忙しいと言いながら、研究成果の紹介を予約投稿します。昨年度末には単著2本と共著1本の論文を発表しました。本学のポータルサイトで公開されるのを待っていたのですが、まだ時間がかかりそうなのでとりあえず順次、簡単に紹介していきます。
まず1つ目ですが、白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題―教育事実の実証的研究の問題化と「教育科学」・「日本教育学」の制度化」(『広島文教大学高等教育研究』第7号、広島文教大学高等教育研究センター、2021年、45~60頁)です。同主題で、昨年の中国四国教育学会大会ラウンドテーブルで発表した内容を活字化したものです。論文構成は以下の通り。
はじめに
1.教育学における科学的関心の芽生え ―1880~1890年代前半
(1)英米由来の心理学的教育学と教育学会 ―1880年代
(2)ヘルバルト派科学的教育学の受容 ―1880年代末~1890年代前半
2.科学論争時代における教育学の模索 ―1890年代後半~1920年代前半
(1)教育学の科学的基礎づけの問題化 ―1890年代後半~1900年代
(2)実証的・哲学的研究の相補的発展と日本独自の教育学 ―1910~20年代前半
3.「教育科学」と「日本教育学」の誕生 ―1920年代後半~1930年代
(1)教育実践・政策の科学的研究と「教育科学」の制度化
(2)教育学における普遍と特殊、理論と実践
おわりに
「教育学は科学か」という問いは昔からあるのですが、いつごろからあったか、日本ではどうか、ということは、長年、澤柳政太郎『実際的教育学』(1909)からや1930年代以降の教育科学研究会前後から(もしくは阿部重孝から)というのが有力な通説でした。しかし、拙著『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』(溪水社、2017年)や同「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」(教育史学会編『日本の教育史学』第60集、2017年10月、19~31頁)などで明らかにしてきたように、澤柳以前から科学化の問題は日本の教育学に現れていました。その内実と全体像をとらえようとしたのが、同「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」(杉田浩崇・熊井将太編『「エビデンスに基づく教育」の閾を探る―教育学における規範と事実をめぐって』春風社、2019年9月、281~314頁)でしたが、1900年代のとらえ方がまだ甘く、かつ1910年代以降の流れが未解明のままでした。本稿は、前稿を超えて1930年代までを視野に入れ、日本の教育学における科学化の歴史を研究したものです。
教育学史研究はいま特に必要だと思っています。1990年代以降(日本では2000年代以降)、EBE(Evidence-Besed Education)論争がおこり、「教育学は科学か」という問いが改めて問われるようになりました。初発の問いが「これまでの教育学(教育実践・教育政策)はすべてエビデンスがなかったから、エビデンスに基づいた教育学(教育実践・教育政策)を立てなければならない」という立て方になっていたために、教育学史上の科学化の歴史は忘れさられてしまいましたが、実際の教育学史は科学化の歴史でもあって、EBE論争にもつながる長い歴史をもっています。EBE論争が過熱して賛成派・反対派の間に対立が深まって、なかなか議論のプラットフォームがつくれない状態が続きましたが、それはこの科学化の歴史を我々が忘れ去ってしまったからかもしれません(忘れたふりをした人もいたのではないかと思いますが)。当の本人である教育学者自身が忘れているのではないか、と思わないでもないので、私はいまこそ教育学史研究が必要だと思っています。
そんなこんなでまとめた論文です。細かいことは論文を読んでいただけると幸いです。最初は通史のつもりで研究といえるかなと思いながら執筆を始めたのですが、結果として新しい発見がたくさんありました。例えば、科学の名のもとに教育実践・政策の実証研究が行われていった結果、「教育科学」が制度化されたのはまだわかるとしても、日本特殊の教育事実への注目から日本の教育学の自立や「日本教育学」の誕生にもつながっているらしいという発見は意外なものでした。課題もたくさん残っているので、ぜひ後に研究が続いてくれるとうれしいです。私もできる限り続けたいです。
