教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

迷いは覚めた?

2006年04月28日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は授業に参加しないといけないので、早起きです。
 10時30分から非常勤で来られているY大のI先生の「日本東洋教育史1」に出席。今日は、寺子屋などでの手習いで使われていた手本を、史料のコピーに基づいて観察するという内容でした。
 13時10分からは、特研。IW先輩は仕事で参加できず、I先生がつきあってくださいました。今日の特研は、PD申請用の研究計画書。I先生はこれを初めてご覧になったのですが、私の私が見当違いの方向へ向いて研究を進めているのを見抜き、とても丁寧な指導をしてくださいました。長年(年、というほどではないけど…(笑))の迷いが覚めた気分です。迷いというのは、私が大日本教育会や帝国教育会を対象として研究を行っているのに、両会の研究の意義に不安を感じて、ついには両会以外のところで研究の意義や出発点を求めようとしていたことでした。I先生に諭され、私はまずは両会の研究上から出発し、そこに意義を求めないといけない、ということに気づかされました。
 目が覚めたので(笑)、特研後は新しい論文を執筆し始めました。30日までにできあがれば、あるところへ投稿する予定。集中して執筆をしていたため、きづいたら翌日の3時になっていましたよ。
 また、次第に生活リズムが崩れていく~
 はやく寝なくっちゃ!
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立ち直り

2006年04月27日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は、洗濯物がたまっていたので洗濯をし、途中ユニクロによって、ちょっとしたものを買ってから登校。登校後は、4月分の学振特別研究員の研究奨励金が入っていないことに驚きつつ(毎年4月分は5月にまとめて入金されるらしい)、送るべきところへメールや郵便物を送りました。登校後2時間くらいして、ようやく身動きがとれるようになりました。まあ、登校直後は論文落選などのショックから立ち直れなかったので、時間稼ぎにはちょうどよかったかも。
 この記事を書いている今は、とりあえず立ち直れたかな。まあ、落ち込んでいても仕方ないしね~
 今日はPD申請の研究計画書の書き直しに専念。何度も書き直して、ようやく一通りのものができました。明日の特研でいろんな意見を聴いてみようと思います。
 
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やまぐち

2006年04月26日 21時55分36秒 | Weblog
 今日は山口。新幹線の駅である新山口駅から、JR山口駅まではけっこう時間かかりました。
 山口駅に降り立って、正直な感想。
 「えっ?ここって県庁所在地じゃないの?」
 高層ビルも見あたらず、非常に静かなところでした~。ハンバーグが自慢だというレストラン「スズキ」という店で、ハンバーグを食べました。この店うまい。
 途中、「今道尋常高等小学校之跡」という碑が建っていたので激写。山口駅のすぐ傍にある山口県林業会館の角にあります。裏には「昭和四十五年三月建立/昭和二年三月尋常科卒業/吉田虎禅外有志建之」と書いてあります。
 今日の目的地は、山口県立図書館。ただし、近くに山口県教育会館(山口県教育会や校長会などが入っている)があったので、看板だけ見てきました。県立図書館での調査は、思った以上の収穫アリ。これで5月の学会発表はできそうです(オイオイ)。
 予定より早く調査終了。外へ出ると、雨が降り始めていました。帰り際なんとなく思ったことですが、山口はさびれているんじゃなくて、どちらかというと落ち着いている、と言った方がいいのかもしれません。
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おおいた

2006年04月25日 23時55分55秒 | Weblog
 昨日は大分です。早朝に佐賀を立ち、湯布院方面の山中を通りすぎて大分市内へ(所用時間は2時間ほど)。荷物をホテルに置いた後、少し早めに昼食を取るため、友人に勧められた焼きそば専門店「想夫恋」へ。店まで行くのに一苦労。ただ、今まで食べた焼きそばの中で一番うまいかも(^o^)。
 昼食後、大分県立図書館を求めて歩く。バスもあったがわからなくなったので歩く。住宅地を30分ほど歩いて(笑)、ようやく見つける。建物・設備は新しくておしゃれ。先哲資料館が特徴的。
 市街は、ちょっとせまっ苦しくて、いまいち人気がないな~と感じた。
 写真は泊まったホテルの部屋から見た風景。翌日激写。
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さが

