教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

なぜ幼稚園は誕生したのか?(7)―おわりに

2015年02月11日 19時37分42秒 | 幼児教育・保育

 さて、以下は、「なぜ幼稚園は誕生したのか?」の最後です。出典を示されるときには、以下のように示してもらえると幸いです。
 ↓
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月4~11日。
または
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?(7)」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月11日。


白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―」 より

おわりに

 以上、18世紀後半の啓蒙思想とフレーベルの幼稚園構想とを検討することによって、なぜ幼稚園が誕生したかを明らかにしてきた。
 フレーベルは、啓蒙思想の時代に生まれた。啓蒙思想は、すべての人間は生きながらにして、自らの判断・行動によってものごとの本質を認識し、道徳的存在になることができると考えた。そして、すべての人間には、主体的・道徳的に判断・行動する能力や資質が備わっており、その能力・資質を調和的・合理的に発達させる義務があると考え、教育を重視した。また、子どもの要求に基づく自己活動を尊重し、その現れとして遊びの教育的意義を見出した。フレーベルもまた、基本的には、この啓蒙思想的な思考様式に基づいて遊び論を形成したと考えられる。合自然的教育や自己活動による教育、すなわち「発達状況に応じた教育」や「主体性を伸ばす教育」、「遊びによる教育」、「環境による教育」などの幼児教育原理の思想的基盤は、フレーベルが啓蒙思想から引き継いだのである。
 なお、啓蒙思想は、自己活動や遊びを技術的に追究し、形式的・機械的な教育技術の蔓延を招いた。フレーベルはその問題性に気付いたが、恩物研究において顕著に見られるように、彼もまた形式的教育技術を生み出してしまった。この思想的限界は、幼稚園における恩物主義保育として長く幼児教育の呪縛となった。画一的な遊び方を教え、子どもの自由や主体性を軽視してしまう技術主義保育という意味では、現在でもその限界に陥ってしまう隘路は残っているのかもしれない。
 1840年以降に徐々に実現した幼稚園構想は、フレーベルの教育思想・実践の集大成といってもよい。なぜ幼稚園は誕生したか。幼稚園は、学齢前のすべての子どもの全面的発達を保障し、実習によって次世代の保育者を養成し、子どもの本質に基づく遊びを普及させ、子どもを中心にして国民の連帯意識を形成するために誕生した。幼稚園は、ただの規律訓練や記憶練習の場ではなく、子どもが自己決定と自分の活動衝動によって自分自身を知り、自ら資質・能力を調和的に発展させ、遊び相手とのつながりを認識・尊重し、道徳的性格を育てるために誕生した。また、ただ子どもを保育し、保護者の子育てを支援するだけでなく、遊びの指導者としての保育者を養成するために誕生した。保育者が保護・刺激・指導すべき遊びとは、ただの気晴らしや娯楽としての遊びではなく、人間や世界の本質を意識的に認識・表現する自己活動としての遊びであった。この遊びの考え方は、放任していては共有・普及できないため、幼稚園の間で意識的に相互共有する仕掛け(団体・出版物)が必要であると考えられた。
 幼稚園は、子どもと子ども、子どもと保育者、子どもと親とのつながりを形成するだけでなく、一定の連帯感を有する国民を形成することを目指して誕生した。ただし、後のドイツにおいて幼稚園は、上層階級向け(家庭連合幼稚園)・中層向け(市民幼稚園)・下層向け(民衆幼稚園)に分裂して、国民的統一とは反する方向に発展した。アメリカで受容されたのは、このうちの上・中層向けの幼稚園であった(これが日本にも渡来した)。フレーベルは、「すべての」と言いながら当時の階級意識から自由ではなかった。その後の歴史的展開において、その限界性が露呈した事実は隠せない。また、「ドイツ人」や「国民」として認められる存在のみを対象とした点にも、フレーベルの幼稚園構想の限界が見出せる。
 なお、幼稚園がフレーベルの教育思想を実現・普及するために誕生したと考えれば、子どもの環境の認識・構成や自己表現を重視し、それを支援・指導するために幼稚園は誕生したと言える。しかし、このまとめは幼稚園構想の重要な特徴を覆い隠す。フレーベルの教育思想にはキリスト教の影響が濃厚であり、「神に与えられた人間の使命」を目的に位置づけた。そのために、キリスト教以外の宗教的立場に立つ人々にとって、理解し難いところはどうしても出てくる。そのため、本論文では一般化するために「神性」をフレーベルの言葉を借りて「人間の本質」に読み替えたが、それによって幼稚園構想の本質を読み違える危険は免れえない。幼稚園は、時間的に普遍的な制度ではなく、あくまで特定の時代や社会における歴史的産物であり、特有の意義と限界とを有することを忘れてはいけない。時代に応じた幼児教育の未来は、幼稚園の意義と限界とをしっかりと受け止め、克服することによってはじめて見出せるのである。

※ 本稿は、2014年の広島文教女子大学初等教育学科における講義(幼児教育課程論)のために、2012~13年の鳥取短期大学幼児教育学科における講義(教育原理Ⅱ)を再構成したものである。

【主要参考・引用文献】
ルソー(今野一雄訳)『エミール』上中下巻、岩波書店、1962年。
フレーベル(荒井武訳)『人間の教育』上下巻、岩波書店、1964年。
カント(伊勢田耀子訳)『教育学講義』世界教育学選集60、明治図書、1971年。
フレーベル(岩崎次郎訳)『人間の教育・幼児教育論』世界教育学名著選8、明治図書、1973年。
カント(篠田英雄訳)『啓蒙とは何か』岩波書店、1974年。
ペスタロッチー(前原寿・石橋哲成訳)『ゲルトルート教育法・シュタンツ便り』玉川大学出版部、1987年。
ペスタロッチー(東岸克好・米山弘訳)『隠者の夕暮・白鳥の歌・基礎陶冶の理念』玉川大学出版部、1989年。
長尾十三二・福田弘『ペスタロッチ』人と思想105、清水書院、1991年。
村井実『教育思想(下)―近代からの歩み』東洋館出版社、1993年。
ペスタロッチー(長田新訳)『隠者の夕暮・シュタンツだより』岩波書店、1993年改版。
小笠原道雄『フレーベルとその時代』玉川大学出版部、1994年。
小笠原道雄『フレーベル』人と思想164、清水書院、2000年。
教育思想史学会編『教育思想事典』勁草書房、2000年。
宮澤康人編『三訂版・近代の教育思想』放送大学教育振興会、2003年。
今井康雄編『教育思想史』有斐閣アルマ、有斐閣、2009年。
森川直『近代教育学の成立』東信堂、2010年。

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なぜ幼稚園は誕生したのか?(6)―一般ドイツキンダーガルテンの設立

2015年02月10日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 さて、気を取り直して、以下、「なぜ幼稚園は誕生したのか?」の続きです。やっと幼稚園(キンダーガルテン)が誕生します。

 出典を示されるときには、以下のように示してもらえると幸いです。
 ↓
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月4~11日。
または
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?(5)」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月10日。


