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教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

ユニコーンのお花畑

2025年01月28日 21時55分00秒 | Weblog



うちの子の新作。
世界中に知らせてくれ(ブログに上げてくれ)と頼んでくるようになりました。世界中に知らせていいか?!という表現は、私がうちの子の絵で感動してブログに上げるために本人に許可をとるときに使ってきた表現です。その表現をついに自分のものにしましたね。

絵は、ユニコーンがお花畑で歩いているところ。間違えた絵(ユニコーンの左隣のやつ)を風車にするという工夫が光ります。画面下が青くなっているのは湖だそうです。

ユニコーンがとても楽しそうに描けています。今までのうちの子の絵と比べると、色がバランスよく選択・配置されているのがすごいなと思いました。

お絵描き教室に通わせれば、もっといろんな表現方法を身につけて、もっといろんな絵が描けるようになるだろうな、と思いつつ、この子がのびのび絵を描ける時間を大事にしてくれる教室や指導者が見つかるだろうか、と不安もあります。今の本人の希望は、上手になりたいというより、楽しく描きたい、というあたりにありそうだから、それを大事にしてあげたい。

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名古屋市教育会解散検討の報に触れて―学校を保護者・地域住民とともに支える仕組みの見直しに

2025年01月25日 12時26分21秒 | 教育研究メモ
 名古屋市教育会解散の報道が目に入ってきました。名古屋市の人間でないのでその判断の是非を問うものではありませんが、教育会史の研究者として20年以上生きてきましたので、一言発言すべきだろうと思い、私の見解を記録します。


 教育会は、明治期以降、近代教育を普及・改良するために結成された初の教育団体であり、戦前には全国規模の中央教育会または都道府県市区町村の地方教育会、はては植民地にまで大日本帝国全土に存在し、それぞれ活動していました。教育会は、それぞれの活動地域内で教育情報を循環させ、その他の地域と情報交換を行い、「教育」の名のもとに関係者を結集して、教育の在り方を模索する舞台としてその役割を果たしてきました。戦後直後に解散・存続をめぐる根本的な議論を経て、解散させた地域と、存続させた地域があります。教育会を存続させた地域は多くなかったのですが、名古屋市はその地域の一つとして教育会を存続させた地域でした。戦後からすでに80年経つなかで、教育会は様々な活動を継続的に行い、地域教育の発展の一端を一定程度担ってきたことは事実でしょう。
 しかし、今回のように、保護者や地域住民から「怪しい」とまで言われるような団体になってしまっていたのは残念なことです。市教育会に代々かかわってきた関係者はそれぞれの立場から努力されてきたことは想像できるのですが、結果としてそう言われてしまったのは、地域住民(特に子育て世代)に教育会の活動が伝わっていなかったためであり、伝えていたとしても理解を得られるような活動や広報ができていなかったためでしょう。名古屋市は、近年積極的にPTAの見直しを進めており、市教育会の問題はその一環として問題化したように思います。保護者から資金を徴収してきたのに、それを十分に説明できなかった(納得させられなかった)というところが、今回の最大の問題ではないかと思います。
 教育会の中でも市教育会という段階の教育会は、都道府県教育会よりも一層地域に身近な教育会であるはずです。市によってその実態や歴史は異なりますが、市教育会には教員や教育行政官だけでなく地域住民が加わっていることはよくあったことです。また、戦後に教育会を存続した地域の中には、保護者を入会させることを学校中心・教員中心の組織を改革する手段として採用した地域もありました。本来は、こうなる前に、名古屋市教育会の歴史をしっかり振り返って、なぜ賛助会員として保護者から会費を徴収するようになったのかについて確かめ、十分な議論をして、しかるべき対応をすべきだったのでしょう。
 ヤフコメでは「市教育委員会と混同するような名称」も問題になっています(現代に教育会が出てくるといつも名称の議論になりますが)。歴史的には市教育委員会の方が後ですが、戦後の解散をめぐる混乱のときに活動を整理して「教育会」という名称を変えた地域もいくつかあるので、やはり「教育会とは何か」という議論が十分だったか問い直さざるを得ないでしょう。教育会が存続している地域は、すべてではありませんが、あちこちにあります。活動中の教育会は今回の問題を「対岸の火事」とみることなく、自分事として真剣に自らを見直す機会とすべきでしょう。教育会は教育委員会ではなく、すなわち教育行政機関そのものではありません。
 教育会の無い地域においても、今回の問題は今後の教育をとりまく社会的環境・条件について考える機会とすべきです。というのは、この問題がPTAや保護者団体の在り方や、学校を保護者・地域住民が支える仕組みの在り方と関わっているからです。教員や退職者だけで構成された教育会ならこのような問題のなり方にはならなかったでしょう。問題は、教育会の解散云々以上に、学校を保護者や地域住民が支えるというそのあり方が問われているところにあります。PTA解散や連合組織からの脱退が進む地域が増えていますが、重要なのはその後で、保護者や地域が学校を支える仕組みをどうするかを考えなければなりません。名古屋市の場合は教育会解散後の教育会が担っていた役割を代替する策を考えているようですが、そのまま肩代わりすればよいのではなく、何のためにこの役割ができて、今どうすべきか、という議論を積み重ねる必要があります。
 学校教育は地域に支えられて発展してきましたし、子どもたちは保護者と学校がともに育てていくものです。学校に任せる、教育行政・教育委員会に任せるようなものではありません。わが地域では学校をどのような組織体制で支えていくか。この際、教員や行政だけでなく、保護者や地域住民を交えて熟議していくべきです。コミュニケーション・熟議の場を見直す必要があります。また、すでにいろいろな新たな取り組みが各地で進んでいます。教育情報の収集・循環・共有の仕組みの見直しが必要です。
 実は、教育会は、教育情報の収集・循環・共有の仕組みを整えながら、様々な立場の教育関係者を組織して、教育に関する熟議の場として発展してきた団体です。私の見通しでは、戦後直後、1970年代前半と教育会の在り方が問われてきた時期があったと思いますが、今もまた、教育会自身が自らの存在意義を歴史的に振り返るべき時期なのかもしれません。

