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教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教育の理論シリーズ第1巻『教育の思想と歴史』を紙書籍版を出版しました

2025年04月09日 20時00分00秒 | 教育研究メモ
 4月8日に拙著『教育の理論①教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』の紙書籍(ペーパーバック)版を Independently publishedから出版しました。
 といいましても、書き下ろしたのではなく、2022年に出版しておりました電子書籍(Kindle)版の初版・改訂版を編集し直して紙書籍化しただけですが。電子書籍版をすでにお買い上げの方は、内容はほぼ同じなのでご注意ください。紙の書籍が手元に欲しいという方用の出版です。
 電子書籍版と比べて値段はかなり割高になっています。これはデータだけの取引である電子書籍版とは違って、紙代も印刷代もかかるためです。なにとぞご了承ください。

 2022年に電子書籍版を出版したときにも紙書籍化を一度考えたのですが、当時の紙書籍は物理的なクオリティに不満があったので、断念しておりました。このたび、ある科目でテキストにすることにしたのですが、おそらく紙の書籍はないのか聞かれると思ったので、3年も経ったし、どんなものかね、と試しに紙書籍の状態を見てみたところ、ずいぶん物理的なクオリティが上がっておりました。これは作ってみてもいいなと思って、紙書籍化の運びとなりました。電子書籍を未購入の方、または購入したが紙の本が欲しいという本好きの方にはぜひ入手いただければ幸甚です。
 なお、 Independently publishedというのはKindle電子書籍を紙書籍化する出版社の名前です。

 紙書籍化は結構時間がかかるので(改訂校正作業がなくてもなんだかんだ1日仕事になる)、第2巻~4巻の紙書籍化は今のところ予定していませんが、要望が多いようでしたら検討してみます。

 
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(成果紹介)日本学術会議「教育学参照基準」に基づく教育史教育の役割と課題

2025年03月20日 10時17分00秒 | 教育研究メモ
 今年度の成果①について。
 拙稿「日本学術会議「教育学参照基準」に基づく教育史教育の役割と課題」は、『教育学研究―広島大学大学院人間社会科学研究科紀要』第5号(広島大学大学院人間社会科学研究科、2024年12月、165~174頁)に掲載されました。
 本学大学院人間社会科学研究科紀要の一つ『教育学研究』は、すべてオープンアクセスの論文で構成された紀要です。第5号は38もの論文が掲載されております。もともと4分冊に分かれていた『教育学部紀要』や『教育学研究科紀要』を一つにまとめたタイトルですので、それを一つにまとめるとこれだけの数の論文が集まるのですね。
 さて、拙著の内容構成は以下の通りです。

 はじめに
1.教育学参照基準の定義する教育学
2.教育学参照基準が求める教育史の役割
(1)教育史教育を通して身に付けるべきことが明らかな素養
(2)教育史教育を通して身に付けることが可能な素養
3.教育学参照基準に基づく教育史教育の方法
4.教育学参照基準に基づく教育史教育の単元構想
 おわりに

※恥ずかしながら、校正が十分できなかった箇所があります(特に表1・2の一部)。本文は校正済みですので、表は本文と対応させてご参照いただきますようお願いします。

 「教育学参照基準」とは、日本学術会議の心理学・教育学委員会教育学分野の参照基準検討分科会「報告 大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野」(2020年8月18日)の略称として本稿で使った言葉です。拙稿は、この基準から教育史教育に関わるものを抽出して、私なりの実践も踏まえながら教育史教育の単元を構想しようとした試みです。ここで抽出した身に付けるべきことが明らかな素養をすべて取り扱えるように、教職コアカリキュラムの「教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想」における「教育に関する歴史」の3つの到達目標に準拠した単元(全5回分)を立ててみました。
 「教育学参照基準」は、様々な教育学領域の第一人者が集まって作っただけに、現代教育学の基礎的内容をしっかりおさえていて、基礎的な基準としてはよくできていると思います。教育学としての教育史教育については、まずこの基準の求める素養を育てられるように再編成していく必要があります。拙稿で枠組みとその実現に向けたおおよその方策は示せたかなと思うので、次は具体的な教材開発が必要です。教材・教科書づくりですね。これからは、教育史のどんな事実や研究成果が教育学としての教育史教育にふさわしいか、その選択と排列を具体的に考えていかなければなりません。
 なお、これからの大学の教育学・教員養成における教育史教育は、教職コアカリキュラムと「教育学参照基準」の二つを踏まえながら計画する必要がありますが、その先にある人間・国民・市民育成や教育学研究者養成にどう接続するかは大きな課題です。「教育学参照基準」の参考資料1にもあったように、教員養成(およびその背後にある国家の要求)と一つの学問分野としての教育学の間には緊張関係が必要です。また、教員養成に限らず、人間・国民・市民育成と教育学の間にも緊張関係があるべきでしょう。教員養成を含む様々な人間の教育と教育学の間に緊張関係があることで、教育と教育学は、ともに高め合うことができます。その緊張関係を前提として教育学教育のカリキュラムを編成していかなければなりません。
 私は教育学研究者養成を担う立場にいますので、この課題を形にしていく責任があります。講義・演習はもちろん、ゼミ(広大教育学では「特研」といいます)、卒論、修論、博論のあり方。正規の教育課程はもちろん、研究会や学会、読書会などの課外の課程も含めて、どうしていくべきか考えていきたいと思います。
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故野地潤家氏旧蔵資料の救出

2025年03月16日 12時25分00秒 | 教育研究メモ
 広島大学の教員になってよかったことの一つに、史料救出事業に積極的にかかわり、各部署にいる専門家を巻き込んで取り組むことができるようになったことがあります。史料はひっそりと処分されることが多いので、救出の機会はめったにないのですが、「廃棄前に残すべき資料がないか見てくれ」と声がかかることがまれにあります。京都などのように教育関係の歴史的資料専門の博物館がある地域はそこにつなげばいいのですが、地方では教育関係の資料に関する専門性をもつ機関があるところは多くないので、私のような教育史研究者の役割がとても大きいと考えています。一点もののそこにしかない資料が廃棄されることはもちろん避けたいところですが、そのほかにも、所蔵のある資料でも資料群にとって大事な資料だったり、まとまって所蔵されることで研究調査上利便性を高める資料だったりと、救出すべき場合はたくさんあります。
 一番(研究者やアーカイブの立場から)理想的なのは、判断を任されたすべての資料をそのままの形で救出・保存することなのですが、保存場所の確保の可能性だったり、所有権をもつ側の都合だったりと、様々な理由ですべてを救出することはなかなかできません。「すべてを残した方がよい」と所有者に伝え、「ではどこに保存するのか」と返される。博物館や公文書館、教育委員会などの公的機関につないでも、すべてを保存することはできないと判断されることも多々あります(または、保存する場所が確保できないと受付すら断られることもあり)。それぞれいろいろな事情があって仕方ないことも多いのですが、かかわったからには少しでも救出することを考えます。救出できる量は限られているので、選別する必要のある場合がほとんどでしょう。選別の猶予期間もあまりないことが多いので、すばやい調査と判断が必要になります。そうなると、知識不足でその価値を判断できないことや見落としを誘発します。救出・保存の判断を任された側は緊張感のなかで判断し、救出作業を進めていくことになります。少しでも救出できる貴重な資料を増やすために、私たちは資料そのものの理解と救出・保存技能の研鑽に務める必要があります。