2006年04月24日 23時55分55秒 | Weblog
 昨日は佐賀で一泊でした。
 午前中は朝一で九州大学附属図書館。10時半には博多駅に移動。ちょっと早いけど、友人に勧められた「一蘭」という店で博多ラーメンの昼食。敷居など店のシステムには面くらいましたが、うまかった!
 それから予定より早いけど佐賀へ行こうと思い、電車に乗ると、博多駅のロッカーに荷物を忘れてきたのに気付く。鳥栖駅でひっくりかえして博多駅へ。荷物をつかんでまた佐賀へ。
 佐賀は高いビルもなく好き。都市美化が進んで非常にきれい。建物の中に自転車が入ってくるのに驚く。県図書館で調査。成果あり!
 写真は泊まったホテルの部屋から激写。正面奥に見えるのは佐賀駅のホームと線路。翌日朝激写。
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九州入り

2006年04月23日 23時56分42秒 | Weblog
今日は九州に資料調査へ行くため、6時起き。40分ほど歩いて西条駅へ。JRで広島まで、それから新幹線で博多行き。10時ごろ到着。それからFK大の先輩に少しお会いして、昼過ぎに九州大学へ。
実は福岡に足を踏み入れるのは今日が初めて。だから九大も初めて。学校!っという感じの雰囲気のあるキャンパス・建物でした。
夕食はQ大のS先生・N先生ら、その院生・関係者の方々といただきました。いろんな話を聞かせていただき、させていただき、非常に楽しい時間でした。ありがとうございましたm(__)m。
広島に来られた時は歓迎しますので!
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日本教育の通史

2006年04月20日 18時33分30秒 | 教育研究メモ
 今日は午前6時前に目が覚めました。いつもより睡眠時間は少ないのですが… まあ、早く起きられるに越したことはないので、洗濯物を干して、登校。9時すぎまで読書。それから保健管理センターへ行って健康診断へ。その後、東広島市体育館へ行って運動。11時ごろ研究室へ戻ってきて、再び読書をしました。昼食後から15時まで、明日のレジュメの修正。その後、再三読書に戻りました。
 今日ひたすら読んでいたのは、昨日の晩から読んでいた、石川松太郎編『教育の歴史-日本における教育の歩みを中心に』(放送大学教育振興会、1991年)です。古代・中世・近世の5章ほどは、ざっと読んだだけですが、とりあえず読了(自己満足だ…)。これは、91年度の放送大学教材で、古代から戦後昭和30年代までの日本教育の通史(一部西洋教育史)です。I先生が勧められていたので(学部生にですが(汗))、手にとってみました。現代日本が直面している教育問題と、現代日本における教育に関する「あたりまえのこと」を、読者が歴史的に問い直すようになることを目的として、文字教育に焦点をあてて通史を書いています。そのほか、歴史的変化の根拠として、経済的変動と、それに伴う民衆の新たな技能習得の必要性を根拠としている点が印象的でした。別の言い方をすると、民衆の欲求を根拠として日本教育史を描いている、と言えましょうか。非常に平易でバランスのとれた論述で、古代・中世・近世・近代日本の教育史が断続的でなく連続的に記述された通史だと思います。読んでいる間、何度「へー」「ほー」「そうだったのか」と納得したことやら(笑)。おすすめ! (最近の日本教育史関係の放送大学教材は、辻本雅史編『教育の社会文化史』です)
 いまさら通史読んでんのかよ、とあきれられるかもしれませんが、今の私にとっては必要な作業です。通史を読むことは、歴史を見る目を拡げてくれます。自分が専門とする領域だけ見ていては、決して拡がらない目を。そして、逆に身に付けた専門領域の知識は、通史を見る目を批判的にさせ、とりかかるべき研究テーマを見せてくれます。ですので、専門的研究と通史的研究は、並行的にやるのが良い!、と私は思います。だって、学部時代に通史を読んでも、歴史研究につながるようなテーマは何も見えなかったですから。
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資料調査・PD申請書・教員史像

