教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

もう少し余裕もって仕事したいよね

2011年02月22日 23時55分55秒 | Weblog

 ごぶさたです。とくに目新しい話は何もないです。

 先日、授業が終わり、成績もつけ終わりました。後は卒業式だけ、と思いきや… 何やかんやあって気が休まる暇もありません。いいこともありましたが、「なんで…?!」と思うことも多発し、ムダにストレスをためる(ためさせられる)毎日を送っております。来年度の授業準備もしなきゃいけないのに、仕事のマニュアルも作っておきたいのに、論文も仕上げなきゃいけないのに、博論の準備もそろそろ始めたいのに…

 そろそろ今の職場での2年目が終わりそうです。ようやく仕事の「波」(ペース)がつかめてきました。1年目は、いきなり大仕事を任されて、わけがわからないままに終わりました。そのまま始まった2年目も、1年目の蓄積があるので多少楽になるかと思ったら、そんなことはありませんでした。3年目については、いろいろ不安になる要素ばっかりなので、正直あんまり始まってほしくないのですが…(笑)
 仕事の「波」をある程度読めるようになった(と思っている)今では、徐々に「ちくしょう、どうにでもなりやがれ」「くそっ、やってやるよっ」という気分になってきました(笑)。でも、「ほーら、新しい仕事をまるまる1セットあげよう!」とか言われるのは、勘弁してほしいなぁ… さてさて、どうなることやら。

 幼児は情緒を安定させることで、自ら環境にかかわり、様々なことができるようになります。大人だって人間、幼児と同じ人間。大人だってそうなんじゃないですか? じっくり仕事に取り組める落ち着いた環境を整えなくちゃ、仕事の質を一定程度確保したり、高めたり、新しいことに挑戦したりできないでしょう?

 今はせめて自分にできることとして、自分用にマニュアルをつくり、少しでも余裕をもって仕事できるように準備しております。自分の心身の健康維持はもちろんですが、教育の質の維持だけは何とか死守したいですし。

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積み重ねる生活

2011年02月12日 16時28分29秒 | Weblog

 積み重ならない生活はいやだ
 自分の生活に意味がないような気がして
 自分が見えなくなるから

 積み重ねる生活をしたい
 すべての経験が今の自分を形作り、これからの自分を形作っていく
 そこから
 今の自分が見えるから

 これからの自分も
 形作っていくことができるから

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純邦楽の1960~70年代

2011年02月11日 23時55分55秒 | 純邦楽

 久しぶりに邦楽の話題。ただの自分の趣味に関するメモです(笑)。

 邦楽とは「我が邦(国)の音楽」のこと。J-popも邦楽と言いますが、ここでは和楽器(箏、三味線、尺八、笛、琵琶、和太鼓など)を使った音楽を取り扱おうと思います。和楽器を使った音楽は、「純邦楽」と呼ばれることが多いです。私は、大学時代から純邦楽にのめり込み、時間があれば曲を聴き、いいなと思ったものを集める日々を送ってきました(最近の新しい作品はほとんど聴いてませんが)。純邦楽マニアとか純邦楽オタクといってもいいと思います(笑)。最近、自分が学生時代から集めてきた純邦楽のコレクション(500曲くらい)を整理していて、ふと思ったことがありましたので、メモを書き綴ってみます。なお、私は、現代音楽的なものよりもメロディのはっきりしたものを好むので、ただの作品というよりは「通俗的」作品の特徴と言った方がいいかもしれません。以下、存命の方を含め、名前は敬称略です。

