っています。
 膨大な史料の山から限られた数の史料を選定する作業は想像以上に大変でした。本当はもっとこだわりたかったのですが、激務続きの自分にはこれが精一杯でした。

 以下、『新鳥取県史』資料編近代4・7について、自分の仕事についてだけ紹介します。節題のあとの( )に書いたものは選定史料の概要です。リンク先は県公文書館のHPの当該頁です(目次のPDFもあります)。

『新鳥取県史』資料編近代4
 第3章 明治期の村と教育
第1節 学事状況 (島根県から復帰後の教育令期の学事開伸書など)
第2節 義務教育六年制以前の就学督励 (就学督励・免除・猶予、督責状、就学規則、学務委員など)
第3節 義務教育六年制以前の小学校行政 (授業料徴収、簡易科、高等科など)
 第6章 明治後期から大正期の地域動向
第4節 青年団・その他 (史料220~224を選定) (青年会、壮丁教育など)
 第7章 日露戦争後の教育と地域
第1節 天皇制・国家にかかわる学事方針 (三大節式、教育勅語、祝日大祭日儀式、戊申詔書、御真影、戦時・戦後教育方針)
第2節 義務教育延長後(六年制)の就学督励 (就学保護会、就学猶予・督励、学資貸与など)
第3節 義務教育延長後(六年制)の小学校行政 (小学校令改正実施につき、学校園施設、学級編成、農業科、学校衛生、家事科)
第4節 実業補習学校 (設置奨励など)

『新鳥取県史』資料編近代7】 ※教育部分全部
 第1章 近代学校の形成と模索(~明治39年)
第1節 小学校の経営方針・教育方法の模索 (学校経営方針、教授法、成績考査、軍事援護教育など)
第2節 中等教育の模索 (学校紛擾、校友会、寄宿舎、高女、農友会、中学増設問題)
第3節 教員養成 (師範学校規則、寄宿舎、報徳教育、教員講習科、附属小)
第4節 教員集団・教師論 (教員免許、教員検定、教育会、市小学校長会、教育研究態度の批判など)
第5節 青年教育・社会教育 (補習教育、明治の私塾)
 第2章 義務教育六年制に基づく教育の発展(明治40年~大正15年)
第1節 小学校における経営方針と大正新教育の展開 (成徳小、角盤小、監護、学業考査、校訓、綴り方、自由教育思潮、児童劇など)
第2節 中等教育の展開 (修学旅行、展覧会、私立中、体育、高女教育の様子、寄宿舎、実業学校の校友会など)
第3節 多様な教員養成 (師範学校の訓育、附属小の改革論や研究会、農業教員養成、教育会講習所)
第4節 教員の教育研究の発展 (校内研修の規程、全国教育大会、初等教育研女子部会)
第5節 青年教育・社会教育 (青年団、船上山、図書館)
 第3章 昭和戦前・戦時期における教育
第1節 小学校の経営方針と教育方法 (就将小、成徳小、教育是、映画教育、学校図書館、家事科、興亜教育など)
第2節 中等教育 (入学考査、鳥取高女学級数問題、塾風教育)
第3節 教員養成 (教生の所感、県師範学校学則、郷土教育、学友会、教育実習)
第4節 教員集団・教師論 (山陰聯合教育大会や啓成小の教師論など)
第5節 青年教育・社会教育 (社会教育委員規程や青年会館、船上山道場)
第6節 幼児教育・保育 (農繁期託児所関係の史料)
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明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義

2016年03月30日 21時36分43秒 | 研究業績情報

 この3月、新しく論文を活字化しました。まずはその一つをご紹介。

 中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第61巻に、拙著「明治30~40年代における『教師が研究すること』の意義」(174~179頁)を掲載しました。その論文構成は以下の通りです。

 はじめに
1.「教師が研究すること」に関する論点とその継承―明治20年代後半から30年代へ
2.問題解決のための教育研究
 (1)原理研究と実地研究―授業観察・批評会・教授案への注目
 (2)研究対象・領域の拡大と教師でなければできない研究
3.教師が教師であるための教育研究
 おわりに