白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―」 より

(3)一般ドイツキンダーガルテンの設立

 フレーベルは、1840年6月28日、ドイツ・ブランケンブルクで「一般ドイツキンダーガルテン」(Der Allgemeine Deutsche Kindergarten)の設立を呼びかけた。これが、幼稚園設立を初めて実行に移した瞬間である。「キンダーガルテン」という名称は、1840年の春に友人とハイキング中に、シュタイガーの丘から峡谷を眺めていて思いついたという。フレーベルは、壁に仕切られた家ではなく、自然から幼稚園を発想したのである。そして、5月1日、子ども(Kinder)は誠実な庭師によって育まれる庭(Garten)の花々のように成長すべきだと考え、幼稚園構想をまとめた。
 なお、6月28日の時点で、幼稚園が実際に設立されたわけではない。フレーベルは、ドイツの女性に向かって、ドイツの幼児たちの活動衝動を保育する施設として幼稚園を設立・維持するために、協同組合を作ろうと呼びかけたにすぎない。そこで集めた資金によって、株式の幼稚園を設立しようと考えていた。しかし、思うように資金は集まらなかったばかりか、この事業に対して国・自治体の許可が下りなかった。幼稚園の設立は容易ではなかった。ようやくフランクフルト、ゲラ、ルードシュタットに幼稚園が設立された。1843年、フレーベルは、幼稚園に関する弁明書を協力者と一緒に発表し、幼稚園設立運動に対するドイツ人の理解を求めた。これ以後、フレーベルとその協力者の努力によって、次第に幼稚園が設立されるようになった。なお、1851年、プロイセンで宗教的な対立や誤解が重なって幼稚園禁止令が出され、フレーベルは失意のうちに1852年に死去した。禁止令は1860年にようやく解除された。幼稚園は、フレーベルの協力者たちによってドイツ中に普及し、さらに世界へ普及していった。幼稚園の誕生は、決して安楽なものではなかった。幼稚園は、1840年に誕生したというよりも、誕生し始めた、といえる。
 最後に、フレーベルは幼稚園をどのように構想して普及に努めたか整理しよう。フレーベルの幼稚園構想は、1843年の弁明書に明確に示されている。これによると、幼稚園は、次の4つの理想を実現するためのものだった。
 第1に、幼稚園は、学齢までのすべての子どもの全面的発達を保障するための施設であった。ドイツでは、1820・30年代から、幼児学校(イギリス由来の施設)や託児所が設立されていた。これらの施設は、放任された貧民児童を規律訓練して道徳化を図る治安政策によって奨励された。また、歌や様々な作業によって、宗教的感情の喚起や、記憶、話し方、数え方、礼儀作法などを練習することを子どもに求めた。これに対して、幼稚園は、貧民の子どもたちを監督するよりも、むしろ、すべての子どもに対してその本質と要求にふさわしい活動(遊び)を与え、身体的・感覚的・精神的に発達する機会を提供する施設として構想された。現実に奨励された幼児教育施設とは異なるものとして、幼稚園は構想された。
 第2に、幼稚園は、保育者を養成するための実習施設として構想された。フレーベルは、1834年から断続的に教員養成に関わり、幼稚園構想前年の1839年に「児童指導者を養成するための施設」を開設して、保育者養成を開始していた。幼稚園は、男女青年に子どもの正しい指導や取り扱い方を教え、家庭における母親の子育てや託児所・保育園における児童を指導する者を育てるための施設として、明確に位置づけられている。この場合の、正しい指導・取扱い方とは、当然、フレーベルの幼児教育思想に基づく方法を指す。
 第3に、幼稚園は、子どもの本質に基づく遊びを普及させる施設としても構想された。これは、先述の遊び論やそれに基づく恩物の普及を念頭に置いた構想である。幼稚園によって普及させたい遊びとは、当時のドイツですでに設立されていた幼児学校・託児所における遊びとは異なる。幼児学校では規律訓練が重視され、遊びは「忍びうる副次的事項」に位置づけられていた。託児所では、遊びの重要性に対する意識はあったが、あくまで気晴らし程度の位置づけに止まっていた。フレーベルは、幼稚園をいわば幼児教育思想・方法の普及拠点として位置づけ、余暇や気晴らしとは異なる遊び、すなわち教育や人生そのものとしての遊びを普及させたいと考えたのである。なお、フレーベルは、この構想を実現するために、雑誌を公刊して幼稚園相互を結びつける必要性を訴えた。
 第4に、幼稚園は、すべての階級・地域のドイツ人(とくに中産階級の女性)を結びつけ、ドイツの国民的統一を果たす施設として構想された。従来の幼児教育施設は、私的な慈善事業として政策上に位置づけられていた。1840年の幼稚園構想発表後に協同組合の株式行為が許可されなかったのは、幼稚園もこの慈善事業の一つとして見なされたためであった。しかし、フレーベルは、幼稚園設立運動を、ドイツ人の共同事業・国民的事業として推進することを望んだ。そして、「したがって、来たれよ、そしてわれわれの子どもたちに生きようではないか」と呼びかけた。フレーベルは、子どものために、子どもの立場で、子どもから学びながら、大人たちが生きることを求めている。そして、そのことを通して、国民として一致団結し、国民として生きよう、というのである。フレーベルが生きた19世紀前半のドイツでは、ナポレオンに敗北後、ナショナリズムの高揚によって国民的統一が求められていた。フレーベルも、この時代のなかでドイツ人としての意識を喚起され、祖国と自由を守るために戦ったことのある人物であった。「われわれの子どもたちに生きよう」というフレーベルの名言は、子どもたちを中心にして国民的連帯意識を実現しようとした言葉であった。
 以上のように、フレーベルの幼稚園構想は、1840年に発表され、徐々に実現した。フレーベルにとって、幼稚園は、学齢前のすべての子どもの全面的発達保障や、男女保育者養成、子どもの本質としての遊びの普及、子どもを中心にした国民的連帯を実現するための施設であった。この後、ドイツは1871年に統一国家の成立を果たす。世界各国でも、国民国家の形成が進んだ。国民的連帯の形成はそのなかで極めて重要な課題になった。そのなかで幼稚園は、国民育成のための子どもの全面的発達を保障する教育施設として、全世界に拡がったのである。

【参考文献】 略 ※(0)参照

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なぜ幼稚園は誕生したのか?(5)―遊びを保護・指導する方法(フレーベル)

2015年02月09日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 さて、「なぜ幼稚園は誕生したのか?」の続きです。やっとフレーベルの教育思想です。あと2回(キンダーガルテンの設立、結論)で終わります。

 出典を示されるときには、以下のように示してもらえると幸いです。
 ↓
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月4~11日。
または
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?(5)」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月9日。


白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―」 より

(2)遊びを保護・指導する方法

 フレーベルは、どのような教育思想を形成したか。幼稚園の創設に実際に取り組むまでに、彼が教育をどのように考えていたか、彼の主著『人間の教育』(1826)や1830年代までの論説によって整理してみたい。
 フレーベルにとっての教育目的は、人間の使命を果たすことであった。この人間の使命とは、人間の「神性」(神的なもの、人間の本質や内的な法則)を意識し、実現することである。フレーベルにとって、神性を意識することとは、神の流出した真理(環境)を認識することであり、神性を実現することとは、神の創造的行為を摸倣(表現)することであった。そして、この神性は誰にでも現れつつあるため、母の胎内にいるときから教育(保育)を行うべきだ。人間の教育は、人間を刺激・指導することによって、自由な自己決定によって自らの本質を意識的に認識・表現させ、この人間の使命を果たすことでなければならないと考えた。なお、フレーベルは、人間の最高目的、かつその自己決定の最高の行為として、知恵を求めることを最も重視している。つまり、大人に限らず、乳幼児でも、知恵を求めるはずだと考えていた。
 フレーベルは、この目的を実現するために、幼児教育について最も深く考えた(それ以降の時期の教育についても考えたが、十分考えられずに人生を終えた)。とくに、彼の遊び論は、極めて深い。フレーベルは、幼児期における遊びについて、最高の発達段階、最も純粋な精神的所産、または神性の原型として高く評価した。また、遊びは、本質的に表現の自由によって成立する神性を表現する行為であり、善の源泉であり、喜び・自由・満足・安心および世界との和合を生み出すとも述べている。その教育効果については、次のように述べた。子どもは、遊びによって自分自身を知り、自分の資質・能力を発展させる。また、遊び相手との生活や愛を感じ、認識し、承認する。このことは、子ども同士や遊び相手の大人の生活を互いに尊重することにつながる。そうして、遊びは、子どもの性格を、優しく、感情深く思考するように導き、礼儀正しく、思慮深くする。さらに、遊びは保育者(親を含む)にも大きな意味を持つ。すなわち、遊びは子どもと保育者とを結びつけるほか、保育者に自分自身を知る機会にもなる。かつて啓蒙思想における遊び論は、その教育的意義を指摘したが、遊びを有効な教育手段・技術として考えていた。しかし、フレーベルは、遊びの技術的追究に終わらず、遊びを教育そのものとして、または人間性の原型やお互いを尊重し合う人間関係の源泉として考えた。
 では、遊びの過程をどのように考えたか。フレーベルは、遊びは活動衝動による表現として進められると考えた。子どもは衝動に従って喜ぶ。単純な活動衝動は、次第に深い認識を渇望して、一定の目的を持った形成・造形衝動に移行する。例えば、子どもは、大人がやっていることを自分でもやってみたいと考えて、自分で試みる。そして次第に、自分の力を試してみようとして、物を持ち上げたり、引っ張ったり、運んだり、掘ったり、割ったりする。障害や困難を回避しようとはしない。むしろ進んで困難を求め、克服していく。また、知識欲も旺盛になり、どうして、なぜ、いつ、どこから、どこへなどと矢継ぎ早に質問するようになる。その質問に対する答えは、子どもの満足のゆくものであれば、子どもに新しい世界を開く。このように、子どもは遊びを通して次第に世界(環境)の真理や自分の本質を認識していく。その後の学校教育は、この子どもの認識をさらに進め、環境の内的関連・多様性に気づかせる役割を果たすようにしなければならない。
 フレーベルは、活動・形成・造形衝動による表現としての遊びによって、自分や世界の本質を認識すると考えた。ここで、子どもの遊びを真理の認識や表現に導くにはどうすればよいかという問題が現れる。この問題に対するフレーベルの答えが、「恩物」(die Gabe)であった。彼は、1837年、神の法則・真理を象徴するような玩具を作り始めた。そして、死去するまでに、球・円柱・立方体で構成された6種類の恩物を完成させた[i]。このうち第3~6恩物は、後に積木として現在も子どもの重要な玩具として使用されている(毛糸の球体である第1恩物も、ボールとして使用されていると考えることもできる)。フレーベルはこれらの物によって、一つだけの世界の真理(塊)を直観し(第1恩物)、その世界の分離する様を直観し(第2~6恩物)、再び世界を直観するようになることをねらっていた(第1恩物)。そのねらいを実現させるために、フレーベルは、子どもがこの恩物で「遊ぶ」方法(作業)を追究していった[ii]
 このように、フレーベルは、遊びを教育そのものや人生そのものとして重視し、それを保護・支援・指導する方法を追究していった。フレーベルは、このような教育思想をもって幼稚園を構想していったのである。