 私の集めた作品は、作曲年が1960年代から70年代にかけて集中していました。長澤勝俊、三木稔、杵屋正邦、牧野由多可、唯是震一、船川利夫、山本邦山、野村正峰、沢井忠夫、宮田耕八朗、伊福部昭…。今でも邦楽愛好家の間では人気のある作曲家たちですが、彼らの代表作の作曲年がこの時期に集中しています。1950年代に作曲または演奏活動を始めた人々が多いようです。彼らがこの時期に活発に作曲していたのは、多くの演奏家がいたこともあるようです。とくに、邦楽4人の会(1957結成、委嘱活動は59年から、北原篁山・後藤すみ子・矢崎明子・菊地悌子)、日本音楽集団(1964結成)や、尺八三本会(1964結成、青木鈴慕・山本邦山・横山勝也)など。そして、「通俗的」作品の最たる担い手としては、邦楽サークルや大学邦楽部が活発化したことも大きいのではないでしょうか。なお、この時期に活躍した作曲家は、80~90年代にかけても名曲を作り続けていきました。
 この時期は、高度経済成長期の末期であり、高等教育の拡大期です。この時期には、経済成長の担い手として大学生が急増しました。「通俗的」な邦楽の隆盛には、邦楽に親しむ人々が増えることが不可欠ですが、この時期に増えた大学生がその重要な部分を担ったことは間違いありません。いわゆる「学生邦楽」の役割は大きかったと思われます。また、邦楽が盛んになり、かつ作曲が集中するということは、この時期に、国内伝統文化に対して興味が拡大するとともに、伝統の継承にとどまらずに、さらに創作へと向かわせる積極的な雰囲気があったということでしょうか。それは何だったのでしょう。また、邦楽についてはナショナリズムと無関係ではいられないと思いますが、その意味ではどうなのでしょうか。わからないことだらけです。
 ちなみに、この時期に集中している名曲は次の通り。長澤勝俊なら、「子供のための組曲」(1964)、「三味線協奏曲」(1967)、「萌春」(1971)など。三木稔なら、箏譚詩集(1966~)、「ダンス・コンセルタントⅠ」(1973)、「巨火(ほて)」(1976)など。杵屋正邦なら、「呼応」(1964)、「風動」(1965)、「去来」(1967)、「波」(1967)、「明鏡」(1975)など。牧野由多可なら、「茉莉花」(1964)、「太棹協奏曲」(1966・1970)、「篝火」(1966)など。唯是震一は1950年代に代表作があるが(神仙調舞曲など)、「合奏組曲"石狩川"」や「火の島」(1966)など。船川利夫なら、「組曲"出雲路"」(1960)、「複協奏曲」(1963)など。挙げていけばきりがないのでこのくらいで。

 なお、1990年代にも集中しています。少しずつ新しい作曲家が目立ってきた時代ではないかな、と思います。とくに吉崎克彦と水野利彦は、新曲を出せば楽譜やカセット・CDが売れるといった風でした。集中しているのは、この2人の作曲家の活躍が大きいのかもしれません。他にも多くの作曲家が次々に作品を発表しています。私が純邦楽の洗礼を受けたのは、この時期の末期でした。また、逆に60年代以前を振り返ってみると、戦前・戦中にも集中しています。宮城道雄や中能島欣一などの世代です。これらの時期のことを考えるのも面白そうです。

 邦楽の作曲年にも、考えることのできる問題がこんなにあるのだなぁ。

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雪解けのよろこび

2011年02月05日 23時06分32秒 | Weblog

 2月に入ってから、急にあったかくなりました。だいぶ道端の雪もとけて、道や駐車場が広くなってきました。開放感が違いますね。「雪解け」がこんなにうれしいものだとは思いませんでした。私が生まれ育った瀬戸内地方にはほとんど雪が降りつもりませんので、生後31年(もうすぐ32年…)にして、初めての感覚です(笑)。

 1月末の大仕事が終わり、少し落ち着きました。この1月は忙しかった上に、大雪や凍結のため、夜まで研究室にいられないという悪条件も重なって、本当にまったく研究に手をつけられませんでした。研究の仕方を忘れそうな気がして、本気で焦りましたよ。研究だけじゃなくて、教材研究や授業改善にも時間を回せないほどの忙しさは考えものです。

 これからしばらくの間は、学生のレポート採点に追われます。そして、2月末にまた大仕事があるので、来週からはその準備をしなくちゃ…

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