【参考文献(例)】
・白石崇人「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第55巻、2020年12月、73~89頁。
・白石崇人「なぜ戦後の長野県で教育会が存続したか―1948年信濃教育会運営研究委員「教育会の在り方」を読み直す」『信濃教育』第1644号、信濃教育会、2023年11月、1~17頁。  
・梶山雅史編『近代日本教育会史研究』、学術出版会、2007年(新装版、明誠書林)。
・梶山雅史編『続・近代日本教育会史研究』学術出版会、2010年。 
・梶山雅史編『近・現代日本教育会史研究』不二出版、2018年。 
・白石崇人「1947年度信濃教育会役職員会議の教員団体一本・二本化論争―戦後長野県の教育会存続を再考する」教育史学会第68回大会コロキウム資料、東京学芸大学、2024年9月29日。 

 
 
 
 
 
 
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学校のカリキュラムをどうするかメモ

2025年01月09日 19時53分08秒 | 教育研究メモ
 現在の学校の働き方改革を進めるには、午前に教師主導の授業をして、午後に児童生徒主導の課題解決型の授業を進めたらどうか、と常々考えてきました。そして、事例はいろいろ思いつくのだけど、全体としてどういう理屈で説明できるだろうか、というところで考えは足踏みしてきました。
 10月から教育学コースの他の先生や学生たちと一緒に月一でやっている『教育学研究』を読む会でお題になっている、桂直美「芸術批評が提起するカリキュラム構成の枠組み―アートに根ざす授業論」(『教育学研究』第88巻第3号、日本教育学会、2021年9月、419~431頁)を読んでいて、なるほどと思ったので、ちょっとメモを。