 以上の通り、本稿では、明治20年代後半に見られた「教師が研究すること」の意義が、明治30年代に継承されたと同時に、変容し始めたことを明らかにしました。明治30~40年代には、「教師にしかできない研究がある」という言説や、「研究しない教師は教師として十分ではない」という言説が、かなり明確な論理を伴って述べられるようになってきたことがわかりました。日本の教員の授業研究の歴史は、世界的にも高い評価を受けており、最近では中教審の審議過程でも高い評価を受けるようになっていますが、その起源にも関わる研究成果になりました。教員の教育研究の伝統がどのように形成されてきたかという問題は、日本の教員たちのアイデンティティに関わる重要な歴史的問題だと確信しました。
 なお、おわりにの最後には、東京帝国大学の教育学研究の伝統に関わる仮説も述べておきました。今はまだ勇み足かもしれませんが。

 本稿は、まだ、目についた書籍を用いた小論で、間欠泉的な史料しか扱っていません。ただ、鳥取県の事例と重ねて考えると(拙著『鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち―』鳥取県、2015年参照)、かなり一般化できる事実に迫ってきていると思います。今後はもっと広く史料を検討し、研究成果をより強固なものにしたいと思っています。(ゆえに時間がほしい…)

 取り急ぎ、「おわりに」部分の一段落を以下に引用しておきます。

 明治30年代以降の「教師が研究すること」の意義は、教育問題の解決や教師であり続けるための要件として論じられた明治20年代後半の論調を引き継いだ側面があった。しかし、明治30年代以降には、他学問依拠の原理研究の限界を乗り越える形で、問題解決のための実験的・協同的な実地研究重視論が詳細に展開した。実地研究が盛んになるにつれて、研究方法論・資料論・対象論も多様に展開し、教師の研究において授業参観・批評会や教授案、日常的事実、教材・教科書・教育法規・子ども研究などの重要性が高まった。そして、実地研究重視の傾向は、学者でなく教師でしかできない研究があることを指摘することにつながっていた。このような論展開の中で、教師の研究心は教職を果たすための規範と化し、教育学の体系化の必要条件として考えられるようにもなったのである。

 日本の教師は、研究心を大事にしてきました。それはこれからも大事にすべきことです。

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鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち

2015年04月12日 20時35分10秒 | 研究業績情報

 本日、このブログ開設から3655日目だそうです。10年も続けていたなんて…日記を3日で書かなくなる子どもだったのですが、すごい成長です(笑)。これも皆さまのおかげ。

 さて、先日紹介しました拙著『鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち』について、章節構成を紹介します。本書の目的は、明治30年代の鳥取県教育会に見られた、小学校教員の資質能力向上に関する構想の展開過程を検討することです。これにより、鳥取県における「学び続ける教師像」の起源を明らかにしようとしました。ここでの「学び続ける教師像」とは、平成24年中教審答申以来課題になっている「学び続ける教員像」といちおう区別したもので、明治期における継続的学びの重要性を強調する教員イメージを指します。

 はじめに
1 鳥取県教育会とは何か
 (1) 明治期鳥取県教育会の目的と事業
 (2) 因伯私立教育会の結成―鳥取県教育会の嚆矢
 (3) 明治期鳥取県教育会の会員と幹部
2 鳥取県教育会における小学校教員批判の勃興
 (1) 明治30年代における小学校教員
 (2) 日清戦争後の小学校教員批判
 (3) 教員検定試験と教員の学び
 (4) 県内教員の性質に対する批判
3 鳥取県教育会における教育研究態度批判の展開
 (1) 県内教育界の混乱・鎮静・安定化
 (2) 授業参観・批評の奨励
 (3) 実践的・実効的教育研究の推進を目指して
 (4) 子ども・地域・国家の事情に応じた教育開発
 (5) 明治30年代の鳥取県教育会における小学校教員批判の特徴
4 鳥取県教育会による教育研究の奨励
 (1) 鳥取県教育会における事業の多様化
 (2) 教員講習事業の展開
 (3) 県内における教育研究の発表推進
 (4) 日露戦争に関わる教育研究調査
 (5) 県内外に拡がる教員社会の形成と教育研究の奨励
 (6) 教育成果と教育研究
 おわりに