2006年04月18日 23時32分21秒 | 教育研究メモ
 今日は遅くも早くもない寝起きです。11時頃に登校しました。
 まず研究室の電球が切れてしまったので、それを交換してもらいに事務室へ。その帰りに、在学証明書と学割を発行しました。在学証明書は、日本教育学会が学生会員制度を設置したそうなので、そのために必要なのです。学割は、実は23日から北九州各県と山口へ、資料調査へ行くので必要なのです。九州各府県の県立・市立図書館と国立大学附属図書館のOPACで事前に調べ、福岡・佐賀・大分・山口の順で調査へ行くことにしました。古い戦前の資料は未整理の機関も多いので(ましてやWeb-OPACに反映させているところは稀少だと思う)、しっかり調べればもしかしたら書庫の奥から出てくるかもしれませんが… まあそこまでは、やはりその地域に住んでいないとできませんので今回は特に考えてません。ちなみに調査対象は、もちろんご当地の教育会雑誌。意外というか想定内というか、やっぱりしっかり収集・所蔵している県とそうでない県とにわかれていました。文書館や教職員組合なんかが持っている場合もあるみたいなので、時間があったら調べてみたいけど… とりあえず時間も限られているし、今回行く予定の県は、図書館を中心に、一日かけて調査するにふさわしい県・場所を厳選しました。
 昼からは、学振PD申請のための研究計画を書く作業。「研究の背景」、「研究目的・内容」、「研究の特色・独創的な点」を書きました。「研究目的・内容」の部分がやたら書くところが多くて、2,000字近く書いたにもかかわらず、半分近くまだ余白が残っている状態。数年前にPDに採用された先輩の申請書類を参考までに見くらべると、今の申請書の「研究目的・内容」は1.5倍ぐらいあるんじゃないか? まだ研究もしていないのに、年度末の研究報告書よりも書く量が多いっていうのはどうかと思うぞ~ そんなこんなで、完成したとはあんまり思えないのですが、とりあえず書いていないのは残り「年次計画」のみ。
 夕方からは、後輩と『日本近代教育史事典』(平凡社、1971年)の読書会。今日は「教員及び教員団体」。戦後の概説に、「戦後の教員・教員団体の動きはこのように政府・文部省・自民党等と日教組等との対立抗争の歴史ということができる」(同書、211頁)とあったのが、一番気になりました。ここには、政府対教員という図式が見えます。私は、この図式は戦後の教員史だけに適用されている図式ではないのではないかと思います。この事典の概説はかなりバランスを考えて記述されているような気がしますが、私が教員史を勉強してきた中で感じたのは、一般的にこの図式は教員史研究のとらえ方として有力なものだったのではないかという印象でした。戦前の教員たちの中に、反政府的な運動を行った人たちや超国家主義的な人たちもいたでしょうが、そのような教員たちはやはり一部であって、大半の教員たちは、どちらともいえない境界線上の存在だったのではないかと思います。政府対教員という図式を戦前の教員史の図式として採用するのは、一つの歴史像を形成するとは思いますが、私はそれをよしとは思えません。最近の研究の流れもそちらの方向へ移行しつつあると思います。やっぱり私は、同時代の事実・思想に基づいて、同時代に立って歴史像を形成したい。そうでなければ、現代人の「偏見」によって過去をゆがめてしまい、それが故に、過去の蓄積の結果である現代の見方もゆがんでしまうのではないかと思います。
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自由論の読書、勉強会参加を行って

2006年04月13日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 今日は午前中から。今日は、勉強会もあるし、明日の私立特別研究会の準備(21日の発表レジュメを発表)もしないといけないので、時間がありません。したがって、運動はナシ。早めに登校したわりには、たいしたことはできませんでしたが… とりあえず、午前中21日用のレジュメに取りかかり、論文構成を完成させました。
  
 13時から、西洋教育史研究室古典勉強会(名称は発表レジュメによる)でした。テキストはJ・S・ミル『自由論』(岩波文庫版)です。私は無理を言って加えてもらったので、隅で静かに黙っておこうと思っていたのですが、生来のでしゃばりがたたって(苦笑)おもしろみがない上に、議論の流れからもズレてしまった発言・質問をいくつかしてしまいました。しかも私の場合、自分が軽蔑されても議論や話題のきっかけになればいいという考え方に基づき、軽率かつ理解の浅い、誤解を含んだ発言でも口にしますので、参加者の皆さんに内心どう思われたのか心配です(^_^;)。これが私なんですと自己満足のため開き直りはするものの、当然反省もしてます。とくに今日に至っては、やっぱりまだ自分は文字そのものしか読めていないなあ、と反省しきりです。すでに身に付けている知識・経験が足りず、また、身に付けている知識・経験も他の知識・経験と関連づけができていない。そのため、文脈を読む力が圧倒的に足りないのでしょう。
 上記のことを痛感したのは、勉強会の中での議論・問いかけによって次のようなことに気づいたからです。ミルの『自由論』は、次の一文から始まります。

