教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

学校の働き方改革における教育研究時間の労働時間化の目標化

2023年08月28日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 教師は子どもたちの「教育を受ける権利」(憲法第26条の1)を保障するために働く。「教育を受ける権利」を保障するには、子どもたち一人一人の「学習権」を保障することと、子どもが「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障することが前提となる(例えば安心・安全でない環境で学習に集中することなどできない)。子どもの学習や生活は子どもの個性や置かれた状況に応じて行われる。子どもの個性や状況に応じた学習機会や生活環境を提供することが教師の仕事である。
 子どもたちの状況は日々変化し、成長と共に個性は変化し、必要な生活環境も変化する。教師たちは、子どもたちの変化や個性に応じた学習機会を提供するために、教材や授業の研究に取り組まなければならない。教師の労働時間はこの教材研究や授業づくりなどの時間を含む。教材研究や授業づくりの時間が教師の労働時間に含まれないという論理は、まったく教師の仕事に適さない論理である。教材研究や授業づくり、児童生徒理解、生徒指導、学級・学校運営などのための教育研究は、教師個人の趣味ではなく、教師の正規の労働として認めなければならない。

 学校の働き方改革は、教師たちの労働条件を見直して、子どもたちの人権(教育を受ける権利・学習権)を十分に保障できる体制を整えることである。現状は、教育研究を正規の労働時間に含められるような状況になり得ていない。現在の学校では、教育研究よりも優先されている業務で労働時間はいっぱいとなり、多くの場合は正規の労働時間に収まりきらず、勤務外労働に至っているからである。
 「教育研究の時間などどこにもない、そのほかの業務ですでに私的な時間を削っているので捻出できない(または命を削って捻出するしかない)」という現状は、誰が不利益をこうむっているのだろうか。教師たちが教育研究に時間を割けないことで不利益をこうむっているのは、第一に子どもたちであり、第二にその保護者たち、第三に我々国民である。教師が教育研究時間を確保できないという問題は、実は、子どもたちそして国民の「教育を受ける権利・学習権」を十分に保障できない、保護者の義務(保護する子に普通教育を受けさせる義務)を十分に果たせないという結果を生んでいる。(なお、命の危機にさらされている教師が不利益をこうむっているのは当たり前なので、算入していない。)
 教師が子どもを見ていない、いつまでも同じような授業をしている、形ばかりの授業で成績が上がらない、などの声がよく保護者や国民から挙がることがあるが、教師個人の責任や努力不足は、努力できる条件を整えてはじめて本格的に問うことができる。教育研究時間やそのための条件を確保しないで児童生徒の理解や指導・授業改善を求めても、教師たちは問題解決に取り組む余裕がないので結局状況は変わりようがない。逆に、真面目な教師を追い込み、仕事の効率を落とさせることになりがちである。
 学校の働き方改革の目標は、仕事の優先度はどうなっているか具体的に整理して業務削減・効率化を進め、教育研究を労働時間内に収めるところまで見通すべきである。当面の目標は、業務削減・効率化の実を挙げることであるが、そこで終わりではなく、教育研究時間の労働時間化まで進めなければ、本当の働き方改革にはならない。

 なお、教育研究(特に教材研究や授業づくり)が教師の重要な労働の一つであるという認識は、学校や教員養成の現場や教育行政では常識である。最大の問題は、教師の労働内容を枠づける権限をもつ国や国会、地方議会であり、主権者である国民の理解の次元にある。教育内容を増やせば教師の労働内容は増えるし、教員数を定めれば教師の労働の総時間数は定まる。教育内容を定めるナショナル・カリキュラム(学習指導要領)は国が定め、教員定数や加配数は議会が決めており、国や議会の政策方針は主権者や利害関係者の世論を見て決められている。政治家や国民は、教育研究なくして子どもたちの人権(教育を受ける権利・学習権)を十分に保障することはできないということをどれだけ理解しているか。教師が授業以外に何をしているか知らない人々が大半の現状では、残念ながらまったく理解されていないとみてよい。教育研究の重要性と働き方改革の長期的な目標について、国民や政治家の理解を図る仕組みが必要である。
 一般の会社員が、次の会議に出す資料を準備する時間は労働時間に入らないと言われたらどう思うか。普通の人は、たまらない、やっていけないと思うだろう。資料準備の時間は、パワーポイントを作る時間だけを労働時間とする、と言われたらどう思うだろうか。それだけで資料を作れるわけがない、調べものをしたり計画を練ったり打合せしたりする時間が必要だ、と思うだろう。そういう時間を労働時間に入れてくれる企業と、入れてくれない企業とでは、人はどちらで働きたいと思うだろうか。また、よい企画を立てるには新しい視点を得たり新しい技能を身に付けられる研修が必要だが、研修機会をしっかり確保してくれる(労働時間に入れてくれる)企業と、そうでない企業とでは、人はどちらで働きたいと思うだろうか。これらの問題と教師の教育研究の問題との間には似ているところがある。異なる所を挙げることは可能だが、一般的な業務との共通点を探って国民の理解を求めていくことも大事だろう。

参考文献
・高橋哲『聖職と労働のあいだ―「教員の働き方改革」への法理論』岩波書店、2022年。
・白石崇人『教師・保育者論』教育の理論②、Kindle、2022年。
・白石崇人『教育の制度と経営』教育の理論③、Kindle、2022年。
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