 

図5 第3恩物(積木)モデル図
出典:現物を参考に白石が作成。



[i])現在、恩物は6種類以上整備されている。しかし、フレーベルが明確な思想に基づいて完成させた恩物は、第6恩物までであった。第7恩物以降は、フレーベルの弟子や後継者によって多様に整備され、今日に至っている。
[ii]
)特に、第3恩物は体系的に構想されている。

【参考文献】 略 ※(0)参照

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なぜ幼稚園は誕生したのか?(4)―ペスタロッチ―の継承とその批判

2015年02月08日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 さて、昨日までの続きです。出典を示されるときには、以下のように示してもらえると幸いです。
 ↓
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月4~11日。
または
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?(4)」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月8日。


白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―」 より

2.フレーベルの教育思想と幼稚園構想

(1)ペスタロッチーの継承とその批判

 フレーベルは、ドイツ・チューリンゲンに生まれ、イエナ大学で自然科学を学修し、測量技師や農園の秘書を務めた後、1805年に初めて教職を経験した。フレーベルにとって、この教師体験はとても満足するものだったようで、「子どもが好きで、教えたくてしかたがない」「自分は教師の仕事のために生まれたかのようだ」と兄に手紙を送っている。彼が初めて教壇に立ったフランクフルトの模範学校は、ペスタロッチーの教育原理に基づいた授業を行っていた。フレーベルは、ペスタロッチーの原理にあこがれ、1805年と1808年にスイス・イヴェルドンにあったペスタロッチーの学園を訪問し、その教育を観察し、実際に教壇にも立った。しかし、そこで見た教育の実際は原理の実現にはほど遠いものであり、フレーベルは動揺した。彼は、基本的に自分をペスタロッチーの弟子と考えていたが、これ以後、ペスタロッチーの教育思想を引き継ぎながらも批判的に検討するようになる。
 フレーベルは、ペスタロッチーの何を引き継ぎ、何を批判的に検討して独自の思想を形成したか。その重要なところを整理すると、大きく3つに分けられる。
 第1は、「合自然・直観・自己活動による教育」というペスタロッチーの教育方法原理を継承したことである。ペスタロッチーは、1801年に『ゲルトルート教育法(ゲルトルートはいかにその子を教育したか)』を出版し、「メトーデ」(1809年以降は「基礎陶冶の理念」に改称・改良)という教育方法原理を確立させた。メトーデとは、子どもの自然な歩みに合った方法で教えようとする合自然的な教授法である。ペスタロッチーは、子どもの自然な歩みについて、事物から得られる印象を受け容れた曖昧な直観から、明確・明瞭・明晰で包括的な概念(真理)へ進むと考えた。また、直観から概念への発展は、自己衝動に支えられた自己活動によって促されると考えた。フレーベルは、子どもを合自然に直観から自己活動によって教育するという、このメトーデの思想を継承・発展させることになる。
 第2は、「教育は誕生時から始まる」という原理を継承したことである。ペスタロッチーは、道徳的生活(愛・信仰)の基礎を合自然的に発展させるものとして、「居間」の生活を重視した。誕生以来、乳幼児期の「居間」における父母の愛は、道徳的・宗教的心情を目覚めさせる出発点として重視された[i]。彼の名言である「生活が陶冶する」とは、特に乳幼児期に始まる生活過程を指している。フレーベルは、乳幼児期の生活における教育を重視する原理を継承し、追究し続けた。
 第3は、教育を教材・要素から展開するメトーデの方法を批判し、あくまで教育目的から展開する方法を追究したことである。ペスタロッチーは、直観によって事物を認識する根本的要素として数・形・語の3つを挙げ、これらを通して事物を再構成する道筋をメトーデと呼んだ。これにより、教育は、知識(言葉)を伝達することではなく、知識を組み立てる能力を形成することとして捉えることができるようになった。しかし、このメトーデを追究するあまりに、教育課程を数・形・語のみに還元してしまい、実際には機械的・断片的な教授を生み出す結果となった。そして、メトーデは、ペスタロッチーが目指した人間を道徳状態(自分の良心によって感じ、考え、行動する状態)に発展させるという目的や、子どもの生活現実から遊離してしまったのである。フレーベルは、イヴェルドンの学園でこの形式的教授の実態を目の当たりにし、困惑した。そして、教育目的から展開する教育方法を批判的に追究するようになった。

 
図4 ペスタロッチーと子どもたち(Pestalozzi,J.H.)(1746~1827)
出典:小西重直『新日本建設とペスタロッチー』西荻書店、1948年。



[i])なお、「居間」とは、彼にとっての理想的な家庭生活を指し、現実の家庭生活とは異なる。ペスタロッチーの生きた18世紀ヨーロッパは、大きな社会変動によって家庭生活の秩序が崩壊を始めるとともに、政治的・経済的不平等が顕著になった。ペスタロッチーは、家庭が崩壊し、愛や良心の欠落した貧困層の子どもたちを見て、彼らを人間として生きさせる方法はないか、貧民も善を欲しているはずだと考えた。民衆の悲惨な状況を作り出している負の源泉をせき止め、人間(とくに貧民)を救済するという使命感に動かされ、「居間」の思想を形成している。

【参考文献】 略 ※(0)参照

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なぜ幼稚園は誕生したのか?(3)―啓蒙期における教育技術の追究

2015年02月07日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

出典を示されるときには、以下のように示してもらえると幸いです。
 ↓
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月4~11日。
または
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?(3)」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月7日。


白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―」 より

(3)教育技術の追究

 啓蒙思想の教育論は、主体的に判断・行動する理性的人間を形成して、人間の道徳化を目指した。そして、汎愛派と呼ばれる思想家集団やJ・H・ペスタロッチー(1746~1827)によって、その教育方法の追究が行われている。そこでは、理性は、すべての人が手に入れられる能力であり、すべての人が備えている感覚器官が生み出す感覚から順序を追って発達・形成されると考えられた。興味・感心は、理性のあらわれと見なされ、身体的苦痛や恐怖に代わる学習動機として重視された。感覚を正しい順序で段階的に鍛えることによって、理性はあらわれると考えられた。この「正しい順序」は、以後ずっと追究され続けることになる。
 汎愛派(汎愛主義者)とは、1774年にJ・B・バゼドウ(1724~90)がドイツ・デッサウに設立した汎愛学舎という学校に関係した教育関係者たちを指す。この学校は、人間愛(汎愛)・啓蒙思想に基づく教育をめざした。汎愛派の人々は、ルソーの『エミール』を受容・検討しながら、さらに経験的教育と教授方法の点検を行い、学校の有用性や教育・教授様式の原則を追究した。集団における学習の過程とは、自立的な自己陶冶とは、と問い続け、直観、自己活動、労働作業、遊戯などの教育的意義を見出していった。
 汎愛派は、次のような到達点に達していた。バゼドウは、理性的家庭の結合による集団保育の実現を求めた。J・H・カンペ(1746~1818)は、幼児教育における子どもの自由な自己活動を重視し、時期尚早な早期教育や宗教教育に反対して、野外での自由遊びを推奨した。J・スツーヴェ(1752~93)は、子どもの自由な自己活動によって直感的な生きた認識を得させることができると考え、野外活動における子どもの探究・発見・詮索の重要性を説いた。グーツムーツ(1759~1839)は、子どもの遊びを高く評価し、遊びによる生活の充実や、集団遊びによる社会性の発達、遊びの観察を通じた子ども理解の深まりを指摘した。
 このように18世紀後半に完成した啓蒙思想は、のちにフレーベルが追究していった技術的な教育課題にすでに取り組んでいた。ただし、啓蒙思想における教育の考え方には、大きな問題点が2つあった。第1に、理性の発達という目的設定に関する合理的議論をできず、技術的追究を自己目的化してしまったことである。その結果、人間をモノ化してしまい、自由で主体的な人間という目的と矛盾しても気付かない研究姿勢を生み出してしまった。また、技術的追究に没頭して、「外からの教育で自ら学ぶ態度を形成できるのか」という根本的な逆説的問題を問い直すことができなくなっていた。この啓蒙主義教育思想の問題は、そのまま近代教育学の根本的問題として横たわり続けていくことになる。第2に、教育対象にした「子ども」とは誰だったかという問題である。汎愛派の言う「子ども」とは、汎愛学舎に集まった裕福な市民層の子どものことであった。そして、この「子ども」たちを、有用な実業家や活動的・思索的な市民に育成することを目指していた。すべての人々が理性を発達させることを目指したにもかかわらず、富裕層以外の子どもたちは啓蒙思想家の視野に入っていなかったのである。