 さて、このたびの2024年12月から2025年2月にかけて、広島大学(最初は広島高師)と鳴門教育大学で活躍された国語科教育学の大家、故野地潤家氏の旧蔵資料の救出にかかわることができました。広大にとってとても大切な先輩の旧蔵資料でしたので、気合を入れてかかわってきました。例によって限られた期間のなかでしたので十分やれたとはいえないのですが、精いっぱい関わらせてもらいました。
 野地先生の関係資料は、すでに鳴門教育大学と広島大学国語文化教育学講座の2つ文庫があって、かなりの点数の資料が整理されて残っています。それでもなお、ご自宅にたくさんの資料が残っておりました。広島市に残されていた野地先生のご自宅には大きな4つの資料室とご自身の書斎があり、そこにたくさんの資料が収められていました。2008年から12年まで広島大学国語文化教育学講座が取り組んだ資料保存の事業について、詳細な報告が残されています(こちら)。このあとも関係者の間で資料の分配が続けられ、私がかかわったのは2024年12月が最初でした。ご自宅を解体するために、最後に、日本教育史研究者の立場から何か貴重な資料がないか確認してくれ(あれば譲渡する)、という依頼でした。2025年3月には解体完了するということでしたので、何度もご自宅に通って急ピッチで作業を進めました。
 そのため私がかかわったのは救出作業の末期でしたが、それでもたくさんの資料が残されていました(下の写真は作業開始時の野地先生の資料室の一つの一角です。実際にはこの何倍もありました)。野地先生は国語科教育史研究者でしたので、日本教育史の視点からも重要な資料をたくさんお持ちでした。私の目から見ても、ご自宅解体にともなって瓦礫とともに失われるわけにはいかない資料がたくさんありました。主に私の車に乗せて救出を続けましたが、途中から広島大学文書館の職員や教育学部教育学コースの教員・院生の協力も得られ、たくさんの資料を救出できました。

 

 問題はそのあとの作業です。野地先生の旧蔵資料のうち広大文書館が持ち帰ってくれた資料は一任していますが、受け取り先が他になく白石が救出したものは私が何とかしなければなりません。今のところ、とりあえず故野地潤家氏旧蔵資料(または歴史資料として野地潤家旧蔵資料)と仮に名付けて、私が管理を任されている広島大学日本東洋教育史研究室の資料室(教育学部A棟教育学第二資料室)に一時保管しております。
 私が救出した資料群だけでも段ボール箱およそ40箱程度もあり、一人でどうにかできる量ではありません。来年度以降に予算が組めないか算段し、保存作業と目録作成に取り組んでいくつもりです。私が救出した主な資料は、明治から戦後までの教育雑誌や学校関係の資料です。多くは一度公開・公刊された資料を中心としますが、中には一次資料にあたるような貴重なものもあります。研究に利用できるようになれば、国語科教育史研究に限らず、近代日本教育史研究を一層進展させ、かつ進めやすくなるでしょう。

 利用のために念書が必要そうな資料も一部あるので、公開までには時間がかかりそうですが、私がすべてを抱えておくべきではないので、記録に残しておくこととしました。今後、進捗状況は学会その他の方法で報告していこうと思います。
 貴重な資料群を残してくださった故野地潤家先生と、その救出・保存の機会をくださった関係者の方々、実際に救出作業を手伝ってくださった方々に感謝申し上げます。
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高校無償化と市場競争原理のつながりを見直し、公立高校のテコ入れを望む

2025年03月12日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
 高校無償化について与野党三党合意が議論になっていますが、ここにきてようやくその目的を明瞭に語る政治家が現れました。


 記事からは、日本維新の会が高校無償化を競争原理によって提唱していたことがわかります。予想通り、やっぱりそうだよねと、高校無償化の原理を見極めることができました。与党も市場競争原理による新自由主義的方向性を強くもっていますので、微妙な差異はあるにしても、この線で高校無償化策に合意したといったところでしょう。高等教育無償化も議論されていますが、今の日本で合意に達するとすれば競争原理によるものと予想されます。彼らがそのように考えるのは各党の基本理念を考えれば納得できます。

 ただ、それでも私は、教育政策を市場競争原理のみで考えるべきか、と問わざるを得ません。上の記事で、前原氏が「高校教育に関しては、(無償化によって)私学を選ぶ子どもが増え、公立の地盤沈下につながるというふうに言われることも多いのですが、僕はそれでいいじゃないか、と思うんです。」と語っているところに、私は議論の余地が大いにあると思います。私は、義務教育ではない高校の政策であっても、私立偏重・公立淘汰の方向に極端に舵を取ることはよくない、と考えています。
 必要な私立高校が増えるのはよいと思います。また、公立高校が統廃合されるのも少子化・人口減少社会ゆえに致し方ない部分はあります。しかし、市場競争原理によって公立高校が淘汰されればよいという考えには賛同できません。公立高校は、私立高校にはできないこと、とくに市場競争原理では大事にできないことをできる貴重な制度です。公立高校と私立高校の設置廃止再編を市場競争論理のみで判断すべきではありません。

 問題は高校教育の質の良し悪しを判断する規準にあります。現在の市場競争原理の視野に入っている主な規準は、学力テストの平均点や有名大学への進学数、部活動の大会出場数などです。これらの規準はいずれも「有用な人材になり得る生徒」を評価するものでしかなく、その規準に当てはまらない生徒を評価するものではありません。むしろ規準に当てはまらない生徒は排除したほうがよいとすら考えられてしまうきっかけをつくってしまいます。私立高校が規準に当てはまらない生徒を十分包摂できるならばよいのかもしれませんが、現在の私立高校は市場競争原理にさらされざるを得ないので、利益の得にくい事業に取り組める学校法人をそう多くは望めません。高校無償化がそういう学校法人を支えるように機能すればよいかもしれませんが、そういう目的での無償化ではなかったようです。
 もちろん、現実の公立高校のうち、「有用な人材になり得る生徒」だけでなく、その規準に当てはまらない生徒を十分に包摂できている学校が実際にどれだけあるか、という問題もあります。高校教育の多様化が進められている現在において、公立高校の質を判断する規準は複雑化していますが、市場競争原理から自由ではいられません。市場競争に打ち勝てる公立高校もありますが、そうはいかない公立高校もたくさんあるでしょう。無償化によって市場競争原理にますます絡めとられやすくなるので、これから公立高校の正念場は続くでしょう。公立高校の在り方はもっと多様な観点から議論されるべきであり、もっと多様な規準を想定すべきです。高校関係者や教育学者はもちろんですが、政治家や国家・地方行政官の教育認識・教育観が問われます。
 進学者数や学力テスト等の実績は教育成果を測る唯一の指標ではありません。教育条件を整えることは教育政策上の重要課題ですから、親の経済的事情に配慮して進学先の選択の自由を保障することももちろん大事ですが、公教育の課題はそこで終わりではありません。その先にある本当に応えなければならない課題は、例えば、国民・社会の統合や基本的人権の保障などがあります。公立の授業料は安い、私立は高い、ということが問題の本質ではないのです。

 資本主義経済の原理、人材(労働力)確保の原理のみで教育政策を決めてしまうやり方は、不十分であると考えます。新自由主義や社会経済資本投資型の原理が教育政策を必要とするのは当然ですが、予算が下りるからといってそれのみで教育政策を決めてしまうことの問題を考える必要があります。教育の目的は有用な人材育成のみにはとどまりません。「人材」とみなされえない人々も含む、すべての人の教育を受ける権利や学習権(人権の中核)を保障することも教育の目的です。
 「人材育成」と「人間(性)育成」とでもいうべき目的のバランスを、現実の教育政策においていかにとるべきか。義務教育はもちろん、義務教育でない高校や高等教育でどのようにバランスをとっていくか。このたびの高校無償化策実施をきっかけに、われわれ日本人は改めて考え直すべきだと思います。そのためには、経済学や政治学だけで教育政策を考えるわけにはいきません。教育について幅広く徹底的に考える教育学の視点・考え方がどうしても必要です。