 以上が章節構成です。もとになっている論文・発表の初出は、研究業績一覧の27番、口頭発表一覧の33番、はじめに・第4章・おわりには完全描き下ろしです。研究業績一覧の18番・20番や学位論文と一緒に読むと、より視野が広がります。私の研究の位置づけ的には、学位論文の続編です。
 もう少し詳しい目次は、そのうち鳥取県立公文書館HPで公開されるのではないかと思います。一般販売は4月15日から、鳥取県内の書店か、鳥取県立公文書館を通して購入できるようです。

 明治期に誕生した小学校教員という職業。その実態は低待遇・非専門的・腰掛的態度などの課題を抱え、すぐに専門的な職業として確立したわけではありませんでした。明治期の指導的教員たちは、教育会を駆動させて教職を専門的職業化しようと試みました。この明治期における教職の専門的職業化過程について、教育研究構想に注目して明らかにしようとしたのが本書です。教育研究活動は、教員の自律的な専門的力量向上に不可欠です。明治30年代に現場における教育研究活動が活性化したことはこれまで指摘されてきましたが、具体的にどのようなプロセスでいつごろどのように活性化していったかは十分に明らかにされてきませんでした。本書は、鳥取県の唯一の全県規模教育団体であった鳥取県教育会の内部に限ってですが、100年も前の指導的教員たちが、教職を務めるためには互いに学び続けなければならないと強調し、授業の批評を始め、具体的に組織的な動きを見せていた事実を明らかにすることができました。しかもこの教育研究奨励の動きが、明治40年の義務教育年限延長に先だって、小学校6年制成立後の国民教育を支える重要な手段の一つとして位置付けられたことも明らかにしました。また、鳥取県では大正期に新教育運動が活発に進められましたが、その前史として「さもありなん」と思いたくなるたくさんの事実が明らかになりました。
 細かいところでも面白い事実が明らかになっています。県師範学校長であり県教育会副会長であった土井亀之進が、明治30年代後半に大量の二宮尊徳・報徳思想研究の成果を県教育会で発表していたこと。峰地光重が教員生活を始めた明治40年代に、芦田恵之助が県教育会夏期講習会の講師を2度も務め、明治43年にはその講義録が県教育会によって出版されたこと。県教育会准教員講習所では、学科講習だけでなく課外活動も行われており、多くの講習生が共同生活を行い、その世話をしていたのが所長の山内良千(良仙、国家主義者・神道関係者で日常的修養を重視した人物、大正期に活躍)であったこと。明治40年代に教育品展覧会の意義として、教員たちの継続的な研究を奨励し、教育成果と研究成果とを結び付けて評価するという意義が見出されたこと。などなど。これらについては紙幅の都合上簡単に指摘するにとどまりましたが、様々な分野にわたる重要な研究課題が見出せたと思います。私だけでなく、多くの研究者のさらなる研究のきっかけになれば幸いです。

 4月頭に公文書館から寄贈分が発送されたようです。その結果、尊敬する先輩学者の方々から、自分の学生にも読ませたいとか、教師の将来を励ます出来であるとか、この上ないお褒めの言葉をいただくことができました。望外の喜びです。ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思っています。よろしくお願いします。

※ 本書の正誤表
・12頁10行目 誤 芦田恵之助『国語教授法講義』(明治三四年刊 → 正 芦田恵之助『国語教授法講義』(明治四三年刊

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中国四国教育学会

2011年12月10日 20時00分00秒 | 研究業績情報

参加して来ました。

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現時点での研究業績の系統的整理

2011年03月29日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 な…もう…4月になりそうだと…

 書き散らしてきた拙稿がバリエーションに富んできたので、雑誌論文・著書論文・口頭発表(論文化されているものを除く)を含めて整理してみました。いいかげん本にまとめたらどうだ、と、まれに言われますが、まだ構想全体の2分の1を少し超えたくらいなので、まだまとめるに至っていません。
 なお、以下の「教員改良運動の開始期・模索期・確立期・展開期」というのは、現在のところ、教員史・教育会史を分析するために私が設定している時期区分です。一般社会状況および教育制度・政策・学説・方法・実践・輿論等の変遷をふまえつつ、教師論・教員集団の変遷を基準として設定しているものです。博士論文の構成基準としたいのですが…はてさて、いつになるやら。