【参考文献】 略 ※(0)参照

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なぜ幼稚園は誕生したのか?(2)―子ども期の問題化

2015年02月06日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 さて、先日からの続き。

出典を示されるときには、以下のように示してもらえると幸いです。
 ↓
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月4~11日。
または
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?(2)」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月6日。


白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―」 より

(2)ルソーにおける子ども期の問題化

 J・J・ルソー(1712~1778)は、フランスの思想家であり、『エミール』(1762)を著して子ども期を問題化した。ルソーは、現実社会を悪弊・堕落の累積する社会と捉えたが、人間は本質的に善良であると考えた。そして、子どもを善に向けて内なる力(無垢な本性)を発達させることはできないか思考実験を行い、その結果を『エミール』としてまとめた。
 ルソーは、「人間がはじめ子どもでなかったなら、人類はとうの昔に滅びてしまったにちがいない」と述べ、子どもの時期における教育を重視した。子どもは、様々な面で不足があるから様々な能力や支援が必要になり、その結果、子どもは生きることができるという。たとえば次の言葉は、とても力強く子ども期における教育の重要性を述べている。

  わたしたちは弱い者として生まれる。わたしたちには力が必要だ。わたしたちはなにももたずに生まれる。わたしたちには助けが必要だ。わたしたちは分別をもたずに生まれる。わたしたちには判断力が必要だ。生まれたときにわたしたちがもってなかったもので、大人になって必要となるものは、すべて教育によってあたえられる[i]

 当時のフランスの村落では、乳児は産衣にくるまれて、身動きできないように固く固定されて育てられていた。ルソーはこのような子育ての実状を問題視し、子どもは活動を求めており、それが自然なのだと主張した。たとえば、以下のように述べている。

 人は子どもの身をまもることばかり考えているが、それでは十分でない。大人になったとき、自分の身をまもることを、運命の打撃に耐え、富も貧困も意にかいせず、必要とあればアイスランドの氷のなかでも、マルタ島のやけつく岩のうえでも生活することを学ばせなければならない。[略][子どもの]死をふせぐことよりも、生きさせることが必要なのだ。生きること、それは呼吸することではない。活動することだ。わたしたちの器官、感官、能力を、わたしたちに存在感をあたえる体のあらゆる部分をもちいることだ[ii]

  ルソーは、子どもが生きることとは活動することだ、と主張した。続いて、子どもを制止すべき場面を慎重に見極めながら、次のように子どもの活動の意味を説いている。

 自然は体を強くし成長させるためにいろいろな手段をもちいるが、それに逆らうようなことはけっしてすべきではない。子どもが外へ行きたいというのに家にいるように強制したり、じっとしていたいというのに出ていかせるようなことをしてはならない。子どもの意志がわたしたちの過失によってそこなわれていなければ、子どもはなにごとも無用なことを欲することはない。子どもは思うままに跳びはね、駆けまわり、大声をあげなければならない。かれらのあらゆる運動は強くなろうとする体の構造の必要から生まれているのだ[iii]

 18世紀のヨーロッパでは、子どもの時期は、哀れみや無関心の対象であった。しかし、ルソーは、そのような子ども期のとらえ方や現実の子育てを批判し、子ども期における活動への欲求を積極的に認めて、子どもの内なる力を伸ばすことを重要視した。ここには、教育において、子どもの自己活動を尊重する姿勢が明確に現れている。ルソーによる子ども期の問題化は、教育においていかに子どもの自己活動を発揮させるかという課題を、後の教育思想家たちに突きつけた。フレーベルも、この課題に取り組んだ一人であった。


図3 J・J・ルソー(Rousseau,J.J.)(1712~1778)
出典:ルソー『懺悔の教育―エミール』目黒書店、1924年。


[i])ルソー(今野一雄訳)『エミール(上)』岩波文庫、1962年、24頁。
[ii]
)ルソー、同上、33頁。
[iii]
)ルソー、同上、116頁。

【参考文献】 略 ※(0)を参照

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なぜ幼稚園は誕生したのか?(1)―啓蒙思想の目指した教育

2015年02月05日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 さて、昨日の続きです。

出典を示されるときには、以下のように示してもらえると幸いです。
 ↓
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月4~11日。
または
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?(1)」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月5日。


白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―」 より

1.18世紀後半ヨーロッパの啓蒙主義教育思想

(1)啓蒙思想の目指した教育

 フレーベルは、1782年のオーベルヴァイスバッハ(現在のドイツ・チューリンゲン)に生まれた。彼が生まれ、青少年期を送った18世紀後半のヨーロッパでは、工業化の進展によって旧来の階級社会が崩壊し始めていた。それに代わる市民社会は未成熟であり、人間関係・存在の内的基盤は不安定になっていた。
 このような時代をよりよく生きるために、この時期、啓蒙思想が発展した。啓蒙(英enlightening/独Aufklarung/仏lumiere)とは、「灯り」をともして「暗闇」を明るく照らすこと、または光そのものを指す言葉である。この場合、「暗闇」とは無知・偏見・迷信の支配する旧習を指し、「灯り」とは人間の理性を指す。理性とは、ものごとの本質(真理)を論理的に把握する人間の判断力であり、本質を直観し、認識を体系化して関連づけ、行動を制御する知的・道徳的能力のことである。啓蒙は、この理性によって無知・偏見・迷信に基づく旧習を取り払い、世界の真理を追究しようとする態度と言える。
 当時のヨーロッパ社会では、キリスト教が政治権力と強固に結びつき、社会を統合・支配していた。啓蒙思想は、キリスト教とは異なる立場から人間や世界を考えた。当時のキリスト教と比べた時、啓蒙思想の主な特徴は次の2つある。
 第1に、宗教的価値・権威に対して批判的な姿勢をとった。啓蒙思想は、キリスト教の彼岸主義に対して、現世主義・世俗主義の立場に立った。すなわち、「人間は天に召されることで救われる」というキリスト教とは異なり、啓蒙思想は「人間はこの世で十分幸福になれる」と主張したのである。この意味で、理性は、生きながら幸福になるために必要な能力であった。
 第2に、啓蒙思想は人間の理性を絶対的に信頼した。当時のキリスト教は、世界について、人知を越えた超越的・神秘的原理に支配されたものと考えた。そして、世界を把握するには、信仰による飛躍と、社会における伝統の力とが必要だと考えていた。しかし、啓蒙思想は、このキリスト教の世界観を批判し、「世界はすべて人間の理性によって把握できる」と主張した。いわばこれは、人間の可能性を信頼した主張といえる。
 このように、啓蒙思想は、現世主義と人間の可能性に対する信頼に基づいて、理性によって無知や旧習を取り払う態度を追究した。理性的人間の形成は啓蒙思想において重要な課題であり、教育は重要な役割を期待された。啓蒙思想は18世紀後半において大きく花開いたが、I・カント(1724~1804)は、この時期に啓蒙思想の完成を導いた。ケーニヒスベルク大学の哲学教授であったカントは、1776年から教育学の講義を始めている。カントは、身体が成熟していても、他人に身を委ねて自分で考えない状態を「未成年状態」と呼んだ。そして、人間がこの「未成年状態」から抜け出すには、思考力(悟性)を用いることが必要だ。人間は、自分で考えることで、善悪をわきまえる知恵(理性を法則に合った形で使用する考え方)に至ることができ、人間の道徳的啓蒙を実現することができる、と考えた。カントにとって、知恵は他人から注入されるものでなく自分で身につけるものであり、啓蒙や道徳化は自分で行うものであった。このように考える時、教育はどのような行為として論じられるか。
 カントの『教育学講義』(1803)では、次のように述べられている。人間は、教育によってはじめて人間となることができる。人間が人間である以上は、幼少時から理性に従うことに慣れされなければならない。教育は、養育(養護・保育)、訓練(訓育)、および教授・指導(陶冶)という3つに分けられる。養育とは、子どもの持っている能力を上手に使えるように両親が配慮することである。訓練とは、「動物性を人間性に変えて行くもの」である。人間は自分で自分の身の処し方を計画しなければならないが、「素材のままで世に送り出されて来る」ため、最初は他人に世話をしてもらわなければならない。訓練は、人間が動物的衝動によって人間性の法則から逸脱しないように予防し、「法則の拘束を感じさせる端緒を作る」ものである。しかし、子どもが真に啓蒙されるには、養育・訓練だけでは不十分であり、子どもが自ら思考することを学ぶことが重要である。学んだことを実践するように、積極的に指導することが必要である。また、教育は、目的達成のために十分な能力・技術(技倆)だけでなく、「善さ」(すべての人に必然的に目的でありうる目的)だけを選択する心的傾向を獲得するように行うべきである。創造主は、人間に「善きものに向かうあらゆる資質」を与え、その資質を発達させる義務を課した。教育者の仕事は、このような人間の内なる諸資質を調和的・合目的的に発達させ、そのような発達を全人類において実現することである。これは個人ではできない。教育の改善は、人類全体の仕事である。以上のように、カントは、理性に従って自分で考え、ひたすら善い目的を選んで自分の能力を使いこなそうとする行為を直接・間接に支えることを、教育と呼んだ。
 18世紀後半ヨーロッパの啓蒙思想は、主体的・道徳的に判断・行動する理性的人間を形成することを目指し、その調和的発達を支えるために教育を重視した。その先には、人間および全人類の道徳化が目指されていた。フレーベルは、このような思想的傾向のなかで青少年時代を過ごし、イエナ大学に進学して自然科学を学んだ。


