教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

広島資料室と群像執筆

2005年08月31日 22時04分27秒 | Weblog
 今日は中途半端な時間に登校したので、まず「大日本教育会・帝国教育会の群像」の執筆を始めました。しかしもともと今日は広島市立中央図書館広島資料室へ行くのが第一目的だったので、途中で中断。広島大学-広島バスセンター(広島県庁の向かい側)のバスに乗って、広島市内へ。片道800円・往復1,380円です。実は広大から広島市中央部に行くには、これが一番安いことに気づく…
 で、広島市立中央図書館広島資料室へ。この施設、先日まで間違いに気づかなかったのですが、上記が正式名称です(オイ)。この資料室には、広島ゆかりの資料(主に製本資料)がたくさん所蔵されております。広島の(特に広島市の)研究をするばあいには一度尋ねてみてください。ただし、閉室時間にはご注意を!図書館自体は19:00閉館ですが、広島資料室は17:00閉館です。私は、前々から宣言していた通り、広島の教育関係者の資料をコピーして来ました。
 20:00ごろ大学に戻り、「群像」の執筆を再開。今日の人は「山本瀧之助」。青年団の父と呼ばれた人で、広島県沼隈郡に居ながらにして全国の青年団運動の中心にいた人でした。すでにまとまった研究があって、詳しいことまでわかる人。わかることが多いと、書きたいことが多くなる。んで、ちょっと書きすぎたかもしれません… 他の人もこれくらい資料があればいいのになあ。
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戦後直後の社会科学

2005年08月28日 18時39分04秒 | Weblog
 今日は読書のみ。
 最近、社会科学に関する勉強を続けています。もともと、博士論文作成にあたって、教育「学」研究とは何か、という問いにぶつかったのがその発端でした。当初は何に手をつけていいやら、教育「学」と銘打った研究書の山に尻込みばかりでした。しかし、「学」とは基本的には「科学」を意味するのでは?という他愛もない仮説にたどり着き、では科学とは何だ?という問いに至ったわけです。
 私が拙い頭で科学とは何かと考えた時、重力の法則とか、化学変化とか、すぐに自然科学といわれる類のものを思い浮かべてしまいます。この思いこみは、私の中では非常に強固でして、以前、E・H・カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』(岩波新書、1962年)を読んだ際、自然科学と歴史学はその根本として変わらないのだという主張に触れ、カーの科学観で科学をわかったことにしていいのか?という疑問を発生させるに及びました。科学そのものの勉強は以前から時々やっていたのですが、最近活発に勉強を始めた動機は、このカーの科学観の正当性を確かめたいという欲求から始まっています。
 というわけで、今日は高島善哉『社会科学入門-新しい国民の見方考え方-』(岩波新書、1954年・改版1964年)を読み切りました。この本を選んだのはたまたま目に付いたからですが、そのほかに社会科学の入門書であることも選定基準でした。前述の通り、自然科学一本の科学観を持つ私ですので、自然科学に対する社会科学とは何か、と純粋に疑問があったので社会科学に興味がありました。また、私は基本的に読書嫌いで知識の蓄積がなく、頭も鈍くてあまり専門に渉ると理解が追いつかないので、入門書から入るべきと思って手を伸ばしたのも理由の一つです(笑)。
 高島著は、出版年を見ればわかる如く、戦後直後に書かれた社会科学入門書です。国民の観察思考方法として社会科学の方法を伝授しようという目的を持つ高島氏は、他の社会科学に関する著作がわかりにくくて読者に伝わり難いという現状をふまえて、この書を著したそうです。その姿勢に違わず、内容は非常にわかりやすいものでした。
 高島著の極めて粗い要約とそれに対するコメントは次の通り。
 社会科学とは社会を歴史的・理論的・政策的に分析する科学であり(同著は歴史的叙述に焦点を置いてます)、その重要な視点は一つに社会体制、二つに階級、三つに民族であるとします。社会体制は封建社会→資本主義社会→社会主義社会の順に移行し、現在は資本主義社会の危機の時期=社会主義社会への移行過程時期であるから、それを見据えて社会科学者は行動しなくてはいけないとしています。現在では何か空虚にも聞こえる主張ですが、当時の社会科学者のポピュラーな思考方程式?が非常にわかりやすく理解できました。また、英仏独米日の歴史的相違から社会体制の違いに及び、ドイツ・日本の国家主義的傾向を説明した点は、興味深く読みました。
 この本の中で一番印象深い箇所は、第一章第一節でした。ここを読んで思ったこと。すなわち、戦前日本への社会科学受容過程において社会科学=マルクス主義科学という認識が生まれてしまったこと、そのために社会科学に対するアレルギーともいうべきものが戦後に至っても引き継がれていること、そして科学=自然科学という強固な認識の改善の阻害となっていること。これらの問題は、この本が刊行されて50年経った現在でも、まだ解消されていないのでは…?
 もちろん、私だけの実感にすぎませんが
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教育史学会大会発表要綱4

