教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題

2021年04月19日 19時17分38秒 | 日本教育学史
 忙しいと言いながら、研究成果の紹介を予約投稿します。昨年度末には単著2本と共著1本の論文を発表しました。本学のポータルサイトで公開されるのを待っていたのですが、まだ時間がかかりそうなのでとりあえず順次、簡単に紹介していきます。

 まず1つ目ですが、白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題―教育事実の実証的研究の問題化と「教育科学」・「日本教育学」の制度化」(『広島文教大学高等教育研究』第7号、広島文教大学高等教育研究センター、2021年、45~60頁)です。同主題で、昨年の中国四国教育学会大会ラウンドテーブルで発表した内容を活字化したものです。論文構成は以下の通り。

 はじめに
1.教育学における科学的関心の芽生え ―1880~1890年代前半
 (1)英米由来の心理学的教育学と教育学会 ―1880年代
 (2)ヘルバルト派科学的教育学の受容 ―1880年代末~1890年代前半
2.科学論争時代における教育学の模索 ―1890年代後半~1920年代前半
 (1)教育学の科学的基礎づけの問題化 ―1890年代後半~1900年代
 (2)実証的・哲学的研究の相補的発展と日本独自の教育学 ―1910~20年代前半
3.「教育科学」と「日本教育学」の誕生 ―1920年代後半~1930年代
 (1)教育実践・政策の科学的研究と「教育科学」の制度化
 (2)教育学における普遍と特殊、理論と実践
 おわりに

 「教育学は科学か」という問いは昔からあるのですが、いつごろからあったか、日本ではどうか、ということは、長年、澤柳政太郎『実際的教育学』(1909)からや1930年代以降の教育科学研究会前後から(もしくは阿部重孝から)というのが有力な通説でした。しかし、拙著『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』(溪水社、2017年)や同「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」(教育史学会編『日本の教育史学』第60集、2017年10月、19~31頁)などで明らかにしてきたように、澤柳以前から科学化の問題は日本の教育学に現れていました。その内実と全体像をとらえようとしたのが、同「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」(杉田浩崇・熊井将太編『「エビデンスに基づく教育」の閾を探る―教育学における規範と事実をめぐって』春風社、2019年9月、281~314頁)でしたが、1900年代のとらえ方がまだ甘く、かつ1910年代以降の流れが未解明のままでした。本稿は、前稿を超えて1930年代までを視野に入れ、日本の教育学における科学化の歴史を研究したものです。
 教育学史研究はいま特に必要だと思っています。1990年代以降(日本では2000年代以降)、EBE(Evidence-Besed Education)論争がおこり、「教育学は科学か」という問いが改めて問われるようになりました。初発の問いが「これまでの教育学(教育実践・教育政策)はすべてエビデンスがなかったから、エビデンスに基づいた教育学(教育実践・教育政策)を立てなければならない」という立て方になっていたために、教育学史上の科学化の歴史は忘れさられてしまいましたが、実際の教育学史は科学化の歴史でもあって、EBE論争にもつながる長い歴史をもっています。EBE論争が過熱して賛成派・反対派の間に対立が深まって、なかなか議論のプラットフォームがつくれない状態が続きましたが、それはこの科学化の歴史を我々が忘れ去ってしまったからかもしれません(忘れたふりをした人もいたのではないかと思いますが)。当の本人である教育学者自身が忘れているのではないか、と思わないでもないので、私はいまこそ教育学史研究が必要だと思っています。
 そんなこんなでまとめた論文です。細かいことは論文を読んでいただけると幸いです。最初は通史のつもりで研究といえるかなと思いながら執筆を始めたのですが、結果として新しい発見がたくさんありました。例えば、科学の名のもとに教育実践・政策の実証研究が行われていった結果、「教育科学」が制度化されたのはまだわかるとしても、日本特殊の教育事実への注目から日本の教育学の自立や「日本教育学」の誕生にもつながっているらしいという発見は意外なものでした。課題もたくさん残っているので、ぜひ後に研究が続いてくれるとうれしいです。私もできる限り続けたいです。

 本稿PDFのネット公開が行われました(こちら)。ぜひ読んでいただけると幸いです。
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社会的な見方・考え方に基づいた「問いを表現」する歴史教育

2021年04月14日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 さて、年度末に発表した論文の紹介の続きです。今回は共著論文です。