 なお、私がいま最も考えるべきだと思うのは、公立高校のテコ入れです。「高校無償化によって人々は私立高校を選ぶはずで、公立高校は淘汰されていく」という認識自体がおかしいと思っています。公立高校にしかできないこと(地域によって異なるはずです)を見据えると同時に、そのために実践できる高校教員を確保し、大事に育てる必要があります。優秀な高校教員を公立高校に引き留め、誘致し、採用、配置する必要があります。長い目で見た育成・採用計画が必要です。
 いま、公立高校から教員が続々と流出しています(運営の厳しい私立高校から公立高校へ教員が流れる事実も一部にあるようですが)。「職場環境として学校より企業の方がよい」とか、「職場環境として公立より私立の方がよい」という認識は、当然視するべき絶対的なものではなく、この数十年のうちにできてしまった歴史的に相対的なものです。事実、かつて優秀な教員は公立高校に勤めたがったのです。
 いま必要なのは、優秀な教員が長く勤めたくなる公立高校づくりです。自治体や地方議会は、無償化によって得られるはずの財政的安定をもって財源を公立学校以外に回すのではなく、さらなるテコ入れを公立学校に向けてほしいと思います。各教育委員会が教員確保(魅力向上)策として「やりがい」の強調や採用試験前倒ししか選択できない現状を変えてほしいものです。








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現在の高等学校「無償化」問題について

2025年02月16日 15時38分00秒 | 教育研究メモ
 高等学校「無償化」が久しぶりに政治問題になっています。この1週間で事態が大きく動き、与野党とも実行する気になっているようです。先週は、その財源をどうするか、所得制限をかけるかかけないかといったあたりが最大の争点になっていました。政策実現のための具体的な論争が展開されており、この問題を少しでも解決しようという政治家の姿勢とみてよいと思います(その背景に様々な打算があるのは当然のことです)。

 ただ、何のため・誰のための高等学校「無償化」か、という目的と対象をもう少し問い直した方がよいでしょう。ネットのコメントは「私立を無償化する必要ない」とか「高額所得者が得をする」とかいった意見だらけです。こういう議論ばかりになるのは、「支援金をいくら出すか出さないか」という論点だけで議論しているからです。ここで目立つべきは、誰の何のための「無償化」かという目的と対象を問う論点であるべきです。そもそも、与野党および議員間で、無償化の目的と対象に合意ができているのでしょうか。
 
 高等学校とは何か。特に国費から高等学校の授業料を出すのですから、この日本という国家にとって現在の高等学校とは何か、という問いを避けることはできません。その合意なしに議論するから、高額所得者に支援するのはおかしい、などという反論が出てきて、議論が混乱するのです。
 義務教育化されている小・中学校の授業料は無償化されていますが、小中学について高額所得者に~という議論をする余地は、今の日本にはないはずです。それは小・中学校が今も日本にとって重要なものだと考えられているからです。
 高校についてはどうでしょうか。学校教育法第50条では、高等学校は「中学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すこと」を目的としています。このうちの「高度な普通教育及び専門教育」とは何か、なんのための教育でしょうか。その教育を受ける生徒とは誰のことでしょうか。我々日本国民は高等学校をどうしたいのか。

 今回、「義務化」ではなく、「無償化」の議論なのが特徴です。過去の民主党政権時には、高等学校無償化と義務化との関係が問われました。高等学校をすべての人のための学校にするか、それとも就学する意志や用意(所得含む)のある人のための学校にするか、という議論がなされました。今回はそのところの議論が希薄ではないかと思います。
 「義務化」と「無償化」を切り離して議論するということは、「高校にいきたい人が誰でも行けるようにする」ということを問題にしていると思われます。今議論されているのは「所得制限なしの就学支援金の支給(実質無償化?)」です。それを「無償化」と言うべきかは疑問ですが。

 「高校に行きたい人」とは誰のことか。どうしてその人たちが高校に行けるようにしなければならないのか。
 論点は、公立と私立、高額所得者とそうでない者ではないと思います。国民全員か住民全員か。公立私立に限らず高校にどんな教育を求めるのか。
 この議論をする人は、これらの問いに答えてから議論した方が良いと思います。とくに国会議員の皆さんには、これらの問いから逃げずに問題に取り組んでほしいです。
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名古屋市教育会解散検討の報に触れて―学校を保護者・地域住民とともに支える仕組みの見直しに

2025年01月25日 12時26分21秒 | 教育研究メモ
 名古屋市教育会解散の報道が目に入ってきました。名古屋市の人間でないのでその判断の是非を問うものではありませんが、教育会史の研究者として20年以上生きてきましたので、一言発言すべきだろうと思い、私の見解を記録します。


 教育会は、明治期以降、近代教育を普及・改良するために結成された初の教育団体であり、戦前には全国規模の中央教育会または都道府県市区町村の地方教育会、はては植民地にまで大日本帝国全土に存在し、それぞれ活動していました。教育会は、それぞれの活動地域内で教育情報を循環させ、その他の地域と情報交換を行い、「教育」の名のもとに関係者を結集して、教育の在り方を模索する舞台としてその役割を果たしてきました。戦後直後に解散・存続をめぐる根本的な議論を経て、解散させた地域と、存続させた地域があります。教育会を存続させた地域は多くなかったのですが、名古屋市はその地域の一つとして教育会を存続させた地域でした。戦後からすでに80年経つなかで、教育会は様々な活動を継続的に行い、地域教育の発展の一端を一定程度担ってきたことは事実でしょう。
 しかし、今回のように、保護者や地域住民から「怪しい」とまで言われるような団体になってしまっていたのは残念なことです。市教育会に代々かかわってきた関係者はそれぞれの立場から努力されてきたことは想像できるのですが、結果としてそう言われてしまったのは、地域住民(特に子育て世代)に教育会の活動が伝わっていなかったためであり、伝えていたとしても理解を得られるような活動や広報ができていなかったためでしょう。名古屋市は、近年積極的にPTAの見直しを進めており、市教育会の問題はその一環として問題化したように思います。保護者から資金を徴収してきたのに、それを十分に説明できなかった(納得させられなかった)というところが、今回の最大の問題ではないかと思います。
 教育会の中でも市教育会という段階の教育会は、都道府県教育会よりも一層地域に身近な教育会であるはずです。市によってその実態や歴史は異なりますが、市教育会には教員や教育行政官だけでなく地域住民が加わっていることはよくあったことです。また、戦後に教育会を存続した地域の中には、保護者を入会させることを学校中心・教員中心の組織を改革する手段として採用した地域もありました。本来は、こうなる前に、名古屋市教育会の歴史をしっかり振り返って、なぜ賛助会員として保護者から会費を徴収するようになったのかについて確かめ、十分な議論をして、しかるべき対応をすべきだったのでしょう。
 ヤフコメでは「市教育委員会と混同するような名称」も問題になっています(現代に教育会が出てくるといつも名称の議論になりますが)。歴史的には市教育委員会の方が後ですが、戦後の解散をめぐる混乱のときに活動を整理して「教育会」という名称を変えた地域もいくつかあるので、やはり「教育会とは何か」という議論が十分だったか問い直さざるを得ないでしょう。教育会が存続している地域は、すべてではありませんが、あちこちにあります。活動中の教育会は今回の問題を「対岸の火事」とみることなく、自分事として真剣に自らを見直す機会とすべきでしょう。教育会は教育委員会ではなく、すなわち教育行政機関そのものではありません。
 教育会の無い地域においても、今回の問題は今後の教育をとりまく社会的環境・条件について考える機会とすべきです。というのは、この問題がPTAや保護者団体の在り方や、学校を保護者・地域住民が支える仕組みの在り方と関わっているからです。教員や退職者だけで構成された教育会ならこのような問題のなり方にはならなかったでしょう。問題は、教育会の解散云々以上に、学校を保護者や地域住民が支えるというそのあり方が問われているところにあります。PTA解散や連合組織からの脱退が進む地域が増えていますが、重要なのはその後で、保護者や地域が学校を支える仕組みをどうするかを考えなければなりません。名古屋市の場合は教育会解散後の教育会が担っていた役割を代替する策を考えているようですが、そのまま肩代わりすればよいのではなく、何のためにこの役割ができて、今どうすべきか、という議論を積み重ねる必要があります。
 学校教育は地域に支えられて発展してきましたし、子どもたちは保護者と学校がともに育てていくものです。学校に任せる、教育行政・教育委員会に任せるようなものではありません。わが地域では学校をどのような組織体制で支えていくか。この際、教員や行政だけでなく、保護者や地域住民を交えて熟議していくべきです。コミュニケーション・熟議の場を見直す必要があります。また、すでにいろいろな新たな取り組みが各地で進んでいます。教育情報の収集・循環・共有の仕組みの見直しが必要です。
 実は、教育会は、教育情報の収集・循環・共有の仕組みを整えながら、様々な立場の教育関係者を組織して、教育に関する熟議の場として発展してきた団体です。私の見通しでは、戦後直後、1970年代前半と教育会の在り方が問われてきた時期があったと思いますが、今もまた、教育会自身が自らの存在意義を歴史的に振り返るべき時期なのかもしれません。