「この論文の主題は、哲学的必然という謝った名前を冠せられている学説に実に不幸にも対立させられているところの、いわゆる意志の自由ではなくて、市民的、または社会的自由である。換言すれば、社会が個人に対して正当に行使し得る権力の本質と諸限界とである。」(本文9頁)

ミルの『自由論』は、その主題を「(哲学的問題としての)意志の自由ではなくて、市民的、または社会的自由」とし、「社会が個人に対して正当に行使し得る権力の本質と諸限界」に限定して論理が展開されています(本文9頁参照)。つまりミルの自由論は、個人が必然的に有すべき自由を語るというより、個人に対する社会の権力とその限界を語ることによって市民的・社会的自由について論じるもの、と読めます。ただ、この理解は文字面を理解したにすぎません。「市民的、または社会的自由」とは何でしょうか。ミルによって意図的に論述対象から排除された、「(哲学的必然としての)意志の自由」とは何なのでしょうか。また、市民的・社会的自由と対置させて、論理から排除できる「自由」なのでしょうか。そもそも、ミルが使った「市民」「社会」「個人」とは、何を意味するのでしょうか。これらの言葉(概念)は、ミル自身が意味を込めて使ったか、もしくはミルの同時代に生きた人々が一般的に理解していた意味で使われているはずです。言葉の意味は、使われていた背景によって変化します。現代の日本人が理解しているような意味で、使われているとは限らないのです。
 ミルの『自由論』は、これらの点に注意しながら読んでいかなくてはなりません。最初の一文を読んで、「ああ、わかったわかった」と早合点して読んでいくと、ミルが当時『自由論』を書くことで何を言おうとしていたかを理解することはできず、読者の自分勝手なご都合主義の理解にとどまります。私は、この『自由論』を読むにあたって、ミルの言わんとした「自由」とは何だろうか、というところには注意していました。ですが、「社会」や「個人」などの意味は、文中に例示されている場合には注意しましたが、最初の一文を理解する上では、私自身が勝手に理解している意味で解釈していました。本日の勉強会中のH先生の指摘・教えのおかげで、このことに明確に気づくことができました。本当にありがとうございました。m(_ _)m
 ある本(とくに古典)を自分勝手に読むことも自由ですし、私はある程度意味のある行為だと思います(本ブログ2006.4.10記事参照)。しかし、それではその本を本当に読んでいるとはいえない、ということに気づいた上で、読まないといけないのです。自分でも、本ブログ2006.4.11の記事に少しそれらしいことを書いているように、わかってはいたつもりでしたが… それを自覚せずに、軽率な考えを今日の勉強会で口に出してしまったということは、やっぱり本当にはわかっていなかったのだなあと思います。反省反省の一日でした。
  
 なお、現在翌日午前1時半。今まで21日の発表レジュメを作っていました。ようやく博士論文の構想の部分が完成。なかなか満足な出来です。あとは、各論のみ。実は、主任指導教員Y先生に要求されているものは二種類、すなわち博士論文の構想と博士論文の一部としての各論一つ。後者の分は、先月投稿した分でいいと思っていますが、何しろ2万4千字もある論文なので、要旨にしないといけないなあ、と思っております。何にしろ、明日の特別研究会に出すのはまあいいや(論文構想も8頁(註を入れると12頁)あるし)。
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教員養成系と教育学系

2006年04月12日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 今日は、昨夜遅くまで起きていたので、昨日より遅くの起床。でも、午前中に一時間の運動もすましました。…しかし、毎日300kcalを越える運動をしているのに、体重増加が加速しているってどういうこと? 体そのものは動きやすくなり、ぜい肉も増えているわけではないようなので、筋肉が体重増加分だけ増えているのか?
  
