教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

テンパってキタ

2008年11月27日 00時50分27秒 | Weblog
 仕事上における年内最大のイベントが週末に迫ってきました。
 木曜・金曜にかけて大事な公務も重なり、とても気ぜわしい4日間になりそう。
 むむむ、テンパってきた(笑)。
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他を見て己の未熟を知る

2008年11月25日 23時42分52秒 | Weblog
 この数日(今日を含む)でいろいろありすぎて、身体的にも精神的にも疲れています。
 例えばこの3連休。
 3連休は宮城県にいました。
 この間、東北大学で開かれた教育会に関する研究会に参加してきました。
 そこで諸先生方の偉大さに触れ、自分の未熟さを改めて確認しました。
 人は、他と比べて初めて物事の真価を知る。
 自分の未熟さは、自分で思っていた以上に未熟でした。
 自分で言うのも変ですが、私はこの数年で大きく成長したと思います。
 これから30年、これまでの数年と同じくらい濃い人生を送りたい。
 そして、30年後、先生方を越えたい。
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できたー!

2008年11月20日 19時25分36秒 | Weblog
 寒すぎる。11月に初雪を見るとは夢にも思わなかったなぁ(東広島は積もった)。
 とまぁそれよりも、だ。
 11月30日に中国四国教育学会第60回大会(於・愛媛大学)で発表する論文が…
 なんとかできたぞー!
 まだ1週間以上ありますが、今度の3連休は研究会参加のために全部ツブれ、来週の木・金は公務でほぼツブれるので、かなりヤバイ状況でした。もう少し手を入れるとともに、発表レジュメも作らなくてはなりませんが、それくらいなら忙しくても何とかなるはず。
 とりあえず間に合いそうで、よかった…
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紅葉

2008年11月15日 21時39分32秒 | Weblog
今日のお昼は、広大近くにある鏡山公園に行って弁当を食べてました。一人で(笑)。
大学から車で1、2分で行けます。いい天気の上に、とても紅葉がきれいでしたよ。久しぶりに休日らしい休日。一気にリフレッシュできました。
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白石崇人『大日本教育会・帝国教育会の群像』自主発行、2008年。(笑)

2008年11月11日 20時43分09秒 | Weblog
 画像は、自著です。
 私のブログ「大日本教育会・帝国教育会の群像」を、teacupさんのサービスを利用して冊子化してみました。
 単なる自己満足とも言います(笑)。
 同ブログは、忙しい頃に書いた記事は文体がめちゃくちゃですし、いろいろ書き足さなくてはならない情報もあります。加筆修正しないといけないのですが、ネットに接続するにはネット環境にあるパソコンを立ち上げないといけないので、なかなか修正しにくいんですよね。気がついたときに修正加筆できなくて、後で後でと思っていると、結局修正しない。そういうダメな状況を改善するために、冊子化してみたわけです。ネットは便利ですが、やはり紙媒体のほうが手に取りやすいなぁと私は思います。
 それから、ダイブ文章を書いたけどどれくらいの分量になったのだろう、と思って興味本位で冊子化しました。139頁(1頁につき33字×32行)もありました(!)。知らぬ間に、ちょっとした文庫本の分量になっていました。自分でやってきたことですが、自分で驚いています。

 最近、忙しいです。学会発表、ボンヤリしていたら間に合わなくなりそうです。がんばらねば。
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「明治10年代後半の大日本教育会における教師像」の準備運動

2008年11月04日 21時19分52秒 | Weblog
 腰については、だいぶよくなったような気がします。微妙な違和感は続いておりますが…。
 この連休は、慶事と法事を固められてしまい、松山に帰っておりました。11月は、仕事が固まっている上に、土日に開かれる教育情報回路研究会・中国四国教育学会大会など、用事が満載。学会では発表するので、その準備もしなくてはいけない。忙しいなぁ。また腰を痛めないように、油断しないようにしなくちゃいけません。
 中国史国教育学会の発表題目は、「明治10年代後半の大日本教育会における教師像」です。題目には「教師像」とありますが、主に検討するのは小学校教員です。あえて「教師」としたのは、学校制度に縛られている「教員」という概念だけでは、理想的小学校教員のイメージ(像)は捉えられないと考えたからです。大日本教育会の論者は厳密に訓練された学者ではありませんので、必ずしも意識的に「教員」と「教師」(はたまた「教育者」「教育家」)とを区別しているとは限りません。また、そもそもイメージというのは漠然としたものであり、そういう漠然としたもののなかにも理想像は存在します。そのため、「教員」を含みつつ、「教育者」「教育家」などとも深く関わる大きなイメージを捉えるために、あえて「教師」という概念を使いました。
 さて、明治10年代は、以下のような教員に関わる出来事が次々と起こりました。
  教育令の公布・実施(明治12年~)
  師範教育における教職教養・教科専門・実地経験の重視(明治12年~)
  集会条例の公布・実施による教員の政論禁止(明治13年~)
  小学校教員心得の公布・配布(明治14年~)
  学校教員品行検定規則の公布・実施(明治14年~)
  教員免許の法的整備・実施(明治14年~)
  現職小学校教員講習の奨励(明治16年~) …など
以上のように、明治10年代には、教員資質の内容および形成・維持・向上に関わる施策が次々と繰り出されています。これらの施策は、明治19年制定の師範学校令や小学校教員免許規則などへ収斂していきます。明治10年代とは、教員資質が大きな問題となっていた時代でした。
 明治10年代といっても、前半(明治10年~14年・15年)と後半(明治15年・16年~19年)では、教員たちの活動の方向性が違います。明治10年代前半において、当初、自由民権運動に深く関わっていた教員たちは、次第に教科教授・学校管理の改良運動へと目を向けていきます。あくまでも政治運動にこだわったり、国家的規準に充たない教員は教職を(自主的/強制的に)離れました。教職に残った教員は、師範学校などにおける再教育を受けたり、教育会や講習会を組織したりして教育普及・改良に尽力していきました。明治10年代後半には、恒常的団体としての教育会がほぼ全国で結成されます。教育会の結成により、機関誌や集会を通して、教員たちが教育普及・改良へと恒常的に集中する「場」ができました。そのような「場」において、教員とはどうあるべきか、という問題がどのように展開されていたのでしょうか。
 とまあ、こんな感じの発表になればいいな、と目下準備中です。とりあえず『大日本教育会雑誌』の教員関係記事の整理は終わりました。教員史(観念・養成・研修・生活などの変遷)の勉強を並行して行いつつ、史料を読んでいかなければ。
 …間に合うんかいな。
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