教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

「真の道」とは

2012年05月24日 21時10分22秒 | 教育者・保育者のための名言

 ほんとうの道は、あたりまえの道である。

 ――倉橋惣三『幼稚園真諦』(フレーベル館、1953年)「終わりに」より
     (津守真・森上史朗編「倉橋惣三文庫」①、フレーベル館、2008年、134頁)


 最近なかなか更新できませんが、生きています。
 今、ゼミで学生と倉橋の『幼稚園真諦』を読んでいます。ようやく読み終わったのですが、最後の最後に「深いなぁ…」と思ったのでメモ。
 倉橋の保育思想と重ねてこの言葉をかみしめると、さらに面白い。

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講義は連続6回くらいまでが限界みたい

2012年05月12日 08時14分21秒 | Weblog

 近況報告です。
 一部の人には「みっともない!」って、また叱られそうなグチ日記ですので(苦笑)、見たくない人は見ないでください。
 GWは結局あのあと映画行けずじまいでした。

 さて、今週から地獄の日程が始まりました。とくにこの木・金曜は授業が連続しており、木曜1・3・4・5限、金曜1・2・3・4限と集中講義なみのスケジュールでした。今期の金曜は毎週こんな感じなのでまあいいのですが、木曜は補習(実習期間2週間の補習、厚生労働省の指示により必ずやらなければならない)とオムニバス授業の担当回がたまたま重なって、こんなスケジュールになりました。論文の〆切もせまっており、木曜は夜中まで研究もしていました。
 私の授業を受けたことのある人はわかると思うのですが、私は毎回の授業で「全力投球」します。保育者養成者の責任として1回1回の教育内容もおろそかにできず、毎回きっちり授業をつくって実施しなくてはならないため、手は抜きません。もちろんそれぞれ90分間立ちっぱなしです。(板書・机間巡視等のため、座っていては授業できません)
 そんな感じで金曜2限まで授業し、そこまでは自分なりにうまくいきました。そこまではなんとかやってきたのですが、ついに3限で疲れが一気に出てしまいました。普通の状態ならスルーできることがスルーできず、その後の授業中何度も言葉がうまく出なくなるという失態をさらしてしまいました。かなり焦りました。
 授業を詰め込みすぎるのはダメですね… 自分の体力の限界を感じました。(4限はゼミだったので何とか…) 私の場合、連続講義はギリギリ6回連続くらいが限界のようですね。あと、1日の終わりにはちゃんと休まないと(笑)。その後は頭がほとんど動かなくなってしまったため、定時に帰らせてもらいました。今朝目が覚めるとすぐに体が動かない… やっぱりめちゃくちゃ疲れていたようです。

 一晩明けて気分は落ち着きました。今日からは何とかなりそうです。来週末に研究会で発表するのですが、その内容がまだまとまってないので、この土日はがんばらなくては。(昨日なにもできなかったし…) 研究はとりあえず佳境の段階に入っているので、何とかなる。
 来週からは、1年生の実習も始まり、出張もいくつか入っています。幸い今週のような連続授業はないので、何とか切り抜けたいと思います。

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研究しない大学教員は死んでいるのも同じ

2012年05月03日 19時43分47秒 | Weblog

 ゴールデンウィークですね。
 この4月下旬以降の時期は、1年生の実習直前であり、来年度の実習内諾取りも始まり、2年生の実習も近くなってくるため、何かと気ぜわしい時期です。これより後は、8月までほぼノンストップで走り切らなければなりません。GW明けには出張が多いし、体調も心配…。
 実質、このGWが最後の助走期間になります。たまっている採点物もやってしまわなければいけない。英気も養わなくてはいけない。
 といっても、たまった懸案事項を処理したり、休んでいるだけでは教師はつとまりません。

 研究しない教師は、死んでいるのも同然です。
 研究も、できるところまで進めなくては、と思ってます。今年は、数年ぶりに某学会で発表したいです。

 教師にとっての研究は、「新陳代謝」とも言えるんじゃないか、とふと思いました。
 研究は、既に身につけた知識・技能・識見を活発に動かし、新たな知識・技能・識見を生み出していく営みです。研究前の既存の知識などは、研究後だけでなく研究中に活発に活用され、少しずつ変化していきます。古い智から新しい智への代謝。この営みが止まったとき、教師は生き生きとした言葉を発することができなくなります。(なお、力量ある教師は、学術研究とは違った意味ですが、これに類することを授業中・教育活動中に行っています)
 常に智が活動しているからこそ、生きた人間を育てる教育活動も可能であり、生きた世界のための学術的貢献も可能なのではないでしょうか。まあ、理想的な言い方ではありますが、大事なことだと自分では思っています。

 この時期はなぜかいつも体調が少し優れないのですが、幸い少しずつよくなっているので、ぼちぼち、やれるところまでやっていきましょう。

コメント (4)
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