 昼過ぎ登校し、昼食後読書。今日も昨日の続きで、ミル『自由論』。20時ごろ読了! とりあえず明日の最低限の準備はできたっと。その後、21日のゼミのためのレジュメ執筆。「現代に生きる私がこの研究をする理由」にあたる問題意識を書くため、文部科学省の審議会等の最近の答申・報告を三つほどざっと目を通す。目を通したのは、第一に中央教育審議会の「今後の教員養成・免許制度の在り方について(中間報告)」(2005.12.8)、第二に中央教育審議会の「我が国の高等教育の将来像(答申)」(2005.2.1)、第三に国立の教員養成系大学学部の在り方に関する懇談会の「今後の国立の教員養成系大学学部の在り方について(報告) 」(2001.11.22)。事前にちょっと目をつけていた答申・報告です。文科省の資料はネット上で簡単に読めるのでとても便利!
 最終的に、第三の資料を使うことにしました。ちなみに、教員養成系大学学部というのは、旧制の師範学校(高等師範を除く)の流れをくむもので、小学校・中学校教員の養成を主な目的とする大学・学部だそうです。各教育大学がその代表。これとわけて、旧帝国大学・文理科大学・高等師範学校の流れをくむ、専ら教育の基礎的研究を目的とする教育学系教育学部があるそうです。東京大学とか広島大学などがそうです。くわしくはこちらを参照。教育学部にもいろいろあるんですね~。とまあ、役割が違う学校学部ですが、そのうち教員養成系大学学部の今後のあり方を考えようというのが、この報告書というわけです。大学学部のあり方ですから、教員のあり方にも触れています。そして、研究のあり方にも…ね。学校に関する実践的な教育研究を、と言っていますが、これはよく考えるといろいろ問題ありそうですよ。
 日付が代わったぐらいになって、問題意識から目的へ流れていく文章がとりあえず出来上がりました。これなら文句ねえだろう! と胸はって帰る(笑)。
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ミル自由論の命題

2006年04月11日 23時07分13秒 | 教育研究メモ
 今日は午前中起きることができました。一時間の運動後、登校。21日の論文構想を少し直した後、読書。テキストは、今日もJ・S・ミル(塩尻公明・木村健康訳)『自由論』(岩波文庫、1971年・原著1859年)です。夕方、一時三味線の練習へ。先日ハジキすぎで皮がずれた左薬指が痛い(練習が不足しすぎてヤワになっているから(苦笑))。同級生と晩飯後、再び戻ってミルを読書。
 今日はまとめる気になれないので、引用のみ(^^;)。手抜きですみません。m(_ _)m
 私が興味深いと思って、今日読んだ中で気づいたところだけ抜き出しました。時代的な文脈やミルの意図するところは十分説明できていないと思うので、わかったふりにはご注意を。文脈等は実際読んでくださいな(定価700円ですし)。

**********

 「論争の行われない場合には、意見の根拠が忘却されるだけではなく、また実にしばしば意見そのものの意味が忘却される、というのが事実である。意見を伝えるための言葉は、全く思想を表示しなくなるか、或いは、最初その言葉が伝えようとしていた思想の一小部分を表示するに過ぎなくなる。(中略)或いはまた、意味の一部が辛うじて記憶されるとしても、単にその外殻と外皮とが記憶されるに止まり、純美なる精髄は忘却されてしまう。」(81頁)
 「戦場に一人の敵も存在しなくなるや否や、教える者も学ぶ者も共にその持ち場で眠りはじめる」(87~88頁)

 「人間は謝りのないものではないということ、人間の真理は大部分は半真理であるに過ぎないということ、相反対する意見を十二分に最も自由に比較した結果として出て来たものでない限り、意見の一致は望ましいものではなく、また、人間が現在よりもはるかに、真理のすべての側面を認識しうるようになるまでは、意見の相違は害悪ではなくてむしろ為めになることであるということ、-およそこれらの諸命題は、人間の意見に対して適用しうるのと同様に人間の行為の様式に対しても適用しうる原則である。」(114~115頁)

 「或る人の欲望と感情とが、他の人のそれよりも一層強力であり多方面であるということは、彼が人間性の素材をより多くもっていること、したがって恐らくはより多くの悪をなしうるであろうが、また、より多くの善をなしうることも確実である、ということ」(121頁)
 「欲望と衝動とにおける個性の発展を助長してはならないと考える人があるならば、彼は、社会は強力な性情を少しも必要とはしていないということを、-社会は豊富な性格の持ち主を数多く包含することによって少しもそれだけよくはならないのであるということを、-また、勢力の一般的平均水準の高いことは望ましくないのであるということを、主張しなくてはならないはずである。」(122頁)

 「人間が高貴で美しい観照の対象となるのは、彼自身のうちにある個性的なものをすべて磨りへらして画一的なものにしてしまうことによってではなくて、他人の権利と利益とによって課された限界の範囲内で、個性的なものを開発し喚起することによるのである。(中略)各人の個性の成長するに比例して、彼は彼自身にとって一層価値あるものとなり、したがってまた他人にとっても一層価値あるものとなりうるのである。」(127頁)
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一高の伝統を見たり