[教育会史研究]

○ 総論的研究

  1. 白石崇人「大日本教育会における研究活動の展開」修士論文、広島大学大学院教育学研究科、2004年。
  2. 白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題 ―学校教育・初等教育・普通教育研究の重視」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第51巻、2005年、66~71頁。
  3. 白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における広島県会員の特徴 ―明治16年の結成から大正4年の辻会長期まで」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第54号、2005年、87~95頁。
  4. 白石崇人「明治期における教育会の情報交換」全国地方教育史学会第29回大会口頭発表、広島大学、2006年5月21日。
  5. 白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会像の再構築」教育史学会第50回大会口頭発表、大東文化大学、2006年9月16日。
  6. 白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」梶山雅史編『近代日本教育会史研究』、学術出版会、2007年、303~326頁。

○ 教員改良運動開始期/明治10年代/1880年代前半~半ば

  1. 白石崇人「東京教育学会の研究」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第48巻第1部、2003年、50~55頁。
  2. 白石崇人「東京教育会の活動実態 ―東京府学務課・府師範学校との関係」全国地方教育史学会『地方教育史研究』25号、2004年、47~68頁。
  3. 白石崇人「明治二十年前後における大日本教育会の討議会に関する研究」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第53号、2004年、103~111頁。
  4. 白石崇人「結成時における大日本教育会の根本的目的」教育史フォーラム・京都 第20回研究会口頭発表、京都大学、2007年9月2日。

○ 教員改良運動模索期/明治20年代前半/1880年代後半~1890年代前半

  1. 白石崇人「明治21年の大日本教育会における「研究」の事業化過程」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第55号、2006年、83~92頁。
  2. 白石崇人「1880年代における西村貞の理学観の社会的役割 ―大日本学術奨励会構想と大日本教育会改革に注目して」日本科学史学会編『科学史研究』第47巻No.246、岩波書店、2008年、65~73頁。
  3. 白石崇人「全国教育者大集会の開催背景―一八八〇年代末における教育輿論形成体制をめぐる摩擦」梶山雅史編『続・近代日本教育会史研究』学術出版会、2010年、109~132頁。

○ 教員改良運動確立期/明治20年代後半~明治30年代半ば/1890年代後半~1900年代前半/日清日露戦間期

  1. 白石崇人「明治三十年代前半の帝国教育会における研究活動の展開 ―学制調査部と国字改良部に注目して」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第50巻、2004年、42~47頁。
  2. 白石崇人「明治32年・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案 ―明治30年代における初等教育重視の学制改革案の原型」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第53巻、2007年、46~51頁。
  3. 白石崇人「明治20年代後半における大日本教育会研究組合の成立」日本教育学会編『教育学研究』第75巻第3号、2008年、1~12頁。
  4. 白石崇人「日清・日露戦間期における帝国教育会の公徳養成問題 ―社会的道徳教育のための教材と教員資質」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第57号、2008年、11~20頁。
  5. 白石崇人「大日本教育会単級教授法研究組合報告の内容―高等師範学校編『単級学校ノ理論及実験』との比較から」日本教育学会第68回大会口頭発表、東京大学、2009年8月28日。

○ 外国教育情報の受容に関する研究

  1. 白石崇人「『大日本教育会雑誌』における外国教育制度情報 ―情報の使用形態に注目して」中国四国教育学会第55回大会口頭発表、広島大学、2003年11月9日。
  2. 白石崇人「大日本教育会機関誌における外国教育情報に関する研究」国際研究集会口頭発表、中国浙江省杭州市、2004年4月3日。
  3. 白石崇人「19世紀末の大日本教育会・帝国教育会機関誌にみる西洋・東洋教育情報」アジア教育史学会2004年度第二回例会口頭発表、広島大学、2004年11月6日。
     (いずれも、加除訂正して拙稿の修士論文に所収しています)