2005年08月27日 22時43分19秒 | Weblog
 今朝は、平原春好『日本教育行政研究序説』(東京大学出版会、1970年・復刊1979年)を音読。もともと途中まで読んでいたものですが、昨日の夜から読み切ってしまおうと音読に熱中。午前3時半ごろ、すべて読み終わりました。この著書は、戦前日本の中央教育行政の特徴を、一般行政法理論、勅令による諮問機関、教権独立論の視点から分析したものです。教育史研究の範疇には入ると思いますが、ご本人は歴史的研究方法をもちいて教育行政の制度的特質を明らかにしたもの、と主張しており、教育行政学分野における歴史的研究といったほうが良いのかもしれません。実証について不満を覚える箇所もありましたが、戦前日本の教育行政を理論的に分析した重要な研究だと思います。
 昼前に起き出して、登校。それから、中断していた教育史学会大会発表要綱の原稿の直しを再開。一旦できたものをふたたび先生に見せて、さらなる修正を指示される。18:00すぎごろ完成したので、郵便局へ行って簡易書留で無事投函。ようやく一仕事終わった…
 Cocoいちでニラともやしの旨辛カレー(期間限定750円、うまかった)を食べて、ふたたび学校へ戻る。文庫系の本を読んでいると、S先輩がやってくる。諸事情で、S先輩と私が、我が日本東洋教育史研究室史を書かなくてはならないことになっており、S先輩はそのための諸先輩方の研究業績を調査。私もS先輩の後ろでやいのやいのしていたら、私もその調査をすることに。夜も遅いので22時すぎたあたりで途中でお開き。顔も知らない先輩の研究業績を見て、いまさらながら自分の研究室の伝統を知った一日であった。
 
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教育史学会大会発表要綱3

2005年08月25日 20時51分44秒 | Weblog
 今日は、再び教育史学会大会発表要綱の原稿の直し。内容的には加えることはないのですが、先日の特研での議論をふまえると、論理がうまくつながらない。結局一日中、直しをやっていました。
 でも、まだ納得できない。時間だけがすぎていく。まいったね。
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やすみ

2005年08月24日 21時56分59秒 | Weblog
 今日は特研の翌日。案の定、休みになってしまいました(笑)。風邪をひいたかどうかわかりませんが、頭が痛い。腰が痛い。肩がこる。なんか、ポンコツになってます。
 基本的に今日はDVDを見ておりました。三谷幸喜原作『笑の大学』と、吉本興業の『M-1グランプリ2001』を鑑賞。『笑の大学』はもともと舞台演劇の作品だそうですが、非常におもしろかった。おすすめです。『M-1』は若手お笑いタレント決定戦の第一回大会。約1600組から勝ち抜いた10組のネタ合戦。面白かったす。
 笑いは健康にいいそうですよ
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教育史学会大会発表要綱2

2005年08月23日 18時22分41秒 | Weblog
 今日は、特研(ゼミ)でした。
 私は8/30〆切の教育史学会大会発表要綱集録の原稿を発表。今回は今までの私の論文とは少し趣きの異なるものになりました。少し修正の必要ありですが、だいたいはよさそうです。ここ二・三ヶ月、ちょっと幅広く勉強してきましたが、レジュメ作成にあたって、その成果は上がっているなあという実感がありました(レジュメに出ているかどうかは微妙ですが)。
 勉強ばかりして研究(論文作成)に長い間従事していなかったので、研究できるかなと不安ですが、「いままでやってきた」研究はできないかもしれません。もちろんいい意味でのことで、研究能力の成長が見られたのではないか、と思います。このまま勉強しながら、がんばっていきまっしょい。
 ちなみに、「~まっしょい」なんて伊予弁は、聞いたことない…
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教育史学会大会発表要綱