図2 I・カント(Kant, Immanuel)(1724~1804)
出典:下田次郎『西洋教育家肖像』金港堂、1906年。

【参考文献】 略 ※(0)を参照

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なぜ幼稚園は誕生したのか?(0)―はじめに

2015年02月04日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 さて、大学教育といえども教材研究・開発は怠ってはいけません。ましてや科目や学生が替わるとなおさらです。2冊のテキストを上梓しましたが、今年度、追加で開発した教材があります。ほかの教職課程教員と共有したいので、何かの機会に活字化できないかなと思いましたが、史資料は先行研究と翻訳のみですのでブログで公開することにしました。
 問題設定と編集・結論はとりあえずオリジナルです。しばらく連載したいと思います。

出典を示されるときには、以下のように示してもらえると幸いです。
 ↓
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月4~11日。
または
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?(0)」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月4日。


白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―」 より

はじめに

 本論文の目的は、1840年における幼稚園誕生の趣旨について、F・フレーベル(1782~1852)の構想と、その構想の背景にあった啓蒙思想とを通して検討することである。なお、フレーベルが構想したのはKindergartenであるが、便宜上、「幼稚園」と表記する。
 現代日本において、幼保一体化の動きのなかで幼稚園は徐々に数を減らし、その存在意義を問われている。そこで、なぜ幼稚園が誕生したかを振り返り、その存在意義を再確認して、将来のあり方を考える材料とする必要がある。
 幼稚園は、1840年のドイツでフレーベルによって創設され、その後、日本を含めた世界中に拡がった。フレーベルは、なぜ幼稚園を構想・創設したか。フレーベル以前にも幼児教育の思想はあったし、幼稚園誕生以前にも幼児教育施設はあった。フレーベルの構想した幼稚園は、前時代・同時代の幼児教育思想・施設に比べて、どんな特徴を持ったか。
 本論文では、以上の問題意識に基づき、いくつかの先行研究・翻訳史料を用いながら、誕生時における幼稚園の歴史的意義とその本質に迫りたい。まず、フレーベルの思想的基礎になった啓蒙思想の特質を整理する。とくに18世紀後半における思想的到達点に焦点づけたい。次に、フレーベルの幼稚園構想を検討する。そこでは、彼の幼児教育思想と設立時の趣旨とに注目して検討する。以上によって、幼稚園誕生の原点に立ち返り、その存在意義を再確認する材料にしたい。なお、主要参考文献・史料は巻末[ここでは以下]に示した。


図1 F・W・フレーベル(Fröbel, Friedrich Wilhelm August) (1782~1852)
出典:倉橋惣三『フレーベル』岩波書店、1939年。

……

【主要参考・引用文献】
ルソー(今野一雄訳)『エミール』上中下巻、岩波書店、1962年。
フレーベル(荒井武訳)『人間の教育』上下巻、岩波書店、1964年。
カント(伊勢田耀子訳)『教育学講義』世界教育学選集60、明治図書、1971年。
フレーベル(岩崎次郎訳)『人間の教育・幼児教育論』世界教育学名著選8、明治図書、1973年。
カント(篠田英雄訳)『啓蒙とは何か』岩波書店、1974年。
ペスタロッチー(前原寿・石橋哲成訳)『ゲルトルート教育法・シュタンツ便り』玉川大学出版部、1987年。
ペスタロッチー(東岸克好・米山弘訳)『隠者の夕暮・白鳥の歌・基礎陶冶の理念』玉川大学出版部、1989年。
長尾十三二・福田弘『ペスタロッチ』人と思想105、清水書院、1991年。
村井実『教育思想(下)―近代からの歩み』東洋館出版社、1993年。
ペスタロッチー(長田新訳)『隠者の夕暮・シュタンツだより』岩波書店、1993年改版。
小笠原道雄『フレーベルとその時代』玉川大学出版部、1994年。
小笠原道雄『フレーベル』人と思想164、清水書院、2000年。
教育思想史学会編『教育思想事典』勁草書房、2000年。
宮澤康人編『三訂版・近代の教育思想』放送大学教育振興会、2003年。
今井康雄編『教育思想史』有斐閣アルマ、有斐閣、2009年。
森川直『近代教育学の成立』東信堂、2010年。

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保育者が「専門職」であるには?―専門的知識・技術だけでは足りない

2012年09月15日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 ⑤の原稿を仕上げていて、ちょいと広く投げかけたいなと思った部分があったので投下。
 内容は、テキスト『幼児教育の理論と応用』でいうと、第11章第3節にあたる部分です。このテキストの出版にむけて少々訂正したものを以下に挙げてみます。授業では、2年後期の科目「保育者論」で教えています。
 保育者養成の教材を作るため、いろいろ調べていると、保育の世界では、「専門職」という言葉が表面的に使われているなぁと感じることがあります。また、保育現場での話を聞いていると、まれに、専門職であるために必要なことが欠けているなぁ…と思うこともあります。そこで、「専門職」概念をもう少し深く考えることができたら、保育者の資質・地位向上のためにやるべきことがもっと広く見いだせるんじゃないかなと思いました。
 卒業を控えて保育者集団に入っていく準備をしている学生たちに、「自分だけの問題」としてではなく、広く「自分たちの問題」として、保育者の専門性をとらえる視点と姿勢を持って欲しい。以下の部分は、そのような問題意識から書き上げたものです。


第3節:保育者が専門職であるには? ―「教師の専門職性」論を踏まえて

 保育者は「専門職」であるべきか。「専門職」を、専門の職業という意味合いで使えばもちろんそうだろう。保育者すなわち幼稚園教諭と保育士は、専門の公的資格を必要とし、専門的な知識と技術とによって専門的職務を遂行する必要があるからである。
 「保育者は専門職である」と言うとき、そこで問題になるのは保育者独自の専門性である。しかし、実は、「専門職」概念をただ「専門の職業」と理解するだけでは、保育者の専門性について十分に考えることはできない。「専門職」という概念は近年はあまり厳密に論じられなくなったが、教育の世界では、1960年代以降の「教師(教職)の専門職性」論の中で、長年議論されてきた蓄積ある概念である。もちろん現代の保育者独自の「専門職」論があってもよく、必ずしも「教師の専門職性」論の文脈で語られる必要はない。ただ、保育者独自の専門職性を追究する上で、近接領域で蓄積ある「教師の専門職性」論から学べることはあるのではないか。
 そこで、本節では、「教師の専門職性」論ではどのような論点があったのかを検討し、保育者の専門性とは何かを考える上で、一定の示唆を得たい。

1.教師の専門職性

(1)professionと専門的知識・技能
 教師の専門性とは何か。科学的真理にもとづく専門的知識・技能か。高度な教育内容か。しかし、このような把握では、上級学校や専門高等教育機関の教師ほど権威は増し、教壇に立たずに科学的研究や技術訓練に熱心な者ほど権威が増すことになる。そうなると、幼稚園教員<小学校教員<中学校教員<高校教員<大学教員という権威の階層が形成され、各学校段階によって異なるはずの教師の専門性の違いが不問に付されてしまう。とくに、最も幼い子どもを対象とする幼稚園教員の専門性が、正当に認識されなくなる。また、子どもとかからわらず、教育をせずに研究のための研究をくり返す教師や、現場と交流しないで研究室や大学にこもっている「理論家」「思想家」「技術者」の方が、高い教師の専門性を有しているという、実態に合わない論旨につながってしまう。そうなると、現場における教育実践を、専門性の中に位置づけられなくなる。教師の専門性を、科学的真理にもとづく専門的知識・技能や教育内容のみに帰着させることは、実態に合わない結論を導いてしまいかねない。
 教師が専門的知識・技術を有していることや、専門職を名乗っていること、社会に専門職であると見なされることとは、同じではない。専門的知識・技術を有していれば、または名乗りさえすれば、社会が専門職として認めるわけではないのである。では、専門職として認められるには、どのような条件が必要なのか。まず、専門的知識・技術の有無は、専門職の唯一の条件なのか、検討してみよう。