【参考文献(例)】
・白石崇人「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第55巻、2020年12月、73~89頁。
・白石崇人「なぜ戦後の長野県で教育会が存続したか―1948年信濃教育会運営研究委員「教育会の在り方」を読み直す」『信濃教育』第1644号、信濃教育会、2023年11月、1~17頁。  
・梶山雅史編『近代日本教育会史研究』、学術出版会、2007年(新装版、明誠書林)。
・梶山雅史編『続・近代日本教育会史研究』学術出版会、2010年。 
・梶山雅史編『近・現代日本教育会史研究』不二出版、2018年。 
・白石崇人「1947年度信濃教育会役職員会議の教員団体一本・二本化論争―戦後長野県の教育会存続を再考する」教育史学会第68回大会コロキウム資料、東京学芸大学、2024年9月29日。 

 
 
 
 
 
 
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学校のカリキュラムをどうするかメモ

2025年01月09日 19時53分08秒 | 教育研究メモ
 現在の学校の働き方改革を進めるには、午前に教師主導の授業をして、午後に児童生徒主導の課題解決型の授業を進めたらどうか、と常々考えてきました。そして、事例はいろいろ思いつくのだけど、全体としてどういう理屈で説明できるだろうか、というところで考えは足踏みしてきました。
 10月から教育学コースの他の先生や学生たちと一緒に月一でやっている『教育学研究』を読む会でお題になっている、桂直美「芸術批評が提起するカリキュラム構成の枠組み―アートに根ざす授業論」(『教育学研究』第88巻第3号、日本教育学会、2021年9月、419~431頁)を読んでいて、なるほどと思ったので、ちょっとメモを。

 桂論文は、教授目標に基づくカリキュラムと評価に対してアートに根差す学びを通した批判を行い、個人の個性的な認識や他者との対話を通して探究するカリキュラムに転換することを主張しています。それはアートの学びだけでなく、他の領域でも、総合的・学習的な学習の場合も可能だといいます。そのカリキュラムでは、授業者が自分の目標をオープンに保ち、授業の目指すところは実践の中で学習者とともに追究・合意形成されていく、といいます。まだ全体を理解できていませんが、なるほどなと思う反面、今の学校教育のすべてをそういったカリキュラムで置き換えることは可能だろうか、と思いました。

 私のアイディアに戻すと、アート的な学びのカリキュラムとオープンな形での目標設定?は、私のいう「午後」の協同的な問題解決型学習の考え方とぴったり合います。一方で、そういうカリキュラムだけで、今の日本の学校教育が成立できるはずもない、と思っています。ここまで成果主義で説明責任の求められる制度になっていると、そういうカリキュラムでは成果も説明責任も果たすことが困難だからです。今のこういう制度は学校や教員がそうしたいと思って作っているものというより、今の社会がそう作っているものですから、学校だけが対処できる問題ではありません。こういうカリキュラムを構成しながらも、現状に応じたカリキュラムも構成する必要があります。
 私のいう「午前」の授業は、「午後」の学習で必要な基礎知識・技能等を学ぶために必要だと考えていましたが、上のような問題を考えると、社会に説明責任を果たす学校の義務を果たすためにも必要な気がしてきました。学校教育は児童生徒のためにあるのが第一義ですが、国家社会のためにもあるという側面も持ちます。もちろん、あくまで、「も」の立場を堅持する必要がありますけど。

 まとまりませんが、今日はこの辺で。メモなので。

参考文献
・桂直美「芸術批評が提起するカリキュラム構成の枠組み―アートに根ざす授業論」『教育学研究』第88巻第3号、日本教育学会、2021年9月、419~431頁。


 
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新学習指導要領が諮問された時に思う

2024年12月28日 11時37分00秒 | 教育研究メモ


 2024年12月25日、中央教育審議会に学習指導要領改正が諮問されました(「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)」)。現行の学習指導要領が、2014年11月諮問、2016年12月中教審答申によって、2017年・18年に告示されたものですので、おそらく2026年に答申を目指して審議を進めていくものと思われます(「迅速に」とも言っているので、スケジュール前倒しの可能性も否定できませんが)。
 今回、諮問の第四の事項に挙げられた「教育課程の実施に伴う負担への指摘に真摯に向き合うこと」はとても重要です。教育内容を純増させることは厳禁であり、プラスマイナスゼロにとどまることも許されないものと考えます。教育時数はそのままで教育内容を積極的に減らし、目的・目標達成を効率的・効果的に果たせるように方法・条件を工夫しながら、現代的課題に応えることのできる新たな教育課程を編成すべきです。間違いなく大仕事になるべきです。
 私としては、教員が勤務時間内における自主的研究に取り組むことを踏まえた教育課程の編成を望みます。近年の採用試験の結果やベテランの退職によって教員の質は大きく変化しています。時間いっぱい児童生徒の教育や事務仕事にあたることを前提として、新しい教育課程の研究・勉強は勤務時間外にするのが当然というような発想は抜きで議論してほしいものです。
 以前「学校教育改革・働き方改革とカリキュラム研究」というお題で学校のカリキュラム改革を述べたことがありました。おおまかにいえば、平日午前中を教師が主導する各科授業とし、午後を協同調べ学習中心の授業にして協力者を含めたチームで指導するという案を提唱したのですが、今も私はこれが良いと思っています。もともと20世紀前半に始まった新教育実践(ドルトンプランやイエナプラン)を念頭に置いての案でしたが、現在でも、緒川小等、各地の学校で類似の実践が行われています。不可能なカリキュラムではありません。こういったカリキュラムを実態に応じて編成できるような新学習指導要領を期待します。

 問題は、こういったカリキュラムは知識技能詰込み型の受験・進学準備には向かないということや、そういう授業・指導のできる教員を育てる必要があるということ、管理職や行政のリーダシップが重要であることです。新しいカリキュラムに関する地域住民や保護者の理解が必要ですが、理解を得るには単なる情報周知ではなく、むしろまずは直接的に協力してもらいながら体験的に知ってもらうことを前提にした方がよいでしょう。また、地域住民・保護者の社会教育・生涯学習的意義も前提に考え、子どもたちと共に学び合う地域・家庭を目指していけるとよいと思います。知識技能詰込みの学習は希望者対象のみで良いと思います。(地域との連携についての過去記事はこちら
 また、新しいカリキュラムを開発・運用できる教員を育てる教員養成・教師教育の再構築はもちろんですが、現職教員の質的改良や協力者の養成が重要なので、教員や協力者の研修の改善の方が重要でしょう。そのつど必要に応じて教員自身が学び続ける必要があるので、法的研修だけでなく、自主的・主体的な研修を認める仕組みづくりが必要です。教育学はそういう学びの場を提供する事業に貢献すべきです(大学だけでなく学会も)。(研修についての過去記事はこちら
 新しいカリキュラムの開発・運用には、管理職や行政官がどの程度理解し、リーダシップをもって推進できるかが重要です。校長会や教頭会、教育会等の管理職団体や各種教育団体は積極的にこのような問題を議論し、衆議を尽くしてアイディアを出し合い、合意を形成していく必要があります。自分たちの地域ではここまでやろう、こうやってやろう、という話し合いが大事です。(管理職団体や教育団体に期待していることについてはこちらの拙稿をどうぞ)
 内容削減となると、20世紀末の「内容3割削減」の時の轍を踏まないようにしなければなりません。あの時、「新しい学力観」・「生きる力」に基づく教育課程改革がなぜうまくいかなかったかについてもよく検討すべきでしょう。