2005年08月22日 22時16分03秒 | Weblog
 今日は、明日の特研に提出する、教育史学会大会発表要綱の仕上げをしておりました。思ったより早く、何とか仕上げることができました。でも、まだまだ読みこまなくてはいけない先行研究もあり、完成とはいえません。〆切は8/30なので、明日の特研での討議をふまえて、もうひとがんばりです。
 大会発表要綱について、ひとつ思うことがあります。それは、学会前に要綱集が手元にあればいいのになぁということです。例年は学会参加当日に配布されているので、要綱集はほとんど読まないうちに発表会場に向かい、聴講します。しかし、要綱集が学会前に読めるなら、多少発表内容を理解して発表に臨むことができると思います。これなら、発表者にとっては質の高い質問を受けることができるし、聴講者にとっては発表内容のより深い理解ができるでしょう。印刷期日や配布のための郵送料などが問題で、実行は難しいのかもしれませんが、学問交流の場としての学会大会をより意味あるものとするためには、実現してほしい妄想であります。
 あくまで妄想ですが
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無呼吸と音読

2005年08月19日 16時29分39秒 | Weblog
 最近、寝起きが最悪。んで、今日、主治医に相談。機械の空気圧を上げてもらった。まだ試してないけど、少し安心した。
 無呼吸の症状がひどいためだと思うけど、日中は集中力不足の上に眠い。勉強が進まないので、昨日今日は先行研究を音読している。ただ音読するのはもったいないので、デジタル録音までしている(笑)。録音したデータは、「聖徳speedwave」というソフトで数倍再生を行い、散歩のときなどに聞いている。いわゆる速読というやつ。数日続けていると、最初は何を言っているか理解できなかった文章が、だんだん聞き分けられるようになるのである。頭の回転も速くなるので、理解力もアップし、勉強・研究の効率も上がる。
 ただ、毎日続けないと効果は出ないので、飽きっぽい私などはなかなかうまくいかない。一時期、一ヶ月ぐらい続けていた時があり、そのときは確かに効果があった。しかし、忙しくなってくると音声を聞いているヒマがなくなり、また何度も聞いているから飽きてくる(笑)。それで、かなり長い間聞いていなかった。久しぶりに聞き直したときは、以前楽勝で聞こえていた4倍速すら聞きとれなくなっていた。昨日から再開し、昨日はほとんど聞こえなかったが、今日は少しずつ聞き取れるようになっている。最近忙しいので、また中断しないように気をつけたい。
 集中できないために勉強がはかどらないので、先行研究を音読し、ついでに録音して速聴の教材?を作っている。それが今日の私(笑)。ただ、音読は黙読よりも時間がかかるので、やっぱり非効率的なのだ。変更したばかりの無呼吸機械の効果に期待しよう。

 今は、もっぱら教育史学会の大会発表要綱の原稿のための準備をしている。要綱の〆切は8月30日(事務局必着)。最近忙しいのと体調のせいで研究の効率が挙がらないのとで、実はあんまり進んでいない。ちょっと余裕がなくなってきた。我が研究室では学会発表・投稿の事前に特研で発表することになっているが、8月の特研は8月23日と30日に開かれる。30日に発表したのでは〆切に間に合わない。何としても23日までに形にしないといけないのだが… 構想はすでにできあがっているので何とかなるとは思うが。うーむ。
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休み

2005年08月17日 18時02分39秒 | Weblog
 今日は全休しました。ここのところの疲れを一気にとるため。
 今夜はやけに涼しかった。コオロギの鳴く声が盛んに聞こえてきました。秋の近づく気配。
 残暑は厳しそうですが
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広島帰り