(2)専門職の条件 [略]

2.教職の自律性
(1)教師の職権範囲 [略]
(2)教師の専門職性と教師集団
 [略]
(3)「教師の専門職性」論から学ぶこと―保育者が専門職である/になるために
 以上、「教師の専門職性」論をおおまかに検討してきた。ここから、保育者が専門職である/になるためには、どのようなことが必要なのかを考えてみよう。
 専門的知識・技術は専門職の重要な条件ではあるが、それだけでは専門職にはなり得ない。必要条件ではあるが、十分条件ではないのである。保育者が専門職である/になるためには、専門的知識・技術の向上だけでなく、他にも努力すべきことがある。
 他にも努力すべきこととは、次のようなことである。まず、保育職の範囲と機能とを明確にすることである。保育職には他の職種と協力してやるべき職務もあり、どこからどこまでが保育者の職務かについて明確にしていく作業が不可欠である。
 また、専門的判断・措置について、利用者や上司・雇用者から信頼して任せてもらえるように、保育現場における判断・措置を適切に行うための資質を身に付けるように努めなければならない。なお、この資質は、一部の保育者だけでなく、すべての保育者が身に付けなければならない。保育の専門的知識・技術についても、広く深い一般的教養と専門的・批判的研究にもとづいて、高度化していかなくてはならない。
 さらに、現行法令の範囲内で、保育者の資格・養成・待遇・研修等について有効な自主規制・維持改善を行いうる保育者集団を形成・育成しなければならない。また、普遍的精神のもとに、営利的立場に陥らずに社会へ奉仕し、己の職務に没頭することのできる文化・倫理を形成していかなければならない。
 これらのことは、一人ひとりの保育者がそれぞれ努力していくだけでは実現できない。保育者個人の努力に加えて、集団として、協力・協働して実現させるものである。

<主要参考文献>
市川昭午『専門職としての教師』明治図書、1969年。
奥田真丈・永岡順編『教職員』現代学校教育全集第16巻、ぎょうせい、1980年。
永岡順・熱海則夫編『教職員』新学校教育全集26、ぎょうせい、1995年。
佐藤学『教師というアポリア―反省的実践へ』世織書房、1997年。

 (以上は、白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用2、社会評論社、2013年に所収しております)

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子どものモデルになることとは?―保育者(教師)自身を計画する(4)

2011年09月18日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 この数回毎日投稿できているのは、予約投稿を使って投稿しているためです。

 さて、最後の部分です。


(2)目標としての「先生」―先に生きる者
 子どもたちの生活習慣の獲得・改善方法は、教育学では、伝統的に学校管理法(school-management)・訓練(discipline)論のなかで論じられてきた。日本における学校管理法・訓練論は、1880年代頃に、19世紀イギリスで形成されてきたそれらを輸入することから本格的に始まった。19世紀イギリスでは、教師の人格を契機とする規律訓練によって子どもの統制を行い、様々なルールや道徳を身につけていくことが目指された。その際に重要な条件として挙げられたのが、教師の権威(authority)であった。権威は、子どもの教師に対する愛着・尊敬をともなって、始めて十分に機能すると考えられた。たとえば、子どもたちは、尊敬する教師を喜ばせたいために、ルールを守る。そのため、ルールを守らなくてはならないといった拘束力は、依存者(教師に依存する子ども)の意志となって、はじめて発生する。いわば、子どもたちの教師に対する愛情・尊敬・共感が、次第に義務感に転じ、責任感へとつながっていくのである。
 子どもが保育者にいつも依存するように仕向けては別の問題が生じてしまうが、幼児の発達・保育上では、ある程度の依存は必要である。保育者は、子どもにとって、自分にはできない様々なことができる「あこがれ」の存在であり、尊敬の対象になることが目指される。モデリングにしても「まね」にしても、対象への興味・関心が出発点となる。保育者が「あこがれ」や尊敬の対象となった時、保育者はその子の成長の目標となり、常に興味・関心が向けられることになる。そして、子どもは保育者の「まね」をし、様々なことを経験し、学んでいく。子どもの自主性に支障をきたさないように気をつける必要があるが、保育者は、子どものよりよい教育・保育のために、子どもの「あこがれ」や尊敬の対象となりたい。子どもの「あこがれ」や尊敬の対象になるには、普段から子どもたちに見えるところで生活し、常に関わっていくことが大前提だろう。また、保育者自身の得意なこと(歌・ピアノ・運動・製作など)を子どもたちに見せることも有効である。保育者が自分の得意分野を伸ばすことの教育的意義は、ここにある。
 もう一つ、別の観点から考えるために、保育方法の一つ「生活誘導」を取り上げる。生活誘導法とは、戦前日本において、倉橋惣三が、「生活を、生活で、生活へ」という標語の下に提唱し、実践現場へ導入した方法である。倉橋は、幼稚園の生活「を」、子どもたちがさながら(そのまま)に生きている生活に合わせていくこと「で」、目標としての生活を実現「へ」と向かわせることを目指した。すなわち、この場合の幼児教育・保育とは、子どもたちの生活(発達状況・興味関心など)に応じて、園生活(教育・養護)を計画・実行し、望ましい生活へと子どもたちを誘い導いていくことである。
 子どもたちの生活を望ましい生活へ誘導していくには、保育環境が重要になってくる。物や友だち、そして大人の生活といった物的・人的環境が、子どもたちの生活を誘導していく。重要な人的環境の一つは一緒に生活する大人である。園生活で子どもたちと一緒に生活する主要な大人は、保育者である。保育者は、一定の目的・目標を実現するための人的環境として、目的・目標にもとづく望ましい生活を体現していなくてはならない。子どもたちを望ましい生活へ導くには、保育者が、その望ましい生活を子どもより先に生活化していなければならないのである。その意味で、保育者は、子どもにとっての「先生」すなわち「先に生きる者」でなくてはならない。
 なお、保育者はただの生活者ではない。子どもが生活に参加する中で、そのつまずきや困難を乗り越え、成功や喜びを経験する機会を捉え、支援していかなくてはならない。その意味では、「先に生きて、子どもたちを導く者」でなくてはならない。

 以上、保育者の人格・行動様式(習慣)が、どのような教育的意義を持つか検討してきた。望ましい人格・習慣を全て備えた完全な人間は、この世には存在しない。当然、保育者もまた、聖人君子・完全無欠の人格・習慣を得ることはできない。しかし、少なくとも、自らの人格・行動の改善を求めていく必要と責任とを、保育者は有しているといえる。
 保育者の人格・習慣は、無意識的・無意図的に機能する潜在的カリキュラムであると同時に、意識的・意図的に機能させ得る顕在的カリキュラムにもなり得る。保育者の人格・習慣は、子どもを変え得る人的環境であり、教育方法であり、教育内容である。そのため、保育者は、子どもと自らの職務に対して、自らの人格を高め、習慣を整えていく責任を負っているのである。

<(1)~(4)までの主要参考文献>
倉橋惣三『幼稚園保育法真諦』東洋図書、1934年(『幼稚園真諦』倉橋惣三文庫①、フレーベル館、2008年)
佐藤学『カリキュラムの批評―公共性の再構築へ』世織書房、1996年。
森上史朗・吉村真理子・後藤節美編『保育内容「人間関係」』新・保育講座、ミネルヴァ書房、2001年。
橋川喜美代『保育形態論の変遷』春風社、2003年。
江川玟成・高橋勝・葉養正明・望月重信編『最新教育キーワード137』時事通信社、第12版2007年。
浜口順子編『事例で学ぶ保育内容〈領域〉表現』萌文書林、改訂版2008年(初版2007年)。
ヴォルフガング・ブレツィンカ(小笠原道雄・坂越正樹監訳)『教育目標・教育手段・教育成果―教育科学のシステム化』玉川大学出版部、2009年。

(「子どものモデルになることとは?―保育者(教師)自身を計画する」了)

(以上は、白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用2、社会評論社、2013年に所収しております)

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子どものモデルになることとは?―保育者(教師)自身を計画する(3)

2011年09月16日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 幼児教育・保育では、子どもの生涯にわたる人格・生き方の基礎となる、習慣的な行動様式・考え方などを身に付けることを目指します。生活習慣に関する指導・支援は小学校以降の教育でも大事ですが、幼児期に形成された習慣の重要性を考えると、幼児教育・保育におけるそれの重要性は小学校以降の比ではないと思われます。保育者は、幼児教育・保育の担い手だからこそ、より「子どものモデルになる」必要があるように思います。