 とはいえ、大事なことは、学校教育は人間を育てる制度だということを大事にすることです。いくら知識や技能が現代的課題の一部に応じて更新できたとしても、人間性を育てなければ意味がありませんし、むしろ害になります。学校の教育課程を考える人々は、学校教育が応答すべき現代的課題とは何かを考えると同時に、学校教育の不易の核となるべき課題は何かを考えなければなりません。
 「藹然」という言葉があります。雲がたなびくように穏やかなさまを指します。古く漢学において、人との接し方の理想として挙げられる言葉なのだそうです(六然訓の一つ)。現代的課題に応じようとしてキリキリと働く人を育てようとするばかりでなく、人間として落ち着いて穏やかに他者と関わることのできる人間を育てていくことは、忙しい現代社会だからこそ大事なことかなと思います。
 この記事の最初に挙げた写真は、私が資料整理に関わった広島県御調郡三原小学校初代校長であった沼田良蔵が開いていた私塾の名前の書です。1884(明治17=甲申)年に良蔵の師である宇都宮龍山が書いたものだと推定しています。三原の教育を牽引し、皆で協力して三原の地域を盛んにしようとした良蔵でしたが、業務の傍らに地域の子弟を育てる場に「藹然」の言葉を用いました。この記事を書いているときにたまたま思い出した写真でしたが、今こそ大事なことだなと思いましたので掲示しました。
 (「藹然舎」の額は三原小学校に寄贈されております)
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11月23日の中国四国教育学会で発表します

2024年11月19日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 この土日11月23・24日に、中国四国教育学会第76回大会が岡山大学で開催されます。このうち23日の午前の部の最後(11:20~)から、「明治日本の辞典における「研究」概念」と題しまして研究成果を発表します。
 基本的には、教育学研究と教員の教育研究の関係史について、手がかりをつかむための研究ですが、「研究」という日本語の概念史研究としても大事なのではないかと思っています。言語学や日本語学の方は多少調べた程度ですが、大変意外なのですが、私が知る限り「研究」の語源・概念史研究は見当たりませんでした(だれかご存じでしょうか…ご存じでしたら白石までご連絡いただけると喜びます)。

 具体的には、明治期の国語・漢和・和英・英和・哲学・教育学辞典を博捜して「研究」や関係する語の語義を整理し、そこから「研究」概念の中核となる意味や意味の変遷について考察します。「研究」はもともと漢語で、明治期に英訳に使われるようになりましたが、明治期を通じて、日本語としての語義を変化させるとともに、対応する英単語を変化させていました。語義や訳語の変化についての因果関係についてはまだわからないことばかりですが、少なくとも教育学のいう「研究」と、教員を含む人々が一般的に行っていた「研究」や哲学の「研究」との間に、語義の違いが現れ、異なる概念をもってきた時期がいつ頃なのかは特定できました。
 教育学研究と教員の教育研究の関係史についての研究を、この10年ほどの間、ぼちぼち続けてきましたが、そろそろ一つにまとめようと思っているので、そのための大事な成果になりそうです。
 
 
 
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ダイバーシティ・インクルージョンを目指す社会における日本教育史研究の課題

2024年10月30日 19時04分00秒 | 教育研究メモ
 ダイバーシティ(diversity、多様性)とは、集団内の個人が表層・深層的に異なる状態をさす。人間は、性別、年齢、人種等の表層的な違いや、深層面では性格、考え方、習慣、履歴等の深層的な違いをもつ。集団内でこれらの個人の違いが尊重され、各個人も集団への所属感や参加感をもっている状態をインクルージョン(inclusion、包摂・包括)という。教育分野だとインクルージョンは障害の問題と考えられることが多いが、それには限らない。
 ダイバーシティとインクルージョンは現在の社会目標の一つである。日本では、例えば、男女共同参画社会基本法や男女雇用機会均等法、障害者雇用促進法、高齢者雇用安定法などによって、不利益を被る者に対する特別措置が法制化されている。また、国際社会ではSDGsの5(ジェンダー)や8(成長・雇用)、10(不平等)等に関わって目標化されている。教育においては、まず、学校教育や生涯学習の教職員、指導者、補助者、協力者、児童、生徒、学生、学習者等によって構成される集団において直接的に目指されるべき目標である。また、教育は人間形成・人材育成にかかわる営みであるので、諸集団におけるダイバーシティ・インクルージョンの実現に必要な価値観や態度、知識・技能等の育成に関わる。SDGsの4(教育)が直接的にこのことを目標化している。つまり、ダイバーシティ・インクルージョンは、国内・国際的な課題であり、教育の組織づくりや教育目的・目標・内容・課程の改革において取り入れるべき観点となっている。したがって、現在の教育学は、ダイバーシティ・インクルージョンの視点から教育や生涯学習の組織づくりや目的・目標・内容・課程の見直しを進めるための課題を見出し、必要な研究を進めることが求められる。
 現在の日本のダイバーシティ・インクルージョン問題について研究するとき、ダイバーシティやインクルージョンを構成する諸要素の歴史的課題を踏まえなければ、有効な議論をすることはできないであろう。日本社会のダイバーシティ・インクルージョンには様々な課題があり、日本独特の文化的・習慣的な課題をかかえるものも多い。文化的・習慣的な課題は長い間かけて歴史の中で構築されてきたものであり、歴史的課題の側面をもつ。歴史的課題を確実に捉え、適切に分析するための歴史研究がどうしても必要である。教育学についていえば、ダイバーシティ・インクルージョンの視点からの教育史研究が必要である。

 教育学としての日本教育史研究は、ダイバーシティ・インクルージョンの観点からどのような課題を見出すべきだろうか。現代に直接生かせる教訓やアイディアを歴史に求めることもできるかもしれないが、それ以上に重要なことは、ダイバーシティ・インクルージョンの観点から見たとき、過去の日本の教育がどうだったか、現在の日本の教育に至る経緯を明らかにして、直接的・間接的な関係する歴史的課題を発見・分析することである。基本的には、様々な教育の組織づくり(学校経営・学級経営・集団づくりなど)や、目的・目標・内容・課程等において、児童生徒学生や学習者、教職員、補助・協力者等の性別、年齢、人種、障害、性格、考え方、習慣、履歴等がどのように考慮され、計画化・組織化されてきたかが問題になるだろう。「ダイバーシティ」・「インクルージョン」という概念は新しいものなので、これらの概念を直接的に用いて歴史に問うのは慎重にした方がよい。これらの概念で直接的に問えるのは、おそらく1980年代以降を対象とした現代教育史に限定されるだろう。今後、教育社会学や教育方法学、教育行財政学、教育経営学等の教育学諸領域において、そのような現代教育史的な研究が進むことが期待される。
 「ダイバーシティ」や「インクルージョン」の概念の提唱以前を対象とする場合、これらの概念を直接用いない方がより正確に歴史を捉えることが可能になる。例えば、ダイバーシティ・インクルージョンの問題の諸要素に注目すると、それぞれが長い歴史をもっていることに気づくことができる。日本の教育における性別・ジェンダー問題や、障害の扱い、国民教育と民族教育の関係、教室・学校における多様な子どもの存在等については、それぞれが独特の歴史をもっている。そこには歴史的につくられた課題があることがわかっているものもあるし、そのほかにまだ明らかになっていない歴史的課題が潜んでいる可能性も十分にある。関係するテーマとして思いつくものを列挙すると、例えば、学校種や教育課程、教科書、生活・生徒指導における性別や障害、外国人、民族の扱い方、障害児に対する就学義務の猶予・免除制度、障害児・健常児との分離教育または統合教育の展開、義務教育の対象児童生徒の範囲、琉球・アイヌ・植民地出身児童生徒の公教育への排除と包摂、戦後の(旧)植民地出身児童生徒の公立学校就学や外国人学校における民族教育の変遷、貧困家庭出身や被差別部落出身の児童生徒に対する教育や教育制度全体に対するその影響、低学力または高学力の児童生徒に関する能力別学級編制などがある。これらのテーマに関する先行研究は、必ずしもすべてがダイバーシティ・インクルージョンの視点から研究されてきたわけではないが、改めて見直すべき研究成果が多数存在するのではないか。
 日本留学の歴史の研究も、他国・他人種・他民族の留学生が日本で学んできた歴史であり、何のために留学し(または誰が何のために留学させ)、どのように学び(学ばせ)、日本や帰国後の社会において異なる知識文化や考え方をもっていかに生き、何をもたらしたかを明らかにする中で、いかなる歴史的課題をかかえてきたかを探究することが可能かもしれない。学校・学級経営の歴史の研究も、集団づくりにおいて性別をいかに活用し、または様々な性格、考え方、習慣をもつ児童生徒をいかに包摂/排除して、管理・訓育・統合しようとしてきたかを明らかにすることを通して、学校・学級の多様性に関わる歴史的課題を探究することを可能かもしれない。これらは、日本の近代教育の良し悪しを探究するような先行研究の多いテーマであるが、改めてダイバーシティ・インクルージョンの視点から課題設定し直すことで、新たな研究成果につながることもあり得る。
 ダイバーシティ・インクルージョンの観点からの研究は、授業や教育課程、思想・学説、学校だけでなく、学級集団づくりや多様な職種を含めた教職員集団の文化や組織経営、社会教育、子育て、家庭教育に至るまで、過去の教育現象を広く捉え、その課題を明瞭に分析する視点・研究方法が必要である。日本教育史研究の立場からいえば、どんな史料をどのように分析・解釈するかが喫緊の課題になる。適切な史料やその取扱い方はテーマや視点によって異なるだろう。