2005年08月16日 22時56分15秒 | Weblog
 今日夕方、広島に帰りました。松山観光港からフェリーに乗って呉港で降船(所要時間約2時間)。呉港から呉駅へ移動し、呉駅から呉線に乗ってJR海田市駅まで移動する。海田市駅からJR山陽本線に乗り換えて、西条駅で降車(所要時間約1時間半、電車乗り換え時間も含む)。途中、友人からメールが来たので、返事のついでに西条駅から家まで送ってもらえるよう依頼。OKをもらえたので、西条駅から途中その友人に晩飯をおごって、ようやく帰宅。
 写真は、呉線の天応駅からの海の風景。海に太陽光が反射して、みごとな光の芸術になっておりました。で、なぜこれを撮ったかというと、呉線の電車が何分もこの天応駅に停車するためです(笑)。呉線は一車線しかないので、逆側から来る電車が通り過ぎるのを待つために、幾つかの駅で停車するのです。天応駅での停車は正確な数字を聞き逃したのでわかりませんが、かなり長い間停まる。ちなみに乗り降りする人はほとんどいない。ふた駅後の小屋浦駅でも2分停車。ここでも乗り降りはほとんどなし。呉線は結構時間をロスします(苦笑)。
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終戦記念日

2005年08月15日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は、終戦記念日でした。
 といっても、私は黙とうもせずにふらふらしていた無自覚者ですが。
 昭和20(1945)年8月15日正午、昭和天皇の玉音放送がありました。前日にポツダム宣言を受諾し国家として無条件降伏、翌日15日の玉音放送によって国民に終戦が告げられたわけです。今から60年前の今日は、日本国民あげて太平洋戦争終結を認識した日です。そして、実質的に日本が対外戦争を放棄した日でもあります。
 最近、60年前に終結した戦争を根本的な原因として、憲法9条問題、歴史教科書問題、領土問題、靖国問題などの問題があります。今日、NHK総合にて「日本の、これから」という番組がありました。上記のような問題をふまえて議論する番組で、三部にわかれて合計5時間ちかくの放送時間がさかれていました。町村外務大臣をはじめ、ジャーナリスト、学者、一般の日本人、アジア諸国から50人くらいが集まり、意見発表・交換を行う生放送番組でした。番組名は「日本の、これから」ですが、基本的な進行は、「これからの日本は中国・韓国とどうつきあっていくべきか」という主題に乗っ取って進行されたといえます。このような問題を取り上げた、今まで私が見てきた番組は、コメンテーターや司会者の主張があまりに強すぎて、半ば決裂状態で放送時間終了に陥る番組ばかりだったと記憶しています。しかし、今回の番組は「これから」を考えることが主題であったため、非常に建設的な議論が展開されていた感を受けました。
 「日本の、これから」という番組を見て、思うところがたくさんありました。その中で特に驚いたことを一つ。この番組は生放送中に携帯電話を通して何件かアンケートをとり、5万・6万というすさまじい数の回答数を得ました(すごい!)。そのアンケートの一つに、たしか日中・日韓関係の改善のためにどちらが歩み寄るべきか、という問いがありました(出演者に質問が悪いと責められていましたが(笑))。その回答は、双方が歩み寄るべき、という回答が全体として一番多かったのですが、年齢別の結果を見たときに愕然としました。このデータに関してはほとんど解説がなく、ちらりと見えただけですので、明確な数字は見えませんでしたが、20代・30代の回答は双方が歩み寄るべきという回答が、他の年代に比べて明らかに少なかったのです。しかも、20代の回答は「歩み寄る必要はない」という回答がかなり多く、私の印象では「双方が~」よりも多かったようにも見えました。若い世代に、このような強硬な姿勢を主張する人が多いことに驚きました。これは、最近幅をきかせてきた排他的な国民主義とでもいえそうな風潮が原因なのか、反日デモや「自虐」史観教育の反動が原因なのか、かなり判断の難しい問題でしょう。これからの日本社会を担う若者にこのような強硬な姿勢が多く現れることは、危機感を持つべきではないでしょうか。
 ただ、出演者からは非常に穏健かつ説得力のある発言が多く、安心して見ることができました。最後に出演者全員が、ホワイトボードにこれから日本はどうすべきか書きました。その内容はさまざまでしたが、「自ら(近現代史)を知ること」「多様な視点をもつこと」「互いに和解すること」というメッセージが取り上げられていました。互いを理解すること、自らを理解することが、この番組の議論をふまえたメッセージであり、そしてNHK側の意図だったのでしょうね。画面の端にちらちら見えた他の出演者のボードを見ると、穏健で単純なメッセージが比較的取り上げられていた作為的な印象を受けなくもありませんでした。しかし、これこそ今後の日中・日韓関係の方向を指し示す、大事な目標だろうと思います。
 私は、すぐにとはいかないまでも、いつかは日本と中国・韓国が衝突なく手を携える時がくるだろうと信じています。番組中で、総理大臣の靖国参拝や歴史教科書の記述が発端になって、日本がまた侵略戦争をする国になるんじゃないか、という外国の方の心配が吐露されていました。しかし、外国に軍隊を派遣して積極的に対外戦争を行うことは、60年前に日本国民全員が放棄したはず。私は、他国の人々を力づくで従わせることは、今後の日本にはありえないことだと確信してます。
 常識ある人は、戦争が人権を侵害しついには人を殺すことを知っているし、人を殺す権利は誰も持っていないことを知っています。常識ある人々が増えることこそ、60年前の父祖たちの経験を無駄にしないことにつながるのだと思います。これこそ、戦没者を尊重することではないでしょうか。我々教育に携わる(携わる予定の)者ができることは、常識ある人間を育てること、これに尽きましょう。
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実家