 桂論文は、教授目標に基づくカリキュラムと評価に対してアートに根差す学びを通した批判を行い、個人の個性的な認識や他者との対話を通して探究するカリキュラムに転換することを主張しています。それはアートの学びだけでなく、他の領域でも、総合的・学習的な学習の場合も可能だといいます。そのカリキュラムでは、授業者が自分の目標をオープンに保ち、授業の目指すところは実践の中で学習者とともに追究・合意形成されていく、といいます。まだ全体を理解できていませんが、なるほどなと思う反面、今の学校教育のすべてをそういったカリキュラムで置き換えることは可能だろうか、と思いました。

 私のアイディアに戻すと、アート的な学びのカリキュラムとオープンな形での目標設定?は、私のいう「午後」の協同的な問題解決型学習の考え方とぴったり合います。一方で、そういうカリキュラムだけで、今の日本の学校教育が成立できるはずもない、と思っています。ここまで成果主義で説明責任の求められる制度になっていると、そういうカリキュラムでは成果も説明責任も果たすことが困難だからです。今のこういう制度は学校や教員がそうしたいと思って作っているものというより、今の社会がそう作っているものですから、学校だけが対処できる問題ではありません。こういうカリキュラムを構成しながらも、現状に応じたカリキュラムも構成する必要があります。
 私のいう「午前」の授業は、「午後」の学習で必要な基礎知識・技能等を学ぶために必要だと考えていましたが、上のような問題を考えると、社会に説明責任を果たす学校の義務を果たすためにも必要な気がしてきました。学校教育は児童生徒のためにあるのが第一義ですが、国家社会のためにもあるという側面も持ちます。もちろん、あくまで、「も」の立場を堅持する必要がありますけど。

 まとまりませんが、今日はこの辺で。メモなので。

参考文献
・桂直美「芸術批評が提起するカリキュラム構成の枠組み―アートに根ざす授業論」『教育学研究』第88巻第3号、日本教育学会、2021年9月、419~431頁。


 
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健康第一の2025年

2025年01月08日 21時34分00秒 | Weblog



 写真はうちの子が時々つくるミカンのお店です。一生懸命並べたあと、「いらっしゃいませ〜みかんやさんですよ〜」と始まります。

 3が日終了直後から、一気に40度をこえる高熱が出まして、丸2日間、身動きがほとんどできなくなってダウンしておりました。ここまでの高熱は30年ぶりくらいかも。熱が出てからはプチ隔離されていましたが、インフルエンザだと思われます。しかし、妻子はなぜか元気… 不思議ですが苦しい思いをさせなくてよかった。
 昨日から完全に解熱しましたが、まだ頭がぼんやりとしています。

 さて、2025年が始まりました。皆さんはどんな1年にしたいですか?
 私は、研究について、すでに入っている仕事ややりたいこと、約束していることを並べてみたところ、ずっと忙しい状態になることが判明しました。指導ゼミ生やチューター業務も増えますし、広大日東(広島大学日本東洋教育史)研究室出身の先輩後輩たちとの研究会も企画していきます。気合を入れてやらなければ!という気持ちですが、空回りしないように、気持ちも場も常に出入り自由の状態にしていこうと思います。
 とりあえず、いま抱えている論文1、某原稿1、某史料整理の仕事を仕上げます。次に、これから編集の始まる科研仲間との編著1冊の構想、研究会(2つになるか3つになるか…)の準備、専門講義のテキスト1冊の仕上げに取り組まなければなりません。単著の専門書の編集も始めていきたいし、来年度の学会発表の準備も始めていきたい。大学史・自治体史の仕事も確実に進めていきたいし、研究室紀要も復活させたい…
 直接求められてくる仕事とともに、自分の立場から見て進めるべきだと考える仕事がたくさんあります。常に走り続けなければやり遂げられない。

 よたよたしながらですが年始のスタートを切れたので、健康第一で頑張っていこうと思います。

 
 
 
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