2.子どもに対するモデル―「先生」という教育方法

(1)子どもの「まねる」力にもとづく保育
 保育者は、常に子どもに見られている。そして、まねをされる。幼稚園ごっこの先生役をしている子どもが、実は自分(観察者である保育者)のまねをしていた、というのはよくあることである。「まね」は、創造性のない行為として低く評価されがちであるが、その実、見たり体験したことを子どもなりに理解・記憶・再現するという高度な知的・情緒的行為である。他者の行動を観察しながら、その行動を学ぶことをモデリングという。モデリングは、興味関心をもつ対象へ注意を向け、観察し、同じ事をやってみようとする主体的行為であり、他者から刺激を受けて自分の行動をより豊かにする学習方法の一つである。悪意ある「まね」は論外であるが、ある意味、「まね」はモデリングの別名と言える。子どもは、保育者をまねて、様々なことを学んでいるのである。
 生活習慣とは、基本的には、大人のすることの見よう見まねによって獲得される。生活習慣の指導やしつけは、保育者が自分自身の生活の仕方を子どもに見せることから始まる。保育者は、子どもに生活の仕方(模範)を見せ、人間としてどのように生きるかを示すことについて、これを自らの役割と自覚しなければならない。
 善い生き方を被教育者へ伝える方法は、東洋世界では伝統的に、教育者の「徳」による感化を重視していた。「徳」とは、本性のままの素直な心にもとづく行いを意味する。「徳」という漢字は、「彳(テキ)」と「直(チョク)」と「心(シン)」とで成る漢字である。「直」は、「│」と「目」を足した会意文字であり、まっすぐ目を向けることを示す。「心」は、心臓を示す象形文字であり、すみずみまでしみわたる働き精神をあらわす。この「直」と「心」を足した「悳」は、本性のままの素直な心を意味する。これに「彳」を加えたのが「徳」であるが、「彳」とは、十字路をあらわす象形文字であり、進み行くことや道路をあらわす記号である。「徳」とは、頭でわかっているだけの善い生き方に関する知識ではなく、善い生き方・行為そのものを指し、さらにその行為を習慣的に行わしめる性格や能力をも指す。つまり、被教育者に善い生き方を伝えるには、教育者が善い生き方を説くのではなく、善い生き方そのものを自ら実践することが必要だというのである。
 子どもの「まねる」力や伝統的な感化論に注目すると、普段から何気なく行っている保育者自身の行動や振る舞いを子どもへ見せることは、子どもが生活習慣を身につける方法としてかなり重要な方法であることがわかる。その際に子どもに伝えられる内容とは何か。それは、保育者自身の生活そのもの、すなわち人格や行動様式にもとづく普段の生き方である。保育者の人格や行動様式が、保育内容になるのである。
 この考え方にもとづくと、身につけさせたい生活習慣の内容をただ教えるよりも、保育者自身がその習慣を実践して子どもに見せていくことの方が望ましい。無意識に見せてしまっているものも多いわけだが、見せることの教育的意義を知ったからには、できるだけ意図的に見せていくことを考えたい。例えば、子どもに「ありがとう」と言いましょう、と教えるよりも、保育者自身が子どもに用を頼んで「ありがとう」と感謝する場面を意図的に作ってみたい。
 (以下、続く)

<主要参考文献>
(略、「子どものモデルになることとは?―保育者(教師)自身を計画する(1)」を参照のこと)

(以上は、白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用2、社会評論社、2013年に所収しております)

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子どものモデルになることとは?―保育者(教師)自身を計画する(2)

2011年09月15日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 人とチームで仕事をするのって、難しいですね。でも、一人ではできないことができるのはすごいことですね。

 さて、以下、昨日の続きです。


(2)潜在的カリキュラムとしての保育者
 保育者の人格・行動様式は、子どもに大きな影響力を有するというのは、伝統的にも実際的にも確かである。実は、保育者(教師)の人格・行動様式が子どもの認知的変容とどのように関係しているのかは、きちんと実証されているわけではない。潜在的カリキュラムの効果は非常に複雑であり、教師の人格・行動様式の影響を特定することは難しいからである。ただ、両者の関係についてわかっていることもある。わかっているのは、子どもたちに現れる教育成果は、教師の行動様式の豊かさに依存しているということである。
 よい教育をするためには、教師が、様々な子どもや環境の状況に応じて、適切に判断・行動することができなくてはならない。保育者は教育の担い手でもあるから、保育者についてもこのように言えるだろう。教師・保育者のこの人格要素がこのように影響する、この行動特性がこのように子どもを変える、などのようには明確にわかってはいない。しかし、少なくとも保育者は、子どもにとっての適切な判断・行動について様々に理解し、それらを自ら実行できる力量が求められることは間違いない。
 保育者の持つ潜在的カリキュラムには、次のようなものが挙げられる。すなわち、①子どもへの接し方、②発言・発問様式、③指導の熱意、④クラス経営の姿勢、⑤服装・髪型・所持品、⑥生き様・生活態度、⑦体験談、⑧口調・行動様式・しぐさ・癖、である。これらが潜在的カリキュラムとして機能し、様々な教育的・非教育的(教育的でない)・反教育的(教育的に反する)影響を与えている。
 子どもへの接し方には、子どものかかわりを促すものと妨げるものの2種類がある。かかわりを促すような(子どもがかかわりたくなるような)接し方の条件には、技術的な面も無視できないが、根本的には、安心感を与えるような受容的態度、共同意識や場の共有による親しみ、子どもの興味を引き出すような魅力などがある。これらは、保育者本人が自覚しているよりも、「優しそうな先生」「おもしろそうな先生」などのように、子どもにそう見えることが重要である。自分では受容的だと思っていても、子どもにそう見えなければ意味がない。かかわりを妨げるような(子どもがかかわりにくいような)接し方の条件には、子どもに不安・恐怖・警戒・無関心を与えるような態度などがある。これらの接し方によって、子どもたちに様々な教育的・非教育的・反教育的影響を与えていることを意識しなくてはならない。
 保育者の発言・発問様式については、子どもの知的発達上、重要な意味を有している。たとえば、「それでいいの?」「どういうこと?」などの発問様式については、子どもが自ら問題解決をしている際に機能する思考様式に影響していく。保育者が物事に関心薄く、あまり問わない場合、子どもたちに物事を問う態度・思考様式は育ちにくくなる。
 指導の熱意やクラス経営の姿勢については、子どもたちの活動意欲や子ども-保育者関係のあり方などに影響するものと思われる。例えば、保育者が子どもの指導やクラス経営に消極的であれば、指導機会が減少するだけでなく、「先生は自分を見ていない」と子どもが感じ、子ども-保育者関係が十分に形成されない可能性がある。保育者が子どもの指導やクラス経営に熱心であれば、子どもが保育者の意図や期待に共感・反応して、活動意欲を高めることもある。ただし、保育者が的確な子ども理解を欠いて、熱心に行う指導や支援が子どもの発達状況に応じていない場合は、子どもの活動は適切に引き出すことはできない。熱心でさえあれば、子どもの活動意欲を高めるわけではないのである。
 服装・髪型・所持品、生活態度、口調・行動様式・しぐさ・癖、およびそれらを口述した体験談などについても、子どもの発達上(とくに生活習慣の形成上)重要である。これについては後述する。
 潜在的カリキュラムは、一般的に、無意識的・無意図的なものである。そのため、コントロールすることは難しい。しかし、保育者の潜在的カリキュラムは自分自身のことである。意識することさえできれば、自分である程度コントロール可能なはずである。意識するには、自分の言動が子どもたちにどのように影響しているのか、常に確認していく努力が必要であろう。自分の言動の教育的意味を知ったとき、よい影響は維持・促進し、悪い影響は改善したいと思うはずだからである。
 (以下、続く)

<主要参考文献>
(略、「子どものモデルになることとは?―保育者(教師)自身を計画する(1)」を参照のこと)

(以上は、白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用2、社会評論社、2013年に所収しております)

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子どものモデルになることとは?―保育者(教師)自身を計画する(1)

2011年09月14日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

(以下、白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用2、社会評論社、2013年に所収しております)

 

 保育者・教師には誰でもなれるわけではない。これは、必ずしも知識・技術面での問題だけで言うのではない。古来より、保育者・教師には、優れた人格と行動が必要とされてきた。現在も、昔ほどではないが、やはりある程度の人格・行動を求められている。
 なぜ保育者・教師は、優れた人格・行動を求められるのか。それは、保育者・教師の人格・行動は、保育・教育方法の一つであり、保育・教育内容の一部であるからである。保育者・教師は、自らを人間のモデルとして、子どもへ示していく。より優れた保育・教育をするためには、優れた教材や教育方法だけでなく、保育者・教師自身の優れた人格・行動も必要である。「子どものモデルになる」ということは、保育者・教師が保育・教育方法及び内容としての自らの人格・行動を自覚し、自らそれを教育課程の中に取り込んで、実行することである。
 ここでは、保育者の人格・行動様式(習慣)が、保育上どのような意味を持つか論じる。まず、潜在的カリキュラムの理論について確認し、保育者の人格・行動様式がどのように教育的影響力を持つか明らかにする。次に、誘導保育の理論を参照しながら、保育者が子どものモデルになることの意味について明らかにする。