2005年08月14日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は母の実家に行きました。松山から2時間以上車で南にいったところ、松野町というところです。松野町は、愛媛県南予地方・宇和島市の近くにある山里です。今日は伯父から「ワキボトケ」の話が初めて聞けたので、ひとつ知的収穫がありました。血縁関係はないが、諸事情により我々の家系がお祀りをしている仏さんだとか。伯父から聞いた説明ではいまいちよくわからなかったので、ご存じの方がいればご教授お願います。
 松野町には、天然ウナギが食べられる店があります。毎年お盆に母の実家に行くと、せっかくなのでいつもその店に食べに行きます。で、今年もその店に行きました。しかし、早めに行くとウナギの入荷が遅れたので今日の開店時間は遅くなると言われ(予約すらさせようとせず店に引っ込む店員)、しばらくして開店時間20分前に行くと20人以上の人が店の前に並んでおり、結局あきらめました。実は、この店かなり有名で、いつも客が多くて、このようなことは数年前からよくありました。しかも、最近、天然ウナギが少なくなったということで、すぐ、ウナギなくなりました、うそー!せっかく席に着いたのに!、という不幸に見舞われることはしばしば。その本当の原因はわかりませんが、最近日本全国的に天然ウナギが減っているということだし、近くの広見川(四万十川の支流)の河川敷が整えられたことも原因として考えられるでしょう(確かに河川敷はきれいになった)。
 まあ、ウナギが少ない、客が多くて大変なのは理解できますが、この店は何年にもわたってあまりいいサービスをしてもらった覚えがない…(食べさせてもらえない、とうサービスはおいておいても) 別の店を開拓しないとなあ、と一家でつぶやきながら、今日はスーパーの弁当が昼飯でした(笑)。今日の昼飯代、一家全員合計で、その店の鰻重一人前の代金より安い。
 ほんと、天然ウナギって高いですよね…

 夕方ごろ松野町から帰宅すると、叔父の家族が家に来て我々の不在を確認し、ちょうど帰ろうとしていたところでした。セーフ! ウチの父は長男で家を継いだので、我が家は叔父たちにとっても実家。激ヤセして美人になっていた同い年のいとこ(女)に、ところてん・かんてんダイエットを伝授してもらいました(笑)。運動とセットでやると効果ありそう。
 お盆の日々は、先祖の霊とともに、あちこちで血縁が集まる日々です。家伝統の文化を強く感じる日々でもあります。
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お盆休み