○ 明治期以外

  1. 白石崇人「1940年代末結成の日本教育協会―日本連合教育会改称までを視野に入れて」1940年体制下における教育団体の変容と再編過程に関する総合的研究第1回研究会口頭発表、東北大学、2009年7月18日。

[教員史研究]

○ 教員改良運動開始・模索期/明治中期/明治10年代後半~20年代半ば/立憲制成立前後

  1. 白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像 ―不況期において小学校教員に求められた意識と態度」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第54巻、2008年、270~275頁。
  2. 白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教職の社会的地位および資質向上の目標化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第56巻、2010年、268~273頁。

○ 教員改良運動確立・展開期/明治後期/明治20年代後半~/日清日露戦間期

  1. 白石崇人「沢柳政太郎の教師論 ―教師の専門職性」卒業論文、広島大学教育学部、2002年。
  2. 白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第55巻、2009年、314~319頁。
  3. 白石崇人「明治後期の保育者論―東京女子高等師範学校附属幼稚園の理論的系譜を事例として」『鳥取短期大学研究紀要』第61号、2010年、1~10頁。
  4. 白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―『東伯之教育』所収の小学校普及・中学校増設関係記事から」『鳥取短期大学研究紀要』第62号、2010年、11~23頁。
  5. 白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程-師範卒教員と検定教員との衝突・分離・合流」日本教育学会第69回大会口頭発表、広島大学、2010年8月22日。

[教材史研究]

  1. 白石崇人「小学校歴史教科書における寺子屋記述」『鳥取短期大学研究紀要』第60号、2009年、9~20頁。
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日本教育学会編『教育学研究』へ掲載されるまで

2008年10月21日 19時47分43秒 | 研究業績情報
 すでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、先日、とても嬉しいことがありました。
 拙稿「明治20年代後半における大日本教育会研究組合の成立」が、日本教育学会編『教育学研究』第75巻第3号(2008年9月号)に掲載されたのです。これで、時々このブログで「某学会へ投稿」と報じていた分は、すべて結果が出たことになります。
 このブログは教育学者以外の方も見ていますので、少し解説します。日本教育学会とは、3千人近い会員によって構成されている学会で、日本で最も権威ある教育学会です。その機関誌『教育学研究』に研究論文が掲載されたということは、自分の教育学研究が意義あるものだと評価してもらったということです。これはとても喜ばしいことです。また、今後の教育・研究活動によって、日本の教育学の権威をおとしめず、その質を高め、次代へと引き継いでいく重い責任を背負うことでもあります。そのため、今の私の気持ちは、嬉しいという感情以上に、気が引き締まる思いでいっぱいだ、というのが正直なところです。
 ここに到達するまでは、本当に、長い道のりでした。
 2006年8月、日本教育学会『教育学研究』へ初投稿。これが最初の挑戦であり、この後続く長い戦いの幕開けでした。同年11月、掲載不可の結果が返ってきました。当時のログを見ると、相当に落ち込んでいることがわかります(苦笑)。めげずに、2007年4月、再投稿しました。7月、ついに再投稿再審査の結果が。9月に再々投稿すると、11月に修正指示が送付されてきました。その後、翌2008年1月から8月まで、修正←→修正指示の往復を、4度繰り返しました。2008年8月、ようやく最終原稿の提出の運びとなり、初稿・二校・三校を経て、ついに掲載に至ったというわけです。再投稿再審査の判定から約1年3ヶ月、最初に投稿してからだと2年4ヶ月かかりました。
 編集委員会・査読者から言い渡された修正指示は、いずれも厳しい内容で、そう簡単に修正できる生やさしいものではありませんでした。その作業は、長期にわたる修正作業は精神上かなり過酷なものでした。しかも、当時の日本東洋教育史研究室には指導者となる教員がなく、同志である日本教育史専攻の院生もいませんでした。同時に進行した博士課程後期4年目・5年目の在学延長申請のために、かかった精神的負担も強烈でした。様々な機会にお会いする先生方、専門を異にする友人たち、応援してくれた両親に、本当に本当に支えてもらいました。皆さんがいなければ、最後の最終原稿提出どころか、修正指示への対応すらできなかったと思います。
 また、日本教育学会編集委員会の先生方と、査読者の先生には感謝してもしきれません。私の未熟さのため、長い間、お手数をおかけしました。先生方が粘り強く対応してくださらなかったら、この結果はありませんでした。なにより、厳格で精細な査読意見を毎回まとめてくださった査読者の先生には、本当に御世話になりました。
 皆さん、本当に、本当に、ありがとうございました。