 ダイバーシティ・インクルージョンを目指す日本社会において、教育学・日本教育史の研究によって明らかにされるべき歴史的課題は少なくないと思われる。教育学はダイバーシティ・インクルージョンをどのように捉え、何を課題化すべきか。日本教育史は他領域との競合・協働の中でダイバーシティ・インクルージョンの視点による研究をいかに進めるか。今後、具体的なテーマや視点、史料に沿って考察していく必要がある。

<参考資料>
・広島大学ダイバーシティ研究センター「第14章 多様性とジェンダー」(大学教育入門テキスト)、2017年。
・坂田桐子・河口和也・高松里・北梶陽子「ダイバーシティを考える―研究と実践の可能性」(日本発達心理学会第28回大会一般公開シンポジウム記録)、2017年。







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卒論執筆に取り組んで最低限身に付けてほしいこと

2024年08月27日 18時32分30秒 | 教育研究メモ
 日本では、そろそろ就職・採用試験の結果が出始めるころだと思います。大学によって有無や時期は異なりますが、多くの大学4年生はこれから卒業論文の仕上げにかかります。就職する人は卒業するために、大学院進学を希望する人は進学後の研究準備のために、それぞれ仕上げていきます。これまでのレポートとは違った分量の論文を初めてまとめるために、投げ出しそうになると思いますが、頑張ってください。
 卒業論文の執筆は、「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させること」という大学の目的(学校教育法第83条)を達成するための重要な学修活動です。卒業論文は、深く専門の学芸を研究する活動の総仕上げであり、これを通して知的・道徳的・応用的能力を展開させることを目指します。なんとなく取り組むのではなく、この目的を達成することを目指して取り組んでくださいね。

 卒業論文に取り組む中で、最低限、身に付けてほしい知的・応用的能力が一つあります。それは、課題設定の能力です。例えば教育史研究の卒業論文であれば、教育史研究で解決できる課題を設定する能力になります。教育史研究では、教育史研究で解決できる課題とそうでない課題を区別し、教育史研究で解決できる課題を選択・設定します。学術研究は課題解決の力を育てますが、課題解決はまず課題設定から始まります。課題解決は、適切な課題を設定できるようになって、はじめて取り組むことが可能になります。解決できない課題を設定して研究の意味を主張しても、それは妄想にすぎません。その状態で無理やり研究を始めても、結論(解決案)を出すことはできません。課題に合った研究方法を設定する、または研究方法に合った課題を設定してください。
 課題設定の能力は、適切な課題を設定するために試行錯誤する中で身に付いていきます。ちゃんと指導を受けながら卒論を取り組めば、自然に身に付きます。ちゃんと卒論に取り組んだ人とそうでない人を分けるのは、このような適切な課題設定能力ではないかと私は思います。これはいかなる課題解決にも必要な力ですから、研究者になるだけでなく、よい社会人になるために必要な力です。適切な課題設定能力が身に付けば、大学卒業後に出会う、様々な課題に適切に取り組むことができるでしょう。

 適切に課題を設定するにはどうすればよいでしょうか。例えば、教育史研究の卒業論文であれば、歴史的に優れた思想・実践を研究して今に応用すれば今の子どもがよくなるとか、教育実践が変わるとかいうように、直接的な実践的課題を設定することは残念ながらできません。歴史的な思想・実践を応用することは、歴史研究だけでは不可能であり、その思想・実践を適用する応用的な実践研究が必要になります。歴史研究と応用研究を混同すると、適切な課題を設定することができず、歴史研究としても応用研究としても不適切なものになるでしょう。歴史研究で解決できる課題とそうでない課題を区別せずに、自分の課題意識だけで研究を始めると、歴史研究でなくてもよい駄文が出来上がったり、根拠や有効性のない解決案(結論)を主張してしまったりします。そんな論文を私は卒業論文と呼びたくありません。
 歴史研究の成果をそのまま応用することには慎重であるべきです。たとえ数十年前の思想・実践であっても、それはその時代・国・地域・学校・教室の出来事であって、今を生きる私たちの思想や実践と同一視することはできません。過去を生きた人々は、共通点をもつにしても、根本的に今の自分とは異なる存在であることを忘れてはいけません。安易に今の自分と過去とを同一視すると、研究は自分勝手な自己満足で終わったり、過去の冒涜になったりするおそれがあります。
 もちろん、歴史研究に研究者や現在の課題意識をもちこまないことはできません。しかし、自分の課題意識と歴史的課題をそれぞれ区別し、歴史的事実をその時代の課題の中で正確に分析・評価することが必要です。教育史研究には教育史研究なりの「役に立ち方」があります。歴史的課題には、現在まで形を変えながら続く課題と、その時代で終始した課題とがあり、どちらも「役に立つ」のです。現在まで続く現代的課題に取り組むときも、過去の課題と現在の課題の違い(目的・内容や条件などの違い)に注意する必要があります。その時代で終始する純粋な歴史的課題であっても、研究を積み重ねていけば、現在まで続く現代的課題につながったり、現在と異なる「他者」となって比較考察を可能にする貴重な資料になったりします。
 だから、あわてず、現在を生きる自分の課題意識だけで突っ走らず、自分の課題意識を見つめ直し、教育史研究でなければ解決できない歴史的課題を設定してください。

 なお、歴史研究は、自分の課題意識を歴史研究でなければ解決できない歴史的課題と関連づけなければ、続けることはできません。自分の課題意識を歴史的課題に関連付けていく努力が必要です。
 そのために、自分の課題意識を見つめ直し、先行研究や資料を読みながら鍛え直して、歴史研究でなければ解決できない歴史的課題との関連性を探っていきます。教育史研究でなければ解決できない歴史的課題が何なのかについては、自分で考えているだけでは、わかるはずもありません。歴史的課題は先行研究や資料の中に書かれてあります。課題設定と先行研究の調査整理、資料の調査分析を相互に関連しながら進め、循環させていくことは、研究では普通のことです。
 自分の課題意識がどこにあるのかある程度考えてみたら、先行研究や資料を読んでください。先行研究や資料を読みながら、また自分の課題意識を見つめ直し、鍛え直しましょう。この循環を繰り返したどることで、課題設定の質は高まり、その能力も身に付いていきます。卒論に取り組む4年生の場合、今からだと時間に限りがありますが、課題設定に不備がないか、先行研究や資料を読むことが不足していないかよく見直して、今できること・やるべきことをやりましょう。
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他者に出会う公共の場としての学校