2005年08月13日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は何もしてません。来客二件(父および家の客ですが)。いつの間にか夕方となり、墓参りをして、迎え火を焚いた程度。
 ここのところの疲れがたまっていたのか、実家に帰ると気が抜けるのか。実家にいると、一人暮らしをしている時の自分とは別人になるような気がします。いいことは、たまには親孝行しようかな、と思うこと。二十歳前後の大学生の頃まではほとんどそんなことを考えたことはありませんで、自分のことしか考えていませんでした。しかし、歳をとるにつれて、やれることはやってやろうかな、と思えるようになりました。まあ、洗濯物を干したり、料理を手伝ったり、食事の後かたづけをしたり、といった簡単な手伝い程度で、たいしたことはしてませんが。
 んで、軽く手に火傷を負う(笑)
 実家に帰って悪いことは、広島等の人間関係に非常に無関心になってしまうこと。まったく気にしないわけではありませんが、連絡や対応などをかなりおこたってしまうのです。たぶん、実家ではすぐ近くに気がおけない両親兄弟が居るので、さみしくないからだと思います。学業・仕事・趣味等の関係で人間関係は発生するものですから、単にさみしいから人とつきあっているのではないですが、そういう面もないわけではありません。正直言って、朴念仁の私も、いつも一人でいるのは嫌なので。しかし、実家では広島にいる時よりも、人間関係の維持にかなりいい加減になってしまいます。これは、私の実家「観」が原因かも。私にとっての実家とは、現実(私の場合は広島)とは別世界の夢の世界のように感じているような気がします。自分が18歳まで育った松山ですら、すでに今の私の生活とは離れた世界となっているのかもしれません。そう考えると、故郷を忘れるようでさみしくも情けなくもあり、独り立ちしたのだと誇らしくもあり…
 そんなわけで、実家へ帰るとリラックスできますが、逆に早く現実に戻らなくてはと思ってしまっているようです。いつの間にか、広島(現実、生活の場)と松山(非現実、現実逃避の場)という構図ができているのでしょうか。
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犬猫→実家

2005年08月12日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は移動のみ。
 早朝起床。他人といっしょの部屋で寝るので、昨夜は気をつかって無呼吸の機械を使いませんでした。少し心配でしたが、意外にふつうに目が覚めたのでほっとしました。今日の予定は、昼過ぎに徳島市内の阿波おどり会館に行き、夕方から阿波踊りを見学することになっていました。特に何もすることはないので、かなり午前中はゆっくりしました。犬猫の写真を撮ったり、広島大学邦楽部OBのUさん夫婦とY氏の話を聞いたり、阿波踊りのリズムを教えてもらったりと、ゆったりした時間でした。
 笑える諸事情があって、阿波おどり会館への出発時間がさらに遅くなりました。なので、Uさん夫妻が所有している山の近くにある、滝を見に行こう(滝の前でYさんに尺八を吹いてもらおう)ということになり、移動。滝の名前は「水神の滝」といいまして、滝が二段になっていました。後で調べてみましたところ、この二段の滝は、「雄滝」「雌滝」というそうです。水もさすがきれいで(飲むのはいろいろ怖いですが)、滝の前でみんなかなりゆったりとしていました。写真は私が撮った水神の滝・雄滝です。
 その後、14時すぎてようやく昼飯を食べに移動。1時間ほど移動して、たらいうどんを食べにいきました。店の名前は「平谷家」といい、たらいうどんを始め、地鶏の焼き肉、沢ガニの唐揚げ、炊き込みご飯、といった豪勢な昼ご飯をいただきました。
 いずれもめちゃくちゃうまかったです

 16時ごろ、徳島市内へ移動。17時少し前に到着しました。しかし、ここで私は残念なことが… 今日の予定は、私以外のメンバーの方々は夕方に阿波踊りをみて夜中広島に帰る予定だったのですが、私はせっかくなのでそのまま直接実家の松山に帰ることにしていました。お盆だし、四国まで帰ってきたし。徳島→松山の電車料金はべらぼうに高いので、徳島駅発のバスで帰ろうと思いました。しかし、バスの最終便が17:30発だったのです。有名な阿波踊りの開始は、18:00とか。これを見るのはどうやっても無理なのであきらめて、阿波おどり会館だけでも見て帰ろうと思っていたのですが、徳島市に着いたのが17時少し前だったのでもう時間がなかったのです。
 しかし、このまま帰るのはあまりにむなしいので、阿波おどり会館はそれほど遠くないのでここだけは行ってみました。まさに行っただけで、中に入ってすぐに引き返すはめになりましたが(笑)。18:00が近づくに従って、浴衣や踊りの衣装を着た人がだんだん増え始めていました。阿波おどり会館から徳島駅に向かう途中、公園のようなところで観光客のためにか一グループがすでに踊っていたので、さわりの気分だけでも味わえたのは不幸中の幸いでした。