 今、切に思うのは、研究は一人でやるものではない、ということです。
 研究とは、協同作業です。
コメント (3)
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日本科学史学会編『科学史研究』に掲載されるまで

2008年07月08日 23時55分55秒 | 研究業績情報
 仕事が忙しくなってきました。
 さて、ご存知の方もおられると思いますが、ようやく私の2本目の全国レフェリー論文(審査を経て全国誌に掲載された論文)が活字化されました。

 題目:「1880年代における西村貞の理学観の社会的役割―大日本学術奨励会構想と大日本教育会改革に注目して」
 掲載誌:日本科学史学会編『科学史研究』第47巻No.246、岩波書店、2008年6月、65~73頁。

 題目にある「理学」というのは、明治期における“science”の一般的訳語で、今でいう科学のことです。本論文は、科学の制度化が世界的に同時進行していた1880年代において、専門諸理学(科学)の連携を想起たらしめた西村貞の理学観を、その社会的役割、すなわち組織(大日本学術奨励会・大日本教育会)形成・改革における役割に注目して明らかにしたものです。
 論文内容は、日本科学史の問題意識に基づいて構成されていますが、日本教育史・日本教育学史の問題にも基づいています。西村は、イギリスの大英学術振興協会(BAAS)を参考にして大日本学術奨励会を構想しましたが、そこに当時BAASにはなかった「教育部門」を立ち上げようとしました。この独特の科学組織の構想は、西村独特の教育理論における理学観を基盤として構成されています。そして、このような理学観を基盤とした科学組織の構想は、大日本教育会の改革の思想的背景の一つになっていました。
 と、おおざっぱに述べれば、こういう論文です。この論文は、多くの方々に支えられて活字化されました。そもそもこの論文は、2005年春から2006年春にかけて、『教育学研究ジャーナル』や『日本教育史研究』に投稿した内容が出発点になっています。この間、多くの先輩からアドバイスや直接の指導をいただき、両誌の査読者から貴重な意見をいただきましたが、結局、両誌ともに掲載できませんでした。
 その後、いろいろ考えた末、『科学史研究』へ投稿しました。2006年8月に受理されましたが、その後もすんなりいきませんでした。『科学史研究』の最初の審査結果は、大幅修正後の再審査。さらに2回の大幅修正の指示をうけ、論文を大幅に修正。当時は頼れる人もおらず、ほぼ孤軍奮闘状態でしたが、時々先輩に感想をいただくことができました。また、『科学史研究』の編集委員や審査員には、審査の度に有益なアドバイスや批判をいただきました。幅広い人材をカバーする日本科学史学会の会員構成、『科学史研究』の刊行回数の多さ、審査受付期間の長さ、審査基準の明確さなど、制度的な部分にも物理的・精神的に助けられた思い出もあります。今回の論文は、そういった過程を経て、足かけ約2年(前史を含めれば約3年)かけて、やっと、やっと、活字化にこぎつけることができたものです。
 直接声をかけてくださった先輩方や先生方、各学会・研究会の審査員および編集委員の方々の支えなくして、この論文はありえませんでした。忙しい中、私の研究につきあってくださり、本当にありがとうございました。こんな場ですが、ひっそりと感謝の言葉を述べたいと思い、記した次第です。
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