2024年08月17日 11時56分10秒 | 教育研究メモ
 学校とは、他者に出会う公共の場である。
 同質性にまみれた親密な家族・家庭から出た子どもや、同質性を求められる社会や職場から離れた学習者が、新たな出会いを求めて集う場である。
 学校では、異なる個性やアイデンティティをもつ他者(同級生・教職員)と出会い、未知の知識や活動(「他者」)に出会い、人々は様々な刺激を受ける。その結果、人々は視野や世界観を広げ、知識や教養、考察を深め、道徳性を身に付けることができる。
 「他者」と出会い、視野を広げ、教養を深め、道徳性を身に付けることは、学校でなくても可能であるが、その場合は無意図的で無計画な中で偶然起こるに過ぎない。教育とはそれを意図的・計画的に行うことであり、学校はそのような教育を行うために特別に設けられた仕組みである。

 したがって、学校教育は同質性以上に異質性を重視する必要がある。
 しかし、それでは学校が無秩序になり、荒れるではないかという意見がある。しかり。荒れるに任せることが学校の方法ではない。学校は異質な他者同士が出会うことで生じる衝突や葛藤を脱して調和・安定に導く必要がある。目指すべき調和・安定の状態は、衝突・葛藤を隠蔽したり、回避したりすることで得られる欺瞞的・固定的な状態ではなく、衝突・葛藤を経て自ら調和・安定を常に探ろうとすることで得られる倫理的・流動的な状態である。教職員の役割は倫理的・流動的で調和・安定を目指す他者との出会いをつくり、導いていくことである。
 異質な他者を出会わせてうまく教育するには、安全・安心を保障する養護・福祉の仕組みを前提とする必要がある。他者との出会いは常に危険・不安と隣り合わせである。安全・安心を保障する仕組みがなければ、他者と出会おうとする意欲を損なうことになりかねない。学校は、安全を保障し安心して他者と出会える場である必要がある。教職員の役割は、安全・安心を前提とした教育を行うことである。

 さらに、異質性を重視する学校教育では、国民・市民を育成できないではないのかという懸念もある。これは、国民・市民とはどのような存在か、という議論が必要である。国民・市民とは、特定の国家や社会を構成するメンバーとして最低限必要な知識や道徳性等を身に付けた、一定の同質性を有する存在である。問題は、この国民・市民としての同質性はどのように身に付けられるかにある。異質性を重視する学校教育は、学習者に最初から同質であることを求めるのではなく、異質でありながらつながっていくことを求める。国民・市民としての同質性はその結果として生じる。国民・市民育成という目的は、段階的に達成されるものである。
 人間の本質は互いに異質なところにあり、学校教育を通しても依然異質な個性的存在(個人)であり続ける。個人が出会う公共の場(社会)では異質な他者として出会うが、他者の出会いは様々な結果を生み出す。学校は、他者の出会いを価値あるものにするための仕組みである。学校で価値あるものとは成長・発達である。成長・発達につながる出会いを意図的に作り出すには、まず、他者がそれぞれ異質な他者として有能になっていくことが必要である。学校教育において個性を伸ばす意義はここにある。
 しかし、孤立した状態で異質な他者として有能になるだけでは、成長の刺激もない。人間は異質でありながらも、一定の知識や態度を共有し、倫理的に調和・安定を目指して協調・努力し続け、刺激し合うことができる。そこには、出会い、刺激を受けて成長し合おうとする意志・意図が必要であり、安全に安心して効果的な出会い・成長を作り出す計画が必要である。学校や教職員は、学習者を孤立させるのではなく、他者として有意義に出会わせるための仕組みである。

 学校は他者と出会う公共の場として整備される必要がある。他者として有能になり、互いに成長し合える仕組みをつくる必要がある。学校は、本質的に異質な個人たちが有意義に出会い、倫理的に調和し協働し合う国民・市民として成長する場となる。同質であることを強制して異質を否定することではその事業は実現しない。異質を前提に、個性を伸ばして、うまく折り合いをつけていくことで、国民・市民は育成できる。
 学校教育が異質を前提とするならば、心身の障害の度合いや出自・国籍の違いは根本的な問題ではなくなる。いじめは異質を排除して同質の集団をつくろうとするところに発生するから、いじめへの向き合い方も明瞭になる。教職員は学校・学級生活の中で一人の他者として学習者と出会い、安全で安心な出会いを整えながら、教育活動全体を通して異質な知識・技能・考え方等と出会わせる必要があり、教科指導・生徒指導を両立すべき理由がはっきりしてくる。学校のスタッフは他者として出会うことが重要だから、学校を教員だけで組織する必要もない。個性を伸ばすための個別最適な学びが協同・協働的な学びと接続されるべき理由や、学力形成と生活・生徒指導、道徳教育を総合すべき理由、個性教育とインクルーシブ教育、国民教育と市民(シティズンシップ)教育を接合すべき理由もはっきりする。

 今を生きる我々は、議論すべき多種多様な学校教育問題に取り囲まれている。我々は議論の整理と問題解決のために、学校観を更新する必要がある。
 1947年以来、教育基本法に基づく日本の公教育制度は、戦前から引き続き、「国民」に囲われ、「能力」に制限されて続けている。1960・70年代には、公教育の福祉的意義に注目が集まり、家族間の格差や進路、もっている障害、出自、国籍の違いに向き合って、これらの違いを取り込んで制度化することが課題となった。今では、格差が拡大し、グローバル化が進み、障害への関心が高まり、他者の異質性はどんどん明瞭になってきている。今我々が直面している教育問題は、個々では法的・政策的・実践的な問題であるが、学校観・教育観の問題を通底して抱えている。
 学校観・教育観の問題は教育哲学と教育史の問題である。十分な哲学的考察は的確な歴史認識・解釈の下で行われる。現在の問題は近代的問題だが、日本では20世紀を通して大きく変動してきた。今こそ20世紀以来の日本教育史を歴史的に総括することが必要であろう。

 キーワード:他者との出会い、異質性/同質性、公共の場(公教育)として意図的・計画的に制度化された学校

※小玉重夫「戦後教育における教師の権力性批判の系譜」(森田尚人・森田伸子・今井康雄編『教育と政治―戦後教育史を読みなおす』勁草書房、2003年、94~112頁)を読んでいて、1980・90年代のプロ教師の会の教師の権力性批判とその居直り的言説を思い出しながら考察したことをまとめていたら、こんな文章になりました。



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学校文書における教育会関係資料の重要性、ひるがえって学校文書保存のこと

2024年08月09日 19時39分00秒 | 教育研究メモ
 

 8月5日から7日にかけて、所属する科研費グループ(教育会史)の一部メンバーで長野県飯山市内の小学校の調査と信濃教育会の信濃教育博物館に行ってきました。小学校調査の方は、今年度または来年度に統合・廃校予定の3つの小学校の文書保存を目的とした調査です。写真はそのうちの1校の校舎からとった写真です。見事な田園風景でした。
 小学校では目録作成をするために文書名の表記された面をひたすら撮影していくという作業を行いました。文書は倉庫の奥にあって埃っぽく、学校によってはエアコンもない、または電気もないという環境でしたので、埃対策と熱中症対策を万全にしていきました。なかなかの肉体労働でしたが、貴重な資料がたくさんありましたし、資料を残そうと思ってくださった管理職や関係者の期待に応えるべく、メンバーみんなで頑張りました。