 この3月に久賀隆之・白石崇人「社会的な見方・考え方に基づいた「問いを表現」する歴史教育―高等学校「日本史探究」を想定した実践開発を通して」(広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第35巻、2021年3月、1~12頁)を活字化しました。広島文教大学附属高校の久賀先生が進めてきた授業研究を中心資料にして、一緒にまとめたものです。久賀先生が新学習指導要領に基づいてどうやって授業したらいいかと悩んでいらっしゃったので、2019年から一緒に研究を続けていました。久賀隆之・白石崇人「平成29・30年告示の学習指導要領に基づく歴史教育―小・中・高の連続性と高等学校「日本史探究」を想定した授業実践を通して」(広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第34巻、2020年3月、15~24頁)の続編になります。前稿は紹介したことがなかったので、ついでに両方とも論文構成を挙げると、以下の通りです。

「平成29・30年告示の学習指導要領に基づく歴史教育―小・中・高の連続性と高等学校「日本史探究」を想定した授業実践を通して」(2020)
 はじめに
1.平成20・21年告示学習指導要領と平成29・30年告示学習指導要領の比較
 (1)小学校社会科 第6学年
 (2)中学校社会科 歴史分野
 (3)高等学校地理歴史科 日本史探究
2.「調べまとめる技能」の一つとしての資料の収集
3.資料の収集活動を取り入れた授業実践
 (1)年表から読み取る(個別学習):第1時
 (2)仮説を立てて、その仮説の根拠となる資料を調べる(個別学習):第1~2時
 (3)グループでプレゼンテーションの準備をする(グループ学習):第3時
 (4)プレゼンテーション(グループ学習):第4時
 (5)事後の振り返り(個別学習)
 おわりに

「社会的な見方・考え方に基づいた「問いを表現」する歴史教育―高等学校「日本史探究」を想定した実践開発を通して」(2021)
 はじめに
1.社会的な見方・考え方に基づいて「問いを表現」すること
 (1)平成29・30年告示の学習指導要領における「問い」
 (2)「問いを表現」する活動を取り入れた歴史授業の先行研究
2.「問いを表現」する活動を取り入れた授業開発
 (1)歴史的事項を選定し、問いを多くつくる:第1時
 (2)「問いを表現」する:第1時
 (3)第1時終了後の授業者の作業
 (4)各自が表現した問いを共有し、各自で位置付ける:第2~3時
 (5)黒板を用いて「年表」の共有およびその「年表」に対する質問をする:第4時
 (6)作成した「年表」を用いて講義形式の授業を行う:第5~14時
 (7)講義終了後に生徒自身が表現した問いに再度答える:第15時
 (8)現代史の講義を行った後の生徒の振り返り:第15時
3.「問いを表現」する単元学習の成果
 おわりに

 2017・18年に告示された新指導要領は、昨年度に小学校、今年度に中学、来年度に高校で完全実施となります。新指導要領の「主体的・対話的で深い学びの実現」などの新ワードは、特に高校教員(さらに特に日本史教員)にとってはかなりのプレッシャーのようです。うちの久賀先生は、2019年に資料の収集活動を取り入れた遣唐使の授業を実践研究され、2020年に問いの表現活動を取り入れた日本現代史の授業を実践研究され、それぞれ2020年・2021年の論文の素材にしてくださいました。月に1回、私の研究室で研究相談を続けた結果、まとまった論文たちです。論文化にあたって私は問題設定や分析のところを直接的にお手伝いしたのですが、教育史教育の在り方をめぐっていろいろ考えている立場上、自分としてもとても面白かったし、学ぶものもとても大きかったです。特に今回の授業は、自分の講義でも試してみようかなと思っているくらいです。何より、研究を続ける間に、久賀先生が「新指導要領の授業が少し見えてきた気がします」「授業づくりが面白くなってきました」と言ってくださったのが、お手伝いをしていて一番うれしかったことでした。
 歴史教育研究としてはまだまだ課題がありますが、高校では実は珍しいかもしれない単元学習の観点からの授業開発や、小中高の歴史教育の連続性への意識、資料収集や問いの表現という方法の導入、知識暗記に対する向き合い方などを課題化した実践論文になりました。面白い結果も出ていますので、関心のある人はぜひ読んでみてください。
 2020年の論文はすでにPDFでネット公開されています(こちら)。2021年の論文も公開されました(こちら)。
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現代日本社会における教育制度の課題―格差・AI・人口減少社会における主体的・対話的で深い学び、オンライン学習