 17:30、徳島駅発の高速バスに乗って松山へ。20:20ごろ、松山ICにて降りる。両親が自転車で迎えにきており(松山ICから実家まで自転車で15分くらい)、久しぶりに実家に帰る。実家には私が広島に行ってから飼い始めた犬がおり、いつも私が実家に帰ると激しく吠えられていましたが、今日は初めて吠えられませんでした。おお、ようやく覚えてくれたか?
 実家では、親父が魚が好きなのでいつも食事は魚料理なのですが、今日の晩飯にはヒラマサの刺身が出てきました。
 めちゃくちゃ、うまかったー
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在徳島

2005年08月11日 23時55分55秒 | Weblog
 私のHPをみてくださっている方はご存じでしょうが、私は三味線(主に地唄三絃)をやっていて、広島のアマ邦楽器演奏集団のぐるーぷ“樹”に所属しています。で、そのぐるーぷ樹がちょっと演奏してくれないかと呼ばれ、今回徳島に行くことになったのです。それで今日は在徳島。
 午前5:30に待ち合わせ場所に集合し、樹の先輩であるYさん運転の車で徳島へ出発しました。Yさんは広島市を出発し、呉市をまわって何人かのメンバーを拾い、東広島市に住む我々を最後に拾ったわけです。午前3時起床で4時に出発したとか。ご苦労様です。しかも、広島から徳島までの5時間(休み休みですが)、ずっと運転を担当されていました。我々はというと、乗せてもらった上に、睡眠不足気味だったためにすぐに車中で寝てしまってダウン。まことに申し訳ない…
 で、10時ごろ徳島市内の演奏会場に到着。ここが非常に不思議なところでした。ふつう演奏会場といえばどこかの福祉施設等のホールなのですが、今日の会場は徳島市問屋町にある繊維団地内日曜市会場の100円ショップの二階にある会場でした。中は、昔どこかの会社の事務所だったのではないかと思うような造りでした。ホールの名前は「ワークス能楽ホール」といい、能舞台があって、そこで演奏するといわれました。音響はなかなかバカにできないほどよく響き、ホールとしてなかなかおもしろいところでした。30人ぐらいが入れる客席がつくられました。
 今回の企画について結局詳しいことはよくわからなかったのですが、ともかく元樹のメンバーであったUさんとの共演という形の演奏会になっていました。我々樹のような邦楽器演奏集団である徳島邦楽集団のメンバーの方々などが、かいがいしくお手伝いくださり、非常に楽をして演奏ができました。演奏会の曲構成は、古曲・唄物が樹の演奏会にしては多く、めったに聴けない曲を堪能させてもらいました。共演者であるUさんと、樹のメンバーの中で演奏能力の突出してしているMさん(最近結婚してIさんとなったことを今朝初めて聞きました!おめでとうございます!)の唄物は最高でして、すごい贅沢な時間を過ごしました。写真は、当日の最後の演目水川寿也作曲「三枚のおふだ」の演奏風景です。ちなみにこの曲には私は出演してません(笑)。
 演奏会終了後、Uさんに案内されて上桜温泉へ。この温泉は山の高台の上にあり、浴場の一方面がガラス張りになっていて、非常に見晴らしのいいところです。ここのところ体調の悪かったのもあってか、非常に温泉が効いた気がします。温泉からあがると、どかーっと汗をかき、効いたーって感じになりました。
 宿泊先はUさんのお宅。現在ご夫婦2人で住んでいる一軒家で、夜になるとほとんど明かりのないところにありました。この家のすごいところは、なんといっても、犬27匹ほど!、猫30匹ほど!を飼っていることです。昔は数匹だったらしいのですが、だんだん増えてきたそうで、テレビで報道されたこともあるそうです。テレビで報道された後は、Uさん宅に勝手に捨てにくる人すら現れたとか。それでいつの間にか合計60匹近くの犬猫屋敷になったそうです。
 私は犬猫が大好きなので、しばらくいじり倒しました。
 あまりにすごい光景だし、かわいかったので、数日以内に写真を公開したいです(今は写真をアップできない状態なので)。
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