2006年04月10日 21時19分57秒 | 教育研究メモ
 今日はよくも悪くもない寝起きでした。11時前に登校。読書の後、17時すぎに邦楽部へいって三味線の練習。まだ学年始めだというのに、熱心な女学生2年生が2人、すでにこれからやる曲の選定と練習を始めていました。18時ごろ見学したいという1年生がやってきたので、彼女らが対応。その対応は、なんとも初々しい。自分も新入生の対応をした最初頃は、こんな感じだったなあと思い出しました。何度もやるうちに、次第に要領を得てくるんですよねー。かつて簡単なマニュアルを作ったような覚えもあるけど、まあサークルの資料はなぜか見あたらなくなるもんだ(苦笑)。沈黙がちだったので、簡単な質問をしたりしてちょっと手助け。見学希望者が帰った後、彼女らは今回の反省から、次なにをすればいいか感じたようです。この子らはいろんな意味でのびるね! 頼もしく思いながら、20代後半のオヤジは研究室へ退散しました。
  
 今日の読書。13日に勉強会があるため、J・S・ミル『自由論』(岩波文庫版)を二章の途中まで読みました。単純な感想になりますが、訳本のくせにものすごい読みやすいです。あとがき等を読むと、岩波文庫版の『自由論』は、昭和13(1938)年に河合栄治郎氏に翻訳を依頼して以来、河合氏に代わって底本となった塩尻公明氏の翻訳(昭和23年ごろ岩波に出版依頼の話がいったらしい)を、昭和45(1970)年に吉野源三郎氏が整理し、木村健康氏が訂正・補注等を完了するまで、計画から完成まで33年の月日をかけたそうです。きわめて丁寧な翻訳・訂正作業が、この読みやすい訳文を生んだわけですね。ちなみに、河合は旧制第一高等学校の教員、塩尻・吉野は河合の講義を聴講した旧制第一高等学校卒業生、木村は塩尻の門下とか。しかもそのつながりを自覚しながら、翻訳・出版作業を進めている。近代日本の教養の牙城、一高の伝統、ここにあったか。
 それから、19世紀半ばの著作だってのに、つっこみたくなる言葉より共感する言葉が多くて驚きです。ミルによれば、自由とは、他人の幸福を侵害しない限りにおいて、自分自身の幸福を自分で追求すること。この間、斎藤純一『思考のフロンティア 自由』を読みましたが、その自由の定義「自由とは、人びとが、自己/他者/社会の資源を用いて、達成・享受するに値すると自ら判断する事柄を達成享受することができる、ということを意味する(ただし、他者の動揺の自由と両立するかぎりでその自由は擁護される)」とも、くらべて遜色ない感じです(もちろん意味するところは微妙に違うと思いますが)。ミルの思想上の到達点が感じられます。
 さて、何百年も前のしかも外国人の著作を読む意味はどこにあるでしょうか。現代の人間の思考能力は、数千年前とたいして変わったわけではありません。日本人の思考能力は、ヨーロッパ人とたいして違わないはずです(たとえ違ったとしても、それはサルと人間ほどには違わないでしょう)。だから、現代の一般日本人が、19世紀のイギリス人哲学者・ミルを読んでも、知的な刺激をうけることはできるのです。また、近代ヨーロッパのあらゆる知的活動が、古代ギリシャ・ローマの知的活動を出発点としていることはよく知られています。ミルの知的活動を起点として、私たちは私たちなりの見方考え方で、自分だけで考えるよりも、そしてミル自身の考えよりも、さらに知的活動を発展させることができます。
 
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教育問題把握における自由論の応用

2006年04月07日 18時09分43秒 | 教育研究メモ
 昨晩なぜかまったく眠れず、午前2時ごろ寝るのを諦めました。2時半ごろ登校。するとまだI助手が仕事をしており、驚きました。ホントに頭が下がります。
 今日はまず、昨日の続き、斎藤純一『思考のフロンティア 自由』(岩波書店、2005年)を読みました。8時ごろになると、いつものようにすさまじい眠気が襲ってきて、字も読めなくなる。たまらずダウン。1時間半おきぐらいに目が覚めるけれど、体が動かないのでそのまま12時半ごろまで椅子に座って寝ていました。顔を洗ってなんとか体が動くようになり、昼食を取った後、21日の主任指導教員の前で発表する博論の研究計画書を書きました。先日書いていた問題意識と目的の部分を訂正、さらに先行研究の検討による課題設定と研究方法(順序)を完成させました。
 よし、なんとかなりそうだぞ
 ついでに、斎藤純一『思考のフロンティア 自由』(岩波書店、2005年)を読みっぱなしにするのはもったいないので、以下に第2章「消極的自由への批判」をベースに、ちょっと応用気味に文章にしてみました。第五・第六の理由は疲れたので中途半端に…(笑)
  