2021年04月12日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 さて、先日に続き拙稿の紹介です。
 この3月に、白石崇人「現代日本社会における教育制度の課題―格差・AI・人口減少社会における主体的・対話的で深い学び、オンライン学習」(広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第35巻、2021年3月、69~80頁)を活字化しました。論文構成は以下の通りです。

 はじめに
1.社会変革が要求する教育制度の課題
 (1)格差社会と教育制度
 (2)AI技術を前提とした社会と教育制度
 (3)人口減少社会と教育制度
2.学習観の変革と教育制度の課題
 (1)「主体的・対話的で深い学び」の実現
 (2)オンライン学習への注目とその課題
 おわりに

 本稿は、もともと本学教育学科2年生の授業のために書き下ろしたテキスト原稿を論文化したものです。おおよそ先行研究や現状を私なりに整理したものですが、発表媒体が本学科の卒業生・在学生・関係者対象のものなので現職者も多いことや、こういう広い問題関心のレヴュー論文は意外と少ないので活字化する意味もあるかなと思って発表しました。格差社会・AI社会・人口減少社会が成立する中でただでさえ問題が山積するなか、「主体的・対話的で深い学び」をどのように実現するか。そして、オンライン学習の可能性を実感した我々は、これからどのように教育に向き合っていく必要があるか。何か目新しい答えを示したわけではないのですが、いったん立ち止まって、どんな課題が目の前にあるのか考える機会を提供できればと思います。特に「主体的・対話的で深い学び」や「オンライン学習」の問題は、教育者と学習者という二者関係や学級内の問題に縮減されてしまう傾向があるので、その問題を社会の問題として、教育制度の問題としてとらえ直すことが重要だと思います。
 教育制度は、教育目的達成の仕組みですから、教育実践や教育関係などを根本的に規定します。教育制度の課題は教師・保育者には関係ないものととらえられがちですが、教育制度は教師・保育者のよって立つ足場・土台です。足場が揺らいだままなら、まっすぐ立って前に進むのも困難です。教師・保育者の生きづらさや無力感など、いま深刻な問題になっていますが、教師・保育者が教育制度の課題を自分事としてとらえられるように支援することが、教育学者・教師教育者の一つの役割かなと思っています。

 最後に本稿のはじめにの一節を引用しておきます。

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 教育制度は特定の社会において成立するものだから、社会が変われば教育制度も変わらざるを得ない。旧来の社会に適合した制度は新しい社会の中でうまく機能せず、様々な問題を発生させることになる。教育制度は、教育目的の達成のための仕組みや組織、体系、きまりなどである。教育制度がうまく機能しないとき、教育目的は達成できず、子どもたちに大きな被害を与えることになる。そして、教師・保育者も、時代に合わない制度の下で、生きづらさや無力感を抱えながら働き続けなくてはならなくなる。(本稿69頁)
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 なお、本稿もPDFでネット公開されました。興味のあるかたはレポジトリのページ(こちら)へどうぞ。
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新年度

2021年04月07日 22時14分00秒 | Weblog
 こんにちは。新年度もあけまして、本学にも新入生がやってまいりました。
 感染状況が不安ですが、とりあえずもろもろ対面主で進行し、今のところ無事進んでいます。授業は来週頭から開始です。教員側もいろいろ不安ですし、事態の変動次第で状況が変わる可能性はありますが、現状確かなことはやはり学生はうれしそうだということです。昨年度の経験を生かして、臨機応変に対応してまいります。まあ、昨年度のこのころは対面かオンラインかという極端な判断(しかもオンラインの方法は白紙状態)しかできなかったのですが、今では経験を積み重ねてたくさんの選択肢を選ぶことができるようになったので、少し余裕をもって取り組めそうです。「くるならこい!」という感じです(もちろんそんな状況にはなってほしくないですが)。
 とはいえ、今年度は3年次の小学校実習の主担当になってしまいました。仕事量は純増です。教育学部設置後、初めての小学校の本実習で、新しい仕組みをつくらないといけないので、言い出しっぺのお前がやれという流れでこうなりました。昨年度のように、感染対策した授業方針やオンライン授業などについてゼロから考えなくていいので、その分、少し手が空くはずですが、そもそも元々の仕事量がいっぱいあるので少し不安です。皆様お手柔らかにお願いします。
 とりいそぎ、年度初めから予防線をはり始める私でした。
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