 なぜ教育会史研究なのに学校文書を調査しているかというと、学校文書には教育会に関する資料が入っていることが多いからです。特に長野県の学校には、戦後も教育会が存続したことが原因となって、よく残っています。学校文書にある教育会関係資料は当該学校文書全体の一部なので、教育会関係資料だけをピックアップしても十分な研究をすることができません。そのため、教育会史研究としても学校文書全体を保存する必要があります。教育会関係資料だけ見ても、その資料の背景が理解できませんから。
 今回の調査で改めて学校文書の重要性を考えました。学校文書は、当該学校史・地域史の基礎資料になるから重要なのは当然ですが、教育会史研究においても重要です。教育会員の多くは学校教員であり、教育会の活動は学校運営や授業方法などの学校教員の職務に深くかかわるので、学校文書の中に教育会資料が含まれることになります。教育会資料が学校文書に含まれるということは、逆に言えば、教育会が学校運営上重要な位置を占めていた証拠にもなります。
 学校文書に残る教育会関係資料のほとんどは、郡市教育会レベルの資料です。郡市教育会は教育現場に近い活動をしていたので、教育会史研究でも極めて重要な対象です。これまでの教育会史研究の主要史料は中央・都道府県教育会の機関誌でしたが、学校文書に含まれる教育会資料は、機関誌に掲載されない様々な情報や動向を把握することを可能にします。
 
 以上のように、学校文書に残る教育会関係資料は、郡市教育会の実態に迫る資料として、これまでの教育会史研究を乗り越える可能性があります。近年、少子化・人口減少のために統合・廃校が増えています。学校文書が処分・紛失・散逸する場合、統合・廃校時が最も注意すべきタイミングになります。長野県を除いて、全国の教育会は1940年代後半にほとんど解散してしまいました。すなわち教育会が現存しない地域が大半です。これは資料保存にきわめて不利です。保存するかしないかを判断する主体が、その教育会の関係者ではないからです。教育会関係資料はその学校の直接的な資料ではないので、資料保存の判断時に処分の判断が下される可能性が高くなります。
 都道府県教育会の資料は都道府県教育会館や都道府県立図書館などに保存されていることがあるのですが、郡市教育会の資料は保存されにくい傾向にあります。学校文書ともども保存の方法を考えていかなければなりません。学校文書については、京都市学校歴史博物館のように専門の博物館が設けられる事例もありますが、そういう事例は少数です。学校の統合・廃校が今後も増えていくであろう今だからこそ、学校文書の保存方法はもっと真剣に考えなければなりません。
 日本の学校は地域が設立・維持に深くかかわっているだけに、学校文書は地域の歴史を語る貴重な資料でもあります。自治体消滅もありうる今、地域の資料自体も貴重です。資料がなくなればその地域の歴史を語ることができなくなります。歴史を語ることができなくなるということは、その地域に生きた人々が忘れ去られてしまうということです。地域資料の散逸を防ぐためにも、学校文書の保存方法を考える必要があります。

 今回は、研究仲間からの情報提供で長野県にはるばる足を延ばしましたが、私自身、広島県周辺のことをもっとよく考えないといけないと痛感しました。今の私は、教育会関係資料はもちろん、そもそも地域の教育史資料が紛失・散逸しないようにすべき立場にいます。これからの仕事の仕方を考える機会になりました。



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「広島の漢学者の書」資料展示会の全日程終了!

2024年07月10日 19時02分32秒 | 教育研究メモ
 

 昨日、三原沼田家文書所収予定資料から広島ゆかりの漢学者の書をピックアップして展示した、資料展示会の全日程を終了しました。6月26日・7月9日の2日間午後の日程で実施しました。
 私は学芸員の訓練を受けていないので、素人的な展示会を脱することはできませんでしたが、貴重な資料をたくさんの来場者に見ていただきました。開設(復興)1年目の研究室のため準備・片付け等は主に自分ひとりでしましたのでちょっと大変でしたが、準備・待機では少し日本東洋教育史研究室のゼミ3年生3人に手伝ってもらいました。
 来場者からは好評の声を聴かせていただきました。「三原にこんな人たちがいたのか、と見直しました」とか、「博物館とかだとウィンドウの向こう側遠くに見るような貴重な資料を間近に見られてよかった」、「資料を近くや横から自由に見れて、凹凸や質感等を堪能した」といった感想をいただきました。書の文字を読み取って、内容を類推しながら「ああだ、こうだ」解釈し合う場面もあり、来場者にとってとても楽しい時間になったようです。最近、歴史学習における学習者同士の歴史解釈の交換・議論が大事だと言われていますが、そんな時間を提供できた気がします。
 私が待機していたときは解説役も果たしました。私自身の研究成果を踏まえて、沼田竹渓・香雪(良蔵)の親子関係や、宇都宮龍山と沼田親子の関係、龍山門下の三原・尾道担当学区取締としての近代学校制度立ち上げに関する功労等を中心に解説しましたが、意外に面白がっていただき、光栄でした。研究活動の一般還元の取り組みにもなりました。

 専門外の学生から、「チラシを見て、なんで漢学者なんだろうと思っていましたが、漢学者の歴史は教育史でもあるんですね」という感想ももらいました。「広島の教育者の書」資料展示会にした方が伝わりやすかったかな…?と思いつつ、日本教育史の専門ではない学生の歴史認識を更新する機会にもなったようです。
 当日の活動報告記事を、来場した院生が作ってくれました。ぜひ見てくださいね。→こちら

 教育学プログラムが昔から管理してきた各教育学資料室の可能性も示せたような気がします。

 ちなみに一番人気はこちら。上部にある書は良蔵の手によるものですが、それ以上に、沼田竹渓を囲む家族団欒の様子(軸には「一家団栗之図」と書かれています)を描いたであろう絵に皆さん興味津々でした。いい絵ですよね。私も気に入っていますし、沼田家一族の方々も気に入っていらっしゃいました。

 




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【7/9午後】三原沼田家文書 幕末明治期 広島の漢学者の書 資料展示会のご案内【日程追加】

2024年06月28日 19時14分00秒 | 教育研究メモ


 先日、広島大学教育学部HP等やここでお知らせしました通り、「三原沼田家文書 幕末明治期 広島の漢学者の書 資料展示会」を開催しました。ご来場いただきました方々には心より御礼申し上げます。
 本展示会は本来1回限りの予定でしたが、来場者からのご好評につき、日程を追加して再度開催することにいたしました。

 下記の通り、広島大学教育学部A515教室(教育学第二資料室)で、幕末明治期に多くの弟子を育てて活躍した、広島ゆかりの漢学者の書を展示します。日本教育史の資料を直接間近で目にできる貴重な機会なので、興味のある方はぜひご来場ください。

日時: 2024年7月9日(火) 14:10~18:30
会場: 広島大学東広島キャンパス 教育学部A515 教育学第二資料室

主催: 日本東洋教育史研究室
担当: 広島大学大学院人間社会科学研究科教育学プログラム准教授 白石崇人 ( tshira2@hiroshima-u.ac.jp )

 三原沼田家文書とは、2022年まで三原市にあった沼田實(1889-1976、元愛媛県中等学校長・私立広島女子商高等学校長・三原市教育委員長)の私邸にあった大規模な資料群です。實や三原小学校初代校長の沼田良蔵(1849-1913、實の実父、香雪と号す)の収集したものが中心で、明治・大正・昭和期の教育史にかかわる資料がたくさん含まれています。
 三原沼田家文書は2022年に広島県立文書館に大部分が寄贈されましたが、このたび、遺族が別に保管していた表装済みの掛け軸が、本年7月頃までに同館に追加寄贈されることになりました。同館に寄贈されると気軽に閲覧することはできなくなるため、この際、研究のためいったん公開させてもらえないかと遺族にお願いしたところ、公開を快諾してくださったため、資料展示会を広くことにしました。

 今回展示する予定のものは、沼田竹渓、宇都宮龍山、吉村斐山、菅茶山、頼山陽、坂谷朗蘆の書などです。いずれも、知る人ぞ知る高名な学者たちであり、たくさんの弟子を育てて幕末明治期の教育史に足跡を刻んだ人々です。
 どのような立場の方でも来場可能です。時間内であれば入退室自由ですので、お誘いあわせの上、お気軽にお運びください。

参考文献
・白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第56巻、2021年12月、1~14頁。
・白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第68巻、2023年3月、306~317頁。
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