 自由であるという状態が実現するための重要な条件の一つに、「他人・外部から干渉されない状態」という消極的な自由に関する考え方がある。ここにAさんがいるとしよう。そして、Aさんがこれから行動するにあたって、誰にも邪魔されず、たくさんの行動を選択することができる状況があるとする。この状況は、Aさんは自由である、といえるか。
 答えは、これだけでは自由だと証明できない。
 第一の理由は、選択肢が多いという量の問題は、選択肢の質を問題としないからである。Aさんが選択可能な行動は、Aさんが欲する行動かどうかわからない。そもそも、その選択肢が意味するところを、Aさんが認識できるかどうか、わからないのである。Aさんが欲しない行動しか選択できないならば、それは自由とはいえない。現代の教育問題に応用するため、例えば、学校選択制について考えてみよう。B市では約20の小学校があり、AさんはB市の中のどの学校にでも通えるという場合どう考えられるか。小さな学区内で選択の余地がない従来に比べれば、Aさんは自由であるといえるだろう。しかし、準備された約20の小学校に通うことは、Aさんが欲することだろうか。そもそも、その約20の小学校がどんな教育を行っているのか、Aさんは認識できるのだろうか。
 第二の理由は、用意された選択肢を選んだとしても、実際にその自由を達成・享受できるかどうかわからないからである。Aさんは、その自由を達成・享受できるだけの資源(社会的地位や金銭、精神的・身体的能力など)を有しているか。また、その自由を達成・享受していると認識できるかどうか。現代日本では、教育機会の均等が保障され、誰でも小学校から中学校、中学校から高校、高校から大学、大学から大学院へと進学できる。しかし、Aさんが高校進学できる経済力を有するか、大学へ進学して伝達される知識や技術を理解したり意味あるものとして享受できる能力や価値観を有するか、大学院進学を両親が意味あるものとして認めるかどうか、ということは教育機会の均等そのものは問題としない。進学できなければそこには自由はないし、進学してもその自由を享受できなければそれは苦痛でしかない。選択肢がある、というだけでは自由は保障されないのである。
 第三の理由は、他人・外部からの干渉を受けないことを自由の条件とするだけでは、自分自身が内面化している自由への制約を問題としていないからである。現実には自分を不自由にしているのは、実は自分の価値観や社会的状況であったということがある。そもそも、自分が不自由であると気づかないことの方が多い。家に帰ることすらままならない極めて多忙であり、職能の向上は実践の中にあると信じる中学校教員Cさんは、研究会参加や大学院入学の機会があったとしても、おそらく人生の選択肢として認識すらしないだろう。
 第四の理由は、干渉という「意図的な」行為を受けないことを自由の条件とするのみでは、誰も意図しなかった自由への制約を問題としていないからである。不自由は、意図的な干渉だけが生み出すのではなく、不特定多数による意図的でない、やろうとしてやったことではない行為も生み出すことがある。義務教育費国庫補助の廃止や減額を推進が、Aさんが就学できなくなったり、身に付けられるはずだった知識や能力が身に付けられなかったりするならば、たとえそれを意図してなかったとしても、極めて強くAさんの自由を制約することになるだろう。
 第五の理由は、干渉されない場合にも支配は存在するからである。他者に干渉されないまでも、他者に依存して自由を得るのなら、それは本当の自由とはいわないと考えられる。主に共和主義の考え方。
 第六の理由は、他者からの干渉を排除することのみにこだわると、他者との間ではじめて享受されうる政治的な自由をも排除することになるからである。つまり、他者の干渉を一切排除することを目指すと、自らの自由を相互に保障し合うことによって得られる自由(政治的自由)は、享受できない。
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お手伝い、それからミル