1.保育者という保育方法・内容

(1)潜在的カリキュラムとは
 保育者は、保育方法・内容を駆使して保育する主体であると同時に、自らが保育方法・内容でもある。この考え方を理解するために、潜在的カリキュラムという概念を確認しておきたい。
 潜在的カリキュラム(隠れたカリキュラム、ヒドゥン・カリキュラム、hidden curiculum)とは、教育課程や計画などの顕在的カリキュラムとは別に、無意識・無意図的に被教育者へ伝わる知識・行動様式・思考様式などの内容、およびその過程である。例えば、ある保育者が子どもたちには協力の大事さを口頭で伝えながら(顕在的カリキュラム)、同僚保育者と反目し合い、協力し合わないため、子どもたちに「協力とは、先生の前ではしなくてはならないが、本当はそれほど大事ではないのだ」という暗黙のメッセージを発してしまうようなことをいう。この例のように、潜在的カリキュラムにはプラス・マイナスの両面があり、それぞれポジティブ潜在的カリキュラム(PHC)・ネガティブ潜在的カリキュラム(NHC)と呼ぶ。とくにネガティブ潜在的カリキュラムは、非教育的・反教育的経験を含み、顕在的カリキュラム以上に影響力を持つことも多い。
 保育者は、月案・週案・日案などの顕在的カリキュラム(教育課程)を常に編成し、実行していく。潜在的カリキュラムを含めて教育課程を編成することは困難である。潜在的カリキュラムは、事実の中に隠れており、容易には認識できないものだからである。しかし、潜在的カリキュラムの認識・意識化には、子どもの実感から学習経験を広く捉え直すという重大な意義がある。教育目的・目標の実現を形式的なものに止めず、本当に実現するためには、潜在的カリキュラムを意識することは必要である。
 潜在的カリキュラムは多様である。例えば、園風(校風)、園舎・保育室・遊戯室(教室)等の雰囲気、施設設備、クラスの子どもなども潜在的カリキュラムとなりうる。言い換えれば、潜在的カリキュラムは、非教育的・反教育的なものも含む保育環境の教育的意義であると言える。そして、この潜在的カリキュラムのうちで影響力の大きいものは、保育者自身である。
 (以下、続く)

<主要参考文献(続きの内容の分も含む)>
倉橋惣三『幼稚園保育法真諦』東洋図書、1934年(『幼稚園真諦』倉橋惣三文庫①、フレーベル館、2008年)
佐藤学『カリキュラムの批評―公共性の再構築へ』世織書房、1996年。
森上史朗・吉村真理子・後藤節美編『保育内容「人間関係」』新・保育講座、ミネルヴァ書房、2001年。
橋川喜美代『保育形態論の変遷』春風社、2003年。
江川玟成・高橋勝・葉養正明・望月重信編『最新教育キーワード137』時事通信社、第12版2007年。
浜口順子編『事例で学ぶ保育内容〈領域〉表現』萌文書林、改訂版2008年(初版2007年)。
ヴォルフガング・ブレツィンカ(小笠原道雄・坂越正樹監訳)『教育目標・教育手段・教育成果―教育科学のシステム化』玉川大学出版部、2009年。

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発達状況に応じた保育について【5歳児】

2011年06月20日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 今日は早朝から次々と問題発生。ここまで無理してやってきたツケが回ってきた様子。何とか対処し切ったのはいいのですが、昼過ぎまでそれらへの対応で終了。教材開発しようと思っていた時間がすっかりなくなってしまって…
 思うようにいかない時は、よくある。失敗から教訓を得て、次の計画に活かせばよい。というより、それしかない。


【5歳児ならではの経験の例】
 5歳児の一般的な発達状況は、次のようなものがある。例えば、身体のコントロールが巧みになり、足が地面から離れても身体をコントロールできるので、自転車・竹馬・鉄棒・うんてい・なわとび・とび箱などの運動を楽しめるようになる。
 「~したら~する」ということを自分で調整し、子どもだけでのルール遊びができるようになる。勝ち負けのおもしろさを理解し、時間をかけた変化への長期的見通しを立てるようになり、ルール遊びの展開も多様になる。「同じ」の見極めが高度化し、見かけだけでなく、質への注目が始まる。二分法(前後、大小、長短)だけでなく第三の世界を捉える(前-間-後、大-中-小)ことができるようになることにより、目標に向かう過程で工夫したり、「ちょっとだけ」や「どっちでもない」などの微妙な違いの理解・表現や、「まあいいよ」という妥協・譲歩ができるようになる。目標を協同で追求し、友達の得意・不得意を見極めて役割分担をして、責任をもって役割を果たしたり、何度も練習したり、相手の立場に立って考えたり、教えたりできるようになる。
 また、上位概念を形成できるようになり、色と道具、形と食べ物などのように言葉を関連づけて構造化できるようになる。文字への関心が高まるとともに、語尾を伸ばしたり「えっとね」「あのね」などを使ったりして文と文をつなぐようになる。ある程度系統的に思考するようになり、ストーリーのあるごっこ遊びを楽しむようになるとともに、逆にストーリーの筋道を大きく変化させる「大どんでん返し」を楽しめるようにもなる。いずれ論理的思考となる基礎を形成していく時期でもある。
 保育者は、5歳児の保育をどのように進めるべきか。5歳児では、集団になって時間をかけて何かを作り上げることを十分楽しみ、努力していけるようになる。そのため、行事を節目や目標にして、みんなで行事を作り上げていくことを楽しみ、着実に有意義な経験を積んでいける。また、子どもたちが自分たちで意見を調整してルールを変えていくようになるため、子どもたちのアイディアを集団遊びのルールなどに加えて、多様な展開をするようにねらっていきたい。もちろん、5歳児といえども、これらのことが最初から最後まで子どもだけでできるわけではない。保育者は、観察やかかわることによって、子どもたちに任せられるところと支えるべきところを見極め、必要に応じて支援・指導していく必要がある。

<主要参考文献>
心理科学研究会編『育ちあう乳幼児心理学―21世紀に保育実践とともに歩む』有斐閣コンパクト、有斐閣、2000年。

(以上は、白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用2、社会評論社、2013年に所収しております)

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発達状況に応じた保育について【4歳児】

2011年06月16日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 仕事というのはさせればよいというものではない。仕事をしているのは機械ではなく、人間である。疲れれば仕事のでき具合は悪くなる。
 ううむ、疲れすぎて集中力が…


【4歳児ならではの経験の例】
 4歳児の一般的な発達状況は、次のようなものがある。例えば、「~しながら~する」ことができるようになり、力を込め続けて体重を支えながら上り棒を登ることができるようになる。また、利き手が決まるなどの身体の機能分化が進み、紙を回しながらハサミで切ったり、形を切り抜いたりすることが巧みになる。イメージ通りに自分なりに体を動かすことを楽しむとともに、逆にイメージ通りにできず苦手意識を持つようにもなる。
 適切な援助を自分から求めたり、相手に教えたりお手伝いしたり(ただし少し手伝うことはできず、全部やってしまう)、相手の主張や意図を踏まえつつ根拠ある自己主張をするようにもなる。他者とイメージを共有して行動することが顕著になり、イメージを共有していることを前提としてわざと間違えて楽しむこともできるようになる。「~したいけど…」や「~はいやだが…」のような気持ちの揺れを経験するが、葛藤を調整することはまだ難しい。また、生活再現のごっこ遊びにおいてそれぞれの役割を意識するようになり、役割設定や「する/される」を交代させるような役割交代をするようになる。
 因果関係を理解する。それまでの経験の積み重ねによる自信や自己信頼感に基づき、次や明日に期待したり、気持ちを調整して立ち直ったり、自制したりする。語彙が1500~2000語程度に増えるとともに、「いつ」「どこで」「だれが」「~した」といった語りの様式を使えるようになる。大人の手助けを得ながら、言葉や自分の気持ちをコントロールし、次第に自分たちで問題解決を進めるようになる。また、丸だけでなく、角を表現するようになり、場面を囲って1枚の紙に複数の場面を表現することができるようになる。短期記憶量が増え、4つの数を復唱したり、10くらいまで数えたりする。
 保育者は、4歳児の保育をどのように進めるべきか。4歳児では、相手の意図を考慮しつつ自分の考えを調整したり、役割を意識したり交代したり、次に期待することができるようになる。そのため、鬼ごっこのような役割交代を含むルール遊びを楽しめるようになる。また、毎日の世話が必要な、動物の飼育や花の栽培なども楽しめるようになる。ただし、それらはまだ一人や子どもたちだけでは十分にできない。保育者は、このような機会を意図的にねらっていくとともに、適宜、支えていく必要がある。

 <主要参考文献>
心理科学研究会編『育ちあう乳幼児心理学―21世紀に保育実践とともに歩む』有斐閣コンパクト、有斐閣、2000年。

(以上は、白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用2、社会評論社、2013年に所収しております)

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