本稿PDFのネット公開が行われました(こちら)。ぜひ読んでいただけると幸いです。
まず1つ目ですが、白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題―教育事実の実証的研究の問題化と「教育科学」・「日本教育学」の制度化」(『広島文教大学高等教育研究』第7号、広島文教大学高等教育研究センター、2021年、45~60頁)です。同主題で、昨年の中国四国教育学会大会ラウンドテーブルで発表した内容を活字化したものです。論文構成は以下の通り。
はじめに
1.教育学における科学的関心の芽生え ―1880~1890年代前半
(1)英米由来の心理学的教育学と教育学会 ―1880年代
(2)ヘルバルト派科学的教育学の受容 ―1880年代末~1890年代前半
2.科学論争時代における教育学の模索 ―1890年代後半~1920年代前半
(1)教育学の科学的基礎づけの問題化 ―1890年代後半~1900年代
(2)実証的・哲学的研究の相補的発展と日本独自の教育学 ―1910~20年代前半
3.「教育科学」と「日本教育学」の誕生 ―1920年代後半~1930年代
(1)教育実践・政策の科学的研究と「教育科学」の制度化
(2)教育学における普遍と特殊、理論と実践
おわりに
「教育学は科学か」という問いは昔からあるのですが、いつごろからあったか、日本ではどうか、ということは、長年、澤柳政太郎『実際的教育学』(1909)からや1930年代以降の教育科学研究会前後から(もしくは阿部重孝から)というのが有力な通説でした。しかし、拙著『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』(溪水社、2017年)や同「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」(教育史学会編『日本の教育史学』第60集、2017年10月、19~31頁)などで明らかにしてきたように、澤柳以前から科学化の問題は日本の教育学に現れていました。その内実と全体像をとらえようとしたのが、同「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」(杉田浩崇・熊井将太編『「エビデンスに基づく教育」の閾を探る―教育学における規範と事実をめぐって』春風社、2019年9月、281~314頁)でしたが、1900年代のとらえ方がまだ甘く、かつ1910年代以降の流れが未解明のままでした。本稿は、前稿を超えて1930年代までを視野に入れ、日本の教育学における科学化の歴史を研究したものです。
教育学史研究はいま特に必要だと思っています。1990年代以降(日本では2000年代以降)、EBE(Evidence-Besed Education)論争がおこり、「教育学は科学か」という問いが改めて問われるようになりました。初発の問いが「これまでの教育学(教育実践・教育政策)はすべてエビデンスがなかったから、エビデンスに基づいた教育学(教育実践・教育政策)を立てなければならない」という立て方になっていたために、教育学史上の科学化の歴史は忘れさられてしまいましたが、実際の教育学史は科学化の歴史でもあって、EBE論争にもつながる長い歴史をもっています。EBE論争が過熱して賛成派・反対派の間に対立が深まって、なかなか議論のプラットフォームがつくれない状態が続きましたが、それはこの科学化の歴史を我々が忘れ去ってしまったからかもしれません(忘れたふりをした人もいたのではないかと思いますが)。当の本人である教育学者自身が忘れているのではないか、と思わないでもないので、私はいまこそ教育学史研究が必要だと思っています。
そんなこんなでまとめた論文です。細かいことは論文を読んでいただけると幸いです。最初は通史のつもりで研究といえるかなと思いながら執筆を始めたのですが、結果として新しい発見がたくさんありました。例えば、科学の名のもとに教育実践・政策の実証研究が行われていった結果、「教育科学」が制度化されたのはまだわかるとしても、日本特殊の教育事実への注目から日本の教育学の自立や「日本教育学」の誕生にもつながっているらしいという発見は意外なものでした。課題もたくさん残っているので、ぜひ後に研究が続いてくれるとうれしいです。私もできる限り続けたいです。
本稿PDFのネット公開が行われました(こちら)。ぜひ読んでいただけると幸いです。