2006年04月05日 19時03分43秒 | Weblog
 今日は7時半起き。むちゃくちゃ眠かったので、何もなければ二度寝していたでしょうが、起きました。なぜ今日は早いかというと、教育学教室の新入生ガイダンスに関する助手の手伝いが9時からあるからです。自分のガイダンスの時にまで遅刻しかけた(同級生いわく遅刻した)遅刻常習犯の私ですが、今日は起し合おうと申し合わせていた同級生よりも早く起きられました。とまあ、毎朝の私の起床状態を聞かされるのも、苦痛でしょうからここまでにしましょう(笑)。
 とはいえ、今日は9時から夕方16時まで、ほぼ助手の手伝いだったので、とくにガシガシ書くことはないのですが。助手の手伝いというのは、主にガイダンス会場と写真撮影会場の設営でした。なぜか腕がつり気味で、やたら足に疲れも残る状態(笑)。昨日寝たのが午前1時過ぎだったので、少し寝不足気味だったのかも。6時間も寝たら十分だとも思われるかと思いますが、ご存知私睡眠時無呼吸の症がございますので、そこのところご推察くだされ。
 合間合間で読書。来る13日に西洋教育史研究室の方でH先生主催で院生のみで勉強会をするというので、先日無理を言って参加させてもらうことになり、そのテキストを読みかじっていました。勉強会のねらいは詳しくは聞いていないのですが、耳に挟んだ感じでは、H先生が専門とされている教育社会史の基本的勉強のため、教育社会史が批判する思想史の勉強をしましょう、ということらしいのですが。おっ、そりゃ面白そうだ、ということで飛びついたわけです。しかもH先生主催というので、こういう機会は逃しちゃいけん、と思ったのもあります。ちなみにテキストというのは、J・M・ミル(塩尻公明・木村健康訳)『自由論』、岩波文庫、1971年(原本は1859年)。じっくり読む時間は今日はなかったので、斜め読みかつ解説を読みました。J・M・ミル(1806~1873年)という人は、ベンサムの功利主義を発展させたイギリスの哲学者・経済学者・論理学者で、19世紀の世界における自由主義思想に大きな影響を与えた人だそうです。ざっと読んだ限り、この本は、相手の自由を侵害しないという前提下における、自らの考え・行為を妨げられないという自由を論理的に説明しようとした試みのようです。この本は教育のことについて書いた本ではありませんが、ミルは、そのような自由を実現させるために、個々人がふさわしい教養を身に付けることを主張し、教育を高く評価しているようです。註にあった、「ミルが、人類の将来に対する、夢想家をも羨ませたといわれるほどの楽天主義を把持することができたのは、主として教育に対する教育に対する信頼によった」という文言(前掲書、268頁)が、非常に印象に残っています。さて、どんな勉強会になるんでしょうか。
 
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厚い雲と木蓮の花

2006年04月04日 23時27分22秒 | Weblog
 私の起床時間は波があるのか、今日は昼前まで寝てました。午前9時ごろ起きあがることはできたはずですが、眠くて眠くて。また睡眠軽く失敗したようです(笑)。
 今日は、ドイツ教育学の研究をしている後輩としゃべったり、まったく連絡を受けた覚えのない〆切の過ぎた書類の件で、事務から淡々と「提出しろ」と言われたり、その書類を書いたり、明日しなくてはならない助手の手伝いの打ち合わせを受けたり、日本学術振興会特別研究員(PD)の申請のために某先生に相談を持ちかけたり(自分の主任指導教員が専門外の先生なので全部自分でしないといけない)、晩飯を食べて先輩のグチを聞いたりしました。
 あっΣ(゜д゜;)
 もう午後9時だ…
 そんなばかな(笑)。
 晩飯を食べた後、I先輩に博士論文のことについて相談。実は夕方頃、新主任指導教員を尋ねた際、「来る21日に、なぜ現代に生きる自分がこの研究を行うのかという問題意識を中心に、博士論文の構想を発表すること!」と指示されたのであります。I先輩からは、自分だったらこうするという視点から、研究を始めたころの原点に戻って考えてみたらどうか、とアドバイスをいただきました。その後、ダーっと原点に戻って思いつくことを書き連ねていくと、だんだん考えがまとまってきたので、一気に問題意識から研究目的まで書いてしまう。1100字程度のちょっと短い文章だけど、問題意識とその問題意識から生じた研究目的が、だいぶ説得的に書けたような気がします。まあ、とりあえず今日一日すべき仕事はできたかな。

 ちなみに写真は、今日雨が降りそうな厚い雲の下で、薄暗い大学キャンパス内に咲いていた木蓮(ハクモクレン)の花を撮ったものです。とくに意味はありませんが、真っ白で大きな花が咲いていたので、撮りたいなあと思いながら今日にいたった被写体です。すでに枯れ始めています(泣)。
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